白という安心と、話が横道に逸れて結果的に元のレールに戻らないわし

僕は白い物が好きで、その清潔感から心の安泰を誘う、そんな効果を実感する。白いレースカーテン、白いシーツ、白いバスタオル、白い家具、白い壁、それらが独立してそこに在る時、安心を覚える。調和というのは、忌み嫌う物同士を掛け合わせることで生まれるものではない。空間に位置する物体の色や形、醸し出す雰囲気、それぞれを統一することで、うまい具合にそこには一体感が生まれる。それが、居心地の良さや、摩擦を覚えることの頻度を少なくする要因ともなる。

 

何気なく買ったものが、その空間の一部として、十分に機能するものであれば、それは、買うということに関して言えば、成功である。そして、機能とは別に、その空間に寄り添えるか、という一体感をも孕んでいれば、それはそこに在るべきものとして、置いておくものである。買い物の難しさは、イメージすることの難しさと一致する。

 

置くことで生まれる効果を、事前に脳内でシュミレーションすることで、買った後の悔いを少なくすることができる。しかし、僕なんかもそうだが、イメージはイメージであって、完全なものではないが故に、実際に置いてみたときに、違和感を覚えることは、数知れずある。店舗で見て、触れて、質感を覚えて、いざお家にというプロセスも踏んでも、その空間にあった商品と、自分が暮らす空間とには、差異があるため、こんなはずじゃなかったという感想を受けてしまう。

 

実際に、僕は無印良品の、リビングでもダイニングでも使えるシリーズを購入したが、店舗で見た時のコンパクトさと、うちに置いてみた時の存在感とに、大きな差があった。1LDKという一人、いや同居人と猫が暮らす空間にしても、まだ大きい。一口に1LDKと言えども、部屋の面積に換算すれば、当たり前であるが、アパート毎に差がある。失敗したかなと思いつつ、2年ほど暮らしたが、模様替えをした結果、空間の余白を含めたその配置が、ぴったりとマッチして、前よりも落ち着ける塩梅となった。

 

 

写真?写真ですか?この記事を下書き保存したのは、もうだいぶ前のことなので、写真はありまそん。文章で伝えることの難しさって、そこにあるんですよね。

 

小説もそうですが、僕は文字だけで何かを表現することの難しさと楽しさを、よく思い知ることがあります。語尾の文体が変わりましたが、まあ、気にせず。

 

イメージの想起が容易にできるような、そしてそれ以上に、生々しく、あたかも自分の目の前にそれがある(その出来事を体験している)ような、表現の仕方で、読者の脳内を誘導できるくらいのレベルの高い文章は、僕の憧れです。

 

不思議なことに、文体には個性があって、そこに表情も匂いも空気感も全部内包されています。自信の有無も伺えるし、性格もある程度までは把握できてしまう。心の許容度や、喜怒哀楽、言葉の裏の真意。これが誰一人として同じ人間はいない。これが面白い。

 

僕は特別、文章の書き方を学んだわけでもないし、読書も得意ではありません。国語の成績というか、読解力を図る文章問題ありますよね、あれ、適当に記入してましたからね。でも、文章を書くことは好きだったんですよ。

 

話せば長くなるので、別の機会にでも。

 

終わり時が見つからない。ただいま、夕飯の後のティータイムです。カカオ含有量70%のチョコレートと、UCCのドリップコーヒーと、豆を食べながらのお別れです。また見てくださいね。

猫を飼って良かったこと、困ったこと

みなさん、おはようございます。

ブログを毎日書くことを目標に、今、少しずつ意識を変えているところでございます。元々、文章を書くことは好きなので、文章を通して、あなたの心に寄り添うわてくしでありたいと、そう思う所存でございますので、何卒、このブログをよろしくお願い致します。

 

さて、今日は私が大の犬好きということが、世界各地で認知されてきた2019年に、私が飼っている愛猫を飼育していく中で、良かった点と、少々困った点をお伝えしようと思います。

 

犬好き必見の内容となっておりますので、トイレに行かれる方は、今のうちにお済ませ下さいませ。

 

 

猫を飼って良かったこと

・寒い冬でも寒くない

・一人でも寂しくない

・何かを育てることの難しさに触れられる

 

寒い冬でも寒くない

大の犬好きのわてくしが飼っている猫は、中毛種で、フワフワとした毛並みです。

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どうです?列車の窓下の盛り上がっている部分に手を添えて、パパ!楽しいね!海が見えるよ!パパ!ねえ、ぱp…

 

