4/12-4/19

友人たちとのdiscordに書いた日記を乗せておく。 nikkiameというやつが使えないので、ここに一旦放流。

日記

4/12 金

  • ぼやぼやしていただけのような気がする
  • カウンセリングへ行こうとしたのだが、ぼやぼやしていて閉室してしまった

4/13 土

  • 12日から徹夜をしていたらしい
  • 徹夜してまで『Just Because!』という後輩から勧められていたアニメを見ていた いたく感動して、未だに刺さったまま(4/20現在)。円盤を買ってもいいんじゃないかというレベル。まあ特典小説がほしいだけという話もあるけど。
  • 徹夜してそのまま友人と散歩へ出る。めっちゃ歩いた。8時から歩いて14:00くらいまで歩いていた。pikmin bloomではnew recordと出ていた記憶。

4/14 日

  • 15から講義開始なので、履修を組んでいたらしい
  • 大学院の履修も研究も奨学金もすべてが面倒でやる気が起こらなくて現実逃避したくなってた記憶
  • 昨日見た「Just Because!」がいまだに忘れられない。過去の初恋の思い出が掘り返され感情がぐちゃぐちゃになっていた
  • 本を探しに2つの本屋をはしごした。100分 de 名著の『ディスタンクシオン』回のテキスト、「Just Because!」の原作、海堂尊『コロナ黙示録』と國分功一郎『はじめてのスピノザ』を買う。
  • 1月にもらっていた中学の同級生からの返信を書いていたらしい。うまく内容がまとめられず、書き切るのに2時間かかった
  • 夕飯は冷食の𰻞𰻞麺(びゃんびゃんめん)を食べた。意外に辛い。いつも食べていたのは日清の同じシリーズの汁なし担々麺だったことに途中で気付く。

4/15 月

  • 講義開始。とは言っても5-6限のTAに出て、7-8限は講義時間が21:00までだったので切ったけど。
  • TAでは自己紹介をすることになっていたのだが、専攻の教員全員と受講者全員のを聞いたのち、つまり最後に自己紹介をすることになりガチガチに緊張していた。学生に「ここの全員に関西弁をしゃべらせるぞ」と息巻いていた人がいたので「エセ関西弁を話します」といったところ、ウケた。よかった。
    • ときたま編入ですという学生もいて、編入直後の3年生はつらかったなとか思い出した。
  • げんしけんというオタク系サークルの見学へ。げんしけんは活動が幅広いので、その下に班というものを置いている。そのうちの一つである、げんしけんアーカイブ班ではげんしけんの活動を発掘し、内容をネットに公開できるようにしつつ、アニメ業界にもいるらしいOBのネットワークを構築したいといっていた。専攻している学問どまんなかな内容なのでウキウキしながら話を聞き、あいの手を入れるなどしていた。その日は小説班(文芸部を想像するとよさそう)の歴史を語ってくれた。昔は製本も印刷も印刷所に頼らず自前でやっていたらしい。すごい。
  • 夕食はサークルの友人と松屋に行ったのち、私がサークルに顔を出していない間の話を聞いていた。
    • 空が白むころに解散したが、その最後には、3月にあったサークルの20生(=2020年入学生)飲みをドタキャンしたことで、信頼失ってるぞと言われた。そういうこと言ってくれるのは助かる。でもゆるしてくれ、その会は精神的につらくて休んでいたんだ

