つっぴ君と たくさんの思い出

つっぴ君は、去年の今日、亡くなりました。最後の入院から家に戻って5日目のことでした。


夕食を終えてしばらくすると、つっぴ君の呼吸が突然速くなりました。私は訪問のお医者様に連絡をし、義父と駆けつけた母と一緒にお医者様の到着を待ちました。顔をのぞき込んで、手を握って、額の汗を拭いて、そうして30分ほどで、つっぴ君の呼吸は止りました。

つっぴ君の首筋に手をやると、まだ微かに脈が触れているように感じました。私は呼吸が戻ってこないかと思い、毎日行っていた肺のマッサージをしてみました。でも、今までとはもう身体の様子が違っていることがわかりました。

最期はどうなるか、それまでに何度も、お医者様からお話を聞いていました。いろいろな可能性があるけれども、おそらくは突然でしょう、でも決して苦しむことはないでしょうと。たぶんそのとおりだったのだと思います。つっぴ君は苦しそうな顔はしていませんでした。



お医者様を待つ間、義父や母がつっぴ君の名前を呼んだり身体を揺すったりする横で、私はずっとつっぴ君の顔を見ていました。目を離したら死んでしまうのではないかと思い、しがみつくようにして顔を見ていました。
すると一瞬、つっぴ君はこちらへ顔を向けて、にこっと笑顔を見せたのです。目も口元も、にっこりと笑っていました。




今まで、つっぴ君の闘病についてはお話をしてきませんでした。
それは「たのしいまいにち」ではなかったからではありません。毎日とても楽しかったのです。
つっぴ君も、それまでのいつのつっぴ君とも勝るとも劣らない、かっこいいつっぴ君でした。とてもとても立派だったのです。
でも、そのたのしかったこと、かっこよかったつっぴ君のことを、上手にお話することは、私にはまだまだ出来ないように思います。


つっぴ君だったら、こういうかもしれません。
「まったく君はダメダメやのう。すぐ出来ないっていうんだから」って。
でも、ここは勘弁してもらいます。

君だって、恥ずかしいでしょ!これ以上褒められたって、と。



ありがとうございました。

つっぴ君と ちょっとしたミラクル

つっぴ君は、人を驚かせるのが好きでした。こっそり準備をして、そっと仕掛けをして、誰かが喜んだり驚いたりするのを見るのが好きなのです。お礼を言われても「うんうん」と生返事みたいに聞き流すのですが、後で「すごいねぇ。さすがだねぇ。」と褒めると「当然!」とタバコの煙をぷかぁとはいていました。



去年の秋の終わり、つっぴ君が最後の入院をしていたときのことです。病院のすぐ近くにとても大きな虹が現れたことがありました。くすんだ色をしてひしめき合うように並んだ家々の屋根に足を下ろして、大きく背伸びをするように空に向かっていたそれは、絵の具もまだ乾かないような、とても鮮やかな色をしていました。


今年の冬、四十五日の法要に山形へ行った時は新幹線の窓から虹が見えました。寒々しい乾いた色合いの田んぼと山の向こうに、淡い色の、でも二重の虹が出ていたのです。両方の足を地面について、きれいなアーチを描いていました。遠くから新幹線の通り過ぎるのを見送っているように見えました。


先日、一周忌の法要を終えてタクシーで駅へ向かっていた時、タクシーの窓からも虹が見えました。柔らかい色をしたその虹は、まっすぐな道に並ぶように橋を架けていました。手前の足の近くを通り過ぎ、ずっともう片方の足を追いかけるようにタクシーは走っていました。もう追いつくかなという頃後ろを振り返ると、さっき横を通り過ぎた足が遠くにまだはっきりと見えました。



つっぴ君の仕業に違いない。と、そう思うのです。


すごいねぇ、さすがだねぇ、君ってば、することがかっこいいねぇ。

つっぴ君と 初めてのお盆

つっぴ君は、この夏、初めてのお盆を迎えました。


真新しい秘密基地は、お盆仕様に整えられ、お供えも並べられました。頂き物のお盆の提灯も、水玉模様を走馬灯のように壁に天井に浮かべていました。真菰だとか藁だとかほおずきだとか蓮の葉を模した紙などで飾られ、果物の並べられた秘密基地に、つっぴ君はきっと「草とか紙とか、貧乏臭いのぅ」とため息をついていたことでしょう。お盆につきものの落雁も「変な色やのぅ。砂糖のかたまりやん。ぺっぺっ」と顔をしかめただろうと思います。


せっかくのイベントですから、つっぴ君が大喜びしてくれるものをと思ったのですが、まるごとお供えしたかった小玉スイカは売り切れでした。お供えも「精進料理など」と書いてあり、焼き鳥だのなんだのを並べる分けにもいきません。それでも手塚治虫コラボのミニチキンラーメンを「どうよ」とばかりに積んでみせました。大好物のおはぎは悪くならないように毎日新しいものに買い替えました。小さい瓶ビールも並べました。結果、私は毎日おはぎ4つと晩酌をすることになりました。


