40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食指導30年のあゆみ 47 本物の断食とは何か 29 修道院のファスティングはさらなる高みにいくことを目指す

日本人ならば誰でも知っている西欧の言葉に

「人はパンだけで生きるものではない」があります。

これは新約聖書にあるイエスの言葉です。

 

マタイによる福音書

4:4 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。

神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」

 

まさに「人はパンだけで生きるものではない」のです。

しかし、皮肉なことに「パンが原因で死ぬ」のも事実です。

最近の生活習慣病の80%は、何と「食べ過ぎ」であり、

まさに「パンを満たし過ぎて死んでしまう」ということなのです。

そのことに警鐘を鳴らし、ファスティングを世界に定着させてきたのが修道院でした。

またそのことを知り抜いていたのが、

カトリックの修道士たちでした。

そして修道士たちは明確にファスティングこそ貪欲な食欲時代の只中で、

「断念」と「節度」を修道院の会則に定め、それに従ってきたのです。

サンテグジュペリ(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペ1900~1944は、

イエズス会ノートルダム・ド・サント・クロワ学院を経て、

スイスのフリブールにある聖ヨハネ学院では文学を学びましたフランスの作家です。

星の王子さま』『夜間飛行』などの大ベストセラー作を世に送り出し、

日本でも「星の王子さまミュージアム」が建てられるなど、

現在でも読者を魅了し続けています。)は、こう語っています。

 

「人は冷蔵庫、政治、経済、クロースワードパズル(現代ではコンピューターゲーム

などでは生きられないのだ。

詩や色彩、愛がなければ生きられない」と。

 

彼は自分の内面に修道士的なものを抱えた作家だったのです。

そしてファスティングすると私たちの体には何が創造されていくのでしょうか。

私たちの体の細胞のうち働いているのは半分で、

25%は合成中、残りの25%は、病気か、排泄しなければならないものであり、

ファスティングはその残り25%の体の細胞に友好的に働くのです。

そしてドイツのファスティング専門の医師が語っているのですが、

「病気になっている細胞は消え、健康な細胞だけが残るのだ」と。

また、そして「ファスティングをする人は、

現在の自分自身を乗り越えて成長しようとしている。

もし、彼が日常の習慣を超えたものに触れたいという憧れをもたなければ、

安易で月並みな日常に埋没したまま、美や物の純粋さに何一つ理解しないまま、

生きていくことになるだろう」といいます。

まさにその通りで、藤樹の宿にリフレッシュで来会とか

断食体験をしてみたいという方が多いのは、

ファスティングに対して

そのような期待感を持っている方も多くなってきたのだといえます。

しかし、漠然とした憧れでは十分にファスティングを通して、

得ることはできないのです。

またファスティングで何かを変えようと希望する方も増加してきています。

ここで紹介しました修道院ファスティング

さらなる高みにいくことを目指すものであり、

安易なファスティングではありません。

エジプトの砂漠で始まったファスティングがかなり厳しいものでありましたが、

これは神からの啓示を本気で受けるためのものでした。

しかし、日本のファスティングはヨガが中心となっていますんで、

自力で神を体験をしようとしますが、

少なくとも修道院ファスティング

なので、まさに真逆のファスティングなのです。

 

 

 

 

 

 

 

断食指導30年のあゆみ 46 本物の断食とは何か 28 西洋の源泉、アウグスティヌスが語るファスティングの本質は「断食の翼」である 

アウグスティヌスは、ヨーロッパの中核をなす人物です。

「世界史の窓」では次のようにその思想を紹介しています。

 