4/16 火

  • カウンセリングへ行こうとするも、なかなか勇気が出なかったが、閉まる30分前に行ったら、枠が埋まっていたのでトンボ帰り。
  • 夜はサークルでやや瓦そばを食べた
    • 最近はアニメから思い出した初恋の思い出が暴れてきたため情緒がぐっちゃになっていて、変なことを口走っていたような気がする。反省
  • その後後輩と公園で飲みながら初恋の思い出を話した。
    • その苦しさを話したのは久々というか、大学で出会った人には初めて話したような気がする。
    • 後輩は同じ入学式に出たので2コ下なのだが、ズカズカ来るタイプなので、こっちもズカズカ行くかと思って接しているために、ほぼタメくらいのノリになってる。入学してすぐ知り合った2コ下の後輩もそんな感じで接している気がするなーと気付いた。
    • 途中で後輩2人が加わり、男女トラブルの話になる。「理系なんて色恋沙汰に疎い世界なのにねえ」「疎いからこういうトラブルになるんですよ」という会話をした記憶が残っている
    • それまで暴れていた初恋の思い出を話して少し楽になった。
    • この飲み会は「発端は、一昨日から昨日にかけて、初恋の人と手を繋ぐ夢を見て、さらにそれが妙なリアリティを持っていたから」と書いてあった、twitterに。
  • twitter見たら「おれはこの10年モノの感情にケリを付けたい」「片思いで10年はおもすぎるって俺も思うがな」とか書いてた。これもか

4/17 水

  • ゼミがあると思っていて、強い不安に襲われていた。メンバーが悪いのではなく、私の能力がないからゼミに拒否感が出ているのだと思う
    • 結局なかった
  • Twitterでまた初恋の話をしていたら、別の後輩に共感されまくっていた。わかってもらいうれしい。だれかケリの付けかたを教えてくれ
    • ケリを付けたとて、自分がストーカーになる未来図しか見えなくて立ち往生。そもそも、今更会うって何?不自然すぎるでしょうが。
  • 絵が描きたくなった。というのも件のアニメは二次創作が全然ないから。
  • twitterに「自分を肯定的に評価してくれる人とその言葉は大事にしたほうがいいな」と書いてあった
    • というのも昨日の公園飲みへ最初に誘った後輩は、11-12月の間とか2-3月の間とかに私が希死念慮マシマシだったのをいたく心配してくれているみたいだったため。普段はあんなにイジってくるのに、昨日は親身になって聞いてくれていた、ありがたい話だった(昨日の飲みに参加した他の後輩も心優しいたち人だと、誰に対する弁解なのかはわからないけど、ここで言っておきたい)。
  • また鎌倉へ行きたくなった。というのも件のアニメの聖地巡礼したすぎるため。
  • 件のアニメを見終えてから二次創作をおっかけているが、どれもしっくりこないので、違和感についてtwitterに書いていた
  • また昨日と同じ公園へ赴いて一人でチューハイを煽っていた。
  • twitterで先輩と『凪のあすから』というアニメのよさについて語っていた。あれも件のアニメも青春群像劇でよかった
  • ひとりでボカロPの椎名もたが死んでしまったことへの悲しさに暮れていた。
  • 本来なら今日から大学院の講義が始まるはずだったのだが、シラバスを見て面倒になって切ってしまった。
    • なので、寝る前は明日から講義が始まることに逃亡したくなっていた。

4/18 木

  • 機械学習パターン認識」という講義にギリギリ遅刻しないあたりで出る。最初に隣の人を他己紹介してくださいというレクリエーションをやったのだが、あまりにも得意じゃなくて劣等感がすごかった。後ろに座っていた同じ研究室の奴の聞こえてくる感じしゃべるの得意そうだなあという感じだったのも相俟って。
  • 昼食は隣の大学の学食。400円でこんなにうまい牛すじカレーは破格だなあと。
  • 昼食の後は少しインターンの選考書類を書いて、大学の健康診断へ。
  • 健康診断を終え、家に戻る。
  • カウンセリング窓口に行く決意を固めたので、一度筆記用具と紙を持って窓口へ行く。
    • そのときは誰も面談をしていなかったので、ようやく相談することができた
    • 自分がTwitterに書いていたような自省的なものを口に出して説明することができたのははじめてだったんじゃないかなと思う
    • 去年末や年度末に飛び降りかけた話も含め、自分が感じている苦しさについて話すことができてすっきりした
    • カウンセリングって客観的内容というか事実というかのみを話すべきだと思っていたが、自分で思っていることも話すとよいのかという気付き。
    • 高専の頃に一回カウンセリングに行ったはいいが、あのときは「もういちど内容をまとめてから来てね」と言われたのがかなりショックだったから、取り合ってもらえてよかった。
    • その相談で学生相談室の予約もやってくれた。あとは行くだけ。今日行ったのは一回限りで予約不要、相談内容から行くべき窓口を紹介してくれる窓口だった。
  • 18:00からは業界分析セミナーみたいなやつに出る。
    • ツッコミどころはあったが、参考になる部分もあった。どうやってこの企業は儲けているのかを考えろとか。
  • 研究室での花見で食べた思想の強い中華屋の野菜炒めを再現すべく、ネットで出てきた中華風野菜炒めを作る。
    • 味付けする前に野菜をかなり炒めてしまってところどころ味が付いてなかった。今度はちゃんとレシピを見ねば。
  • チューハイを飲みながら『狼と香辛料』2話を見る。ラノベ刊行当時ホロが人気だったのが頷ける内容だった。
  • プログラムを書いていた。twitterのように短文を連ねられるメモ帳みたいなものを作っていた。
  • 奨学金の手続をなにも勧められておらずこわいの感情に

