Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

市販の食べ物は塩でできているのか

2年前から、血液検査で腎臓の数値がよくない。

すごく悪いわけでもないんだけど、だんだん数値が悪くなっているのが気になる。

そこで、塩分にとてもとても気を付けている。

 

病院の先生に言われたのは、1日塩分量6g以下に押さえること。

外食ではなかなか難しいが、自炊していると難しくはない。

1日3食として、1食2gに押さえればいいわけだ。

 

調味料をすべて「あすけん」に記録する

少し前から短期間のゆるダイエットをしていたので、食べたものを記録する「あすけん」を使っていた。

あすけんは塩分量も計算してくれるので、そのまま減塩アプリとしても利用することに。

しょうゆの量を減らしても「親子丼」などと登録してしまうと塩分量が高くなるので、基本的には材料や調味料を全部記録する。

そのため、使った調味料をすべて、きっちり覚えておくことにした。

 

また、だいたいの塩分量も頭に入れておく。

塩は「ひとつまみ」で、0.5~0.9g。小さじ1杯は5g、大さじ1杯は15g。

しょうゆ大さじ1杯で、塩分量はだいたい2.5gくらい。

だいたい3~4人分作るので、4で割ればいい。……のだが、何品も作るとその分塩分量が累積していく。

 

レシピをアレンジ

「大さじ1」と書かれていても、なんとなくで小さじ1とかにしてみる。

レシピに水と書かれているところを出汁にしたり、みりんを多めにしたりして、できるだけ物足りなさを減らす工夫……。

 

バチっとした濃い味にはならないけど、それなりに美味しい。

家族は文句も言わず食べてくれている。

味が薄かったら味付けしてね、と食卓にはしょうゆや塩を置いておく。

 

よく噛んで食べる

薄い味付けもよく噛めば、素材の味がわかっておいしくなる。

 

そもそも、市販品は食べた瞬間に「おいしい!」ってなるものがほとんどだけど、よく噛んだからこそ味わえるおいしさもあるはずである。

そのまま茹でただけ、焼いただけ、蒸しただけの野菜も、よく噛むと違った味わいがあっておいしいよ。

 

朝ごはんは塩分ゼロを目標に

朝ごはんは家族とバラバラのものを食べているので、私自身は塩分ゼロを目標にしている。

主食はごはん(パンには塩分が含まれている)、みそ汁やスープの代わりにホットスキムミルク(塩分のないスープってないよね)、プレーンヨーグルトや、ゆでたまごなど。漬物は食べない。納豆もたれやしょうゆを入れない。

 

市販品はあらゆるものに塩分が含まれている

驚いたことに、市販品の成分表を見ると、ほとんどのものに塩分が含まれている。

食材の裏にある成分表には感謝しきり。

おにぎりはヘタすると1個で2gを超える。何個も食べるともうアウト。

最近プロテイン流行りで売られている、ささみ肉なども1~2gくらい含まれている。

練り物は注意だ。ちくわは大きいものだと1本に2g含まれているらしい。本当にヤバイ。

 

原形をとどめていないものは、塩が隠れている気がしてならない。

最近は魚もたやすく買えなくなった(塩サバ、塩鮭、とか~! もう!)。

刺身もしょうゆを付けるし(そういう時のために減塩しょうゆを買いはしたが)、寿司においてはごはんに塩が含まれており、10カンも食べれば塩分量が2gになってしまうそうだ。

生ハムが特にやばくて、サラミやソーセージもしかり。

 

そうなると、肉や野菜、果物などの「素材だけ」を使う安心感たらすごい。

何も入れなければ塩分ゼロなのだ。加工食品で塩分ゼロのものってなかなかない。

皮付きの焼き芋を毎日のように買ってしまうのは、調理済みなのに塩が含まれない珍しい商品だからかもしれない。

 

自炊していれば難しくないが

何度も書くが、自炊していれば難しくない。

そもそも健康的な食生活をしており、濃い味にするのもかなり抵抗がある。

塩分量に気を付けるという要素が増えただけで、それほど負担は大きくないのだ。

 

ただ、外食となると話は別だ。

外食で塩分量が少ないものなんて、あるんだろうか?

 

外食で塩分を少なくするには

外食の場合、例えば……蕎麦の麺には塩が含まれていない。麺の下の方だけを麺つゆにつけるというツウな食べ方をすれば塩分はとても少なくて済むんじゃないか。天ぷらを付けても、つゆをつけなければ塩分はごくごく少ない。

うどんは麺にかなりの塩分が含まれているが、茹でれば塩分がある程度はお湯に流れ出るという説がある。

うどんやそば、ラーメンなどは、つけ麺にして、汁を少しだけ付けるようにすれば、外食もできそう。パスタは塩分が多そう。汁を残すこともできないし……。

定食は、みそ汁の汁を残して、とんかつなどにすれば少し減らせるかも。天ぷらは下味を付けないことが多いらしいから塩分ゼロ。

 

フルーツをたくさん食べてみようかな

今日のYahoo!ニュースで読んで驚いたのだが、中野瑞樹さんという方が、15年もほぼフルーツだけを食べて生きているらしい(塩は必要分だけ舐めて、たんぱく質を摂るためにナッツは食べるらしい)。

フルーツが大好きな私としてはとても憧れる!

