南米's diary

2016年9月〜2017年3月頭まで南米を旅する無職な二人の愉快な日記。

【お知らせ】南米の写真展開催&写真集発売

南米の旅が写真展になります。同時に写真集も刊行します。

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写真集は本日より予約を承ります。10月16日(水)発売です。写真展でも受け取れますし、遠方の方は郵送します。ネットで予約するメリットとしては、クレジットカード決済ができるので写真展では金銭のやりとりが発生せず、写真集を受け取るだけになり楽チンです。

こちらのウェブサイトからどうぞ。→https://www.kanomegu.com/shop

予約するにあたり、ちょこっとだけわかりづらい点があるので解説します。写真集を写真展で受けとる方は国を選ぶときに「Japan」以外を選んでください。「Japan」以外でしたらどの国でも大丈夫です。「Japan」を選ぶと送料がかかる仕組みです。逆に郵送の方は「Japan」をお選びください。また、スマホで予約すると「カートに追加」したあとが少しわかりづらいです。添付の画像を参考にしてください。わからないところがあれば遠慮なく聞いてください。サイトに不具合があった際もご連絡くださると助かります。

 

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写真展に来て買う場合は現金払いのみとなります。

写真展は入場料無料です。バーで飲む場合だけお金がかかります。私は毎日(日曜休み)18時ごろから在廊しています。ぜひ、お酒を飲みながらゆっくりお話しましょう。会ったことある人も、会ったことない人も、どなたでも大歓迎です。

いろいろな人にお会いできるのを楽しみにしています。

南米から帰国して、私は……

Hola! 日本に無事(?)帰国して約3週間がたとうとしています。前回のブログで「もうこれ以上は何も起こりませんように!」と願いましたが、きっと皆さんの願いの力が足りなかったために(人のせい)、手荷物に入れていたカメラの望遠レンズの保護レンズがなぜか粉々に割れていたり、バックパックに縫い付けていたパラグアイの国旗が跡形もなくなくなっていたりと、悲しい出来事が発生しました。最後までなにかがある旅でしたね……。

帰国してからの約3週間は、バイクの免許を取ったり、映画を観たり、本を読んだり、部屋を片付けたり、バイトをしたり、そんな感じでした。日本にいるとなんだか時間が早く過ぎ去ってしまうと実感しています。南米での滞在を長期的視点で見れば早く過ぎ去っていった半年間でしたが、一日単位で見るととても長い時間を過ごしたように思います。毎日がのんびりしていてよかった。のんびり最高。

そうそう、長期の海外旅行から帰国した際には、三食付きの免許合宿に行くといいと思います。毎日おいしいご飯が三食も食べられて本当に幸せでした。いつもご飯三杯分くらい食べていました。あの時は、おいしいご飯を食べるために毎日生きていたといっても過言ではありません。まりあたんの手料理もおいしかったのですが、やはり久しぶりに食べた、日本の食材で作った日本食は本当にもう涙が出るほどおいしかったです。

さて、約半年間の南米での生活を経て、思ったことがあります。それは、「人ってそんなもんだよな」ってことです。諦めです。それは、諦めの気持ちです。良い意味での諦めです。海外で出会った人たちや、日本にいる人たちとのつながりを通して、実感しました。人って完璧じゃないんだなって。笑えるほど、涙が出るほど、不完全だなって。

私にとっての旅とは、自分と向き合う時間のことです。「旅に出たら世界が変わる!」なんて言うつもりは1ミリもないです。旅に出ただけで世界が変わったら、今の私はきっととてもハッピーで毎日楽しく過ごしていることでしょう。帰国して本当に幸せだと思ったのなんて、免許合宿でおいしいご飯を食べていた時だけじゃないですかね。ささいな幸せはもうちょっとありますけどね。

もっと人間ラブになりたいし(今はライクかな)、自分自身のことも良くしていきたい〜。前まではすごく生き急いでいたけど、今はもうゆっくりでいいやって感じですね。いつまで生きるのかわからないけど、ゆっくり生きられればそれでいいですね。そう言いつつも、4月からはせわしなく動くと思いますが(笑)。

そういえば、昨日、『淵に立つ』を観てきました。浅野忠信演じる八坂が「自分が罪を犯してしまったのには四つの理由があります」と言い、その四つの理由を話し始めました。一つ目と二つ目が「約束は絶対。たとえ、法を犯しても守らなければならない」「他人もそういった価値観で生きていると思い込んでいた」でした。それらは私の中にもある偏った考えとも通じます(法を犯してまで、とは思っていませんが)。先ほど書いた「南米で諦めの気持ちが生まれた」というのは、日々の生活の中でそういった偏った考えが少しずつほぐされていった結果です。

私は約束を死ぬまで守るけど、他人はいとも簡単に約束を破る。私は人に執着するけど、他人はいとも簡単に人との関係を捨てる。私と他人は違う人間だから当たり前のことですが、今までの私は自分の価値観と同じ価値観を他人も持っているものだと心のどこかで思っていたのかもしれません。だからたとえば、誰かに約束を破られたら悲しくなったり怒りの感情がわいたりしていました。自分勝手な考え方をするのはやめよ〜〜〜〜〜〜〜。人間はみんな違うんや〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

てことで、空港で生き別れたまりあたんに先日会ったのですが、南米で一緒に暮らしていたことが異色の過去の思い出となったことを実感しました。過去の思い出は大事にしまっておいて、二人とももう次を見ている〜〜〜〜はず! 二人ともここからさらに頑張ります〜〜〜〜〜! あでぃお〜〜〜す!(って、長い別れの時に使う単語だから普段はあまり使わないよ〜ってこの間まりあたんに教えてもらったけど、このブログで多用してきちゃったよ〜〜〜〜! このブログはこれからどうなることやら! 次回に続く!)

