自分のボロボロなキャリアについて振り返り、今後を考察してみようと思う。
あえて言葉にすることで情報を整理してみたい。
(このブログを見て「これってあいつじゃね?」とピンときたら、内密にしたままそっと閉じていただけるとありがたい)
大学〜新卒
まず自分のキャリアを振り返るとまぁ...ボロボロとしか言えない。
時はリーマンショックの余波が残る時代。
1社目は、新卒でとあるマザーズ上場企業に入った。
地方から交通費をかけて都内に向かい、数回の面接を行い、ほぼ落とされると思った面接を突破し、内定が出た時はもうこれは「奇跡」だと思った。
イケてる感じの綺麗なオフィスやプロダクトに表面的に惹かれ、面接ではそれなりに自分を偽りなんとか捩じ込んだ。
「こんな自分が...あんなキラキラした感じのベンチャーに...!」
なんて浮かれていた。
実はもう1社内定をもらっていた。堅実に経営をしている国際物流会社だ。
真面目に働いていれば、専門的な知識も身に付けれただろうし、海外勤務もある優良企業である。
しかし当時は
「イケてる(であろう)ベンチャーで仕事できる人になって、東京で輝いて、もっと良い会社に転職。ビジネスマンとしてパワーアップして起業コースの方が、地味で真面目な日本企業で働くよりもかっこいいじゃん!」
なーんてノリでそこを蹴ってベンチャーに入った。
もうほんとに世間しらずで、頭も回っていない。当時は転職の市場価値や適性なんて言葉も1mmも頭にない。そして...入って早々に後悔することになった。
全力で逆方向にスタートダッシュ!
こんな時分によく内定を勝ち取れたなぁと意気揚々。自分が選んだ企業では、大学4年の余っている時間を使い、内定者の段階で先んじてアルバイト勤務でスタートダッシュを切れるという制度があった。もちろん任意だ。
意気揚々な(いけてると勘違いしている)自分は、当然のようにそのテンションのままアルバイト勤務からスタートすることにした。
不景気の中、自分は意図した企業に入れた...まるで念願の大手総合商社にでも入ったような気分のまま初日そのままバイト先の支店に到着した。
しかし、ここで大誤算が起きる。内定者としてアルバイト勤務してみると...
- 1mmも業務に面白みを感じられない(開始3時間でそう感じた)
- 専門性やビジネススキルあまり磨かれない職種じゃんこれ...
- 会社って末端の会社員はこうも経営に関する数値を知ることってないんだなぁ。経営は完全に幹部陣が考えるものであって、末端の社員は目の前の業務を遂行することしか求められていないんだなぁ。
- この道の先に金持ちになるルートが全く見えない
- 今の仕事を続けていても経営に関わるまでにどれだけの時間がかかるのか
- そもそもそこまでステップアップできる力も適性も全然ないじゃん
- 給与はめっちゃ低いし、役職がついても給与の上がり幅は寸志
- しかし、まずはそのフェーズで頑張らないとずっと末端から抜け出せない
- 転職するにもリーマン不況の余波が残っている
- 浪人しているので周囲より少し年齢高めの新卒...
