諸言語의比較
言語 | 音数 | 音についての表記 | 利点 | 欠点 | まとめ |
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ラテン語 | 少ない | 表記通り | 発音簡単・読み書き簡単 | 単語が長い | 読み書きも発音も簡単だが 単語が長い |
韓国語 | 多い | 表記どおり | 読み書き割と簡単 | 発音難しい | 読み書き簡単 発音難しい (文字と一致) |
日本語 | 少ない | 漢字に異音あり | 同音異義語頻出・文字種多く読み書き難しい | 読み書きが難しいが発音が簡単 | |
中国語 | 多い | 表記と音は一対一対応 | 文字種多く読み書き難しい | 読み書き難しい 発音難しい | |
英語 | とても多い | ラテン文字だけで書く | 読み書き簡単 | 同字異音多発・発音難しい | 読み書きは簡単だが 発音が難しい (文字と乖離) |
「音数を抑える」「同音異義語を出さない」を取ったラテン語にも、「単語長い」問題があります。
英語や韓国語や中国語は「音数を増やした」ことで、「単語を短く」できたわけですね。
日本語は「音数を抑え」ながら、表記で意味を分離することで、口頭での分別性を捨てている訳です。
ラテン語の問題である「単語が長い」を避けるために、他の言語では『音数を増やす』か『口頭での分別性を捨てる (表記での字数を増やす)』を取っています。
習得の容易さでは、日本語や中国語の漢字より、韓国語や英語の発音記号の方が遥かに種類が少ないですね。
字形の多様性が表音文字よりも遥かに多いので習熟してれば読みやすいは有ると思います (音で同形になる/意味で同形になる の差です)
ラテン語 | → | 読み書きも発音も習得とても容易 (単語の短さを捨てている) |
英語 | → | 読み書き習得とても容易、単語も短い (発音の容易さを捨てている) |
日本語・中国語 | → | 習熟した時の読みやすさが高い |
韓国語 | → | 読み書き習得割と容易 (発音は難しいが、文字と一致しているので英語よりは良い) |
英語の発音表記も、読み書きの習得容易さが損なわれてしまう
韓国語は発音と文字が一致しているので、音の習得は英語よりやりやすいが、英語ほど読み書きが簡単ではない
ラテン語は単語が長い
こうしてみると、
・読み書きだけで世界的に使う言語 (口頭は捨てる) | → | 英語 |
・異文化コミュニケーション用ではなく、習熟して使う言語 | → | 日本語・中国語 (表意文字の利点がある) |
がよいですね。
日本語は発音が簡単な分、口頭の分別性が低い問題があるので、習熟して使うなら中国語が良いと思います。
↑ 世界語向け
・英語 (読み書きの容易さだけならNo.1)
・ラテン語 (単語が長い)
・韓国語 (世界語寄りで中庸。表意文字で無いこと以外は問題がない)
・日本語 (習熟使用寄りで中庸。表意文字だが口頭の分別性が低い)
・中国語 (読み書きも発音も習熟が難しいが、習熟すれば何も問題が無い)
↓ 習熟使用向け
香川のゲーム規制は誰も幸せにならない
考えの浅かった頃の私は「ゲームの時間が勉強の時間になるなら本人のためになるしいいんじゃない」と賛成寄りだったが、現行案では子供の身になってみると、全くそうはならない。
簡単な話で、子供は娯楽のためにゲームをやってる訳で、それが不可能になっても、よりやりたさが低い娯楽(多分アニメや漫画、動画)に流れるだけだ。*1
勉強の時間を増やすには、直接、勉強の時間を増やす、つまり、他者の子供に労働を強いる条例を作らねば、目的は達せない。