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ESTA申請しましたか?

チリ最後のHola! 私たちは、現地時間3月2日の午後9時50分の飛行機に乗り、米国経由で日本に帰国する……予定でした。しかし、予定はしょせん予定にすぎません。だって、私は3日の午後4時時点で一人で、たった一人でまだ空港にいるのですから!

米国入国に必要なもの

サンティアゴではチリ人の友達の家に1週間と少し泊めてもらい、大いに楽しい生活を送ることができました。一緒にご飯を食べ、一緒に街へ出かけて、一緒に飲んで、一緒に……。日々の生活が楽しかった分、最後の別れがよりいっそう心に響きました。

「またチリに来るからね!」「日本にも行くから!」とお互い声をかけあい、空港とは逆方向の電車に乗り込みました。逆方向? そうです。間違えて逆方向の電車に乗ってしまったので、次の駅で降りて正しいものに乗り換えました。

最後の最後まで時間をロスするようなハプニングが起こるなぁ……とのんきに思いました。このあと空港で史上最大のハプニングが訪れるとも知らずに。

空港に着いてまず行うことはチェックインです。私はパスポートが新しくなっているので、まりあたんだけ先に搭乗券を発券し、私は預け荷物の窓口で直接発券します。午後6時になり、ようやく窓口が開きました。まりあたんと私は別々の列に並び(私は搭乗券を持っていないので)、自分の番が来るのを静かに待ちます。

愛想のよいお姉さんに案内され、係りの人にパスポートを手渡します。パスポート番号が変わっているので、盗難証明書も手渡します。そして、預け荷物の重さを計ってみると20.5キロでした。多分ギリギリセーフだぜ!(20キロまでOK) などと心の中で喜んでいると……「米国のビザは?」と一言。

私「え? 米国のビザ? ESTAは前に申請したはずだけど……」

係「新しいパスポート番号で申請した?」

私「あ……ああああああああああああああああああ! してない!」

係「あそこにあるパソコンでできるからしておいで」

パスポート番号が変わったことにより、再びESTAの申請が必要だったとは、まったく考えていませんでした。ESTAの存在自体をすっかり忘れていました。フリーWi-Fiがあるので、自分のスマホで急いでESTAの申請をします。申請が通るには最大で72時間かかるそうで、あと2時間半以内にどうにか申請が通ることを、ただただ祈ることしかできません。

デルタ空港の窓口の人に事情を説明するも、「申請が通るのを待つしかない」と。その人はとても優しくて、何度も何度もESTAの申請が通っているかどうか確認してくれました。しかしその度返ってくるのは、非常な現実を告げる「まだだね……」の言葉のみ。ESTA問題が起きる前は、「上の階でビュッフェ食べる?! ビュッフェ! ビュッフェ!」などとはしゃいでいた二人だったのですが、私はもう「ちーん」という感じで意気消沈です。

しかしそれでもおなかは空くもので、腹ごしらえのためレストランへ入り、おいしいハンバーガーを食べました。おいしいハンバーガーを食べても時は止まってくれず、タイムリミットは迫ってくるもので、あと十数分後にはチェックインが締め切られます。まりあたんは、もう出国ゲートをくぐらねばなりません。ここでまりあたんと「じゃあねっ!」と軽いお別れをし、私はデルタ空港の窓口へと向かいます。

私「私のESTAは?! 私のESTAの申請は通った?!」

デルタ「まだだね……」

ちーん。

デ「明日の航空券取る?」

私「ま、まだ……。あと数分ある! もうちょっとだけ待つね!」

デ「わかった! いつでも声をかけてね!」

数分後。ダメだ……。もういちるの望みもない……。諦めて明日の同じ時間の航空券を取ることにします。ESTAの申請がつ通るかわからないので、明日の予約は仮予約ということにしてくれました。気がきくぜ! しかも、「日本円で6000円ちょっとだよ〜」と日本円の金額まで提示してくれて、人間って優しいね、うぅ……と人の優しさに泣きました。

結果的に、申請が通ったのは飛行機が旅立ったあとの午後10時40分で、「あぁ、あぁ、し、申請がぁ……」とスマホの画面を眺め、再び涙を流しました。

サンティアゴ国際空港は24時間営業だとわかったので、私はこのまま空港で明日の夜まで過ごすことに決めました。少しのワクワクした気持ちと、警戒した気持ちとともにベンチで横になります。今日は寝ません。寝ている間に盗難にでもあったらもう立ち直れないからです。私は絶対に寝ません。ぜぇぇぇぇったいに、寝ません。ぜぇぇぇ……ぐーぐー……。

いやー、周りを見たら無防備に寝ている人が多くて私もつられて寝てしまいました。一応、リュックをまくらにしたり、腕にリュックの紐を巻きつけたりして寝たので、無事に何事もなくすやすや寝ることができました。空港内は少し寒く、ベンチは固く、決して寝心地がよかったとは言えませんが。

今、この記事を書いている時刻は日本時間だと4日の午前5時近くになります。あと1時間後にはチケットの本予約をして、チェックインをして、無事に飛行機に乗る準備が整うでしょう。もうこれ以上、何も起こらないことを切に願います。それでは、皆さんも祈りをお願いします! ではでは、日本で会いましょう!

