警察の事故証明書がでたらめだった
まだ引きずっています。
追突事故。
上の二つの記事がその経緯です。
今日、警察から事故証明書が届きました。
事故の種類
みたいな欄があり「出会いがしら事故」に〇がついていました。
そんなこと一言も確認されていません。
私の推測ですが、相手の保険屋とも警察が話していたようなので、
保険屋が言ったのではないかと思っています。
その保険屋は、後から私に
「10:0はありえないですよ。出会いがしら事故とも言えますからね。」
と言ったんです。私は
「これは明らかに出会いがしらではないでしょう。」
とはっきり否定しましたが。
とにかく、平謝りの追突者に反して、私は一貫して被害者という立場をとっていましたので(今もそう思っていますし)、
保険屋は少しでも私に「あなたにも非があった」と思わせようとしていたようです。
まあ、警察にまで言ったかどうかはわかりませんが。
そして同じ事故証明書の、私の車の同乗者欄は「無」と記されていました。
全く確認されなかったのに。
助手席にはnatsuが乗っていました。
車検証はnatsuが見つけて取ってくれたもので、その時私はnatsuと普通の大きさの声で話もしています。
警察はすぐ後ろにいました。気づきもしなかったようです。流れ作業のように車検証等をものすごい早さで写していました。
同乗者の有無を聞かれたら、正しく答えていたでしょう。ウソをつく必要もありません。
natsuは同級生がたくさん通るので、車から降りたくなく、ずっと乗っていたわけです。
警察がいかに適当だったかが分かります。
その日は小雨が降っていて、警察は「事故が多発している」と話し、忙しそうでした。
短時間で調書をとり、確認すべきもせずに足早に帰っていったというわけでしょう。
「駐車場内の事故はどちらも動いていたら10:0ではないですから、
後は保険やさんに任せて話し合ってください」
と言われました。
それもおかしい話です。後述しますが、保険や同士の話し合いになれば、かなりの確率で今回のようなケースは5:5になるんだそうです。
その時もめないように「出会いがしら事故」に〇をつけたんでしょうか?
最悪です。
私は素人です。保険の知識も事故の知識もありません。
ですから、その間違った記載の事故証明書を書き換えもらえるかどうかも、今から調べ、いろんなところに問い合わせ、解決していかなければいけません。
相手の保険やは、「保険や同士で早く話し合ったほうが、イライラしなくてすみますよ」
と私に言いましたが、
聞いてみたところ、保険や同士の話し合いになったら、今回の件は5:5になる可能性が高いということです。
ぶつけた方の保険やが絶対に譲らないからだそうです。
お金の問題もありますが、
なぜ、横後方あたりからぶつけられて、5:5の過失割合になるのか?
「過去の裁判の事例からです」
と相手の保険やは言っていましたが、それもアヤシイものです。
私は道路交通法はすべて守っていたし、注意義務もこれ以上ないくらい遂行していたと思います。
人間の能力で、これ以上周りに注意することは不可能だったと言えるくらいです。
一方相手は「全く前を見ていなかった」と言っていたし、サンダル履き、犬を車の中でだっこしていた可能性も高い。
それで5:5?
こんなことがあっていいとどうしても思えないのです。
今まで私と同じような目にあってきた人のほとんどの方が、
「保険やが話し合ったから仕方ない」
と、ほとんど過失もないのに、その分のお金を払ってきたのでしょうか?
お金は保険で出るからいいって、保険料が上がるじゃないですか。
次回の私の保険の更新時には、弁護士費用特約をプラスしようと思っています。
しかし弁護士を入れたからって、今回のような場合、勝てるんでしょうか?
それもわかりません。
正しいことが通らない世の中は、変えていかなければいけないんじゃないでしょうか?