- 何より...自分は人の10倍は仕事ができない、まずその職種に全く向いていない性格、組織にも向いていない、我が強い、プライドが高い、新卒のくせに可愛げがない、世間知らず、コミュ力が低い..etc、
という両足に100kgの重りをつけたような状態でのスタートだったのだ。
やって、体で体験して、初めてわかる社会と自分の本当の姿...。
理想の企業に内定をもらい、スタートダッシュでかけ上がり、3〜5年で転職して...そんな展望は一撃で崩れ去る。
まさに、逆方向へのスタートダッシュ。キャリア崩壊の第一歩でしかなかった。
元USJの凄腕マーケターとして有名な森岡毅氏も著書の中で述べているが、キャリア選択で重要なのは「大吉」を引き当てることではなく「大凶」を引き当てないこと。つまり「自分の特徴が弱みとして発揮される環境」を選択しないことである。
もう、本当の本当に...本当に...その通りであった。。。
会社名や職種の明記は避けるが、自分は完全に「大凶」を引き当てた。
こうも見事なまでの「大凶」を引き当てれるものかと、感心するレベルだ。
大凶を引くとどうなるのか。実体験を元に書く。
- まずお仕事ができない(新人だからという話ではなく根本的に)
- 簡単な仕事しか振ってもらえない
- スキルと経験が希薄になり、自信も覇気もつかない
- 常に不安な負のオーラを纏う
- 休日も仕事ができない自分のことばかり考えている
- 何をやっていても全然楽しくない
- 圧倒的に自信がつかない
- 自信がないから転職にも踏み出せない
- 何をやっても自分はダメだと思い出す
- 気力が減っていく
- 徐々に精神が腐り出す
- 1に戻る
という負のスパイラルから抜け出せないのだ。
そしてそのまま時間が経過し、歳をとる。
普通に考えればさっさと退職して次を探せばいい。
また、情報収集をして今自分にできる事にリソースを充て、中長期的な改善を模索する。
今ならそう行った判断できる。
しかし、当時の自分は「サンクコスト」に囚われてしまっていた。
不況の中で起死回生でなんとか引き当てた企業、地方から毎回高い交通費をかけて面接に向かい、行きも帰りも「もうここで落ちるかもしれない」という不安に見舞われ、保険として他の企業の面接も色々受けながら、ようやく手に入れた内定。
加えて普通の新卒に比べて少し年齢が高く、プライドもあった。せめて恥をかかない程度になって辞めても遅くはない。自信を失ったまま辞めるのはカッコ悪い。
他の企業に行った大学の同級生達は、もっとビジネススキルのステップアップが上がるような仕事をしているんだろうな...あぁ自分の3年分は彼らの1年分にも満たないかもしれない...、しかしここですぐやめてしょうもない企業でバイトしか出来ない状態になったら状況はさらに悪化するし、(希望を出していた)東京への異動も消えるだろう。。
などが頭の中を駆け巡り、すぐに退職というアクションに踏み切れなかった。
そして本来なら情報収集や自分の未来の改善のための学習に当てるべき、余暇や休日をストレス解消に浪費していた。日常で受けるストレスや将来不安が多すぎて学習に集中できない。人間関係を気にしたりもして、頭のリソースの大半を嫌なことの回想や、まだ起きていない嫌な出来事の妄想などに費やていた。
気分転換に出掛けていても、何か別のことをしていても常にそういうことが頭の中を駆け巡っているので何にも集中できなかった。
そして、数ヶ月続けていても、全く上昇の兆しは見えない。
自己啓発本などを読むと、死中に活を見出して逆転とか、諦めずに考え続けて逆転とか、よくあるが、もうそんなの全く参考にならないレベルで仕事が出来なかった。その時の自分の能力、考え方、周囲の状況、色々なものが重なり、他の人や今の自分から客観的に見たら「こうすれば良いのに」という(簡単な)解決策を思考することやアクションが取れなかった。
すぐに転職を実行できない自分は、そのまま重りをひきづりながら働き続けった。
適性0のまま結構無理して勤務を継続していた。
ここで難しいのは、新卒だから仕事のキャッチアップに苦労しているのか、適性がなさすぎて苦労しているのかパッと判断がつきにくい点だ。
周囲の年下の先輩からは(態度にあからさまに出さないまでも)超できない人認定されていただろう。
年下の同期からはおそらく相当痛い奴に映っていただろう。
もちろん陰で色々言われていたとも思う。
滑稽な話だが、実は自分も自分で「周囲を内心バカだ」と思っていた部分があった。
全然仕事が出来ないのくせにだ。
それは当時の自分の視点でこう考えていたためだ。
- この仕事を上手く出来たところで転職市場で大して評価されない=収入は上がらない。なのになぜこの人たちはこの仕事を続けるのだろう。
- 人と接する仕事でもっと給与が高い仕事は他にもっとある。この会社のプロダクトが好きで働くにしても給与は低いし上がる見込みも立たないし、ビジネスマンとしての経験値も、本物の営業職と比較してレベルアップできるスピードも余地も少ない。なぜこの仕事をチョイスするのだ?
- 周囲の人は自分なんかと比べて全然仕事できるのに、なぜもっと稼げそうで転職市場で評価されやすい職種にシフトしないんだろう。自分にあなた達のような能力があればもっと上手くステップアップを考えるのに...。損得とかメリデメとかを考えられない人達なのか?