パパは意識を失っていた。駅弁の牛タンは残されたまま、パパは白目を剥き、よだれを垂らし、リクライニングシートに深く腰を下ろし、ここにあって、ないような、どこか遠くの方へ魂が抜けたように、そこに居座っている。僕は驚きを隠せないまま、その現実を現実だと判断するのに、気持ちの上ではえらく長い時間を要した

 

みたいな顔つきをしてらっしゃいますよね。

 

この子が布団に潜ってくると、それはそれは温かく、同時に、抱き枕としての機能も付いておりますので、癒し効果は抜群です。

 

一人でも寂しくない

ヒトリノ夜は、寂しいですよね。そんな夜には猫がうってつけです。毎夜毎夜、暴れ回る猫さんですが、ある意味で、自分以外の生活音が聞こえてくるというのは、これは一人ではないことの表れでもあります。

 

仕事から疲れて帰ってきて、お風呂や食事を済ませ、寝ようとした瞬間に、トイレをしてしまう、そんなことも許せてしまう可愛らしさが猫にはあります。

 

何かを育てることの難しさに触れられる

単純に、手をかけて育てるというのは、大変な思いをしますが、それは、いつか子供が出来た時に生きる経験です。

 

本来、備わっている其々の個性は、これは生まれつきのもので、無理に変えようとすれば、その個性が失われ、育てる側も育てられる側も、のびのびと生きることが出来ません。

 

本来、人権や動物の習性を尊重することは、ヒエラルキのトップに君臨する人間にとって、これは義務であり、大事なことです。掛けた愛情が、何か別の形で返された時に感じる幸福は、何にも表し難い心に深く刻まれるものとなるでしょう。

 

猫を飼って逆に困ってしまうこと

・気軽に旅行に行けない

・どんなに眠い朝でも、早朝に起こされる

・よく吐く

 

気軽に旅行に行けない

猫はお留守番が比較的苦ではない生き物と言われていますが、飼い主としては、自宅を空ける期間、愛猫に何か良からぬことが起きてしまうのではないかと、不安に駆られる方々は多いと思います。

 

動物病院や、ペットホテルなどを利用することで、安心して旅行に行ける、そういったシステムも存在しますが、猫にとっては、自宅以外の場所に大きなストレスを抱えてしまうそうなので、結果的に、猫にはよろしくない選択となってしまいます。

 

加えて、利用料金も掛かるので、経済的な負担も当然、かかります。

 

よく吐く

個体差はありますが、猫はよく吐く生き物です。換毛期には、グルーミングと呼ばれる、舌で毛を絡め取る猫の習性により、胃の中に毛が溜まり、それを吐き出そうとします。

 

我が愛猫も、フローリングだろうが、ソファだろうが、吐きたい場所に吐きますので、仕事から疲れて帰ってきた時に吐いた形跡があると、正直、げんなりとしてしまいます。

 

それでも猫は癒される

生き物を飼う以上、自分の人生の一コマに、育てるという時間を費やすことが必要になります。ストレスが溜まることもあるでしょうし、自分よりも先に逝かれた時に、立ち直れないほどのショックを受けてしまうなど、いい事ばかりではありません。

 

ですが、それを加味しても、遊ぶ事でえられる楽しさや、ベッドの中に潜り込んできては、ゴロゴロと喉を鳴らす猫の愛らしさ、愛情を注ぐ事でかけがえのない存在となっていく猫との関係性に、日々、癒されることでしょう。

 

皆さん、是非ゆとりのない日々に、猫という安心を。

 

ということで、お伝えしてきましたこのどっかの記事にありそうな文面で。タメにならないと思った方は、是非、ブックマークを。

 

お昼ごはん、持ってくりゃよかったなー。

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掃除好きにオススメする、マイクロファイバークロスの良さを、やっと理解した話

みなさん、こんにちは!

今日は掃除好きのわてくしが、マイクロファイバークロスって、やっぱりいいよねえという話をしたいと思います。

 

マイクロファイバークロスとは

 

マイクロファイバーとは、「化学的に組成された8マイクロメートル以下の極細のナイロンやポリエステルなどの繊維で、木綿と同等の吸水性や通気性・保温性を持たせた素材。(Wikipedia参照)」を言います。

 

つまり、布です。布。いったんもめんをよく見ると、繊維がぶわあああああってなってるやつです。

 

普通のなんの変哲もない雑巾や、クロスと比較すると、触り心地が独特です。乾燥した肌に擦った時の、わしの肌の保水力をくれ感は、どの布よりも最強です。

 