私が逆の立場だったら、良心の呵責に耐えられないと思います。
ぶつけた方の心が理解できません。
事故があってから、食欲が極端に落ち、体重も減っています。
昼間寝込む日も多くなりました。
ここでお知らせです。
精神的に不安定な状態が続いておりますので、
皆様のお役に立てるような、あるいはホッとするような、楽しく役立つ記事を書くことができなくなっています。
事故のことが解決し、気持ちが落ち着くまでは、不定期更新にさせてください。
少しお休みいたします。
こんな愚痴記事、今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
申し訳ありません。
お題の「さむい」話をみっつ
今週のお題「さむい」
お題は「さむい」ですが、ここんとこずっと「暖かい」です。
今日あたりから寒くなっていくって話ですが、どうでしょう。
★寒かった思い出
イギリス、ロンドンに住んでいた頃。すっごく寒い日で、朝から霜がおりていました。
地下鉄で(今は亡き)「ヤオハン」に出かけたのですが、
ヤオハンの最寄駅は地上の駅で(よく覚えていませんがノーザンラインのコリンデール駅だったような…)、
ホームに雪が積もってる?と思ったら…
朝の霜がそのまま凍りついていたのでした。
生まれて初めて見る光景でした。
ものすごく美しかったです。
しかし滑る、滑る…。
★今まで体験したなかで一番寒かったこと
北海道旅行の「アイス・パビリオン」でのマイナス41度体験です。
旭川の上川町にあります。
すごくきれいなパビリオンでした。
夏に行ったので、上着も持ってないし、大丈夫かな?と思ったら、
ベンチコートを貸してくれました。
北海道の友達が「鼻の中が凍る」「ほっぺたがパリパリする」と言ってたことを
確かめたかったのですが、
マイナス41度体験ゾーンはわずかな時間なので、そこまでは感じませんでした。
なんでマイナス41度かというと、旭川でのリアル最低気温だったからだそうです。
タオルが一瞬にして凍って棒になる体験はできました!
夫はビーサンみたいな履物だったので、「足の指が凍傷になるかと思った」と言っていました。
★で、ここ地元では?
natsuが修学旅行で長野のスキー場に行って、「つらら」の写真を撮ってきていました。
(ここに載せたかったのですが、まだ写真整理できてないみたいで、くれませんでした。)
私が子どもの頃は、この地区でも「つらら」ができていたように記憶しています(ごく、たま~~に)。
子どもたち世代は、住宅の仕様が変化したせいもあるかもしれませんが、実物は見たことがないんじゃないかと思います。
そんな今も「つらら」ができる、寒~い長野に行く前の晩、翌日の長野の天気予報を見ていました。
長野の予想最低気温はマイナス4度で、北海道を除いて、日本で一番低い気温でした。
そして、翌朝。早朝5時45分頃家を出たのですが、その時の我が家付近の外気温はマイナス4度でした。
長野の最低気温と一緒じゃん!!
長野から帰ってきたnatsu、
「うちが長野並みに寒いけん、長野の寒さとか問題なかったばい。
しかも長野のスキー場のホテルやけん、暖房しっかりきいててうちのほうが何倍も寒いし」
ということでした。
そういえば、私が東京に住んでいたころ、お正月に帰省すると、必ず寒くて風邪をひいていました。
ここは九州にして極寒の地です!?
夏には日本で一番暑い気温になったりもしますが。
今日も読んでくださってありがとうございました。
冷静に考えて、どこでも住むところを選んでいいと言われたら、一番選ばない場所がここですね…。
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炎の色が違うキャンドル
炎の色が、ろうそくの棒の部分と同じ色になるっていうキャンドル。
natsuの誕生日まで楽しみにとっておいたのですが、
うーーーーーん。
この写真よりは、実際の炎の色、違っていたけれど。
ま、イベントとしては面白かったです。
本当はこうなるはずでした↓
むむむむむーーーー。
キャンドルを近くに立てたのが敗因?
今日は短いですがこれまで。
読んでくださってありがとうございました。
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首の詰まった服が着られなくなりました
どんな服でも着ることができた若いころ。
こんなことになるとは思いもしませんでした。
歳をとるってことは、ミニスカートとかはけなくなるんですね。
若い人好みの服も、遠慮しなくちゃ。
そして私は、締め付けられる服が着られなくなりました。
寒がりなので、ハイネックやタートルネックをたくさん買ってあったのですが、
どうも、苦しいのです。
幼いころはくすぐった~い、と襟をひっぱってたわけですが、
今は苦しくてひぱってしまいます。
で、肩とか首とか凝ってしまいます。
時々は着ますけどね。
それにこの写真の服、かわいいですよね?