 

「そういえば、フルーツには塩分が含まれていないじゃない」

そんなわけで、フルーツに頼ろうと思った次第。

外出先で小腹がすいた時のために無塩おにぎりをバッグに忍ばせておこうと思ったが、フルーツのほうが楽かもしれない。

 

水をよく飲む

水分量が少ないと腎臓に負担をかけるらしいので、1日2リットルを目標に水を飲んでいる。こちらはアプリ「Waterllama」を使っている。UIが優れているという理由で(だったかな?)、Appleのアワードも受賞しているらしい。

 

「減塩」という新しい世界

塩分量に気を付けるというのは、新しい世界だ。

成分表の「食塩相当量」をチェックし、塩分の少ない食べ物を覚え、塩やしょうゆを計って暮らす。

食べ物の見方、食べ物を通した世界の見方が変わる。

いまのところ、なかなか楽しい毎日だったりする。

朝のコーヒータイムにToDoを書き出す

モーニングコーヒー

ToDoがいつもあふれている。皆さんそうだと思いますが。

 

ToDoリストを使っているのだけど、見る習慣をなかなかつけられないし、書いたまま埋もれてしまうものが多い。

結局手書きがいいんじゃないかと思うんだけど、書くのが面倒くさい……。

見るのも書くのも、習慣にできない気がする。

 

そこで、朝のコーヒーの時間に、ノートにToDoリストを書くことにした。

追加が少しの場合は、昨日のに追加。

ぐちゃぐちゃになったら、新しいページに書き直す。

もういいやーと思ったのは落とすだろうから、自然と現実的な数になっていくかなあと。

 

書いたノートは、できるだけ机に開いて置いておく。

忘れてしまっても、次の日には見るのでまあいいかなと。

 

3/3からはじめて、毎日必ずやっているわけじゃないけど、なんかいい感じになっている。

 

手書きをすることってとても少ないけれど、昨年のクリスマスに伊東屋のロメオNo.3というボールペンを買ってもらったので、それを使えば気分もいい。

芯には、実はジェットストリームを入れているので、さらさらと書きやすい。

初日はとても字が下手だったけど、少しずつよくなってきた(昔を取り戻してきた)。

 

こんな風に手書きの日記も書ければいいのだけど、なかなかね……。

寂しさから離れて生きたい

人生は寂しさに包まれている。

 

そうではない、という人がいるのは知っている。

「あまり寂しいと思ったことがない」

「理由があって寂しいのであって、いつも寂しいわけではない」

でも、私は違う。それだけのことだ。

 

いつからか、寂しさを忘れることはほぼなくなった。

(正確に言うと、1回目の結婚から10年くらいは、孤独が消失したように感じられた)

 

「孤独は人生最大の敵だ」と思ったのは、20代だっただろうか。

その当時から、寂しさは私に付きまとう、というよりも、私は寂しさの海にどっぷりつかっていて、海の中で丸太棒が見つかったり、小さな船に乗れたりするくらいのイメージ。

だからよく、寂しさに巻き取られて息がしづらくなる。

 

敵を倒すことがヒーローものの最終目的だとして、同様に考えると私の人生の目的は、敵である寂しさを倒すことにある。

でも、寂しさは実体がない。例えると海のようなものだから、倒すのはなかなか難しい。

 

好きを仕事にして、家族を持って、友だちができて、人とのつながりができて。

それでも、寂しさの海はただただそこにあり、私はそこから少し浮いた場所で何とか生活できているに過ぎなかった。

もっと圧倒的に、寂しさから離れなくてはならない。すっかり忘れてしまうほどに。

 

「人とのつながり」は、救世主だと思った。

金脈を当てたようだった。

「つながりを感じられれば、私は"寂しさ"から救われる」

そう思った。

でも、何でつながればいいのか。つながりとは何なのか。

 

「寂しさから離れる」を人生の目的のように考えていたが、その言葉はあまりにもネガティブだ。

何かから離れるだけでは、結局どこへも行けない。

よく「潜在意識は否定語を理解できない」と言われる。

「寂しいをやめたい」と潜在意識に教えることは無理なのだ。

(「しろくまのことは考えるな」と、もしかしたら似たような構造だろうか)

だから多くの人は「幸せになりたい」とか言う。

ただ、私は、幸せだけど寂しい。

寂しさを寄せ付けないほどの、ポジティブなキーワードが欲しい。

 

少し前に、こんなエントリーを書いた(読まなくてOKです)。

emitochio.hatenablog.com

 

友人をセーフティネットのように考えていた私は、めからうろこ。

友人は愛する対象であり、そのために友人がある。

 

いろいろなことがつながった。

これは予感であり仮説なんだけど、人生の目的を「愛する」にすればいい。

愛されるでもなく、愛し合うでもなく、「愛する」。

 

目の前の人を愛し、遠くの人も愛し、

人だけでなく、動物や植物も愛する。

愛するために出会い、愛するために分かり合い、助け合う。

愛されるのではなく、自分から愛することが、私を救う。

 

そんな簡単にできないけど、ひとまず意識してみることはできる、はず。

仮説検証してみよう。