・・・Augustinus 354-430 は、ローマ帝国末期に、

北アフリカカルタゴで活動したキリスト教の教父。

アウグスティヌスローマ帝国の属州、

北アフリカヌミディアの出身でカルタゴで学んだ。

父は異教徒、母は熱心なキリスト教徒であったが、

青年時代の彼は、一時若い奴隷の女性と結婚したり、

マニ教の教義に惹かれたりして信仰に悩んだ。

384年、ミラノに行きアンブロシウスの説教を聞き、

また新プラトン主義の哲学に触れて思索を深め、キリスト教に回心した。

アフリカにもどり、ヒッポの司教として、

マニ教などの異教やキリスト教の異端との論争を通じて、

次第にカトリック教会としてのキリスト教理論をうち立てていった。

彼の思想は、ローマ帝国の国教となったキリスト教を、

国家に奉仕する宗教としてではなく、

この世に「神の国」を出現させるものとして教会を位置づけ、

教会の恩寵を説き、その典礼を定めたもので、

世俗の国家に超越する「教会」(ローマ教皇を中心とした聖職者の組織)という

中世ヨーロッパのもっとも根幹となる思想の原型を造ったと言える。

また、カトリックの中心思想である三位一体説は、

アウグスティヌスによってさらに理論つけられた。

その著作は多いが、主著の『神の国』『告白録』などは、

中世の神学の基礎とされ、スコラ学のトマス=アクィナスなどに

大きな影響を与えた。

また、宗教改革のルターにも彼の著作から多くを学んでおり、

近代ヨーロッパの思想家にもたびたび取り上げられている。・・・

 

アウグスティヌスの戒則」に「断食の翼」という文章があります。

 

・・・「断食はつらいものだ。だが、もしそれであなたの兄弟たちが

もっと元気にならないのなら、十分でない。

節制することで他の人に贈り物ができるとき、それは実り豊かなものになる。

あなたが今日、とらなかった食事で、

どれだけ多くの貧しい人々の腹を満たすことができるだろう。

断食するときは、あなたが食を断つことによって、

ほかの誰かが腹を満たしたら嬉しいと思うようになりなさい」

 

素晴らしいファスティングの要点をついています。

ゆえにアウグスティヌスを知らずして

ファスティングは語れないということです。

このファスティングの中に大きな真理が隠されています。

「情けは人のためならず、何でも分け与えれば、減るのではなく、増える」、

つまり「分かち合えば苦しみは半分になり、喜びは倍になる」という真理です。

まさにこれはイエスが語られた言葉なのです。

 

マタイによる福音書

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、

わたしにしてくれたことなのである。

 

ファスティングは自分のためだけではないということを

藤樹の宿のファスティング講座でいつも話しています。

来会者の99%がそうではないからです。

自分に健康維持のため、自分の病気改善にためなので、

Vの真の目的を指し示すことは、藤樹の宿の使命なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

断食指導30年のあゆみ 45 本物の断食とは何か 27 本当の本物のファスティングに至る道 

日本でファスティング関連本、入門書も数えきれないほど出版されていますが、

本質論がほとんど書かれていません。

すべて上辺だけです。

それは以前にも書きましたように自分の内側、

自分の内なる心(マインド)、魂(ソルト)と霊(スピリチュアル)

の解放を経験せずして論じているので

ファスティングの本質が全く理解できていないからです。

もう一度、本当の本物のファスティング

心(マインド)、魂(ソルト)と霊(スピリチュアル)の視点から、

14項目をあげておきます。

それぞれを解説したら切りがありませんので

まずは14項目をファスティングする方はじっくり考慮してから

ファスティングを開始してください。

 

1・以前より自由で

 

2・軽やかな存在にすること

 

3・そして敏感になり

 

4・注意深くする

 

5・荷重で不要なものを取り除く

 

6・これまでの習慣を変えること

 

7・新しい人生を見出すことが可能となる

 

8・断食にとりかかるときは、落ち着いて静かにとりかかること

 

9・何よりもあなたの魂に語り掛けてくる声に耳を傾けよ

 

10・断食は自分自身の体との対決である。

 

11・自分自身の五感との戦いである

 

12・自分自身の行動との対決なのだ

 

13・頭の中にある無数の事柄がこれでもか

というほど浮かんでくるのだ。その解決策を求められるのだ

 

14・断食期間中は自分のことだけではなく、

自分以外のことだにも気に掛けることを通して、多くのことを学ぶこと

 

 

そしてファスティングで最も重要なことは

 

A・断食の動機ははっきり自覚すべきだ

 

B・必要な場合は、それについて

よく考えてみることも実は断食の行為の一部なのだ

 

C・そしてそれにふさわしい断食の態度を見出すべきだ

 

D・またそのようにふるまわなければならないのだ

 

E・断食は以前より、やせること

(ダイエット)やただ自分の内面と関わることだけではない

 

F・それ以上に大事なのは、

つねに謙虚であり、

いつもと変わらぬ平静な態度をとらなければならないことである

 

 

 

 

 

 

 

 