実は同期も専門性が構築できないという罠に入って気づいた人は多く、いの一番に辞めていった人は今外資系で頑張っているようだ。(これは英断で、今は結構稼いでいると思う)
この当時を思いだすと、すぐに辞めなかった自分のバカさ加減に今でも悶絶しそうになる。ここまで思うのであればさっさと辞めれば良いのに、不況と自分が少し年齢が高いこと、情報収集不足、そしてプライドで動くことが出来なかった。
上ではなく下から潜り抜ける...
4月になり正式に社員になったが、HP3くらいでスタートを切った感じだ。
「そんな状況でも頑張っていればできるようになるさ」
「どうやったらできるようになるだろうか」
なんて前向きな希望も思考もは一切持てなかった。
それくらい全てにおいてダメダメだった。
加えて性格の合わない先輩もいて、何かといびってくる。こいつに関しては周囲から「程度の低いイケテナイヤツ」認定されており、まぁ....同じ穴の狢であったが、彼の方が若干4半期での評価が高かったため、自分のことは棚に上げて鬼の首を取ったような態度を示してくる(そういう点が痛いのであるが、本人はそのような客観性を持ち合わせていなかったようだ)。
適当に表面は腰を低くしてやり過ごしていた。
この頃、あまりにダメな自分でも何か起死回生の一手を打ちたくて「株式投資」に手を出し始めた。まとまったお金さえできればこの状況から脱出できる。
金さえ手に入れたら、俺を内心バカにしてきた奴らも見返せる
キャリアの足しにならない仕事を平然としているお前らなんか見返してやるぜー!
と思っていた。もう仕事にベクトルは向いていなかった。
そんなマインドで株式投資を始めているので、すぐに成果が欲しい。
短期での上げ下げ繰り返しており、手数料だけ持って行かれて実質労力に対するリターンはそこまでであった。
しかし、一方で箸が進む感覚というか、株式ゲームの面白さを感じ出していた。
そんなこんなで1年ちょっと過ごしていたのだが、流石にもうこのまま続けていても腐るだけで終わる、と頭ではなく体と心から声が上がってきた。
「あと2週間で月半ばか...法的には退職の意思は確か2週間前までに言えば良いんだっけ。もう辞めよう...」
ともうその時はスッと思えた。
ここで奇跡???が起きた。
なんと本部から自分宛に直接異動の連絡が来たのだ。
それは本部のとあるベテラン社員さんが退職するため、その人が担っていた作業を誰か代わりにやる人がいないかとのことであった。
そこで自分に白羽の矢が立ったのだ。
なぜそんなことが起きたのか....おそらくであるが「飲み会」での雑談を通して、事業部長が僕の特性を見抜いていたからだと思っている。
何も長所がない自分でも唯一できたのが、感性ではなく論理的に説明することで納得感を持ってもらい、購買に繋げるという点だ。
売れる商品とそうでない商品、得意と苦手がキッパリと分かれていたのだ。
「論理的」唯一できることであれば、それにあった仕事を振ろうということであった。
当時、その会社で評価されていたのはどちらかというと「感性」が強く出るタイプであった。共感することで相手の気分を乗らせて購買に繋げる。非言語的な何かを汲み取って瞬時に笑顔を作ったり、声のトーンを変えたり、、、要するに「感じがよくて(そんなに頭が切れる感じではないけど)人と接するのが得意で好きそうなタイプ」である。
なので僕のようなタイプは論理的に動きたいタイプは少数派だったのだ。
少数派ということは、少なからず近いタイプもいたということだ。
でもなぜ彼らは僕のように辛酸を舐めることがなかった。なぜか。それは論理的でありながらも、ある程度「感性」を刺激する接し方が出来ていたからだ。要はバランスである。僕は論理の回路しか持ち合わせていないため、完全に会社とミスマッチを起こしていたし、そういう人間はダメな人間なんだと当時は思い込んでいた(後にIT業界では自分より遥かにコミュ力のない人間がいっぱいいることを知ったのでこれは個性だと捉えられるようになった)。
周囲もコミュに明るい人こそが正義と言わんばかりのカルチャー。
自己嫌悪に陥り自信もなくしていた。
そんな状態だったので
「やった、ここから異動できる!」
なんて一瞬思ったが、流石にもう辞めるつもりでいた。
辞めるつもりでいたが、異動してもやばかったらすぐ辞めよう、とちょっと試しにやってみようと思い結局留まった。
思いとどまっての異動であるが、要するに「もうそこでは不要です」というクビの宣告に他ならない。
もちろん正社員なので簡単に切れない。だから異動というわけだ。
日本の「労働者を守る法律」に思い切り救われたのだ。
これが日本でなければもっと早い段階で即解雇だ。
普通は成果を出して栄転。
しかし、自分はダメダメすぎて強制退去の異動、つまり下から潜って壁の向こう側に脱出??したのだ。
マイナスを抱えての異動。
それは十分理解していた。
それでもここから離れられると思うと、水面から顔を出して一気に空気を吸える安堵感に包まれた。
「たまたまこの部署が向いていなかっただけだ、次の場所で希望を発見できるかもしれない」
この状況においてもなお、自分の中にはまだそんな淡い期待が残っていた...