トラップ多発。世界最南端の都市・ウシュアイア

もう3月だ。あれから約6カ月がたった。明日にはもう飛行機に乗り、米国経由で日本へと帰る。パスポートが私の手元からいなくなったあの時、ブログを書くことを少し中断しようと思った。そう、少しだけのはずだったが、もう3月だ。ウルグアイからアルゼンチンへと移動し、パタゴニア地方を存分に楽しみ、チリに戻ってきたのが約1週間前。パタゴニア地方でのことを、これからのブログに書くかどうかはわからないが、とりあえず以下の二つのことだけは伝えておきたい。

1. エル・カラファテからウシュアイアへのバスで、トイレに閉じ込められた事件
2. ウシュアイアからプンタ・アナーレス(あるいはプエルト・ナタレス)行きのバスは火曜日しかない

トイレ閉じ込め事件

何時間もバスに乗っていると何回もトイレに行きたくなるのは人間のさがである。最初にトイレに行った時、ドアの内側に取っ手がないことに気がついた。なんだかやばそうだと思い、ドアは半開きに。バスの揺れで何度もドアが開いたが、乗っている人が少なかったため(私とまりあたんを含め5人)、誰にもトイレ中の姿を見られることなく用を足すことができた。

もうすぐウシュアイアに着く頃にもう一度、最後のトイレに行っておこうと私は席を立った。そして、トイレのドアを完全には閉めないように注意しながらドアを手前に引くと……ガタンッ! バスの揺れで完全に閉まるドア。やばい、と思ったが用を足すことが最重要課題である。完全に閉まったドアを見つめながら、ふぇ〜と。さて、ドアを開けるかな、となった段で……やっぱりね。はいはい。開かないですよね。だって、取っ手がないんですもんね。

コンコンコンコン。ドアをノックしてみる。この音に誰か気がついてくれないかな、と。ひたすら、コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン……。拳が赤くなるほど叩いたにもかかわらず、誰も気がついてくれない。

こうなったら実力行使だ。ドアを手で思いっきり押すことに。ドンッ! ドンッ! ドンッ! ダメだ。びくともしない。次は、ドアを蹴る。ドスッ! ドスッ! ドスッ! あっ、ドアの下部が壊れそうだ。壊したらやっかいなので、蹴ることを断念。いやー、それにしても開かないな。でも、こんなに狭いトイレの中に閉じ込められるのは耐えられない。ありったけの力を込めて全身でドアに突撃。ドスーン! ドスーン! ドスーン! ダメだ……。

疲れ果てた体を少し休ませ、最後の手段として、大声でまりあたんの名を呼ぶことにした。ソフト部で鍛えた声量(グラウンドの端から叫んで、100メートル以上離れている反対側にいる人まで聞こえるような大声を出す練習、みんなしたよね?)を、約10年近くぶりにここで発揮することになるとは……。感慨深いなぁ。あの頃の私は……おっと、昔の思い出に浸っている場合ではない。早く大声を出してまりあたんを呼ばなければ。せーの!

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

……。一向に来る気配のないまりあたん。あやつめ、多分、イヤホンで音楽を聴いているな。くっ。まだまだ!

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

「まりあたーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……ん……」

はぁ、はぁ。も、もうダメだ……。もう私はこのトイレの中で死にゆく運命なのだろう。こんなに狭くて、少し汚いトイレの中で私は死ぬ。一番行きたかったウシュアイアに到達する前に死ぬ。死んでトイレの妖精になる。妖精になったら……

ドスッ!

お?

私の目の前には突然、開いたドアが。そして、一人の男性が立っていた。おおおおおおおおお! この人は一緒にバスに乗っていた人ではないか! 日本人のような顔をしていて、日本人なのかそれとも他のアジア圏の人なのか見分けがつかないなぁ〜などと思っていた人ではないか!

「ありがとうございます! あっ、Thank you!」

日本人ではない可能性も考慮し、世界共通単語の「Thank you」を付け加えておいた。助かった……。ぎこちない笑顔の男性、いや私の命の恩人よ。ありがとう!!!!!!!!!!!