ただ、この布の独特の起毛感により、水だけでも、フローリングやキッチン、水回りのステンレスの水垢でさえ、綺麗に取れます。これは、普段使いのいったんもめんと比較することで、汚れの落ち具合が際立つことでしょう。

 

ここで、汚れを拭き取った後のビフォーアフターの写真を載せたいところですが、こちとら、今仕事の休憩中なもので、それを貼ることはできません。

 

ですがご安心ください。私の文章力で、マイクロファイバーの凄さを語り尽くすことは、いともカンタンです。このブログを読み終わったあなたは、きっと、マイクロファイバーなしには生きてはいけない人生となることでしょう。

 

マイクロファイバーの凄さを力説する前に、まずは僕の今の現状をお伝えしますので、耳をかっぽじってお聞きください。

 

お腹が空いたように思えて実は空いていない

 

先ほど、夕飯前にアイスを食べました。それはそれはチョコレートがこれでもかとぎっしりと入っているチョコレートアイス、チョコレートというよりも、ガトーショコラをアイスにしたような肉厚なアイスです。

 

というか商品名が、

「フローズンスイーツ ガトーショコラ」

と言います、まんまです。

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口に含んだ瞬間、外のチョココーチングがパリッと音を奏で、ずっしりと重いショコラが舌の上に溶け出す、軽さのない重厚さが、喉元を通り過ぎていく感覚を、ただただ目を瞑り感じる至福のとき

 

ああ、お腹が満たされていく。

 

そう、つまり、仕事の疲れによる空腹など、アイスがあれば、一時的に解消されるのだ。そしてうちの猫がうるさい。

 

うちの猫がうるさい

 

トイレを済ませると、勢いよくトイレから飛び出し、砂を辺りに撒き散らす。出した汚物を隠す猫の習性が、我がアパートのフローリングを砂まみれにする。

 

その飛び散りは、日によってその範囲が異なる。今日はトイレから、150cm程離れたフローリングに砂を着地させた。猫は満足気に、辺りを走り回る。荒ぶった猫は、カーテンをがりがりと両前脚でいじめ抜く。俗に言う、トイレハイだ。トイ・レハイではない。トイレ・ハイだ。

 

詳細は、こちらのにゃんぺディアhttps://nyanpedia.com/post-2731/

 

簡単に言いますと、猫の本能で、野性時代、うんちをする時に無防備になる猫さんは、怯えながらうんちをします。無事、何事もなくうんちを終えると

 

っっっっっっしゃやああああああああ!!!!!!!!!

 

と、雄叫びをあげながら走り回るのです。命の無事を、魂が叫んでいるのです。そんなこんなで、うちの猫はうるさいです。

 

さて本題に入りますが

 

マイクロファイバー、いいですよー、みなさんぜひ、買ってくださいね。

 

マイクロファイバー クリーニングクロス 業務用タオル 12枚入 (12, Grey) https://www.amazon.co.jp/dp/B00MIENY2M/ref=cm_sw_r_cp_api_i_fOwwCbGR0RCHV

 

人生を豊かにするための、たった167個の方法

 

みなさん、こんにちは!

人生が豊か過ぎて、もはや苦しいレベルに達してしまった田舎者、encoreです。

 

 

今回は、「人生を豊かにするための、たった167個の方法」と題しまして、人生がつまらないと感じる皆さまに、とっておきの、しかも誰にでも簡単にトライできるたった167個の方法を、お伝えしようと思います。

 

 

目次

・そもそも人生とは

・つまらないってどんな感情?

・わたしは不細工だし、頭も悪いし

・それにとても不細工だし

・加えて貧乏だし、不細工だし

・あーあ、わたしを看取ってくれる王子様現れないかしら

三ツ矢サイダーを選ぶたった3つの理由

・気持ちが高ぶった時に現れる、全知全能の神がわたしに君臨した時の話

・財布を無くした時に届けてくれた町内会長、佐田充さんの話

三ツ矢サイダーのおいしさを語ることのできる佐田充さんの話

・わたしを看取ってくれる王子様が、実は佐田充さんだったという話

・人生を豊かにするための、たった167個の話

 

 

 

□そもそも人生とは

 

人生とは、人が生きると綴りますが、みなさんは、このように字面を捉えることによって、そこに意味を持たせようと意志します。

 

 

抽象的な言葉で、その意味合いが多元的であり、どんな風にも捉えられるとした時に、人は、各々の価値観の元で、あーだこーだ出張するわけです。

 

 

辞書では人生をこのように捉えています

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そもそも、通信制限を食らっております我がアイフォネスフォーエバー(俗に言うiPhone)は、画像を読み込むのにも、この記事を一度、プレビューするのにも時間が掛かり、とてつもなく非効率だという話は、また来年にでもするとしまして

 

あ、今日は12/31でしたね、もう少しで年が明けます、皆さま、良いお年を

 

 

本題に戻りまして、人生とは、つまり広義の上では、人がこの世に生きている期間と指します。これは、一般的で簡素な解釈にあたりますが、これを個人に限定した時に、色んな解釈を生れさす言葉になり得るのです。

 

 

つまらないってどんな感情?

