迷っています

ブログ名が全てです

コミュ障

 

こういう日記を書くときに題名を先に決めてしまうと、それに縛られてしまうからあまりよくないなと思った。何を書くかを決めてから始めるのはもちろんだけど、全て書いてからその中の何を題名にするかの方が話がいい意味で膨らんでいくし、それがベストだなと思った。

 

そんでもってかなり久々になってしまった!

 

 

つくづく自分は初対面の人とのコミュニケーションがヘタクソだなと思う。というのも、最近インターンやビジコンなど、初対面の人と短期間で何かを行うことが少なくなかった。そこでよく、自分以外のメンバーが仲良く話していたり、自分だけあまりとけ込めずに終わってしまう、最悪の場合、瞬間で嫌われたんじゃないだろか、と思う瞬間もある。

 

昨日今日で内定先の合宿研修なるものがあったんだけど、そこでもそれを遺憾なく発揮してきてしまった。

 

 

例えばそれが一回なら「合わなかった」で済む話なんだろうけど、何度も参加してほとんどの場合そうなってしまうという現状、原因は自分にあるということは明白。

 

昔(高校卒業まで)はそんなことなかったと思う。というか、どちらかというと中心になって何かをやっていたと思う。

 

こうなってしまった原因は何なのだろうか。5つほど仮説。

 

 

1、最近、今までつきあってきた人種と違う人たちと接している説

 

中学、高校とあまり賢くない部類だった。というか、ヤンキーではないけど、普通よりは不真面目で、勉強をせずにスポーツしたり遊んでいた。恥ずかしい話、他人に迷惑もかけ続けた。だからこそ、色んな遊びを経験した。面白いやつも多かった。

そこで今、完全に高学歴の人々と接するようになって、話で盛り上がっている中、「なんで今そんなつまんない話で盛り上がっているの?」とか、「その自慢話って高校生で経験したなあ」って思ってしまう現状がめちゃくちゃある。

 

ポジティブに考えると、環境がレベルアップしたし、様々な人と付き合えて吸収できている。

ネガティブに考えると、自分にとって楽な人と付き合ってきた代償、しっぺ返しをくらっている。多様な人と話せるコミュニケーション力の欠如。

 

2、自分は人よりも楽しいこと、面白いと感じるハードルが高い説

 

書いていてすごい情けないし、自己防衛している感が強い。けど一つの説として。小学校や中学、高校まで(23にもなっていつもすごい昔の話をしているなあと感じる。情けない・・・)、常に人に「面白い人」と言われていた。実際に、自分でもいつも深いところまで考えられていたし、発言によって人を笑わせていた。

それによってすごいモテていたときもあった。実際に、面白いランキングなどをしていたら基本的に上位、一位だった。お笑い芸人になった方がいいとも何度も言われた。

 

1の説と似ているが、その反面、他人に対してもすごく厳しい。なんだそれ、と思うことも多々ある。ほとんどの人が笑っているところで全然笑えない。松本人志も言っていたが、中学校の笑いのレベルが高すぎて、高校がつまらなかった。みんな笑いのレベルが低すぎたから、なんで中学校で笑う話で今盛り上がっているの?と、いう日々だったと、松本人志の放送室でしゃべっていた。それを聞いたときすごい救われた気分になった。有名な人が自分と同じ悩みを持つ時期があったと思ったらうれしくなったし、元々好きな松本人志が好きになった。実際に、有吉や千原ジュニアが一般社会に楽しそうにとけ込んでいる姿が想像できない。

 

しかし、自分は別。これから社会人として生きていくしかない。少なくとも親の借金が返し終わるまでは。そうなったら笑いのハードルが高いことは何のメリットもないし、むしろつまんない人になってしまう。有名人と自分を重ね合わせて自己満足しているイタい人ほど恥ずかしいものはない。

 

3、大学に入ってつまらない日々を過ごしていたため、完全に病気にかかっている。それのリハビリを今している説

 

これも本当に大きい。大学も馴染めなかった。無理して入った大学で、気の合う人がいなかった。笑いのレベルが低いと感じていた。その結果あまり大学に行かず、どんなコミュニケーションをとればいいかがわからなくなってしまった。

そうして自分は人とコミュニケーションがとれずに、今俗世間に再び入ってリハビリをしている。

 

 

4、昔楽しく付き合っていた人は皆本当は優しくて、自分に合わせてくれていた説

 