そんな現行案では、子供にしても、本来やりたい娯楽ができず、かといって生産スキルが身につく訳でもなく、完全にマイナスで、
周りの大人、他者の子供を働かせて分け前を狙う大人のためにもならず、トータルでもマイナスである。
「勉強した時間と同じ時間だけコンピュータゲームOK」なら、本人のためになる可能性があるし、周りの、他者の子供を働かせて分前をもらおうとする大人のためにもなるので、現行案より良いと思う。
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ちなみに、「子供に勉強を強いる」は、子供のためになるなら、子供の代わりに大人が判断して強いるのは良い、というか、むしろそうしないと子供のためにならないと思う。
*1: そもそも、ゲーム依存解消が目的なら、ゲーム依存者だけを対象にするべきだ。
打出の小槌があると考える記者
この記者が決定的に誤ってると私が考えるのは、
"「私のほうが大変」という人は、“不幸比べ”なんてしてないで、その憤りを政治や制度に向ければいいのにと思います"
の部分。記者は「政治や制度で配分を変えれば貧困者は無くなる」=「貧困者を救うに十分なほど豊かな者がいる」と考えている。
一方で俺は、資産分布で突出した上位層が無いこと、東亜や欧州が経済発展して競争が激化したことから、分配の問題ではない、と考えてる。
俺や「私の方が大変」さんは、理想的な仕事で生計を立てるのは超困難なほど生きるのは大変なもの、と考えてるとも言える。憤るより先にそもそも生きる事は大変なもの。
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「格差があり、豊かな者もこんなにいる、しかも、その儲けは貧困者の働きによるものなのだ」を示せなければ、政治・制度を変えて貧困者を救うべしという主張は受け入れられないと思う。
(俺は、そんな富者はかなり少ないだろうと思ってる。だから、分配を変えて貧困者を救ったら、堅実な道の人が割を食うと思ってる)
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[同胞の救済について]
先天性の障害や、落ち度がない事故などは勿論救済されるべきだと思います。そうする事で、リスク低く子供を儲けたり、屋外活動ができて、それが繁栄に繋がるのだから。
しかし、堅実な(しかし喜んで選ぶ人が少ない)進路を選んだ人もいる中で、選びたい進路を選んで貧困に陥った人をどれだけ救済すべきかは考えないとすぐには答えは出ないと思う。
(本来的には、自ら生産した分は自らの物であるべきで、落ち度がない同胞は勿論良いにしても、理想を選んで貧困となった同胞にまで渡すべきなのだろうか・・・?)
前記事にも書いたように、まずは貧困者を堅実な道に戻すのを試みることができるなら、ファーストステップとしてベストだと思う。
(自分が、そういう年取ってから堅実な道に戻った人を雇用する立場では無いので、これも他力本願ではあるのだが・・・)
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結論だけど、貧困者がいることは既によくわかってるので、他の関係者、
1. 自己実現的な進路ではなく嫌々ながらも堅実な進路を選んだ者や、
2. 記者が存在を仮定してる搾取者は本当に存在するのか&搾取額は貧困者を救えるほど高額なのか、
・・・をルポすることが必要で、関係者の一部分である貧困者だけをルポしても、1.や2.も絡む話なのだから問題は解決しないと思う。
生存できる進路が狭まったのは統治側、個人どちらの責任?