 

 

人生がつまらないという嘆きは、決して、人がこの世に生きている期間つまらねえなーと言っているわけではなく、それは、各々の人生に対する解釈、その一部分に嘆きを発しているわけです。

 

 

自分が生きていくということ、つまり、生活の上に成り立つ生きるという人間的な根源、それに対する活動に不満を持った時に、つまらなさが出現してくるのです。

 

 

僕が人生をつまらないと感じるのは、人生に対する諦めや、うまくいかないことに対する嘆き、人を羨む気持ちを感じ、歩いているこの道程に、何も魅力を感じないと言う時に、結果として生きていても仕方がないという感情を、自身のうちに捉えると認知しています。

 

 

わたしは不細工だし、頭も悪いし

 

教室にクラスに馴染めないA子ちゃんがいます。

その子は必要以上に自分を卑下することで、自分を護っているような女の子でした。A子ちゃんは、可愛い同級生や、頭の切れる学級委員長を見てこう思います。

 

「わたしは不細工だし、頭も悪いし」

 

 

たしかに、A子にとっての可愛い同級生や、頭のいい学級委員長は、自分にないものを内包しているため、それが妬みと諦めの感情に繋がることは、容易に考えられますが、しかしそれは、A子が自分の人生を自分で縛っていることと同義と言えます。

 

 

その時のA子の気持ちとしては、自分が優位に立てることが、人生を豊かにする方法だと、そう信じているのです。

 

 

思春期特有の自我が揺れるプロセスにおいて、自我を保とうとするときに訪れる「わたしはこれよ」を、他者の存在によって決められてしまうような、非常にもったいのない感情です。

 

 

では、本当にA子は、可愛くて頭が良い人間が幸福だと言い切れるのでしょうか。

 

 

言い切れるのです。

その時のA子の人生に対する価値観は、それはそれで正しいからです。

 

 

それにとても不細工だし

加えて貧乏だし、不細工だし

 

加えて、貧乏という社会的な客観的事実を自我の脆い部分に投げかけ、不細工だという思い込みを、三度づけすることで、安心を得ようとする心理ですが、この時点で、A子は諦めに似た何かを見つけようとします。

 

 

あーあ、わたしを看取ってくれる王子様現れないかしら

 

 

もはや、生きるということの選択を、大金持ちでハンサムな王子様に看取られることによって、自分の人生を完結してしまおうと、結論したのです。

 

そう妄想することで、現実を逃避することに快感を覚え、A子はそれだけじゃ足りない刺激を、他から得ようと奮起します。それが、三ツ矢サイダーです

 

 

 

三ツ矢サイダーを選ぶたった3つの理由

 

夏になれば、否、夏でなくともみなさんが大好きでたまらない飲み物があります。それは、三ツ矢サイダーです。

 

 

僕はこの一年で、どのくらい三ツ矢サイダーにお世話になったかというと、日本人が朝起きた瞬間に脱走する近所のニワトリを見つけた時に歌う、滝廉太郎の荒城の月のカラオケの採点が90点取れた時に大喜びできる仲間を探す旅に出た佐田充さんが、1日に加えるタバコの本数と同じくらいお世話になりました。

 

 

 

基本的には、炭酸飲みません。

もっぱらわしの愛飲ドリンクは

 

青汁です

 

大麦若葉

 

 

 

気持ちが高ぶった時に現れる、全知全能の神がわたしに君臨した時の話

 

 

三ツ矢サイダーを飲むことによる刺激を快感としてきたA子であったが、次第に、TVで見るモデルさんや、可愛い芸能人に、あの時感じた嫉妬心が蘇り、自己卑下を開始するエンドレスワルツに悩まされる日々を送ることになってしまいました。

 

 

「こんなんじゃダメだ、わたしは強くならないと、絶対に…絶対に綺麗になってやるんだから!!!!!!!」

 

 

 