希望は蜃気楼
この異動には条件があった。
それは最初の1週間様子見。
それを見ていけそうなら延長。
その延長を見て自分今後を事業部長や上司に当たる人が考える。
というものだ。
新卒2年目にしてクビ寸前である。
こんな奴、同期で俺1人だけだ。
本部では主に事務作業やデータの管理などを行う「デスクワーク」であった。
シフト勤務でなく、土日カレンダー通りに休めて、綺麗なオフィスで働けて...一見環境が好転したように見えるが、、、ここでも「仕事が出来ない自分」は健在であった。
- とにもかくにもミスが多く、確認が苦手なのだ(これはデスクワークとしてはかなりマイナスだ)
- 加えて、ビジネスマンとしての立ち振る舞いもよくわかっていない
- 「常識」の感覚が他とかなり違う
- 組織=集団=群れ、の中でどのように振る舞うのかという「非言語」的な感覚が人生を通してあまり培われていない
- なぜみんなこんな不自由な制約(それは給料やスキルのつきやすさだけでなく、日本人に代表される集団の同調圧力や非言語で求められる空気に合わせる能力。何よりそれをやっても大して報われる気がしない)の中で粛々と仕事に向き合えるのだろうか?という疑問が常にあった
- 唯一、ベテラン社員さんから引き継いだ仕事(という名の作業)は出来たと思う
などなどなど、要するに「サラリーマン」としての適性が非常に低い。
完全に組織人タイプではなかったのだ。
だからどこへいってもダメなのだ。
自分が能力を発揮できる場所は...わからない。
事務仕事なんかもう酷いものだった。完全にADHDや大人の障害ってやつか?となるくらい、普通の人が空気でできることに苦戦していた。
もうほんとどう解決していいのか全くわからない。
自分の中の自然な感覚が悉く否定される感覚。
良かれと思ってやることもほぼ余計なこと。
マザーズ上場である程度の規模はあったが、ベンチャー企業であったので周囲の先輩は基本的に自分の事に必死。出来ない後輩を教えている余裕なんてないし、なんなら関わりたくないくらいの感じだろう。
まさか自分という人間が、、、1億2000万人いる中の1である自分が、こんなに出来ない仕様だなんて、、、全く強みや長所が見当たらない、、、キャリアアップなんて夢物語。自信なんかもうとっくに0どころかマイナス。足掻けば足掻くほど沼っていく東京での生活。。。あぁ神はなんて残酷なのか。。。もうそういう心境でしかなかった。。。
しかしながら、事務仕事も続けていればある程度のパターンが見えてくる。
ベテラン社員さんから引き継いだとある仕事も、その人程ではないが形はなんとか出来るようになっていった。
以前苦しい状況ではあったが、東京での一人暮らしにも慣れてきた時に、書店でとある本と出会った。
プログラミングとの出会い
それはVBAというExcelのマクロをプログラミングする入門書なのだが、当時同僚にそういうことができる人が1人いて「いいなぁ、なんかスマートだな、俺もExcelできたらかっこいいなぁ」とぼんやり思っていたことを思い出した。
そういえば過去にその同僚と会った時に「VBAは簡単だから勉強すればいいよ!」と言っていたな。
それに本部でこういうことができる人って情シスやってる人1名くらいじゃないのか。
自分がこれできたら唯一無二感出るかもしれない。
と感じてその本を購入した。
とにかくボロボロだったため、何か1つでも認められるものが欲しかったのだ。
結論、その書籍は「大当たり」であった。
大学時代、情報系の一般教養でif文すらままならなかった自分が、その本を1ページ目から丁寧にやることで、なんと曲がりなりにもプログラムを書くことができるようになったのだ。ピンチから抜け出したいというパワーは重要だ。
しかも関数ではカバーできないことも自由にできる。