日曜日には、つっぴ君が新入社員として配属された際の部長の方、結婚に際しては仲人をしていただいた方が、つっぴ君を尋ねてくださいました。「よく食べて、よく飲んで、よく働いた。みんなに可愛がられていたね」と、とても褒めていただきました。部長にとっても、バレーボール部の取材とMac導入がつっぴ君の仕事として思い出深いそうで「楽しそうに一生懸命やっていた」と懐かしそうに語ってくださいました。


私の母、二人のいもうと夫婦、その甥っ子も、顔を出してくれました。基地を褒めてもらって、お供えのラインナップにうなずいてもらって、つっぴ君も鼻が高かったのではと思います。惜しむらくは「まるごとスイカ」の一言に尽きますが、来年こそ必ずまるまるしたのを「貧乏臭い藁」に乗せてさしあげたいと思っています。


お盆の間中、うちの猫は秘密基地にいたずらをしませんでした。昨夜、送り火を盛大に焚いて寝た真夜中過ぎのことです。かたこという音に目を覚ますと、秘密基地と壁の10cm足らずの隙間に、猫がはまり込んでいました。花瓶もお供えも倒さずにどうやってはまり込んだのか、あれだけ魅力的な藁だの縄だのほおずきだのがぶら下がっているときは我慢できて、何故今になって侵入を試みるのか不思議でした。基地に損害を与えないよう慎重に猫を救出して、一応お説教をして無罪放免にしました。そして、今しがた、大きな音をたてて基地の屋上に飛び乗る猫を現行犯で逮捕しました。昨日まで、いい子だったのに。お盆は猫も信心深くするのかもしれません。

つっぴ君と この夏のお出かけ 2

つっぴ君は、9日、ワールドハピネスへ行ってきました。
家を出る間際まで、せっかくちいちゃくなったのだから壷ごと一緒に出かけようか迷ったのですが、万が一にも迷子にしてはいけないと、ペコちゃんバッジをバッグにつけて出かけることにしました。


お目当ては、もちろんムーンラーダーズさんです。つっぴ君は電気グルーブも好きだから、砂原さんも楽しみだったはずです。でもって、言わずと知れたYMOさん。さらに小山田圭吾さんがYMOさんと一緒に出るらしく、いくら浮かれ気分を嫌うつっぴ君でも、壷で連れて行かれたって文句の言いようのないラインナップでした。


ワールドハピネスは、都心で開催される唯一の夏フェス、大人の夏フェスだそうです。開演から1時間ほど遅れて到着したのですが、会場の夢の島競技場はのんびりまったりムードに包まれていて、すでに芝生にはお昼寝を楽しむ人々の姿がありました。薄曇りの夏の午後、音楽に包まれてのお昼寝とは、なんという贅沢でしょう。9000円とか支払って、この30度に手が届きそうな午後、外出までしてお昼寝とは。
座席代わりのシートも、余裕たっぷりに敷いてあり、ステージの近くへ近くへというガツガツした雰囲気は微塵も感じられません。元ハコご夫婦と私はサブステージからは遠い一番前のブロックの、たっぷり空いた芝生の上にシートを広げて、腰を下ろしたのでした。


野外フェスのお楽しみの一つは、バラエティ豊かな屋台です。私といもうとは前日まで「つっぴ君は、この屋台は外さないだろう」とか「これは食べたがるに違いない」とHPで飲食ブースをチェックしていました。でも初めての野外フェスで勝手が分からず、屋台を冷やかして回る余裕はありませんでした。結局うっかりスチャダラパーのところで串焼きの屋台に並んでしまい、踊りながら串を待つはめになりました。
つっぴ君は以前、新横浜の黒船祭の時、牧場が出していた牛串を食べ「こんな上手い牛串は食べたことがない!!」と、感動していました。何につけ辛口批評のつっぴ君には珍しいことで、今一度感動の牛串をつっぴ君に!と思ったのです。スチャダラパーと引き換えに買った分厚い肉が無骨なまでに長々と連なる串は、これぞ漢の串!というかんじで、我ながら大収穫でした。ただ一つ、つっぴ君が文句を言うとしたら「そのあっさりフレッシュトマトソースはいらん!」だったでしょう。


そんな風にビールにチーズにポップコーン、串焼きを食べては飲むうちに、ムーンライダーズさんの登場となりました。それまでの出演者はサウンドチェックには出てこなかったのに、ムーンライダーズの皆さんは、拍手を受けて登場するや楽器のチェックを始めました。ワールドハピネスの進行はとても手際が良かったのですが、その丁寧に準備された感じを払拭したいのかなぁと思いながら観ていると、その流れで一瞬曲を奏で始めました。「お〜!」と歓声をあげる間もなく、慶一さん一言「以上、モーンライダーズでした」
「えーw」という歓声?を背に袖にひっこむと、改めてムーンライダーズさんの登場です。そんなお茶目を挟みつつ全8曲、夏らしく野外らしくライブらしいパフォーマンスで大大大満足させていただきました!