4/19 金

  • 昼に起きてすぐ洗濯。
  • 洗濯ものを干してから、面談していた企業が主催するイベント「ジオ展」へ参加するために東京は浅草橋へ。
    • ジオ展は地理情報を扱う会社(位置情報をプログラム的に扱う会社)やサークル、研究室が出典しているイベントだった。
    • 空想地図を作る人々の出典がおもしろかった。作った空想地図をコンビニで売っているような広げるタイプのようにして売っていたりした。
    • そういえば私も小学生の頃仮想地図を作っていたっけと思い出した。
      • その頃はそれっぽく地物を配置するだけだったけど、今は水源とか、かぎ型の交差点に寺社を置いてみたりしたくなるんだろうと思う
  • イベントが終わって、好奇心で浅草橋から秋葉原まで歩いた。昭和通り改札からまっすぐ行けばそのまま浅草橋だったことを知り、都会の1駅ってこんなに近いのかと感じる。
  • 研修終わりで家に戻る汽水創と落ち合う時間までヒマだったので、目に入った書泉ブックセンターへ。成人向書籍売り場に暖簾もなにもなくてびっくりだし、ラノベ売り場に行くためには成人向書籍売り場を通る必要があるびっくり構造。ラノベ売り場にも成人向書籍置いてあったし、1階の入口付近にも怪しい同人誌置いてあったし。
  • 汽水創と東京駅で落ち合う。このあいだまでは学生だった人がもう立派な社会人になっているのだなあと感動してしまった。電車を待っている間、研修の様子などを聞く。
  • 無事見送った後、酩王カフェオレ片手につくばへ高速バスで戻る。その間は『Just Because!』の原作小説を読んでいた。
  • 戻って入浴した後、WORDのOBが久々につくばに来るというので大元へ。レモンサワー片手にザーサイ、牛もつ煮込み、キムチ、餃子、担々麺を食べる。たまらない。先輩は東京に越して安くてうまい店がないことを嘆いていた。つくばは安くてうまい店が大量にあるけどこれは奇跡なのかもしれない。学生街だからというのもあるんだろうけど。
  • 家に帰り、中学の頃の同級生、先輩、汽水創と通話。そこでも初恋の思い出を話した。中学の頃の同級生は私の意中の人と未だ仲がいいので口にすることが躊躇わられていたが、若干の酒パワーで話せてしまった。
    • そこからは人はなぜ仲良くなるのか、なぜ10年前のことに固執するのかとかについて、哲学的な対話に発展した。 話せてよかった。まだ燻ってはいるけど、少しは楽になれた。