この昂ぶる気持ちが抑えられない感覚、いつ振りだろう。ああ、そうだ、幼稚園の頃、遠足に行ったっきり、帰って来なくなったあのおじいちゃんが、自治会館のトイレでわたしたちおデブのために、せっせと餅つき用の臼を、爪で彫っていたのを逆手にとって上から水をぶっかけた時に、おじいちゃんが放ったあの一言

 

「臼にはね、それはそれは綺麗な女神様がいるんやで」

 

水をうまい具合に沁みた臼は女神様であって、その女神様に聖水を掛けることで、女神様は息を吹き返したんじゃって、そういたずら好きの私たちおデブに怒りもせず言い聞かせてくれたあの時のような感情の昂りを感じるの。

 

あのおじいちゃん、もう亡くなっちゃったのかな。

 

 

 

財布を無くした時に届けてくれた町内会長、佐田充さんの話

 

 

「ふっふふーん」

わたしはいつも以上に機嫌が良かった。三ツ矢サイダーにある景品を、応募で勝ち取ったからだ。

 

「今日はすき焼きにしよー」

いつものスーパーに着き、すき焼き用の肉を、500kg買い物かごに入れられないことに気づき、Amazonでかごに収まりきれなかった499kgを注文(Amazonプライムで)しつつ、レジに行くと、佐田という名字のレジ店員が、そつなく業務をこなしていた。

 

「あ、この人… なんか見たことあるかも。」

知らない人であったならそれは恥ずかしい行為にあたると思い、わたしは話しかけずに、レジにかごを通すふりをしてかごの中に入っている牛肉を食べた。

 

「お会計は、167円になります」

佐田というダンディな方のダンディな声にダンディズムを感じ、わたしもダンディにダンディダンディすることにした。バックに入った幼稚園時代に作ってもらった、餅つき用の臼をどうにかこうにか解体してセロテープでくっつけて出来上がった思い入れのある財布を探そうと手を伸ばしてまさぐるが、ない。

 

支払いは出来ず終いで、わたしは、お腹に入ったすき焼き用の肉を消化されないように気をつけながら、一心の注意を払って、すき焼きのタレを胃に流し込んだ。ついでに、電子レンジで温めた牛脂を、飲み込んだ。

 

胃の中ではすき焼きだった。

 

 

その後、SNSで拡散されたある一つのツイートを見て、わたしは驚愕した。

 

「これ、わしの財布やけん」

セロテープで繋ぎとめられた臼のカケラでできた思い入れのある財布が、ある男性のツイートに、その男性の顔写真と共にツイートされていた。

 

「あ、あれは…あのスーパーの!!!!!」

佐田。確かそういった名前のダンディな店員さんに接客をしてもらった覚えがあった。わたしはとりあえず、そのツイートに返信せず、いいねとリツイートを各アカウント(167個のアカウントを使い分けている自称ツイッタラー)で行った。

 

無事、財布を届けてくれたこのダンディな店員さんは、佐田充という。そしてこの後、衝撃の事実が明らかに!!!!!!!

 

 

 

三ツ矢サイダーのおいしさを語ることのできる佐田充さんの話

 

聞くところによると、佐田充さんは、幼稚園時代、遠足にて失踪したあのおじいちゃんと同一人物だった。つまり、あのおじいちゃんが爪で彫ってくれた臼で出来たセロテープ財布を、届けてくれたのが佐田さんなのである。

 

こんなワンダフルなミラクル、もう二度と起こらないんじゃないのだろうか。わたしは記者になったつもりで佐田さんに、失踪したこと、臼を作った時の気持ち、制作秘話、水をぶっかけられた話、三ツ矢サイダーの話を、2分以内に話させた。

 

 

結論、佐田さんとわたしは結婚することにした。

 

 

 

わたしを看取ってくれる王子様が、実は佐田充さんだったという話

 

ちょっと疲れてきたな。

 

ここで矛盾を素直に抱えられたあなたは、ただの変態です。何故なら、ここまでこの脈略もない話を、ひと通り読んできたのだから。どうです?つまらない人生って思いながら、このブログを読みました?

