割れたタカメダルは、永遠に「良き終末」を阻止続ける
ども、エセアムロです。
2021年11月5日に情報が解禁されました、Vシネクスト『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』。
匂わせこそありましたが、まさかここまで大々的にオーズで完全新作を作るとは思っていませんでしたね。それも完結編。オーズだけじゃなくバースも新フォームを引っ提げ、主要キャストも勢揃い、そして何よりアンクの復活にSNSは大フィーバーです。「いつかの明日」が遂に現実となり、スタッフ、ファン、各々がこれまでに貯めこんできた欲望を解放しています。ただ…
「いつかの明日」は一生「いつかの明日」だから、ええんやろがい!!!!!
と、クソデカ感情の方が自分には大きいです。
今回は、オーズ完結編の発表で再燃してきた、昨今のオーズの作品展開についての不満を書き綴っていきます。お暇な方は、ひとっ走り付き合ってください。
まず、大前提として「仮面ライダーオーズ」という作品を僕は好きでし”た”。
平成二期1作目の「仮面ライダーW(以下、ダブル)」と比較されがちなオーズですが、ダブルがあまりにも隙がない作品であることから、逆に僕はオーズの方が好きでした。というのも、完璧すぎるものより、どこか欠点がある方が可愛がりたくなる、みたいな感情がどうしてもあって。
また、ダブルがハッピーエンドで、続編展開にも恵まれるのに対して、オーズは相棒が消滅してしまい、Vシネ等のフォローもない(冬映画については後述)、ビター寄りの結末だったので、その空気感も好みだったのがありました。(ガンダム同様、小説等は正史にはカウントしてません)。
そんなオーズの放送終了から7年後、現行作品として「仮面ライダービルド」が活躍中の2018年にとんでもないニュースが飛び込んできます。
オーズ/火野映司とアンクがスクリーンに帰ってくる、と。
そう、皆大好き『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー(以下、平ジェネF)』です。客演勢の中に、前述の2人が入っています。オーズ単体ならまだしも、アンクまで出すとは。根強い人気が伺えます。
ですが、同時に自分含めてファンは全員がある不安を抱きました、そう、アンクの復活方法です。販促等の都合で良くない復活が当たり前になってきていた、平成二期末期だったので、誰もがそこが懸念材料でした。大体エグゼイドとドライブが悪い。
しかしながら、アンクは一度だけ復活してスクリーンへの再登場を果たしているのです、それがオーズ終了後数ヶ月後に公開された「仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX」です。
この映画の凄いところは、劇中でキャラクター達が不思議パワーとか、トンデモ技術でアンクを再誕させるのではなく、「復活の叶った未来からアンクを呼ぶ」というアンサーを出したところ。最終回以後、アンクを復活させるべく研究を続けているというのが火野映司の基本設定になっています。安易にただ復活させるのではなく、「将来的に復活は叶うけど、それは今じゃないよ、叶う日を願って、これからも頑張ってね」という落としどころが絶妙。劇中でも、火野映司は決意を新たにして、アンクと別れました。一時的とは言え、別れが無駄になりませんでした。実際、ダブルは翌週にはフィリップが完全復活してズコーでしたから。
話を戻しましょう、そういった見事な復活劇があったので、平ジェネFでもなんとかなると思っていました。思っていました。そうして公開日に映画館で鑑賞。
こんなアンク復活も、こんな映司も俺は見たくねぇ~~~~!!!!!
そう、僕は劇中でのオーズ組の扱いを受け止められませんでした。
端的に、平ジェネFでの展開をまとめると、
・偽グリード軍団(偽アンクも含まれる)と戦闘
・アンクの姿をしているため、映司は本物がチラついて攻撃できない
・映司の割れたタカコアメダルに触れ、偽アンクに異常
・偽アンクが戦闘エリアである高所から落下、映司もそれを助けるため飛び降りる
・「本物じゃなくても命あるものは守る」と、偽アンクに手を伸ばす
・割れたタカメダルと完全に同調して、本物のアンクとして復活
・共闘、後にオーズをタジャドルコンボにするために自身を犠牲に、3枚の鳥系メダル
を渡して消滅
ザックリとこんな感じですね。何もかもが自分的には解釈違いなんですよね。
まず一つが、偽アンクを前に映司が躊躇するところ。
僕が思うに、映司は見た目がどうとか、そういう表面的な部分でなく、深いところでアンクかそうでないかを線引きしてるはずなんですよ。テレビシリーズにもロストアンクが出てきましたが、見た目や声、性格も違っているので、完全に別物として映司は戦っていました。アンクを取り込まれても、その自我を信じて。
今回は見た目こそ完全にアンクそのものですが、決してアイスを強請ったり、雑にメダルを投げてはきません、ただの雑兵です。それなのに偽物と本物を同一視しているのか、映司は手が出せません。ガワで判断するタイプだったのか、映司?と動揺を見ながら隠せませんでした。
また、もう一点がその偽アンクを助けにいくところ。
「本物じゃなくても、命あるものは守る」と言って飛び出しましたが、映司が気づいたら不殺主義者と化していました。ギリギリ思想が変わったと、捉えられなくはないと言いたいですが、その後は普通に偽グリード軍団を屠っているので、その線はありません。シンプルに守りたいものは守るし、狩るものは狩る、と欲望に忠実な人間に成長していたようです。見た目が好みだから怪人でも倒すのやーめた、は中々にクレイジーな気がしますが。
さらに一点が、最終回のオマージュ。