触れた作品たち

聞いた

見た

考えた

一人称の手触りについて

twitterに書いてたのを連れてきて改変して貼る。

「ぼく」という一人称に憧れを抱いていたなあという小学~中学の記憶。あれは学者がぼくと言っていたから知識の象徴のように受け取っていたのかもしれない

幼稚園の頃と高専の頃は「私」という一人称に憧れていた。幼稚園の頃は丁度「トリビアの泉」が好きでよく見ていて、そこに出ていた高橋克実が「私」を使っていて、その穏かさとか慎ましさとかに憧れていたのが大きいように感じる。

高専の頃は、「俺」という一人称の男性性に嫌気が差したのと、一般的な男性像(マッチョな感じ)と私とがかけ離れていたことによる遠慮があったような気がする

幼稚園の頃に「私」を使ったら、同級生からは「私」は女が使うもんだろうと、高専の頃には親からもおんなじこと言われた記憶がでてきた 前者はそういうもんか〜となったが、後者はたいそう呆れた記憶がある

実家では「俺」といい、それ以外では「私」を使うもので、たまにごっちゃになる。めんどくさい。

友人とは何か、友人であるというのは何が必要か

4/19あたりにした友人との会話。会話というよりかは対話という感じだった気もする

  • 「あいつはオレの友達だよ」というとき、「自分は「あいつ」のことを友人だ」という信念と「『あいつ』も自分のことを同じように思っているはずだ」という憶測とに基づいている
    • 「『あいつ』も自分のことを同じように思っているはずだ」という信念を持つにいたるには、自分の中にある「『あいつ』エミュレータ」の信頼性が関係しているのではないか?という指摘。ここでの信頼性という機械の信頼性をイメージすべきだと思う
    • 友人という人間関係は双方向に承認されなければならない関係と思い込んでいるが、他人の心はわからないので友人という関係を本人が満足したらそれで使ってokみたいな関係としてもっと軽い言葉として再定義したい、という話をした
  • 親友とは何か?憧れの人はどうして憧れになるのだろうか?
    • 自分の中にある「あいつ」エミュレータの信頼性が高いことが、あいつが友人ではなく、もうひとつ位の高い親友という関係にさせているのではないか?という指摘。
    • 親友はいづれ友人、同級生と関係性が薄れていくこともある。しかし、「あいつ」エミュレータの信頼性は原則劣化することはない。原則というのは、友人の情報が自分の脳内から欠落していない、友人の趣味嗜好などが大きく変わっていないなどの条件を満たしている必要がある、ということ。
  • 友人になるまでには相当のお膳立てが必要であるという話。
    • サークルなどは共通の趣味を共有することが前提条件としてある。だからこそサークルでは友人ができやすい
    • (他もいろいろ話してたけど忘れた)
  • 私が初恋を引き摺るのはなぜか?
    • その頃の私はアプローチをしようともしなかった。
      • 今はアプローチすべきだったと思ってるが、まあしゃーないよなという話に
    • 彼女とは違って私はネクラだから、つりあうとも思ってなかった
    • つまるところ、「『あいつ』エミュレータ」の信頼性が低かった。彼女に関するイメージの解像度が低いから、彼女との少しの記憶が美化されていったのではないか。

おわりに

  • 今読み返すとだいぶ痛いことしか書いてない気がする
  • カウンセリングの予約をようやく取れたのはよかった

(仕事に対する)淡白宣言

9月、帰省する前、院へ進むと決めるまでの少し前までは、ぼんやりと研究は向いていないからと、消去法的に就職したほうがいいなあと思っていた。 友人Kと進路や社会人の生活について話していた。

また、友人たちと高専で後輩に進路の話をしたからか(この話もいずれしたい)、それとも間近に迫った大学卒業と大学院進学という節目からか、最近友人Bと進路について話すことがあった。

なぜ、この二つの話を持ち出したか。 というのも、同じ話をしていたからである。 中身は社会人としてどのように生活していきたいかという願望について、である。

既に就職した高専の同期などの社会人から見たら鼻で笑われるような理想論なのかもしれない。 けれでも私が社会人の生活としてどのようなことを夢見てきたのか。 いずれ忘れていくのであろうから、忘れないうちにこの話について書いておこうと思う。