これは本当に感じる。本当は今まで楽しんでいた日々はまやかしなんじゃないかって。友達みんな優しかっただけで、俺を仲間に入れてくれていただけなんじゃないかって。俺はそれに気づかず楽しんでいたピエロなんじゃないかって。だからこそ今いる友達には一生感謝したい。何を失っても恩返ししたい。

 

 

5、優しくない説

 

自分は優しくない。つまり性格が悪い。これは日々感じている。いろいろな優しさが存在するから、優しくないも千差万別だから、難しいけど、挙げるならば、

 

・すぐイライラする

・相手を理解しようとしない

・都合のいい、親しみやすい相手としかしゃべらない。

 

そもそもコミュニケーションってめっちゃ難しくないか。

 

相手の顔色をうかがいながら話して、でも素を見せていないと作っているやつと思われ敬遠され、たまにはっちゃけるタイミングも一歩間違ったら引かれるし。キャラを確立していないとまず認知されないし。

 

まあでも要するに、楽しんでいないんだ。自分が。つまんねーと考えながら話しているから相手もつまんない。つまんないと思っているからその場もつまんない。でも話したい、好かれたい。

 

 

 

 

 

書いていてはっきりと気づいたことは、基本的にネガティブな性格なんだ。悪いところばっかり目がいってしまう。だからこそ自分を追い込めるっていうのはあるし、ネガティブを持って成長してきた。

 

しかし、内定先でこれって相当やばいぞ!面接でいってたキャラと全然違うぞ!

やべーやべー!

ゼロ・グラビティ

「極限の恐怖体験」


神業と言っても過言でない、キュアロン監督の17分にも及ぶ長回しから始まるオープニングで一気に物語に入り込むことができ、そこからラストシーンまでIMAXの館内は無重力空間へと変化した。


物語が進むに連れ、地球では体験不可能な宇宙特有の極限の恐怖を体感できる。それがラストまで続くため、比較的短い90分という上映時間が非常に濃い。


単純明快なストーリーと、ジョージクルーニーとサンドラブロックのみという限りなく無駄がないキャストで構成されるこのアトラクションに参加した90分後、映画館内から”脱出”できるころには、死の恐怖と生への希望で胸が溢れた。


95点




就職活動と学歴

 

センター試験を終えた弟がまずまずの出来だったというのを聞いてほっとしている。地頭の良し悪しに関わらず、この先の人生を賭けた試験で普段通りのパフォーマンスをすることは簡単なことではないし、素晴らしいことだと思う。

 

もちろん学歴で人の魅力は図れないし、たまに存在する学歴至上主義の人を見ると糞くらえと思う。しかし、数年先に訪れる就職活動において学歴は大きな武器になることは間違いない。

 

僕は、「学歴フィルターってありますか?」というありがちな質問に対して思うことがある。

 

答えは、「企業による」でしかない。全くない企業もあれば、マーチ以下は見向きもしない企業もある。

 

学歴フィルターをかける企業は最悪だと思う人もいるかもしれないが、結局、採用担当も時間がないことを考えたらそれはしょうがない。

例えば、限られた時間で、見た目や言動だけでサッカーチームを作らなければならないとする。そうなったら絶対僕はブラジル人やドイツ人を多く採用する。何故ならば、その国はサッカーが上手い人が比較的多いからである。もちろん、日本人にも本田や香川など、そこら辺のブラジル人より抜群に上手い選手はいる。しかし、過去のデータや割合から、日本人を見るよりブラジル人やドイツ人を見たほうが効率がいい。

 

結局、学歴も同じだと思う。東大出身より仕事ができる三流大学出身はいる。だけど、過去のデータや可能性から言って東大出身のほうが仕事ができるだろう。そう考えたら、学歴フィルターもあって然るべきだ。丁寧にひとりひとり見る時間がある採用担当でなければ。

 

じゃあ低学歴はどうすればいいか。それは簡単である。①ひとりひとりをじっくり見てくれる会社を探して内定を獲得する。②入った先で活躍し、ステップアップする。

これしかない。

 

このように学歴があると将来有利になることは火を見るより明らかだ。ということを事前に知り、高学歴を手にするため努力する。そういう能力があるかないかも、学歴で図れるかもしれないので、やはり学歴はあったほうがいい。

ブログを始める意味と目標

日常で思ったことをつらつらと綴っていけたらと思います。

 

様々な刺激や感動や悔しさをしっかりと記録する忘備録として、過去と比較した際に成長を実感をするための記録として適宜更新できれば。

 

また、魅力的な文章力と考察力を養うためにしっかりと。

 

しかし一体何度目のブログでしょう。新年が始まった今、このブログを一年以上続けることをここに誓います。