席に戻り、まりあたんに「トイレに閉じ込められたよ! ぷんすこ! まりあたんの名前をひたすら呼んだのに! でも男性が助けてくれたよ!」と報告し、うきうき気分でウシュアイアへ着くのを再び待つ私。ちなみに、「トイレのドアは完全に閉めちゃダメだよ!」と、忘れずに伝えておいた。

しばらくすると、まりあたんの声が後方から聞こえてきた。「めぐたん! 私も閉じ込められた(笑)」と。振り返ると笑顔のまりあたんがいた。

ま「あの男性に助けてもらったよ!」

私「私もあの男性に助けてもらったんだよ!」

ま「同じ人か!(笑) なんの言語でお礼言ったらいいのかわからなかったから、とりあえず『ありがとうございます』と『Gracias』って言っておいた!」

私「私と一緒じゃん(笑)。私は『Thank you』にしたけど!」

二人とも同じトイレに閉じ込められ、同じ男性に助けられる。実に良い話だ……うぅ。とまあ、「バスの内側に取っ手がついていないドアは完全には閉めてはいけない」ことを声を大にして言いたい。ちなみに、あの男性は日本語が少ししゃべれる(日系?)ブラジル人だった。後日、ウシュアイアの街中で出くわしたときに少し会話をした。

プンタ・アナーレス行きのバス

私たちはウシュアイアからプンタ・アナーレスにバスで移動する予定を組んでいた。ウシュアイアに到着した数日後の土曜日、バスのチケットを取りにオフィス(営業時間は夕方から夜まで)へ行くと、なんとプンタ・アナーレス行きのバスは火曜日しかない、と(私たちは月曜日にウシュアイアを出発しようと思っていた)。そして、残っている座席は二つだけだった。

バスの本数は、火曜日に1本しかないのか、それとも他の時間帯の便はすべて埋まっていたのか、どちらなのかよく確認しなかったのだが、確か1本だけだったような気もする……。そうなると、バスのチケットは争奪戦になるので、早めに取ることをお勧めする。

また、土日は銀行業務がやっておらず、ATMへの紙幣補充がなされない。そのため、観光客が多いウシュアイアでは土日は皆、ATMから大量にお金を下ろすので運が悪いと紙幣がなくなり、お金が下ろせなくなる事態が発生する(私たちは日曜に下ろそうとしたら、どこのATMからも下ろせなかった)。それに加え、手数料が高すぎるので(1万アルゼンチンペソ下ろすのに半分近く手数料が取られる)、ウシュアイアに行く前に現金は用意しておいたほうがいい。

世界最南端の都市・ウシュアイア。いろいろと予期せぬトラップが仕掛けられているので、用心して観光を。f:id:en_chile:20170302040736j:plain

私から二番目に大事なものを奪った国・ボリビア

Hola! 今日は前回に引き続き、バス会社Trans Copacabana S.A.(「Trans Copacabana」は同じで「S.A.」だけ違う〈確か、Mなんとか〉別のバス会社もありますが、そちらは無関係です)を利用しないほうがよい理由を三つ挙げます。

en-chile.hatenablog.com

そのうちの一つは、私にとても大きなダメージを与えました。もしかしたら、この旅で一番ショッキングな出来事かもしれません。では、これから三つの出来事を紹介していきます。

こ、鼓膜が破れる

それは、夜になり寝ようとした時のことです。突如、前方3メートル先にあるテレビの画面が明るくなり、まりあたんの頭上から何やら音が流れてきました。どうやら、これから映画を流すようです。もう寝る時間なのに、これから映画?! と思いましたが、ここは魔の国・ボリビア。そのしきたりに従わなければカエルにされてしまいます。それでも、それでも一言言わせていただきたい。この映画を流したやつらに。

「音量大きすぎ!!!!!!!!!!!!!!!」

この音量はあり得ません。あり得ないなんて、あり得ないですが、本当にあり得ないほどの大きさです。鼓膜が破れます。周りの人たちはきっと、もう鼓膜が破れて耳から血を流しているに違いありません。そう思い、あたりを見渡してみると……あれ? 笑顔で映画を楽しんでいるではないですか。この音量に屈しないとはたくましすぎます。

私たちはたくましくないので、もう音量の大きさにたじたじです。本当にうるさすぎて、こんな音量を流さなければいけない映画とはどんな映画なんだ! と画面をにらみつけてやりました。すると……映画が意外と面白いことに気がつきました。

男たちが荒野を旅をしていて、道中、地面から出てくる化け物がいる場所に出くわすという内容です。B級映画らしくて面白い。しかし、音量の大きさを許してやることはできません。あの音量だけは許すことのできない大きさなのです。

どれほど許すことのできない大きさなのかといえば、我慢の限界に達したまりあたんのこの行動を見ていただければ一目瞭然だと思います。

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というわけで、バス会社Trans Copacabana S.A.をオススメなしない理由その一は、「映画の音量が大きすぎる」です。

「その場で待っていれば大丈夫だよ」

さて、二つ目の理由に移ります。前回のブログで書いた通り、私たちの荷物は次のバスに載せられ、己の体だけを最初に出発するバスに乗せる運びとなりました。荷物係のおじさんは「バスを降りたとことで待っていれば、大丈夫だよ!」とまりあたんに声をかけたので、彼女は安心してバスに乗ったのに、乗ったのに……。

降りてバスを待つも一向に何もやってきません。係りの人に次のバスの到着時間を聞いたのですが、その時間を過ぎてもやってくる気配はまったくありません。

仏のように温厚な私たちがついにしびれを切らし、係りの人に再び聞いてみると、「ここではわからない。あっち(結構遠い)の窓口で聞いてくれ」と言われました。最初から「ここではわからない」と、そう言ってくれればいいのに、今になって(バスが来るのを数時間待っていた)言うなんて……。鬼のような形相で違う窓口へと向かう私たち。

私たち「私たちの荷物どこにやったんだよ!!!!」(実際の言い方とは異なります)

窓口の人「あー、確認するからちょっと待って。

(どこかに電話をする)

違う場所(さらに遠い)にあるから、そこまで取りに行って」

窓口の人から言われた場所がさらに遠い場所──少なく見積もっても2キロ以上はあります──で、サンタクルスの暑さにやられた私たちにとってはとてもとても厳しい道のりです。バスターミナルから3キロ以上も離れた場所に荷物が置かれるなんて、最初の話(降りたところで待っていれば荷物は来る)と180度違いすぎて、もう驚きを通り越してあきれました。お前は二枚舌か。

それでも荷物は必要。私たちが自ら取りに行くしかありません。暑い中、疲れている中、荷物を取りにひたすら歩きます。そして、ついに、ついに、荷物とご対面……その衝撃の結末は?!