成年の主張

私の考えの要旨は以下の通りである。

私のしたいことが仕事になりえないと思い込んでいるフシがある。 多分私は仕事だけの生活では満足しない。

だから、一刻も早く社会人になることで社会人としての生活習慣に早く慣らして、趣味と仕事とを両立できる体力であるとか気力であるとかを鍛えていくべきなのではないか。

……と思ったのは、私は未だに手を付けられてはいないものの、楽器を弾けるようになりたいし、物書きをしてみたいし、趣味でプログラムも書きたい。

ただ、人生の大半は「職業: 社会人」として生きていくことを考えると、仕事と折り合いを付けつつも、持続可能な趣味との付き合い方を会得する必要があると思ったのである。

反応

先程冒頭で、2人の友人K、Bに話したと書いた。

また、忘れていくのであろうから、忘れないうちにその話について書いておこうと思う、とも書いた。

だから、彼ら2人の反応も書いておいたほうがよいような気がする。

KもBも活発な人である。

Kは物書きをしていて、私は彼とゲームを作ろうとしていたこともある。 今年就職するらしい。

Bは大学のある街の大きなイベントに携わっている。 昔は文化祭で幹部を共にやったり、FMを出したりしていた。

KもBも、私の話を肯定してくれた。 Kは趣味に邁進している生活だ。 彼と交した言葉1つ1つを覚えてはいないのだが、後に趣味に邁進していく決意を持ったらしい。 Bは我々のことを活発であるとし、社会人だけをするだけでは我々は満足しないのではないかと同意してくれた。

おわりに

Bからは、この話をする前に、成し遂げられないことを目標として掲げるべきだ、学部卒の人と比べて修士2年はハンデのようなものであるから、この2年でみんなができないことを経験すべきだ、という話をしてくれた。 とてもおもしろい話だった。

でも、聞きながら思った。

成し遂げられないことを目標として掲げることに違和感がある。 私には向上心がない。権力欲もない。 であるから、社会がどうこうということに興味がさほどなく、私の主張は社会に貢献するかどうかという視点は全くといっていいほどに欠けている。

しかしながら、Bは社会にどのように貢献するかという話をしていて(この視点を持っていることを私は心から尊敬する)、その文脈で話したつもりではないにも関わらず、私の主張が彼の文脈でも通用しえたなと昨日ふと思ったのであった。 宮台真司は『14歳からの社会学』で社会活動を推奨していたけれども、私の言っていた「趣味」というのは別に「社会への貢献」と入れ変えても成立しうる文である*1

おわりにと言っておきつつ、全然締まらないことを徹夜由来の眠気であることにして、ここらへんで締めておこう。

*1:これは今思ったのだが、これが東浩紀のいう「誤配」の一例なのだろうか。

logseqを使ってみている

グダついた文章だけど一旦公開

TL; DR

  1. scrapboxはイケてるけど、公開範囲が指定できないのがつらい
  2. obsidianやNotionも試してみたけど、ちょっと違う
  3. logseqがよさそう
  4. TODOリストと文が混ぜ書きできること、日誌機能が気にいった

背景

少し前まではscrapboxを使っていた。 アウトラインプロセッサを日常のように使える scrapboxの哲学は実践を元にして形成され、洗練されている。

しかし、scrapboxは完全なprivateか、完全なpublicか、から選べないのがつらいことがある。 例えば講義で学んだことや研究で集めた資料の情報などがその例だ。

その問題への対処法として、privateなscrapbox(ここではAとしよう)とpublicなscrapbox(ここではBとしよう)の2つを用意することが挙げられる。 Aを常用しつつ、publicにしたいことはBに転記するような手法も考えられる。 さらに転記を機械的に行うこともできなくはないだろう。 他の対処法として、privateなscrapboxに必要に応じproxyを噛ませるみたいな強者までいた。

一方で、Markdownでノートを管理できるobsidianやNotionが最近に人気になりつつある。

obsidian.md notion.so

obsidianは完全にローカルなファイルだけで構成されているため、privateである。 Notionもクラウドにデータが保管されてはいるものの、デフォルトの権限としてはprivateである obsidianやNotionは文書を1ページから公開することができる。