断食指導30年のあゆみ 44 本物の断食とは何か 26 聖ベネディクトゥスのような究極のファスティング領域にいく

西欧で聖アントニウスに次いで

ヨーロッパ文明の源流といわれる聖ベネディクトゥスがあげられます。

ベネディクトゥス(480年頃 - 547年・中世のキリスト教修道院長で、

西方教会における修道制度の創設者と呼ばれ、

ベネディクトスの著した会則は西ヨーロッパに広く普及し、

やがて「西欧修道士の父」と称されるようになった)は、

断食についても明確な会則を制定しました。

ウィキで紹介されている伝記を引用しておきます。

 

・・・古代ローマ貴族の家系に生まれ。

伝承によれば、双子の妹にスコラスティカ(聖スコラスティカ)がいた。

少年時代は両親とともにローマに住み、学問を習得した。

ローマでは、東ゴート王国の大王テオドリックが奨励する古典教育を学んだ。

これは行政官として必要な教養を身につけるためであったが、

キリスト教の福音の教えに共鳴したベネディクトゥス

神に自らの生涯を捧げることを決意し、早い時期に学校を退学した。

ベネディクトゥスは隠修修道を行ったわけではなかったが、

ローマ郊外の都会の喧騒を離れた場所で新たな生活を始めた。

しばらく後、ベネディクトゥスはローマを完全に離れる必要を感じ、

田舎で自らの労働によって生活しつつ修道生活を営むことを考えるに至った。

ベネディクト会の標語 “ora et labora” 「祈り、かつ働け」 は、

この精神を表現したものである。

修道士ロマヌスの勧めで数年間洞窟での隠修生活をした後、

ベネディクトゥスは山中の町スビヤコ(ラツィオ州)に修道院を設立した。

彼のもとに、彼の評判を聞いて次々と共鳴者が集まり、

スビヤコには12の修道院が増設されるに至った。

しかし、同時に反感をもつ者も増えていった。

12の修道院のそれぞれに、ベネディクトゥス

12人の修道士と1人の監督者を住まわせ、自身は別の修道院

ごくわずかな弟子たちとともに住んだ。

とはいえ、ベネディクトゥスは依然としてスビヤコ全体の修道院長であり、

修道士たちの信仰生活の父親役を務めたのである。

ベネディクトゥスは、彼のことをこころよく思わない修道士によって

あやうく毒殺されそうになり、スビヤコの町をいったん離れた。

ローマ在住の貴族たちは、彼の修道院に子弟をあずけるようになり、

そのなかから聖マウリスや聖ブラキドゥスなども現れた。

ベネディクトゥスに弟子が増えると、地元の聖職者たちからの敵意はいっそう募り、

彼は南へ約100キロメートル離れた町への移動を余儀なくされ、

529年頃、モンテ・カッシーノに移り、修道院を設立、

モンテ・カッシーノ修道院設立の後は、

ベネディクトゥスの生涯はその理想とする修道生活の実現のために捧げられた。

540年頃、ベネディクトゥスは会則を定めた。

厳格派と穏健派の中道をつらぬき、労働と精神活動について定めたこの会則は、

西ヨーロッパにおけるほぼすべての修道会へ広がっていき、

以後、長い間、中世ヨーロッパの修道制度の基礎として考えられてきた。

ベネディクトゥスは547年頃にモンテ・カッシーノで死去し、

妹の聖スコラスティカとともに埋葬された。・・・

 

 

また「世界史の窓」には次のような説明がなされています。

 

・・・ベネディクトゥスは、修道院の創設や戒律の制定などで知られるが、

ヨーロッパ=キリスト教世界では、その生き方そのものが

ヨーロッパ文明の源流であり、設計した人物として崇敬され、

「聖ベネディクトゥス」と言われている。

ローマ帝国が崩壊した後も、荒廃と混乱のなかで彼は修道院を建設し、

福音を述べ伝え、大地を耕して豊かにし、

ありとあらゆる事業を計画的に発展させ管理する修道士たちを生みだした。

また学校や図書館、ギリシア・ローマの古典、哲学や芸術、

薬学や神学書の保存と研究は、そのすべてが彼らの仕事であった。・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

断食指導30年のあゆみ 43 本物の断食とは何か 25 本当のファスティングは神を体験すること

私はファスティングのルーツは聖アントニウスだと確信しています。

ウィキではこのように説明されています。

 

