善意にまみれる

人の善意だけでなんとか生き延びているという話

泣く大人

江國香織の小説の話ではないです。


私の母はよく泣く人でした。生きるのが辛いと言っては泣き、あんたなんか産まなければよかったと言って泣き、結婚なんかしたくなかったと言っては泣き、早く死にたいと言っては泣き、感動の再会系のバラエティや親が死ぬドラマなどを観ては泣きました。母は早くに自分の父をちょっとひどい理由で亡くしていて心を病んでいたので。


なので、自分の親が泣くところを見たことがない人たちが世の中にいるということ、しかも、割と多いということが未だに信じられません。


私自身親になってからもよく泣きます。この間はゴミ出しの日の朝持ち上げたゴミ袋が裂けて泣きました。一週間ほど前のことです。息子はほとんど呆れたような顔で「片付け手伝おうか?」と言ってくれましたが泣きながら1人で片付けました。その間ずっと世界を恨んでいました。


世界を恨まず 後悔もなく 涙も流さない そういう生き方ができるならそれはスマートで素晴らしいでしょうけど

後悔こそ少ない方ですが 世界は恨みがちだし 涙も流しがちな人生に流れ着いたんです 抗うこともないでしょう。


息子が産まれて2年くらいの間 息子を連れて歩きながら道端でだーだー泣いていることが割とありました。

特に理由もなく ただホルモンバランスが乱れていただけだったと思うんですが 曇っていると思っては泣き 晴れていて眩しいと思っては泣き お腹が空いては泣き 眠いと思っては泣きました。


外で泣いていると様々な善意に出会います。


大抵はおばあちゃんがハンカチを渡してくれてどうしたの?と聞いてくれます。スーツ姿の男性に道端で配っているようなポケットティッシュを渡されて「頑張ってください」と言われたこともありました。みかんや缶コーヒーをもらったことや、マクドナルドでハンバーガーを買ってもらったこともあります。


泣かない人はそういう善意に出会ってこなかったんですよね。


この間通勤路でミュージックビデオか何かの撮影をしていて、音楽に合わせて踊りながら歩く人がいて、それにビデオカメラが向けられていたんですけど、

そのカメラの死角で、でもすぐ近くで、泣きながら歩いている女の人がいました。

それはそれはもう、うつくしいコントラストで。朝の9時前ですよ。私まで泣きそうになってしまいました。


泣く大人は、いいです、うつくしいと思います。

チップをあげるようなつもりで、その時持っていたのはそれだけだったので飴をあげました。

泣きながら舐めてくれていたらいいな、と、思っています。

はじめに

旅先の名古屋の地下鉄で泣いていたら手話で話をするタイプの人が心配して話しかけてくれた。

私は手話がわからないからその人の言葉に返すことができなくて、泣きながらピースをしたらその人は少し笑って頷いて、次の駅で降りた。


世の中には親切な人がたくさんいるなぁと思う。


名前を知ることもない人たちからもらった善意を食べて生かされています。


そういう話をたくさんしていこうというブログです。