 

 

何かを忘れさせてくれるくらいの今が好き

 

この言葉は、惚れた女に言われたら嬉しい言葉、ナンバー1に入るものでなくとも、僕はね、本当に思うわけです

 

 

辛い出来事って、そうは無くなりはしません

でも、それを一瞬でも忘れられる瞬間が提供されたら、もうそれだけで生きていても悪くないって、そう思えるはずです。僕は、文章を書くのが好きです。

 

この瞬間は自分も時間も忘れて熱中します

このブログに上がった画像に、時刻が表示されていますが、そこからずっと書いています。もうご飯食べてダラダラしつつ、筋トレやっている時間なんですけどね。

 

 

人生を豊かにするための、たった167個の話

 

そんなこんなで終わりましたこのお話

人生を豊かにするための方法は、他の読みやすくて為になる記事を探して読んでね。そろそろ飯食わねばならぬので。

 

ブログで稼げる時代だけど、僕も稼げるなら、稼ぎたいなー

 

そんな事を思う田舎者でした

アディオス バハムートドラグーン

もしも僕が死んだら 笑って忘れてくれよ

つばきのボーカルである、一色徳保が、2017年5月9日に、この世を去った。脳腫瘍であった。この事実を知ったのは、ふと眺めていたテレ朝の、ミュージックステーションに出演していたSuperflyのサポートベースが、つばきの小川さんだった事から、Googleで、最近の彼らの様子を拝見しようと調べていた時のことである。

 

そもそもつばきとは何であるか、そういった初歩的な問いから解いていく必要にあるが、こちらを参照下さい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/つばき_(ロックバンド)

 

2000年から活動している下北系ロックバンド(と当初は括られる傾向にあった)。内省的な歌詞と、シンプルな楽曲構成、類い稀なる楽曲ライティングで、当時のバンドシーンの勢いを牽引していた(のかな)、3ピースバンド。皆さん大好きなロッキンにも出演したこともあります。

 

作詞作曲は、一色さんが主に担っています。非常にポップで、感情を揺さぶられるカタルシスな楽曲が多い上に、心の内側をビシバシえぐるようなネガティブな歌詞、だけれどもそこからポジティブに変換していく作風が、彼の持ち味だと僕は思っています。

 

つばきと出会ったのは、大学生の頃。ロックってなんだらほい、とりあえず、有名なバンドを聴く気にもなれないし、手当たり次第聴いていこう、その内の1組がつばきです。キッカケが何だったのか、全く覚えていませんが、当時、僕は体調不良が慢性化して、死んだような毎日を過ごしていました(この不良は今なお続く)。鬱々とした退屈な毎日、明るい言葉で励ましてくれることの鬱陶しささえも感じてしまう、心が乱れた青春を送っていた僕が、一番に心の拠り所としていたものは、音楽でした。その中で、つばきは当時の僕にはうってつけの存在であったと思います。

 

 

「僕みたいな奴はきっと こんな所にいるべきじゃないとか
そんな事を思うよ
誰の言い分もいつだって 正論に聞こえるし
何が正しいのか なんて分からないから

笑って流せる そんな奴になりたいな
心の隙間に 誰かの言葉が剌さる

もう誰の言う事も もう過去の自分にも
惑わされずに この世界を行けたならば…」

つばき - ココロ

 

出だしがもうネガティブな言葉で、その言葉に誘発されるように、ああ、僕はこの場所にいるからこんなに苦しいんだなーと、周囲に溶け込まない自分に対する言い訳を作り出せてしまう当時の僕がいました(体調不良を理由に、あと単純に、気の合う人間がいませんでした)。ただ、それを思い起こすことで生まれるカタルシスに、酔うことも出来たのです。それは、結果的には癒しとなりました。つばきは、そういうバンドです。

 

このココロという楽曲、締めのサビでは、どの道を選んでも冷たい風が吹くのなら、もう迷わずに前へ進もうという、諦めにも似た一つの生きていく術と、心の方向転換の方法を教示してくれていたりします(あくまで僕が思うに、ですが)。花火というシングルのカップリング曲なのですが、果てしなく絶望を感じた後に救いの手を差し伸べるられるでもなく、それでも生きていくという孤独の強さと、当時の不安定な自我とのマッチングがなされ、僕にインパクトを与えました。今聴いても、その当時の想いを彷彿させてくれます。

 

歳を重ねていくと、昔聴いていた音楽から遠ざかる傾向にありますが、それはきっと、その当時の自己と、今現在の自己との意識には明確な差異があるからだろうと、感じざるを得ないのです。自己は、今見える世界を通して自分を見ています。鏡に映った自分は、本当の自分ではなく、あくまで虚像。鏡という道具を持って初めて自分の姿を映し出せるが、それは、自分の目を通してみた自分の仮の姿。自分の目では自分を見ることは出来ない。いくつかの物質に対して、その時々の自己が、共鳴する物事に注意を向けることで、モノと自己との距離を縮めていく。簡単にいえば、ネガティブな僕が出会ったつばきというバンドは、その当時の僕と共鳴していて、だからこそ深い繋がりが出来たと言える。聴かなくなった今は、当時の僕が、もうここにはいないからだ。

 