しかし、scrapboxに慣らされた私にとってはMarkdownが使いにくい言語であるという認識に至ってしまった。 scrapboxに慣らされていた私にとってobsidianのhashtagの挙動が意図しないものであったこともある。

logseqの特徴

最近、scrapboxとobsidianの渋さの話を一緒にしていたWORDの後輩から紹介されたのがlogseqである。

logseq.com

logseqはざっと説明すれば以下のような特徴がある:

  • obsidianのように完全にローカルなファイルを管理する。
  • Emacs org-modeのようにTODOリストと単純な文とを交ぜ書きできる。
  • アウトラインプロセッサのように箇条書きで文を書くことしかできない

logseqを使うに至るまで

私がscrapboxを使う前はEmacs org-modeを使っていた。 というのも、調べたことやTODOを一元管理したかったからである。 開くソフトウェアは少ないほうが認知的?にもうれしい。 紙で書くときは方眼帳にアイデア、やることや、スケジュールをまとめて書いていたのを考えると、ノート的なソフトウェアには1つのソフトウェアとして全てを書きつけたい。

また、publicなscrapboxでTODOリストの管理をするのはプライバシー的にも問題があるように思えるので、ローカルなファイルでできるというのであればかなり便利だ。

logseqを使ってみて

特によかった機能として日誌がある。 logseqは毎日Markdownページを自動で生成する。 私はそこにTODO、研究でやったこと、調べたこと、やったことや、その感想を書くようにしている。

- 研究室へ行った
  - PythonのTypedDictについて
- ベースを手に取った
  - https://www.youtube.com/watch?v=-O4LMfV3k8k を見てやってみる

帰省その2と、近況

友人が学会の帰りだとかで帰省すると聞いて、地方線を乗り継いで、先週帰省して、土曜には我孫子に寄って唐揚げそばを食べて、ちょっと遠回りに帰ってきた。

先週の木曜は高専に行き、世話になった教員方と話してきた。

なかでも一番覚えているのは、4年の頃には課題を累計数百枚出す、かの有名教員(母校の同窓生であればわかるであろう、かの教員)と話したことである。 彼には堅苦しいイメージを持っていたのだが、ニコニコしてUSJのアトラクションの話をしていたのでびっくり。 去年就学旅行で行ったというUSJについて、いかにそのアトラクションがしんどかったのかを熱っぽく話してくれた。 きりもみ運動とか台車とか言うもんだから、この人は世界のどこに行っても物理の学者なんだなと。

当時も成績不良者だったから、私のことは面倒な奴らの1人とかネガティブに見られてるものだと思っていたが。 私のことを別分野に転向するのをそこそこに頑張り、そこそこいいとこに編入したと認識されていた(そういえば、彼とは学科は違いこそすれ同じ大学なんだったか)。友人と一緒に行き、わざわざその話をしたのだから確かにそう思われていたのであろう。

彼との話を聞いていると、高専4,5年の私のほうが、いまの私よりガッツがあったらしいということがだんだん思い出されてきた。 再試で間違えた回答であっても書くとか、何とか爪痕を残してやろうという気概を感じられた、編入試験でもそれが生きたんじゃないか、とかいわれた。 計画的に課題もこなしていたっけか。 4年のときは大量に出された課題を日割りで一日これだけやればテストまでに課題が終わると言って友人と実験室に残って一日2,3ページ課題をやっていたのを思い出した。 たしかに、あの頃は今よりもガッツがあった。

特に編入試験では時間がないなりに全力だった。スライドを書いたり、不完全でも書類を書いて出したり。 でも、あの学科はまだあの変な編入やってるの?と言われたのは笑ってしまった。