・・・250年頃、エジプトのコーマ(英語版)で生まれ、

敬虔な両親にキリスト教徒としての教育を受けたという。

20歳になった頃両親と死別、その後財産を貧しい者に与え、

自らは砂漠に籠もり苦行生活に身を投じる。

305年頃、アントニオスが町で行った説教に心を打たれた

修道僧らと開いたのが修道院の始まりだという。

しかし彼はそれでも飽きたらず、再び修行に励み356年、

105歳という長寿を全うしたと伝記には記されている。・・・

 

そして記録によれば、聖アントニウスが20歳の時に礼拝の説教で聞いたのは、

次のようなマタイによる福音書の聖句でした。

 

マタイによる福音書

19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。

まだ何か欠けているでしょうか。」

 19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、

行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。

そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

 

この聖句を聞いた瞬間、聖アントニウス

衝撃が稲妻のように彼を襲ったというのです。

「この青年こそ私なのだ。この言葉は私に向けて語られたのだ」。

この聖アントニウス体験こそ本当のファスティングの根源的な体験なのです。

これはまさに神を体験することことにほかなりません。

この小さな私ですら体験したことなのです。

私も韓国で断食祈祷したときに何もかも捨てて、一切のものを捨てて、

神に従うことに生きようと導かれたのです。

私たちはどのようなものを所有するかいなか、

その持ち物の優劣で勝ち組、負け組と色分けして生きています。

そしてそこに生きがいを見つけて生きているのです。

しかし、そのような中に私たちの人生はあるのだろうか、

一人の人間の評価、価値は才能や財産など持ち物なのだろうか。

人として生きる価値は神の与えた賜物、恩恵なのであり、自己所有ではないのです。

ファスティングはこのような自己所有から解放する力をもっています。

人間の真の価値を見出すのは、自ら進んでおこなう断念という行為、

思いから来るのです。

私たちは物事を断念することで与えられるものなのです。

友情、愛、ゆるしなど相手からの報酬をまったく考えずに

まず与えることだけをしてみたらどうなるかです。

微笑みかける、やさしい言葉をかける、人を愛してみることで

もっと美しい平和な人間になることができます。

アントニウスを支配した聖句は、本当の幸せは所有ではなく、

 

・断念すること

・与えること

・手放すこと

 

にあったのです。

それが本当のファスティングなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

断食指導30年のあゆみ 42 本物の断食とは何か 24 断食のない教会は、もはや教会ではない

ァスティングは、精神的、そして宗教的な次元で

ファスティングの奥深さをしっかりと見ていたのです。

教皇ヨハネス23世が、1962年、世界のすべてのカトリックの信者に

間近に迫る第二バチカン会議のためにファスティングしてほしいと要請しました。

その教皇の決断に対して、オットー・ブーヒンガー博士は手紙を書き送りました。

その内容は、

 

キリスト教の禁欲に欠かすことのできない本質的な構成要素が断食である」

 

ことということでした。

 

そして彼はこのように書いたのです。

 

「断食は本来、教会の最も聖なる分野なのだ。

 

何かオリンピック競技のように断食を行う人たち、

 

またミロのビーナスのように美を争う断食、裕福な肥満に悩む人たちが行う

ファスティングは、まさにファスティングをねじまげている。

これは非常に残念なことだ。私は85歳にして改宗した者としていえるには、

善良なる神の御恵みにより、

ファスティングがこの聖なる教会の中で

いつか再生(リバイバル)するのを見るであろう」と。

残念なことですが今日の日本ではこのような博士の指摘する

ファスティングしか存在していません。

ファスティングして何キロ痩せたとか、

酵素ジュースダイエットで成功したという広告(通信販売)とか、

そのような低級な話題しかないのです。

なぜ日本はそうなのかはこれで明らかです。

ファスティングの本当の本質を誰も理解していないからです。

その原因は聖書を読まず、キリスト教の積み上げてきた

医療、看護の貴重な遺産を無視し、医術だけあるのみなのです。

そして世界最悪の異常な長期入院制度(特に精神科)で

暴利をむさぼるために何と医療費総額は年間で45兆円に達しています。

もう一度、ファスティングの本質、医療のファスティング

日本は正しく認識する必要があります。

ましてやそれを普及し、教育をしていくのが、

現在のファスティング施設の使命なのではないでしょうか。

そのファスティングの奥義を改ざんし、

自己勝手なファスティング流儀を生み出してしまっているのですから、

ファスティングの普及に携わる者は、

このようなことでは、ほんとうに神の前における、

大きな罪を重ねていることなのです。

またカトリック教皇ベネディクトははっきりいいました、

「断食のない教会は、もはや教会ではない」と。

なぜならば真のファスティングがない教会は、

世俗と変わらないものとなるからだ」と指摘しています。

教皇の言葉を日本の教会にあてはめたら、

日本の教会の99%は教会ではないということになります。

確かに日本のキリスト教会で信徒が増加し、教会が成長している要因は

2つだと言われています。

 