この展開をしたいがために作られたとしか思えないタワーから落下する映司は、最終回同様に風に吹かれながら手を伸ばし続けます。そして、今度はその手を掴み、アンクは復活を遂げます。まぁアンクの断片に触れて、本物が戻ってくる展開自体はアリだとは思います。かつて叶わなかったことを、今度こそ叶えるという意味で、このオマージュは素晴らしかったと思います、このオマージュは。
問題は戦闘も終盤、特に苦戦をしているわけでもない映司に、アンクは自らを犠牲にして鳥系メダル3枚を渡します。受け取った映司は、「これがお前のやりたいことなら…」とベルトにメダルを挿入し、オースキャナーでそれらを読み込みます。
そして、流れる
タカ!クジャク!コンドル!(アンクボイス)
前述の映司のセリフ含めて、ここも最終回のセルフオマージュですけど、ここまでくると呆れるしかないです。このタジャドルは、最終決にて、映司が自らを滅ぼす恐竜メダルを使おうとしたところ、アンクが自らを犠牲にしてでも映司を救いたいという、欲望によって生まれた奇跡の形態なんですよ。なおかつメダルもひび割れていて。そのイレギュラーが重なっての、特別ボイスのタジャドルじゃないとダメなんです。
それなのに、ラスボスでもなんでもない雑兵どもを前にそれを披露します。それもアンクボイスで。もうやりたい放題やん、と。
こういった要素が絡んできて、平ジェネFのオーズ周りは「感動とエモいの押し売り」感が強く、僕はガッカリ感が否めませんでした。ただ客演作品というものは、基本的には放送時のスタッフはあまり関与していないので、僕自身は「大好きなオーズが何もわかってない現行スタッフにレイプされた…」と失望していました。ただ、この展開を絶賛するファンも多く、僕はそれを「特撮クラスタさんは気楽でいいなぁ」と見下していました。しかし、ここである情報が開示されます。
「オーズパートは火野映司役の渡部秀が自身が納得する形に監修をしています」
そう、作品へ世界一強い思い入れを持っている役者本人が、脚本段階から関わっていたのです。非オリジナルスタッフによる改変で爆死する続編が流布する昨今、そのアナウンスは「これこそが正解」を意味していました。もう反論はできない論調が生まれ、それは「闇プロデューサー渡部秀」といったネットミームまで生み出し、界隈は盛り上がることとなります。
こうして、「公式と解釈違い」を起こした自分は、何とも言えない居心地の悪さを感じましたが、ここからオーズという作品が苦手になってきます。もうアンクと映司の関係性が変化してきているかのようで…
ここからも怒涛の展開は続きます。
プレミアムバンダイ専売のアクセサリーですね。割れたメダルを活かしたデザインは上手いとは思いますが、『割れたメダル』のメモリアルな感じがここから薄れていった気もします。あと絶妙にセリフが入っているのが気持ち悪い。BLのそれではないですが。
お次はこちら。
10周年に際して、オーズはロゴが新規に作られ、色々と商品展開がされることとなります。そのモチーフは勿論、「割れたタカメダル」。とりあえずメダル割っとけばファンは喜ぶでしょ?という公式の思惑が感じられて、この頃には完全にオーズという作品への好きという感情は消えていまいました。
そして、時を戻して。10thアニバーサリーの最終章として、Vシネで完結編が描かれることとなった現在のオーズ。
かつてのオーズの持っていた哀愁というか、ノスタルジックな要素は消え去り、ボカシていたからこそ美しかった「いつかの明日」がハッキリと描かれることとなります。
ホンはテレビシリーズのメインライターこと小林靖子ではなく、キタムランドでお馴染みの毛利亘宏。Vシネや映画脚本でメインライターじゃない作品を書くことでお馴染みですね。続編を書きたがらないことで有名な靖子にゃんが書いてくれれば、文句も少なかったとは思うのですが。
昨今はVシネ等での展開が当たり前になってきて、続編ありきの結末が普通となっています。そのため、テレビ最終回がビターエンドで終わってしまうと、その後の世界を描いた作品で、その雰囲気がぶち壊されたりもあったりして。直近だとビルドがそうでした。
戦いが終わっていないのは勿論、本編のラスボスが生きていたのも酷い。しかもそのラスボスはそのままどっかに逃げちゃうし。
その点でいうと、ウィザード以前の作品は、客演こそあれど、続編はない「聖域」であったので、まさか今更となって続編が生まれることへの恐怖があります。
「嫌なら見るな」という意見もよく聞きますが、続編が生まれてしまうということは、今後の作品評はそれを含んでいることが前提となってしまう、ということで。
こうして5000文字近く、長々と書いてきましたが、結局言いたいのは「無理に終わらせない美学」というのもあって、「テレビシリーズ最終回こそが完結編、最高の終わり」という作品があってほしいなぁ、ということです。前述もした通り、マーチャンダイズの関係で、不可能なのは十分承知はしていますが。
ただ、10年の時を経て、オーズが仮面ライダーの中でもベスト3に入る人気作品となるとは誰も予想してなかったことだとは思います。少し前までは、ここまでの人気ではなかったと思います、客観的なデータ資料こそ無いですけど。
今回のVシネマは完結編と謳っているので、流石に今後映像作品でオーズの新作が更に作られる可能性は無いとは思いますが、割れたタカメダルがある限り、オーズという作品は如何様にも広がると思います。
こうして、「いつかの明日」を願ったヒーローとは反対に、悪役が望んだ「良き終末」が訪れることに賛成するオタクが生まれてしまいました。2011年に夢想した「良き終末」は、割れたタカメダルがある限り、訪れることはないでしょう。
駄文失礼しました、別にオーズファンを貶めるわけではないのでそこは誤解なきよう。