やられた

まず最初にまりあたんのスーツケースが出てきて、次に私のバッグパックが出てきました。なぜか両方ともとても汚れています。おそらく、ほかの業務用の荷物などと一緒に雑に扱われたのでしょう。かわいそうに……。

荷物を受け取りこれで一件落着……と思いきや、私はあることに気がつきました。荷物を預けたときは確かにあった、バッグパックにくくりつけていた私のサッカーボールがなくなっています。荷物を持ってきてくれた人に、「私のサッカーボールは? ここにくくりつけてあったんだけど!」と聞くも、「荷物はこれで全部だよ」と。

や、やられた。やられました。私のサッカーボールが盗まれました。ショックでその場に崩れ落ちて泣き叫びました。

私の!!!!!!! 私のサッカーボールを返して!!!!!!!!!!!!!!!!!

いやぁあああああああああああああああああああーーーーーーーー!!!!!!!!!!

私のサッカーボール!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

返してぇええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!

私にとってどのくらいこのサッカーボールが大事かは盗人にはわからないでしょう。私にとってこの子は、命の次に大事なのです。命の次に、ですよ。むしろ、一眼レフを盗まれたほうがまだショックが少なかったでしょう。そのくらい、本当にこの子は大事だったのに……。

一通り泣き叫んだ帰り道、私は心の中でずっとこう念じていました。

「お金のためなのか、子供のためなのか、わからないけど、盗んだボールで練習したって絶対にうまくなれないからな、絶対に。うまくなれない呪いをかけておくからな」

と。4、5年前にヨーロッパに行った時も、数年前にインドネシアに行った時も、サッカーやりたい病が発症し、そのつどサッカーボールを買い、海辺で街中で郊外でうえーいとボールを追い掛け回し、それを今でも大事に使っている私。家にはそんなかわいい子供たち(サッカーボール)がたくさんいるのです。今回の子もその仲間入りするはずだったのに……だったのに、うぅ。ひどすぎる。


さて、今回は一部(泣き叫んだくだり)フィクションでお送りしました。それ以外はすべてノンフィクションでございます。前回のブログ内容とあわせ、以上4つの理由「トイレを使えない」「映画の音量が大きすぎる」「荷物を遠い場所に運ばれる」「サッカーボールを盗まれる」から、バス会社Trans Copacabana S.A.はオススメしません。

トイレはブラックホール

Hola! 今日は少し重大な内容のブログです。きっと、誰しもに訪れる危険を身をもって体験した私の体験談を載せたいと思います。命拾いしたければ、ぜひ読みましょう。

ボリビアからパラグアイへと移動

つい数日前、私たちはペルー・プーノからパラグアイアスンシオンへと移動をしました。プーノのはペルーの一都市ですが、首都・リマや第二都市・アレキパと比べると、気温はとても寒く(本当に凍えるほど寒かったです)、町の風景はボリビア・ラパスに似ているものでした。

プーノに数日滞在し次に向かった場所は、パラグアイアスンシオンです。まず、プーノからボリビアとの境界線になっているチチカカ湖まで大型バスで3時間かけていきます。チチカカ湖に着き、船で湖を横断し、そこからラパスに行くために今度はおんぼろな大型バスに乗ります。おんぼろで道もガタガタなので酔います。当初の予定より時間は延び、プーノから合計で約7、8時間かけてようやくラパスに到着しました。

見慣れたはずのバスターミナルに着くと思いきや、着いた場所は、まったく見知らぬ場所。どこかの道路の端っこです。早くバスターミナルに行き、ボリビアサンタクルスまでのバスチケットを取らなければならないのに、どこだかわからない場所に降ろされてしまいました。本当はお金を使いたくなかったのですが、仕方がないのでタクシーを使ってバスターミナルまで移動します。

バスを追いかける

タクシーに乗ること約10分。無事にバスターミナルに着き、私は荷物係、まりあたんはチケットを取る係と役割分担し、素早く行動しました。まりあたんが数カ所に値段を聞くもどこもどっこいどっこい。しかし、最後に聞いた会社でなんと破格の価格が!!!!!!