大学院への切符をもらってからもまだ、進学と就職で揺れている。 帰省したときにも親にも高専の頃の友人にも聞かれた。 高専の頃の友人には行けばいいじゃんとも。

研究室のスタッフさん、大学の友人、高専の頃の友人、親も、割とみんなまあノリで進学したら?という。 言われる度にそういうもんなのかしらね?と疑い深く思っている。 研究室のスタッフさんからは難しく考える必要ないと思うよと言われたときは、率直にいうと、就職かなとは思った。 なんでみんなそんなに前向きに物事を考えられるんだろう。 卒研でさえこんなにダメになっているのに、修士なんて1年から就活に研究にやらなくてはならない。 そんなことになったら耐えられるであろうか? 私は絶望的だと思わざるを得ない。 社会にもみくちゃにされることに余裕を持って受け止められる精神的安寧がほしい。

2023/08/22

昨日の日記が1日ズレていることに気がついた。

出来事

研究室でミーティング。教員とスタッフさんとそれぞれ。院試スライドを見せて発表練習。教員との発表ではスライドの意図をド忘れていてカミカミ。想定質問にもタジタジ。

本が届いた。というか、研究室を出て家に戻り、洗濯を掛けてから郵便局へ取りにいく。 封を開ける。チャットモンチー「告白」のバンドスコア。チャットモンチーメンバーが曲の1つ1つを語っているページ、サインと「かっこいいベース引いてください」の直筆メッセージ。「Last Love Letter」を開いたら、BassのTab譜が見たこともない記号だらけだった。音符のようで違う何かが五線譜の上を踊っていて目がすべる。せめてもの、6とか4とかの数はフレットかなと邪推したり。他の本も出す。『バジーノイズ』第1巻。『アンダスタンディングコンピュテーション』、『アンビエント・ファインダビリティ』、『キケン』……。

ミーティングがあったのでサークルへ。 会議を終えて久々にサークルの人達と中華料理屋のテーブルを囲む。 「冷やし中華」と「ゴマダレ冷やし麺」があることに疑問を抱く。 近くの友人達はそれぞれ別の冷やし麺(「ゴマダレ冷やし麺」、「冷やし中華」、「冷麺」)を頼むというので冷やし麺コンプをめざし、「冷やし担々麺」を頼む。ピリ辛ながらゴマのコク。

研究室爆破の友人との会話。「この大学はこんな条件、この大学はこの条件……。この大学に一点集中してダメだったら俺は諦めるんだ」と友人談。

思ったこと

研究に気合が出ないのは進捗が出ないからで、出ないからこそ進捗が出ないという悪循環。SecHackでも習慣化で言われてたこと。でも、研究室の友人と話したり、教員と話したりすると、もうちょっとやってみようかなとは思ったりする。その場の感情に左右されすぎ。でも、Web系できる人材なんてゴロゴロ転がっているわけで、どうしたものか、院でAndroidエンジニアとして鍛錬するしかないのかしら?と思ったりしてしまった

書き忘れてたから書いとく。SecHackのゼミの放課後?で

ごめんなさいを多く言う人って謝罪の価値がインフレしてる

みたいな話を聞いた。私のなかに「とりあえず謝っておくか」みたいなことを思ってしまっている気があって、どこかでもやもやしていたんだけれど、そのもやもやに刺さるものがあった

研究室爆破の友人との会話で、私は友人に最善の選択してほしいと思っているので色々会話をしていた。私が投げる彼へのアドバイスは勇敢ながら、実際の自分はというと、 (そもそもアドバイスなんていって驕ってんじゃねえよ)

そもそも、最善の選択をし続けたからといって、最良の人生が送れるとは限らんでしょうが。 ただ、最善の選択をしなければ、私は耐えられない。私は自分のやることが好きなことでなければならないという"信仰"に潔癖的だから

