『日常の第四話』における、麻衣の洗脳テクニックについて

 人を自在に操るには、揺さぶりのテクニックがよく使われます。
 取り調べ室にて若い刑事が散々怒鳴りつけた後で、老齢刑事がカツ丼を喰わせながら「お前、生まれはどこや」というアレです。

 本を重ねて読んでいる麻衣に、ゆっこは軽い気持ちで突っ込みを入れますが、麻衣にこう返されます。

「ゆっこ。二度とそんなツッコミしないで」
「二度と」という強い語気に、ゆっこは自分がとんでもない事でも言ってしまったのかと驚きますが、

「そんな良いツッコミされると、私のボケが霞んでみえちゃうから」
 と突然褒められて緊張から一挙に開放されます。
 それにより調子にのったゆっこは、麻衣のボケが分かりにくいからね、と口を滑らせますが、

「わかりにくい…。本気でそんなこといってるの?」
 こう言われ、また間違った事を言ってしまったかとオロオロします。
 そこに、

「これは…ゆっこだから」
 と、述語を省いた一言で注意を惹きつけ
「…ゆっこだから、分かってもらえると思って」

 と、信頼の言葉を投げかけます。
 当然ゆっこは、また緊張から開放されて「信用されてるってーのは、嬉しいなあ」と照れまくります。
 そんなゆっこに麻衣は、

「友達じゃないんだから、信用されてるとか信用されないとか、そうゆう話はやめてくれない?」
 と言い放ちます。
 すっかり心を許していたところに「友達じゃない」という一言を突き付けられ、ゆっこの心は一気に絶望へと落とし込まれました。
 激しい揺さぶりに心が不安定になるゆっこ。そこへすかさず、

「親友に、言葉はいらないでしょ」
 と「友達」よりもより大きな結びつきの「親友」という言葉を出します。
 大きな不安定から大きな安定への反動。感動のあまりゆっこは半泣きになって麻衣に抱きつこうとしますが、何と麻衣はその手を振り払って冷たく一言。

「あんまりベタベタされると、困るんだけど」
 今度は言葉だけではなく手を振り払うという強い拒絶を突き付けられ、最高の気分から再び最悪の気分にたたき落とされるゆっこ。

 ここまで来ると、ゆっこはもう自分の中で何が正しいのか解らなくなり、麻衣の言葉に振り回されながら、すがるような気持ちで落とし所を探し出す訳です
 そこにもって、

「そんなことされたら、ゆっこのこと…ゆっこのこと、より好きになっちゃうから…」
 などとまた揺さぶりをかけられたものだから、ここが落としどころなんだろうかと照れまくりつつも慌て、二人は「親友」だねと繰り返すゆっこ。
 しかし麻衣はそれをも否定し、

「そうゆうんじゃないんだけど。異性じゃないけど、異性として見ちゃうと言うか…ごめん、うまく言えない。」
 とうつむきます。

 ゆっこ篭絡。
 ここでオチとして麻衣の「今のボケたんだけど」が続かなければ、ゆっこは完全に麻衣に恋してしまった事でしょう。

 あまりに激しい心理的な揺さぶりをかけられると人は判断を下すことができなくなり、自分がどうしたら良いのかを相手に委ねるしかなくなります

 マインドコントロールの基本テクニックですね。

 切れ者の麻衣が、単純なゆっこを手玉に取って遊ぶ一時。
 二人の関係が微笑ましくも恐ろしく感じたお話でした。

[論理療法]松屋の納豆定食

論理療法

 松屋で350円の納豆定食を食べる。
 もともとがあまり大食いではないので、全部食べきれない。
 しかし、全部食べねばならないという思い込みから、いつも食後には胃がもたれて気分が悪くなり、消化薬を飲むことになる。
 結果、食後は暫く気分が悪くなり、食べ過ぎによる健康への不安も増している

今回のイラショナルビリーフ
「食事は完食しなければならない」

 何故その様な思い込みがあるのか、納豆定食を食べながら考えてみた
 すると子どもの頃、家や学校の躾で食べ物を残してはいけないと教えられ、食べ物を残す事に罪悪感を抱いていたからだと気付いた。
 それは食べ物を粗末にしてはいけないという道徳だ。それは正しいと思う。

 しかし、私は別に納豆定食を足で踏んづけたり、ご飯を丸めてキャッチボールをして遊んでいる訳では無い。私は食べ物を粗末にはしてはいないと論理的に判断した
 むしろ最近では食べ過ぎによる健康への害の方が問題になっている。事実私は最近カロリー摂取をし過ぎており、自分の健康の事を考えると残した方が良いと論理的に判断した

 松屋からしてみればどうだろう。
 食べ物を残されると、確かに処理が多少面倒ではあるだろう。
 しかし私はお金を払って松屋で食事をしており、そのお金は食材費だけではなく残飯処理などの作業に関しても入っている筈だ。
 頼んでおいて全く手を付けずに店を出るなど常識を越えない限り、多少残しても問題は無いと論理的に判断した