の記事に、はてブコメント書いたけど、もう少し書きたかったのでブログを書こうと思う。
機械科とかでは5倍の求人倍率とかある訳で、貧困に陥った人は、世間が求めてるスキル獲得・・・というか、残念ながら進路選択に失敗したのだと思う。 進路選択は個人の自由なのだから、やっぱり個人の責任だと思う。
(社会側の落ち度はせいぜい、この進路だと就職できないかもよ、ということを知らせなかったくらいだと思う)
でも、より上の世代では、同じ進路選択でもセーフだったのだから、難しい選択だったのだとは思う。
数十年間、どんな進路でも(東亜や欧州が工業ではなく内戦とかにかまけてて、日本は好景気だったので)貧困にならない状況だったけれど、
再び進路によっては貧困に陥る状況となって、進路選択は難しくなってたと思う。
連載を3人分見たけれど、3人とも堅実な進路ではなく自己実現を目指してた。しかし、環境は(東亜や欧州が工業に目覚めて)ハードモードに・・・。自己実現を煽った当時の社会風潮や教育方針は悪いと思う。
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やっぱり、根本的に、「自らの分は自ら生産すべき」だと思うし、
世の中には(社会に必要とされている)工業高校や工学部、看護など高求人倍率な進路を選び、自らの分を生産してる人もいる。
自らの生産量を上げずに政治に配分を主張するのでは、結局そういう人からの分け前をもらうという事になるのだと危惧する。
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理想としては、
「現在貧困に陥ってしまった人が、社会が必要としてる生産スキルを今からでも身につけ、生涯をその職に捧げる決意をし、自らの分を生産できるようになる」
(そういうモデルケースが生まれる社会になる)
・・・だと思う。
そういう訳で、デモにしても、
「高校・大学で高求人倍率進路を選ばなかった我々に今から学び、生涯をその職に捧げるチャンスを!」(=中年の実業学科入学や卒後の採用を求める)
・・・とかが本来あるべきであって、
生産量はそのままに、配分増だけを求めたのでは、最初から社会に求められてる(が、喜んで選ぶ人が少ない)職を選んだ人との溝は深まるばかりだと思う。
(社会が求めるスキルの学び直し&卒後採用が拒否られた後に、じゃあ生活できないから配分増を求める・・・という流れなら仕方ないと思う)
衰退するからと言って暮らしの質を向上させていけない訳では毛頭無い
現在はこのような産業構造だが、衰退するからと言って暮らしの質を向上させていけない訳では毛頭無い。集約的な産業を集め発展している所があるのだから。
日本全国から労働者と需要を集めておきながら、それを全国に還元しないのでは、統治者の資格が無い。
日本に金融立国のチャンスは毛の程もない
東京を国際的な金融センターに!と言われた事もあった。しかし、これは地方の人が何とか地方を盛り上げようとするのと同じポジショントーク、立場上主張しないといけない主張に過ぎない。
ロンドンやシンガポール、かつての香港といった国際的な金融センターの成立理由を考えればすぐ分かる事だ。
端的に言うと、日本の近くの国、例えば韓国の企業が株式市場から投資を受けたいと思ったら、どこに上場しますか。韓国の株式市場でしょう。
一方で、東南アジアや東欧の国だと自国の株式市場ではなく、シンガポールやロンドンの市場で投資を受ける。それらの国では金融企業が立地するには不便だったり、危険だったりするからだ。
要するに、「国際的な金融センター」というのは、周りの未発達な国の代わりに金融市場を設置したものだが、日本の周りにはそのような未発達な国は存在せず、そのため日本に国際的な金融センターになるチャンスは無い。
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「日本の地方」については、新しく出てきた産業であるIT系の産業が、土地を必要としない以上、それらの産業は「容易に帰省できる範囲内でNO.1の都市」(東京・福岡・札幌)に集積するのが必然。
そのため、残念ながら、その他の都市は、IT系産業の恩恵を受けれるその3都市より不利になってしまうのだった。
なぜ都会は衰退しないのか
大阪も衰退してるのだが、利用者がまだ充分多いので、サービス廃止や値上げに至っていないだけである
東京福岡で人口が増えてるのは、重工業等の土地が必要な産業の従事者比率が下がっているためである
つまり、地方が衰退してるのも産業構造が原因であり、地方に携わった人間が悪い訳では無い。(東京も福岡も重工業時代から第1の都市だったため、土地不要となれば、そこに集まるのが自然)
東京や福岡に携わった人間が偉い訳でもない。
一一一
大阪で言うと、IT系の勉強会が日本で2番目に開かれる都市は大阪ではなく福岡という話がある。
これは、大阪からでは、東京の勉強会に新幹線で行けるから。
このように、大阪を「東京から簡単に帰省できる土地」と見ると、残念ながら最先端産業が東京(と東京に簡単に行き来できない福岡)に集中し、関西人口が減少するのも構造的には理解できる。
これが「1番でなければならない理由(1番の所のみに集中する)」であり、「中央にある事が必ずしも良い訳では無い一例」である。