今日、ふとしたきっかけで知ることになった訃報。彼らの楽曲を聴かなくなってから、7年ほど。つばきは、僕のことを知りません。しかし、僕はつばきのことを知っています。あの頃の苦しい思い出と共に、あの時間軸に記憶を眠らせています。一色さん。僕はあなたのおかげで、あの頃の僕を生きることが出来ました。それはもう、酷く退屈で、誰からも賞賛されないような暗い日々でしたが、僕の思い出を、一緒に作り上げて、僕の人格に少なからず影響を与えて下さいました。音楽活動の意味とは、活動している最中に見出されるものではないのかもしれません。きっと、売れたい想いもあったのかもしれませんが、僕は、あなたがこの世から去ったとしても、または、奇跡が起きて今もなおこの世におられ、つばきとして音を鳴らしていたとしても、僕にとって、あなたがこの世にいたこと、あなたがこの世に残してくれた音楽それぞれには、大変な意味があります。それは、僕以外のリスナーや、音楽関係者、身内の方々全員にも言えることです。あなたがこの世に生まれてきてくれたことが、僕を、あの瞬間を生かしてくれた。

 

弔辞と言うには、あまりに勿体無く感じますが、この声があなたに届きますよう。お悔やみ申し上げます。全てをありがとう。

 

つばき - 花火

https://youtu.be/MHL8ymQ5Kdk

さかなクン 、旅に出る

こんばんは。最近、SNSやネットから距離を置いております。置いているというより、そうなってしまっている現状でありまして、そこまで大層な理由はないんですが、まあ、掻い摘んで言えば、単純に、そうですね、わっかんねえです。

 

仕事がくそ忙しいというのもあります。働き尽くして、休みの日も仕事という場面に出くわします、よく、月3で。疲れたよ、何かにつけて、疲れたって言葉を使っとります。本当は、ネガティヴな言葉は、言霊という観点から使わない方が、自分にとっても、それを受ける側にとっても、悪い影響は与えないのかもしれませんが、心の奥底からその純粋な想いを、そのまま純度を保ったままただ吐き出すのであれば、疲れたという言葉が、一番に自分自身の今の状態にマッチするだろうと、そう言わざるを得ないのではないかと、そうよく思うのであります大臣引っ越しのサカイ。

 

最近の出来事なんて、たかが知れていますが、とりあえず、マイブームとなっておる事柄が2つありまして、いや、3つくらいか、お教え致しましょう。

 

まず、水。水を飲んでいます。ジュースじゃあありません。水です。健康に気を遣っているのに、健康にならないわてくしですが、1年振りに水ブームの復活です。水を飲むことのメリットは、単純に、ジュースに含まれている糖分や塩分を、カットできるということや、新陳代謝を施すこと、身体の渇水状態を、防ぐ効果があります。僕は、糖分や塩分は、お菓子や食事で摂れれば良いと考え、それ以上を飲み物で摂取することに意味を感じないので、今はほぼほぼ水しか飲まない生活を送っています。体調が良くなったかどうかは、イマイチわかりませんが、変わったことは、オレンジジュースを飲んだ次の日の朝と、水を飲んだ次の日の朝の身体の具合が違うということです。なんと言いますか、一言で言えば、軽い。オレンジジュースが胃にへばりつくと言ってしまうと、ちょっと語弊を招くかもしれませんが、イメージです、纏わり付いているというイメージ。水は、そうじゃない。すっと身体を満たしているようなイメージ。自分自身で変わったと確信出来るのは、他者からの指摘よりも後だと、どこかで聞いたことがあるので、まだまだなんでしょうが、身体の内部では、きっと、オレンジジュースまだかなあ、水ばっかじゃつまんねえよ状態に陥っているかもしれません。それはそれで、身体の内部では、変化です。実のところを知りませんが。水はいいよ、身体に良いことしている気になる。

 

2つ目。歪み治し。矯正ですね。右半身が歪んでいるので、そのおかげで僕の体調不良が起こっているのだろうと、そう思い続けていく数年。今になって、本腰入れて治そうと努力しています。具体的にどう歪んでいるかと言いますと、まあ、歪んでいるんです、右半身が。右脚が外側に開いたり、右側の肩が左肩よりも上がっている、猫背、などなど。なんか書くの面倒になってきた。とりあえず頑張っていますよ、色々。

 

3つ目は、ゲーム。野球ゲーム。ベースボールゲーム。

 

さて、タイトルの「さかなクン、旅に出る」、意味がわからないと仰る方、日本人の9割くらいでしょうが、僕も意味がわかりません。それでもいいって、許せる世の中、僕は愛そうと思うよ、うん。

 

主に水の話でしたね。このブログをきっかけに、東京湾をきれいきれいにするぞ協会四国支部に入会してくれたら、僕の人生の約9割の目的を達成したことになるので、入会よろしくね、入会金、一人頭89万5円。

 

なーんの価値もない。それでもいいと許せる世の中を、僕は愛そうと思うよ。コメントよろしくベイベ!!!!