でも特に、今日はゆっくりと過ごしたい…という日には、苦しい服は着たくありません。
で、この丸襟(?)タイプのウールの服を買って着てみました。
ウールだから少しはあたたかいかな、と。
首元はスースーしてやはり寒いのですが、肩も首もいい感じで、苦しくありません。
どうしても寒すぎって時は、ストールやマフラーを巻けばよさそうです。
ストールなどは苦しかったら、すぐにはずせます。
オシャレのためなら…と頑張った時代は終わりです。
体のケアを考えながら、でもちょっとだけ自分らしいファッションスタイルは忘れずに、
服を選んでいく、そんな年齢になったのだな、と思いました。
上の写真の服の取り扱いはこのお店です。
今日も読んでくださってありがとうございました。
でも、いい年した人が、ファッショナブルな格好してて、それがイケてたら
それはそれでいいなぁ~と憧れます。
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家庭内でインフルエンザが移らなかった、その生活を明かします
家族のAがどこからかインフルエンザをもらってきて、
一番困ることは、移っては困る人が残りの家族にいる場合だと思います。
例えば、うちがそうだったのですが、修学旅行の予定がある家族。
旅行なんて…と思われるかもしれませんが、当日キャンセルは返金0円です。
うちはそんなにお金に余裕があるわけではありませんので、
7万円弱のお金をどぶに捨てるようなことはしたくありません(きっとお金持ちだって捨てたくはないですよね)。
お金だけの問題でもありません。
友達との貴重な時間、いろんな経験も捨ててしまうことになります。
もう二度と手に入らないのです。
修学旅行に行けなかったから、不登校になったという話もありました。不良になったという話も。
他には、これはかなり深刻ですが、
感染症にかかってしまうと重篤化する病気を持っている家族がいる場合。
これも実際の私の体験ですが、癌の手術後、抗がん剤治療を開始するまでの間いったん退院していた家族がいたのですが、
そこに別の家族がインフルエンザをもらってきたことがあって。
隔離はしたものの、毎日ドキドキしながら過ごしました。胃が痛かったです。
ほかにも、センター試験など、受験直前の家族、赤ちゃん、妊婦さん、高齢者など。
そうでない場合でも、最悪の事態になった出来事がありました。
小学生の子どもがもらってきたインフルエンザが移った40代のお父さんが、
それが元で亡くなってしまったのです。
いたって元気なお父さんだたのですが…。
私は「マスクが嫌い」という話を以前書きましたが、自分がかかったかな?というときには、
まず人前に基本出ません。しかし、どうしても出ないといけない場合はマスクをします。
そして素手で物を触らないようにします。
*
話がそれてしまいました。
学校でインフルエンザをもらってきた中学生haruがいたのですが、
修学旅行約1週間前の高校生natsuに移らないように気をつけたことを書きたいと思います。
ただし、これと同じようにしたからと、インフルエンザが絶対移らないとは言えないので、そこはご了承ください。
科学的にも医学的にも、根拠はありません。が、事実をお伝えします。
*
★haruは別室に隔離し、食事などはそこでしてもらった(基本的な世話は、すべて母親である私がした)
★haruの世話をした後は、必ず手洗いをした(一処置、一手洗い)
★生活する部屋は温めた
★エアコンは加湿暖房、ストーブもヤカンで蒸気を発生させた
★寝室にはアロマ加湿器をつけた
★お風呂にインフルエンザ予防効果があるというアロマ精油をたらした
★haruがトイレなどに行った後には、アロマ・アルコールスプレーで取っ手などを消毒した
★基本的に隔離部屋から出る時にはマスクをしてもらうようにした(これは徹底できませんでしたが)
★部屋の換気にも気をつけた
特別にやったことは上記の通りです。
それ以外に、
★自分の睡眠時間をできるだけ削らないようにした
★natsuの生活リズムを崩さないようにした
★natsuにストレスがたまらないよう気をつけた
それくらいでしょうか?