ABC理論まとめ

A(出来事)松屋の納豆定食の量が多い
B(信念、固定観念)食事は完食しなければならない
C(結果)食べ過ぎで気分が悪くなり、健康被害への不安が増す。

「食事は完食しなければならない」というイラショナルビリーフを、「食事は多少残しても問題ない」というラショナルビリーフに書き換えた。
 すると結果のCは以下のように変わった。

C(結果)私は腹八分目にして食事を残し、いつもの胃の不快感や、健康への不安が軽減された

「つぼみ Vol.7」

百合姉妹」からはじまり、「百合姫」、「百合姫S」と読んできたのですが、どれも途中でリタイア。
百合姉妹」は廃刊なので仕方がないとして、「百合姫」はBL色がどうにも薄れず、「百合姫S」は萌え系で一時は長いこと読んでいたのですが、こちらも記号的な萌え色が強くなり、買わなくなってしまいました。
 そんな中、健闘していたのがこの「つぼみ」。
 基本的な路線は少女マンガであり、BL系の様にがっついておらず、萌えの様にテンプレートになっていない、良いかんじにリリカルな恋愛模様が展開されていて好感が持てました。
 特に「つぼみ Vol.5」の出来は素晴らしく、黒星紅白さんの表紙からはじまり、各作家さんが一番ノッていた時期だと思います。
 つづく6、7巻と新しい作家さん発掘に苦心している感じはありますが、大朋めがねさん、玄鉄絢さん、ナヲコさん、吉富昭二さんなど、頭一つ突き抜けた作家さんが牽引し、それなりに安定した紙面作りになっています。
 オマケの小冊子は妄想炸裂で笑っちゃいましたが、隔月になるためか若干ゴタゴタしている感じのする本編のフォローとしては、満足の逸品でした。

 個人的には大朋めがねさんが一番のお気に入り。
 特にVol.5での「ひみつ。」は傑作で、機会を見てこの作品を取り上げてみたいと思っています。

「オレ様化する子どもたち」諏訪哲二//後半がなければ名著

 現場バリバリで活躍してきた教師による教育論。

 今までイノセントなものとして「子どもがおかしい」と発言するのが躊躇われていたが、はっきりと言うべきである。
 教育は贈与であり、等価交換ではない。
 それらの主張を豊富な現場例を交えて語る口調は、多少強引な気もするけれど気持ちが良い。

 やはり実際に経験してきた例を出されると説得力があり、とても勉強になった。

 しかし問題は後半。

「若者、子ども問題を語る人々」を一人ずつあげつらい、人格攻撃に近いような批判がひたすら続く。
 さすがに辛くなり、最後まで読む事が出来なかった。

 この方なりに本気で教育を考えている故の事なのだろうが、人の悪口を100ページ近く読むだけの気力は、私にはなかった。

「考えない練習」小池龍之介

 自己啓発本などでは、常に思考を絶やさずに考える癖をつける事を提唱しておりますが、これはその逆。
 怒りや欲など、混乱した思考に悩まされている人に向けた、考えない練習の本です。

 無論、日がな一日ボーッとしていろという事ではありません。
 その瞬間に考えるべき「正しい思考」をするために、無駄な思考を排除しよう、という教えです。

 私も昼間はなるべく頭を働かせて思考する癖をつける様にしていますが、それで困るのは夜、寝る時です。

 どうしてもアレコレと考えてしまい、ベッドに入ってから寝付くまで早くて40分、遅くて3時間ほどかかる事もあります。
 だから考えるのをやめようと焦るあまり、考えるのをやめようと考え込んでしまうというスパイラル。

 そこでこの本を手に取った次第です。

 とても良い本でした。
 一朝一夕には体得出来ませんが、少なくとも自分の思考にどういう癖が付いているかが何となく解るようになってきました。

 人が考える事を苦痛に感じる時。それは大きく分けると2つになります。
 過去を悔やむか、まだ見ぬ未来を心配するかです。

 だからそれらを避けるには、今現在に集中すれば良いという事になります。

 寝ようと横になったら、自分の呼吸する音だけに集中する。
 重力でベッドに押しつけられた背中部分の感覚だけに集中する。

 意識して何も考えまいとすると、ジリジリとした焦りが確実に来ます。
 だから、いま現在感じている感触にだけ意識を集中させるという事です。

 仕事でキーボードを打っているのなら、指先に意識を集中させる。座っているのなら、お尻にかかる体重の重さに意識を集中させる。

 考えないという事は、頭を空っぽにするという事ではないんだという発見は、実に新鮮でした。

 著者は仏法者。
 仏教の教えをベースにおいてはありますが、文章が非常に穏やかなので説教臭さがありません。

 巻末では「進化しすぎた脳」などで有名な神経科学者、池谷裕二さんとの対談もあり、宗教と科学との接点が見られて、これもまた興味深いものがありました。

 自己啓発本と平行して読むと、バランスを保つのに良いかと思いました。

「いやな気分の整理学 論理療法のすすめ」 岡野守也

 いやな気分になったらどうするか。

 論理療法では「ABC理論」という考え方をするそうです。

A=「嫌な気分を誘発、活性化するような出来事」
C=「その結果、落ち込んだり腹が立ったりする」

 普通はA→Cという考えに流れます。
 しかし実はその間にBというものがあるというのがポイント。

B=「個人による受け止め方、考え方」

 Aという出来事を、Bという受け止め方を経て、Cという感情が生まれる。

 だから同じAという出来事が起きても、Bの違いにより感情が爆発する人もいれば、平然としていられる人もいる。

 結果であるCをより良い方向に持って行く為に、Bを修正しよう。
 それには、自分自身に「論理的な」問いかけを「積極的に」すれば良いのだ、というものらしいです。

A(アクティベイティング・イベント)
B(ビリーフ)
C(コンシーケンス)