したらば!!!!

 

 

今週のお題「ゴールデンウィーク2017」

ということで、今年も始まります、黄金の週。僕にとってのゴールデンレトリーバーウィーク2017は、休みたいけれど、仕事が入って休めないウィークになっていますね、毎年。世間は9連休ですか。僕の場合は、多くても3連休になりそうです。

 

ゴールデンアイ007ウィークだからといって、浮かれ過ぎるのもよくないですね。休み明けは、ひどく仕事が気だるく感じて、休みなのだけど、休みじゃない感覚で休みに入る方も多い気がします結果として。僕は、昨晩、羽目を外しすぎて、カラオケの個室のトイレで、寝ては吐きの繰り返し。1日経った今も気持ちが悪い。そんな状態で、このブログを書いているわけですが、最早、お題のラブラドールレトリーバーウィーク2017とは関係が無くなってきましたね。それでいいのです。興味ありませんから、シルバニアファミリーウィーク2017。

 

とにかく気持ちが悪いわけです。そういえば、このはてなブログを開設したのが、数年前。初稿と言うことで、何の気合も入っていませんが、僕は元々、JUGEMというブログでブログを書いておりました。ただ、知名度があまり高くないので、アプリそれ自体の更新もあまりなく、このまま予告もなくアプリ自体が消えて無くなるのではないか、という漠然とした不安が無きにしも非ずであったので、数年前にはてなブログに引っ越そうと、そう決意して、幾年経ちましたが、このよくわからないタイミングでの初稿です。

 

まあ、書くタイミングというかキッカケが無きにしも非ずなのですが、今日、気持ち悪くなりながらカレーを食べつつ観ていた番組があって、それが、NHKの人生デザインU29という番組です。U29の働く若者の姿を追う企画なのですが、そこで、福岡の天狼院書店の店長さんの人生デザインを放映していました。この店長さん、川代さんという方で、天狼院書店が開設しているHPに、ブログを綴っていまして、それが結構人気なのだとか。

 

番組を観ながら、HPを覗き、川代ノートを拝見させて頂きましたが、川代さんの胸にある想いを赤裸々に綴っておられました。小説を出したらどうと経営者に勧められて、しかしながら小説を出せずに3年経ちましたがといった具合のタイトルで、才能を認められていることに胡座をかいて、何もしなかった自分や、ブログの書籍化を後輩に取られてしまったことへの悔しさ、嫉妬、そして、才能があると思い込んでいた自分への新たな気づき、そういった人間臭い感情を剥き出しにして書いておられますこの記事。読んでいて正直に思ったのは、人間だなーという単純な思考。人間臭いなーと。

 

僕は、今、27で、彼女とは生まれてから3年の隔たりがありますが、何といいますか、こう言ったら失礼な気もしますが、人間特有の面倒くさい感情に支配されてしまった時の自分を思い出して、憂鬱になりましたね。僕は、この川代さんに才能があるかどうかはわかりません。しかしながら、記事を読んでいて、ため息がつくような心地になるのは、久々でしたね。いい意味でも悪い意味でも。悪い意味というのは、決して、彼女を批判しているわけではなくて、自分が受けたその憂鬱なダメージを昇華しきれない弱い自分がいるからなんですが、きっと彼女も、記事を書いていて良い心地にはならなかったでしょう。気持ち的にはすっきりするかもわかりませんが、恐らく、彼女の想いが投影された文章というのは、読み手にダイレクトに伝わって、そこに共感という共通認識が生まれる。それが気持ちいいんだろうな、結果的に。

 

彼女がその記事で得たものは、「才能など自分にはなかったということを認めることができた」ということ。そして、そこからがスタートだという気づき。才能があるって思い込んでもいいけど、そこに寄りかかり過ぎると、自分では立ち直れなくなりそうな、そんな脆さも垣間見える。川代さんって真面目な方だなぁ。僕は適当だからな。

 

そういうわけで、なんかブログ書いてみっかという適当振りでスタートしましたこのブログ。気持ち悪いね、どうにかならんかな。

 

そういう感じで終わります。続くかどうかはわからん。個人で小説書いています。ではまたの。