免疫力が低下しないように気をつけたわけです。
本当は「おいしい食事。栄養のある食事」を取ろうとしたのですが、
私が無理すると、私に移ってしまうと思い、そこはほどほどにしました。
ちなみにうちの家族、今年は誰もインフルエンザのワクチン接種はしませんでした。
ただ、私は去年インフルエンザA型に罹患していて、
なんとなくですが、抗体があったような、そんな気がします。
もちろんインフルエンザの型が変化しているのは知っていますが、
多少の変化には効くんじゃないか、と。
実は私、haruと同じ部屋で寝ていたのです。
また、木曜に授業に行った小学校のクラスが、金曜には半数がインフルエンザを発症。
担任と二人で授業をしたのですが、その担任も感染発症したそうで、
もちろん帰ってから、手洗い、うがいはしましたが、
なんだか直感で、今年は私は移らない、気がしていた(している)のですよね。
しかし、うちの家族でいつも一番にインフルエンザに感染してしまうnatsuに移らなかったことは
少しは頑張った効果があったのでは、と思っています。
どなたかの参考になれば…。
今日も読んでくださってありがとうございました。
natsuは元気に修学旅行に出かけて行きました。
インフルエンザどこかからもらって帰ってこないといいんだけど。
(ちなみにわかっているだけでですが、約1名インフルエンザで修学旅行行けなかったみたいです)
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かつての子ども嫌いについて
今週のお題「今だから言えること」
お題について、考えてみました。
今だから言えること…。あんまりないなぁ~。
わりと、正直に物を言うタイプで、そこまで秘密主義ではないので、
何でも言ってしまっています。
ちょっと悪いこと。例えば、おつりを多くもらったけど黙ってた、
とか
言えなかったこと。例えば、今のダンナさんよりそのお友達が好きだった、
とか。
やっぱりないなぁ~。
抱えている秘密はありますが、
それらは「今も言えないこと」。
墓場まで持って行く…と思っています。
で、一つだけ思いついた「今だから言えること。」
それは
「こども嫌いだった」
ということ。
横浜の新興住宅地に住んでいた20代の頃。
結構広めの賃貸マンションに住んでいたので、ファミリーも入居していました。
徹夜明けの日曜の朝、
「やっと眠れる~」という頃に外から聞こえてくるキャーキャー、キーキーという子供の声、
イヤでした。
私の愛車に、指で自分の名前を書いたり(決して私の車が汚れていたわけではないですよ)、
バーカ、と書いたり、ボールをぶつけたり…。
イヤでした。
それよりなにより、夜の10時ごろにNと蛍光テープが光るカバンをしょった小学生が、
普通に駅周辺をはしゃぎながら歩いているのが、一番イヤだったと思います。
時を経て、私は「こども英会話教室」の先生の採用試験を受けました。
書類審査→筆記試験→リスニング試験
そして面接。
面接の時に三つ、合格のための条件があると言われました。
一つは忘れてしまったのですが、
二つめは、「ちゃんと子どもに伝わる大きさの声が出ること」
三つめ「子どもが好きであること」
でした。
二つめもあやしかったのですが、
三つめ…。
ウソがつけなかった私は
「子どもはそんなに好きではありませんが…」
と口を濁しました。
「あっ、嫌いじゃなかったらいいんですよ」
と言われ、なんて答えようか困っていたら、採用決定になりました。
ごめんなさい!
結局ウソついたのと同じですね。
しかし自分に子どもができたことと、
そのこども英語教室を通して、知り合った子どもたちによって
私の子ども嫌いは完璧に子ども好きへと変化しました。
人間ってわからないものです。
今日も読んでくださってありがとうございました。
相手をよく知ることで、好きになったのだと思います。
子どもってかわいい。中学生も高校生も、ちょっと面倒だけどかわいいです。
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