そろそろ生活習慣を整えなければ、SecHack辞退も見えてきたかも、ちょっとやばめ。

今日の曲

ヨルシカいいじゃん!カラオケでめちゃうまで「ヒッチコック」を歌ってた友人に心でありがたがるなど。 言葉で語ると陳腐になるので語りたくないが、心を揺さ振った歌声だったことだけは書いておく。

open.spotify.com open.spotify.com open.spotify.com

2023/08/22

ここ最近は自堕落な生活をしてばかりだ。4時にねて14時に起きる生活。そんな日ばっかりだ。嫌になってくる。

今日、起きたら南にある研究棟に西日が差し込んでいるのを見てしまった。気が滅入ってしまった。

日が沈んだ。夏季営業モードの図書館がすでに閉館していて、すでに廊下が暗くなっているキャンパスを通って、研究室へ行った。木目調のテーブルには木材にアクチュエータを取り付けたもの、ペットフードとチョコレートがそれぞれ別の缶に入れられ、ロボット工学と題した白の本が置かれていた。中では、友人1人と先輩1人だけが残っていた。友人からは進路どうするのか?とか、大学院入試のスライドはどうですか?とかそんなことを聞かれたような気がする。あとは、親が大学院に理解があるとかないとかの話とか、親と仲がよかったのか、とか。 途中で友人がもう1人入ってきた。夜中まで作業するのかと思ったが、久々に研究室に私が来るらしいと聞いて本当に来るのかを確認するために来たらしい。友人達はカンファレンスのペーパーの進捗やら書き方について話していた。

夕飯は近くの丸源ラーメンへ友人と行った。最初は珍来という中華料理屋へ行きたいという話が出たので向ったのだが、臨時休業とのことで、急遽丸源ラーメンとなった。丸源ラーメンでは少し待たされた。その間、友人とは生活習慣が壊れ日中に寝て夜に起きる生活になってしまったであるとか、夜中開いてるご飯屋はたすかるよねとか、24時間営業のスーパーはうれしいとか、夜でも暑いとかそんな話をしていた気がする。席に案内されて、冷麺やつけ麺より王道が食べたいとなり、2人で肉そばと炒飯を頼んだ。 出されたお冷やが緑茶だったことに驚いていたら、炒飯がすぐに出てきた。炒飯は、子供用取り皿に御飯を詰め、返したようにして、熱々の鉄平皿のまんなかに乗っていた。店員が皿の外側に溶き卵を回し入れて卵を熱していた。 肉そばはその後直すぐに出てきた。 それを啜りながら友人と就職するかどうかとか、プログラミングするときにChatGPTが便利だとか、プログラミングは学習曲線が登るまでが苦しいよねとかを話していた気がする。

他の大学の友人が、研究室が解散になるという話をしていた。友人はその研究室の研究内容にとても興味を持っていた。他大の大学院にいこうかなとか、残ったほうがいいのかなとか、そんな話をした。

そういえば、ふとWHITE ALBUM2の作中に出てくるセリフを思い出した。

誰もが傷つかない恋なんて、もうできない。誰を傷つけなくちゃならないのか、決めなくちゃならない

私は優柔不断で、何も決められないな~とかホザいているのだけれど、結局優先度付けて決めるしか決断なんかできないよな~と思うのであった。とかいうと、上のセリフがかなり陳腐に聞こえてきて嫌になる

友人が院試を目前として研究室選びなおすところから戻ることにしたらしく、その勇気を私は素直に賞賛したい。私が周りに従わない行動を取ることに私自身は恐怖を感じているような気がしていて、なんだかんだ院試を受けることにしたのも特に理由はないような気がしているし、その行動に尊敬するばかりである。

業務もまともに作業できた試しがないし、手が動くほうでもないし、本当はプログラマーなんて向いてないんじゃないかと思うことが最近多くなってきて、就職しようにもプログラマーとしてどこにも拾ってもらえず、フリーターとして地元で働いている未来が見えてきている

最近はスライドを発表する機会が多々あるなど、やってねといわれたことに気合いが出てこないが、あまっちょろすぎる、単に気合を出せという話ではある。そうわかってはいる……わかってはいるんだがな

すべてを忙しさのせいにしたいが、そのように全ての問題を他責として私を肯定する存在を私は信用する気にはなれない。そこにはキナ臭さや欺瞞っぽさが漂っているから……