1・断食祈祷をしている教会

2・賛美がゴスペル賛美であらゆる楽器を用いた解放された賛美礼拝をしている

 

この1の断食祈祷、つまりファスティングプレイズが

定着しているキリスト教会は教会の基盤が強く、

未信者がどんどん救われ、洗礼者が絶えません。

そして老若男女が解放された賛美(つまり100年前の讃美歌や聖歌など)で癒され、

解放されていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

断食指導30年のあゆみ 41 本物の断食とは何か 23 ファスティングの本質とは内側の浄化

今日、病気の80%の原因は食べ過ぎが原因であることが常識となっていますので、

ファスティングが注目されています。

日本でもダイエット目的のファスティングが圧倒的に多いのですが、

それ以上にファスティングの本質とは内側の浄化なのです。

つまり体内から消化負担(エネルギー)を軽減させ、

取り除くファスティングも大切なことですが、

自分の内側、自分の内なる心(マインド)、魂(ソルト)と

霊(スピリチュアル)の解放を経験することが本質なのです。

心(マインド)、魂(ソルト)と霊(スピリチュアル)に縛られた

まさに暗闇の混沌からの解放がファスティングの本質であり、

真の開放をもたらすことなのです。

このファスティングの本質を正しく用いて、体系を組み立て、

いったのが修道院でした。

そこから更に発展し、病気の治癒として、

ファスティングは大いに欧州において重要なので

修道院の中核的なワークとなっていきます。

そして修道院から発展して、近代にいたっては、

ファスティングの療養所が誕生していきます。

英語では、病院を「ホスピタル」と言いますが、

このホスピタルの語源は中世ラテン語の「ホスピターレ」であり、

ホテルと同一語源です。

ホスピターレとは「巡礼、参拝者、旅人をもてなす大きな家」であり、

その役割は修道院が担っていたのです。

キリスト者の巡礼の宿泊所であり、

旅の途中で受けた傷や病をホスピターレで修道士たちが手当てをし、治して、

心身共にリフレッシュし、また新しい旅に出ることができました。

つまりリスト教世界では修道女・修道士が神に仕えるために

病人を集めて日常生活上の世話をするのが基本だったのです。

このことが医療と看護活動の原点となっています。

カトリック修道院では当然のように展開されていたのが

ファスティングやハーブを用いた医療活動でしたが、

宗教改革以降、プロテスタントの地では

宗教活動から病院が切り離されるようになりました。

そして18世紀以降、病院は貧民救済から離れて、

もっぱら病気やけがの治療のためだけに使われるようになり、

専門化していきました。

19世紀のフローレンス・ナイチンゲール

看護にも職業的訓練が必要なことを明らかにし、

看護師が専門職となっていきます。

日本で最初の病院は、1557年に医師でもあった

ポルトガルの宣教師ルイス・デ・アルメイダによって、

現在の大分県大分市顕徳町2丁目にあったデウス堂の隣地に開設された病院です。

外科、内科、ハンセン病科を備え、日本初の入院施設も備えていました。

ここが西洋医学が初めて導入された場所として知られています。

病気の治癒として断食は大いに欧州で修道院の中核的なワークとなっていきます。

近代ではドイツのオットー・ブーヒンガー博士が、

温泉地近くの医師であったため、

第一次世界大戦後に最も効果のある断食療法を実践しました。

彼は断食を「排出治療、身体組織、体液全体を完全に浄化する治療だ」と

確信して難病に立ち向かったといいます。

確かに断食を開始すると老廃物が取り除かれ、癒される病気があるのです。

老化した細胞が分解され、その一方で若い細胞の形成が促進されるからです。

ゆえに断食は特にリューマチ、関節炎、動脈硬化症、皮膚病などに効くのです。

しかし、修道院の断食はこれだけではありません。

オットー・ブーヒンガー博士は、聖アタナシウスの断食を継承したのです。