相変わらず仕事でミスしたり、逆境に近い状態に陥ることもあったが、気持ちが残っている平日や休日にその本を粛々と進め、1冊やり終えた頃には、仕事でのルーティン作業にVBAを組み込むことができるようになっていた。
加えて今まで各事業所で手作業で行っていた確認を、ほんの一部(大して重要な工程ではないしインパクトも薄かったが)自動化することで確認漏れを防ぐことが出来た。これによってプログラミングを面白いと感じ、IT業界への転職を本格的に考えるようになった。
転職活動
春頃にVBAを覚え、夏頃に一度転職活動をしてみた。
ここでも「ADHD」っぷりを発揮して、誤字脱字の履歴書を出したり、圧倒的未経験なのに、Javaの経験者枠に申し込むなトンチンカンな行動をしていた。
結果として、この転職活動中にもVBAで改善出来そうな業務を探してプログラムを組むことをちょくちょくやっていく中でちょっぴりだが自信がついたし、さらに普段の仕事にも慣れていった。
転職活動自体も未経験の20代後半からのIT業界への転職。今のようにスクールとかUdemyとか転職相談のエージェントとか、未経験から経験者になるための手段がそこまで豊富ではなかった。完全に暗中模索で正直芳しくなかった。
続けていればどこかに入れたのかもしれないが、
プログラミングもちょっと覚えて部署でできるのは僕含めて2名。
ちょっと特になっていた部分があった
そんな気持ちもあり、もうちょっとづづけてみればまた違う展開が見えるかもしれないと、一旦転職活動は中断したのだ。
この中断がまた厄災を招くことも知らずに....
逆戻り
夏から初冬かけて、会社の業績の悪さが顕著になっていった。
そして、とにかく人がバンバン辞める。
自分のいた事業部は深刻な人手不足となり、上は現場に立てる人間の調整に追われていた。
とにかく売上を伸ばさないといけない。
一応はプロフィットセンターの部署の端くれにいた自分にもその召集令がかかり、
なんとまた苦手なジャンルの部署へ逆戻り、もとい、今の仕事と並行しながらやれ、という命令が降ったのだ。
「なんということだ、悪夢が再来するのか...」
と思ってまた渋々その業務を行う。
週の半分ほとんどは現場だったっけか。とにかくベテラン社員さんから引き継いだ作業が発生する時以外は、現場に出なければいけない。こんな自分でも売らなければいけない。
久しぶりの現場。あぁやっぱり面白くない。やる気もやっぱり出ない。
「業績が回復するまでまさかこれが続くのかなぁ」
「業績っている回復するんだ、見込みは見えない」
「回復したとして、自分は元の作業に戻れるのか」
「元に作業に戻ったとしても、結局は誰でも覚えさえすればできる作業だ。このまま自分の時間をそこに費やしても金持ちになるどころか、ますます状況が悪化するだけじゃないか」
そんなことを常に考えながら、常にモヤモヤと現場で仕事をしていた。
転職活動Ver2
そしてついに時限爆弾が爆発した。
何かというと「ユーザーからのクレーム」である。
詳細は控えるが、自分の対応の不手際(適当さ)が重なり、ユーザーからクレームの電話が入ったのだ。
かなり腹を立てていて、企業としての姿勢を疑う、こんな中学生でも出来るようなことが出来ない人間なんか現場に出すな、という相当な怒り様だ。
流石に、これは凹んだ。
なぜかというと、自分て客観的に(市場から見て)ここまで出来ないレベルだったのかということだからだ。会社内だけでの評価ではない。社会からの直の反応であったからだ。しかも環境や状況のせいではなく、完全に自分の適当な対応の結果である。
異動前も多少のミスでクレームをもらったことは覚えている範囲では2回あったが、ここまで感情的なものはなかった。