 詳しくはこの辺を読んで頂くとして、面白いなと思ったのは、対象者に対してかなり積極的に働きかけるという事です。

 この本を読む前に「プロカウンセラーの聞く技術」という名著も読んで大いに感銘を受けたのですが、こちらはひたすら聞き役に回り、対象者の怒りや不満を吐き出させて気持ちが収まるのを援助しよう、というタイプ。

 カウンセリングというと、やはりこちらが主流の様です。

 しかし論理療法は、もっと積極的、能動的に対象者に働きかけ、考え方そのものを変えてもらおうというものだそうです。

――希望の大学に入れなかった。もう全てが終わりだ。
「大学に入れなかったら、君の全てが終わるというのは論理が破綻している」

――あいつは嫌な奴だ。腹が立つ。
「君が腹を立てる事により、損をするのは誰だ? 君自身だ」

――世界のどこかで食べ物も食べられずに死んでいく人がいる。なんて私は無力なんだろう。
「可能ならばすぐにそこへ行き、彼らを助けてあげよう。しかしそれが出来ないのならば、忘れてしまいなさい」

 一見すると人の神経を逆撫でするような物凄いやり取りの様ですが、これは解りやすくする為に、極端な書き方をしました。

 実際はしっかりと信頼関係を結びつつ、慎重に行う筈です。

 つまりは、「絶対に〜でなければならない」という硬直した考え方を、論理的な問いかけを突き詰める事により、「〜だといいな」という柔軟な考え方に変えて行こうというものです。

 そしてこれは、自分自身に問いかける場合にかなり有効だと思います。
 特に我々の様に理屈が大好きなオタクにとっては、結構ゲーム感覚でやれるのではないかと思った次第です。

 特に最近はぐぐるにお願いすれば、どんな答えでも立ち所にポーンと出てくる時代。
 だからつい安易に答えに飛びついてしまい、「考える」という事を最近しなくなったと自分でも反省していた所です。

 悩んだ時以外にも、常に考える癖をつけておこうと改めて思いました。

「ゆるゆる」たかみち

 たかみちさんの描く画からは全く邪気が感じられないにも関わらず、描かれる女の子たちにエロさを見出してしまうのは、これは受け手の心の中にそういうものがあるからでしょう。

 だから例えばアグネスとかがこの画を見たとしても、「あら〜可愛い女の子ねぇ〜」と思う筈。
 もしこの方がロリコン雑誌の表紙を何年にも渡って描かれているのだという情報が事前に与えられていれば、烈火の如く糾弾するのでしょうがね。

 そしてこの様に受け手によって画から受ける印象が変わるという事こそ、芸術性が高いという事だと私は思います。

 時として優れたイラストレーターがコミックを描くと途端に微妙になってしまう事もあるのですが、この作品はその辺が無くするっと入り込めました。

 それは恐らく描いている本人に、自分はストーリーで語る人間ではなく画で語る人間なのだという自覚があるからだと思います。

 その辺が最も色濃く出ていたのが、第5話「待ちあわせ」。

 仲良し三人組の女の子、ハルカ、みさき、ユキ。
 みさきは朝の海岸でハルカとユキを待っているのですが、午後5時の待ち合わせを午前5時だと間違えてしまっていたというお話。

 一応直後にハルカが来て、彼女も朝の5時だと勘違いしていたというオチもあるのですが、特にその辺は大した事でもなく。

 凄いな、と息を飲んだのは朝の海岸の風景。

 日が射す前の暗い海辺の上空に、先んじて大きな雲の一部にだけ光が入射している表現。
 時間が経つにつれ日光がみさきにあたるのですが、入射角が鋭いので、ぼんやりとした朝焼けの光となっています。

 冷たい空気と日の光。そして足下で遊ぶさざ波。

 五感を刺激する画です。

 全編フルカラーで描かれたこのコミックにおいて、たかみちさんの魅力が最も強く出ている1話。

 恐らく作者は朝の風景を画にしたかったため、この様なお話にしたのでしょう。
 この辺、テーマやプロットを先行して考えるシナリオ畑の人とは違う所です。

 自分は絵描きなんだ、という強いプライドと自信が感じられます。

 フルカラーコミック128ページもあって1143円。
 値段もリーズナブル。

 就寝儀式用にして、寝る前に眺める事にします。

PS.
 「チェンジH」とかいうTS(トランスセクシャル)系雑誌のチラシが挿まれており、何だこりゃとか見てみると、男装少女のフルカラーコミックをこちらにも描かれるとの事。
 うえーい。解りましたよ、買いますよw