だいたい一人200ボリビアーノオーバーの値段だったにもかかわらず、180ボリビアーノがきました! バスの時間が迫ってきているので(正確にはもう過ぎていますが)、席を埋めたいがためにここまで値下げしてくれたのです。まりあたんはチケットの手続きをし、私は急いでATMにお金を下ろしにいきます。

ものの数秒でチケット会社の受付カウンターに戻ると、まりあたんが「早く! 早く! お金渡して! ここから(受付カウンターをくぐり抜ける)入っていいって!」と言っています。まりあたんが係りの人に聞いたところ、荷物をバスに積むのはもう間に合わないから(発車しているから)次の便で送る、と。バスを降りたところで待っていれば大丈夫だ、と。

というわけで、荷物は係りの人に預け、私たちはバスを追いかけているもう一人の係りの人の後を猛ダッシュで追いかけます。ここは標高約3600メートルのラパスです。そんなところで猛ダッシュする私たち。私は重い荷物とずり落ちそうになるズボンを手で押さえながら走ります。はぁ、はぁ……。疲れた……。

トイレはない

走ること数分、ようやくバスに追いつきました。ちなみに、私たち以外にもバスを追いかけ走るおばあちゃんたちがいて、強いな、と思いました。バスに無事に乗り込み、ほっと一安心。私は迫り来る尿意のため、息も絶え絶えにすぐさまトイレに行きます。まりあたんが係りの人に聞いたところ、トイレはちゃんとあるそうなので大丈夫です。

2階から1階に行き、トイレのドアを開けようとすると……え? 取っ手がない?! 本来あるはずの取っ手部分がなくなっており、金属がむき出しになっています。これで開くのか、一抹の不安を残しながらも、むき出しの金属を握り、引っ張ってみると……開かない。まったく開きません。まあ、この状態で開くわけないですよね。

と、1階の最前席に座っていたおじさんが私に何か話しかけてきました。

お「ぺらぺらぺらぺらーーーーーーーーーーーーー」

私「?????????????????????」

あまり聞き取れませんが、とりあえず、「トイレはないよ!」と言ったのは聞き取れました。え? トイレはない?! いや、ここにあるんですけど。この扉の向こう側にはトイレが。え、いや待てよ。もしかしたら、この扉の先にはトイレはなくて、異次元へと通じるブラックホールになっているという可能性が……。だから、おじさんは「トイレはない」と言ったのかも。それは怖い……。でも、私は今、トイレをしないとダメなのです。もう本当に……。

考え込む私に、おじさんは再び何か話しかけてきました。その声に耳を傾けると同時に、おばあさんたちの乗車を手伝っていた係りの人が私とおじさんの間にあった扉をいきなりバタンと閉めました。え? 私、おじさんと話していたんだけど……?

やはり、このトイレの扉の先はブラックホールになっており、その秘密をばらされたくないがために、係りの人は私とおじさんの間を引き裂いたのでしょう。確信は増す一方です。私の尿意も増す一方です。係りの人に「トイレはないの?!」と聞くも、「ないない!」と強く言われ、足早にどこかに行ってしまいました。と、トイレがない……。

再・トイレはない

絶望しながらまりあたんの元へと戻っていきます。足取りは不確かで、目はうつろ。あぁ……まりあたん……。と、トイレはないんだって……。うん。トイレないって……。トイレ……。トイレ……。と、といいいいいいいいいいいいいいいいいいいいれ……。

うぐっ……。ここでくたばってはダメです。私にはトイレに行くという使命があるのです。それを遂行するまでは死ねません。わずかに残っている気力を振り絞り、決意します。少し時間を置いてから、もう一度トイレに行く、と。

それまでは席に座り、体力温存です。さて、どれくらいの時間が経ったでしょう。外はほのかに暗くなり、隣に座るまりあたんは舟をこぎ始めています。まりあたん、私はもう限界だ。行ってくるよ。いざ、決戦の時。ダダダダダダン(効果音)

「尿意」という見えない敵に妨害されながら、それでも負けずに、1階のトイレへと向かいます。取っ手はいまだありません。先ほどと同じく金属がむき出しです。私、握る。金属を。

ダ、ダン(効果音)

扉はビクともしません。しかし、ここで諦めてはいけない。頑張るんだ、私。自分で自分を鼓舞しながら、ありったけの力を金属に込めます。

おりゃああああああああああああああああああああ!

……ダメです。やはり、ビクともしません。こうなったら奥の手。最終手段です。トイレの横にある、バス会社の人と私を隔てる窓をドンドンドンドンと叩きます。ドンドンドンドン、ドンドンドンドン。

「トイレは使えますか?! トイレは?! トイレは???????????!!!!!!!」

「使えないよ!!!」

え……。

「トイレはないよ!!!」

ここでもまた「トイレはない」という言葉が……。「トイレはブラックホール説」は本当なのかもしれません。バスに乗っているバス会社の人まで「トイレはない」と言うのですから。本当はみんな私をブラックホールから守るために、一貫して「トイレはない」と言っているのかも……。そうか、そうなのか……。

みんな私のためを思って……うぅ。ありがとう。ありがとう。あふれでる涙が止まりません。もしかしたら、尿が涙として流れ出ているのかもしれません。それくらい、勢いよくあふれでる私の涙。あぁ……。みんな、優しい人たちばかりでよかった。命拾いしました。

失われゆく人間の尊厳

尿が混じった涙を拭き、まりあたんの元へ戻り、席に座ります。う……。ほっとした瞬間、再び戻ってきた尿意。ダメだ。これから十数時間バスに乗り続けるのに、この尿意を今、我慢できるはずがありません。でも、トイレはブラックホール。どうしよう……と悩んでいると隣から、天使のような声が聞こえてきました。