なぜ、ここまで相手が怒るくらいの良い加減な対応をその時にしたのかははっきりとは覚えていないが、おそらく東京に来て、どん底の中ちょっとプログラミングを覚えてまんざらでも気になって、でも現場仕事は嫌々やって、そういう油断が溢れ出ていたのだろう。
今から振り返れば「なんでもっと普通に丁寧にやらなかったのだろうか」と思うのだが、油断とはいかに危険なものかを知る良い経験にはなった。
とはいえ、もうここで働く気持ちが完全に切れてしまった。
- とにかく3年やっても全く芽が出ない
- 本部に渋々引き上げられ、なんとか食らいついていた仕事もそこまで付加価値が高いものではなく代替可能
- 自分には結局何の専門性もない
- 強みのない人間に選択の自由はない
- 仕事の出来ない自分はいてもいなくても同じ
- ていうか、もう20代も残り少ない
- どこを切り取ってもこの場所で花咲く要素が見当たらない
- 会社やプロダクトが好きという気持ちがない
今にして思えば、夏の段階で転職活動を辞めるべきではなかった。
あまりスピリチュアルなことは言いたくないが、、もう辞めなさいと神様がクレームという形で「さっさと動け!」と俺の背中を押したのだろう。
程なくして上司に退職の旨を伝えて、夢の?IT業界へ未経験ながら転職することにした。
29歳直前のことである。
しかしこの未経験IT業界への転職もまた一癖二癖あるものだった。。。
キャリア振り返り(2社目)へ続く
振り返り・学び
この1社目におけるキャリア構築の失敗をダーッと書いて眺めてみて、(良し悪しは別にして)いくつか思ったことを書く。
- 良くも悪くも打席に立つことは大切
大変な思いをしたが、自分が東京の企業を受け、内定をもらい、結果として地方から東京勤務するきっかけにはなった。当時は地方での就活しかしていなかったが、行動することで、意外と手に入れられないと思い込んでいたものも手に入ったりする。 - 身体的直感は...正しい
実は、、、不思議な話になるのだが、帰りのバスの中で電話で内定をもらった瞬間に「ここは辞めてもう一方の国際物流の会社の方が良いかも...」という直感がふと降りてきた。全く根拠はない。感覚的な話なので「降りてきた」としか言えない。しかし、苦労して掴んだ内定であること、キラキラオフィス、キラキラ社会人生活への期待、、などのノイズですぐにその直感はかき消された。ああいう感覚の時はその声に従った方が良い。目先のメリデメや損得より正しい。これは対人関係にも言えることだ。 - ストレスで学習に支障が出るくらいなら早く辞めるべし
耐えているだけで精一杯。自分の未来を明るくするための種まきができない状態が長期化する場合、すぐに辞める。辞める時は根性なしとか、同期に負けたみたいなバツの悪い思いをする可能性もあるが、ノースキルで時間だけが経過し、歳をとった時に同様の惨めさを抱えてしまうリスクの方がどう考えても損失として大きい。
もし当時にタイムスリップするなら、一旦ちょっと時給の良い派遣などに切り替えて、収入を確保しながら、ストレスを軽減して勤務し、余った時間的精神的リソースでプログラミングをもっとやったり、情報収集をしたり、転職活動をしたり、人に会ったり、、、そういうふうに動いたと思う。 - 起業を視野に入れて即動く
これは基本的に組織に向いていないと思ったためだ。消去法。じゃあ経営者としてやっていける能力があるというのだろうか。それはわからん。が道がないのだ。
自分で考えて自分で動きたい、何をどう動いたらどれだけ売れるのか、どれだけ売れたらいくらの収入に繋がるのか、そういった収支を自己管理できる感覚が持てない場合、基本的にお上の言ったことをハイと聞いて、上手にそれをこなし、一定の給与をもらう生活しかできない。天井がすぐに見えてしまう。こういう感覚をストレスに感じていたし、上下左右の人間の非言語的なパワーバランスを気にしたりとか余計なエネルギーを消費する感覚にも違和感大だった。