「ここでしたら?」

あぁ、そうか、ここでするしかないよね。そうだよね。幸い、私たちの後ろの席には人が一人もいません。これから人が乗ってくる可能性があるので、するなら今しかありません。迷う暇なんて、私にはないのです。即・決断です。

すぐさまバッグから袋を取り出し、後ろの席に隠れます。

ぴーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(音声を一部変えてお送りしております)

さて、すっきり! 意気揚々と、席へと戻ります。もう一度尿意がきたら、今度こそ耐えられる自信がないので、これから水は一滴も飲みません。まりあたんも同様です。しかし、まりあたんはずいぶん長いことトイレに行っていません。内心、これから十数時間耐えられるのか、と不安に思いながら、まあ、まりあたんのことだから大丈夫か! と、不安を楽観に変え、私は就寝態勢に入ります。

「おやすみ、まりあたん♪」

数時間後(夜中)。私の心の声。

「(うー、うー。トイレに行きたいよー)」

「(もー。途中で人が乗ってきてすべての席が埋まっているから、さっきの手は使えないよー)」

「(うー、うー。寝るしかないうー)」

一夜が明ける

さらに、数時間後(朝)。ちゅん、ちゅん。ちゅん、ちゅん(鳥の鳴き声)。

「おはよう、まりあたん」

「おはよう。みんなが寝ているのを確認して、トイレしちゃった♪」

な、なんと?! その場でトイレをした? 私の隣の席で? まったく気が付きませんでした。すごい。本当にすごい。その勇気と技術に感服です。もっと詳しい描写を書きたいところですが、ここでも割愛します。

朝になりバスが道中で止まりました。ここでしばし休憩のようです。外にトイレもあります。急いでそのトイレへと向かいます。ここのトイレには扉がありませんでした。ブラックホールではないので、扉でトイレを隠す必要はないのかもしれません。安心安全のトイレですね。

さて、すっきりした気持ちでバスへと戻ると……あれ? トイレの扉に取っ手が付いている……? 扉に取っ手が? これはどういうことでしょうか。トイレの中はブラックホールなので、取っ手が付いていたら、誰でも扉を開けられて、ブラックホールに吸い込まれてしまいます。やばい、ここは危険だ。私の本能がそう告げてきます。一刻も早くここから逃げなければ。しかし、皆を置いて、自分だけ逃げていいのか、自分だけ助かっていいのか、葛藤します。

名誉市民賞のために

うーん……。もしかしたら、取っ手が付いていても扉は開かないのかもしれません。ダミーの取っ手なのかもしれません。それなら安心ですが、念のため確かめなければいけません。私に今、課せられた使命。それは、「取っ手がダミーかどうか確かめること」です。これもみんなのため。

もし、取っ手がダミーではなく本物で、扉が開いてしまい、私がブラックホールに吸い込まれても、それは本望です。人類のために犠牲になれるのなら、それは名誉なことです。きっと、総理大臣から名誉市民賞を贈られることでしょう。

名誉市民賞のために、いや、人類のために、私は開けます。扉を。いざ。いえっ!

ガチャン(扉が開く音)

ぶ、ブラックホールに、す、すいこまれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……ない?

あれ? 扉の先にはトイレの便器があります。本来あるはずのブラックホールがありません。いや、本来あるべきはブラックホールではなく、トイレのはずです。そこにトイレがあって当たり前のはずなのです。ここには、何も起こっていません。何もです。最初から最後までここにはずっとトイレがただあっただけなのです。

ということは、ブラックホールなんてものは最初からないということです。あれ? つまり、どういことだ?

まりあたん「この休憩場所でトイレを使わせるために(トイレ使用料がかかる)、今までトイレを使わせなかったんじゃない?」

そ、そうか。そういことか……。私の、私たちのあの努力はなんだったのだ……? ひどすぎる。危うく、人間の尊厳が失われそうになる事態を引き起こすほど、それほどまで私たちにお金を使わせたいのか! ボリビアのバス会社Trans Copacabana S.A.(「Trans Copacabana」は同じで「S.A.」だけ違う〈確か、Mなんとか〉別のバス会社もありますが、そちらは無関係です)はオススメしません。のちに書くブログでもオススメできない理由をさらに3つほど挙げます。

それでももし、このバス会社に乗るのなら、己の身に降りかかる災難はすべて自分のせい、誰も助けてくれない、と思っていたほうがよいでしょう。それでは、次回「私から二番目に大事なものを奪った国・ボリビア」に続く。

記憶に残る誕生日。ペルー・アレキパからプーノへのバス移動

Hola! 今日(1月7日)はアレキパからプーノへの移動日です。あっ、まりあたんの誕生日でもあります。おめでとう!

バスターミナルへ

朝を温かな気持ちで迎え、朝食を食べ、宿をチェックアウトしタクシー(8ソル)でバスターミナルへと向かいます。

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走ること十数分。無事にバスターミナルへと到着しました。時間がギリギリだったのでターミナルの使用料2ソルを支払い(まったく使ってないですけどね……)、急いで乗車場所へと向かい、バスに荷物を載せます。

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そして、バスの入り口にいるお兄さんにチケットを見せ、中へと乗り込む……はずでした。はずだったのです。それが、まさかの、「席が被っている」と。え? 「事務所へ行ってくれ」と。え? そういえば、私たちの目の前にいたおばさんもそんなようなことを言われていたぞ……。

席が被っていては、もちろん座ることができません。納得がいかないものの、仕方なくバスの目の前にある事務所を訪れ、席が被っている旨を伝えます。なにやら雲行きが怪しい雰囲気を感じ取りながら待つこと数分。

「このバスはもういっぱいだから9時半(私たちが乗る予定だったバスは8時45分)のバスに乗ってちょうだい」と。

えーーーーーーーーー?! まさかの予定のバスに乗れない事態発生です。ちゃんとチケットを取ったのに、バス会社の人のミスでバスに乗れないなんて……。でもまあ、ここでぐちぐち言っても仕方がないので、「OK!」と軽やかに伝え、バスに載せた荷物を取り出しに向かいます。すると、私たちの目の前で荷物部分の扉が静かに閉じられました。荷物を載せる係りのお兄さんは「よし! 仕事終わり!」的な雰囲気を醸し出しています。

お兄さん激怒

そんな中、まりあたんが彼に「このバスには乗れないので、荷物を出してください。席が被っていて私たちの席はないみたいなんです」と伝えます。

お兄さん「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?! なんてこったい! 今、荷物をすべて載せ終えたばかりなんだぜ? おい!(バスの入り口にいるチケット係りに向かって) なんで席がないんだよ! 本当に乗れないのか?! 荷物おろすの大変なんだよ!」

と、舌打ちまで打ちながら大の大人がわめきたてています。なんだか居心地が悪い私たち……。

まりあたん「あのおじさんが、『この子たちは悪くないんだから』ってお兄さんに言ってる」

優しい……。その通りです。私たちだって被害者なんだ! とりあえず、騒いでも「席は満席」という事実は変わらないので諦めるしかありません。お兄さんがしぶしぶ荷物をバスから取り出します。他の乗客の荷物をいくつか出した後に、私たちの荷物が取り出されました。その荷物は事務所の中へと置き、私たちは外に座り込んで時間をつぶします。

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ひたすらバスを待つ

空からの暑い日差しと闘うこと数十分後。例のお兄さんが私たちに話しかけてきました。わめいていた先ほどとは打って変わってフレンドリーです。少しだけ申し訳なさを含んでいるような感じもします。まあ、私たちだけ乗れず、こんなところで次のバスを待っている姿を見たら、誰だって「かわいそう……」と思うはずです。同情するなら金をくれ!

まりあたんに通訳してもらいながらいろいろ話します。途中、私の腕時計の値段を聞かれたので、「500ドルだよ」と言うと「たかっ!」となり、その後、「この子の腕時計500ドルだって!」と周りの人に言いふらしていました。「高いから気をつけな!」と言ってきたのに、自分で周りに言いふらして危険度を上げているような……。

ちなみに腕時計は、SUUNT(スント)の「AMBIT3 SPORT」です。

 今、アマゾンで見てみると4万4280円ですね。この腕時計は、父親が新車を買ったときにキャンペーンで無料でもらえた物です。この旅ではほぼずっと使っているのですがなかなか便利です。

防水なのでこれを付けたまま海まで入れますし、洗い物で水がかかっても平気です。一度、シャワーもそのまま浴びてしまったのですが、無事でした(よかった……)。まあ、便利といってもこの旅では時間と曜日(と消費カロリー)の確認にしか使っていないのですが。

快適とは程遠いバス

とまあ、お兄さんと会話しながら、精神を統一しながら、瞑想をしながら、困った顔をしながら、いろいろなことをしながら時間をつぶします。

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予定の9時半になってもバスは来ず、10時前にようやく来ました。そのバスを見てみると……私たちが乗れなかったバスのほうがきれいでした……。席もトイレも汚い汚い。おまけに窓は少ししか開かず(私たちの力不足?)、蒸し暑い中で約6時間も乗っていなければなりません。

私たちは二人ともバス酔いをするので、バスでは寝て過ごします。今回も3分の2は寝て過ごし、約5、6時間後に目的のプーノに着くはず……でした。それなのに、プーノに着いたのは約7時間後でした。バスに乗る前にも時間を取られ、バスに乗ってからも時間を取られ、私たちの時間が大幅に減った1日となりました。まりあたんは誕生日なのに、朝から夕方までバスに拘束されて……。

忍耐力が培われる南米

南米ってこんなものですよね(ようやくわかってきた)。スムーズに物事が運ばないことこそ南米の醍醐味ですね! プーノに着いて宿まで行くモトタクシーでも、住所を見せ最初は6ソルと言われたのに、走り出してから「住所を見せて」ともう一度言われ、「遠い! これは8ソルだな」と言われました。は? 最初に住所見せたじゃん! 二人とも激怒ですが、まりあたんのおかげで7ソルで落ち着きました。

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「 C1-7363」。この番号が書かれているモトタクシーは要注意です。この反省を生かし、今後は最初に「○ソル以上は絶対に払わないからね」と念押しして、もし途中で値段をつり上げられたらその場で降りることにしよう、と二人で決めました。

ちなみに、到着した宿のシャワーはお湯が出ず、リフレッシュした気持ちで就寝することもできなかった二人でした。最後までいろいろあった記憶に残る誕生日になったね! まりあたん!