そして、ラストに登場は Yellow Magic Orchestra with 小山田圭吾, 高田漣, 権藤知彦でした。子供の頃「ザ・ベストテン」で観たYMOです。誰もがピアノでエレクトーンで、縦笛ですら演奏したがった Rydeen です。すごーくコーネリアスっぽいギターを聴き、アンコールに Fire Cracker を聴いて、ワールドハピネスは終わりました。


ムーンライダーズさんとYMOさんの参加を知って以来、どうしても参加したかったイベントでした。元ハコご夫婦が一緒に来てくれて、とても嬉しかったです。つっぴ君はきっとこの曲で踊ってるだろうなぁとか、串焼き屋台に並ぶ私に「間が悪いのぅ」と苦言を呈しつつ牛串は堪能しただろうなぁとか、汗びっしょりかいてるだろうなぁとか思いながら、何回も「来てよかった〜」と思いました。


夢のような一日が終わり、今は「夏は終わった」というリフレインで胸がいっぱいです。
でも、まだまだ終わらないぞー。


冷えたビールがある限り!
http://www.youtube.com/watch?v=wC3oTj2Jk4s

つっぴ君と この夏のおでかけ

つっぴ君は、子供の頃、夏休みには田舎へ帰っていました。お母さんの里の宮城か、お父さんの里の山形でした。


ある夏の帰省の際、つっぴ君の乗った車は交通事故に巻き込まれてしまいました。つっぴ君はおでこかどこかを切ってしまい、救急車に乗せられて病院へ担ぎ込まれたそうでした。その他には大きな怪我もなく、無事夏休みを過ごして家に帰ったそうですが、この時以来「車は新車!」とお父さんは心に決めたようでした。その時は中古車に乗っていたのだそうでした。


大人になったつっぴ君は、私を連れて、毎年お母さんのお墓参りに行きました。車だったり、周遊切符ととれんた君だったり、ツアーに乗ってだったりしました。


初めて山形へ新幹線で向かった時のことです。列車が福島を過ぎると、つっぴ君は窓の外を眺めて「東北、鬱陶しいのぅ」と言いました。景色からして他と違う、暗くて重くて鬱陶しい、鈍臭いと言うのです。
「そんなことないでしょー」と言いながら、私も窓の外に広がる風景に、違和感を覚えていました。山梨へ向かうときの中央線から眺める山々とも、箱根へ向かうときの東名高速から見える山々とも何かが違うのです。それは山の色でした。
東北は木々の緑の色が深く、山は黒々と見えたのです。きっとなんとか樹林帯とかかんとか相とか、説明のつくことなのでしょう。つっぴ君は色合いや自然や風土の違いを「鬱陶しいのぅ」と表現していたのだろうと思います。


「夏になれば、たんぼが青々となって、きっと爽やかで明るくてきれいだよー」と言っても、つっぴ君は「そうはならん」と首を振りました。「秋になれば、たんぼが黄金色になって、きっと光り輝くようにきれいだよー」と言っても、つっぴ君は「君は、わかっとらん」と鼻を鳴らしました。
その後、露をふくんだような瑞々しい緑のたんぼのひろがる風景も、夕焼けのように黄金色に揺れるたんぼの風景も新幹線の窓から見ました。でも、そのたんぼを抜けて谷間へ入ると、そこはいつも深くて黒い山々が待っていました。




その山形へ納骨と初盆に行ってきました。お寺では分骨をしていただきました。つっぴ君は、以前の手術で小さな装置をつけていました。それがずっとくっついたままなのが気になっていたのですが、それも一緒にわけてもらえて、少しほっとしました。


盛夏の山形日帰りの旅を終え、装いも新たに軽い足取りで帰宅したつっぴ君は、早速、秘密基地からの眺めを楽しみました。やはり主がいないと館もしまりません。これから、お手入れも楽しくなると思います。

つっぴ君と 今年の夏休み

つっぴ君は、今年の夏は忙しそうです。主役を務めなければならない行事もありますし、暑いのは嫌いとは言っていられないようです。


今日で7月も終わります。しばらく、つっぴ君はお休みに入ります。時々、顔を出すかもしれませんが、夏休みから秋休みまで、たっぷり休暇をいただく予定にしています。


最後の更新は12月15日です。また、お会いできたら嬉しいです(^ー^)

つっぴ君と 夏休み

つっぴ君は、渋滞や混雑が大嫌いでした。会社のお休みも、なるべく行楽シーズンを外してとっていました。
なので、どこかへお出かけというときには、桜なら咲いていなかったり、紅葉ならまだ青々していたりしていました。毎年でかけた山形へのお墓参りも、お盆は外して行っていました。


お墓参りでは、毎回違う温泉に泊まるのが楽しみの一つでした。
ある時「改装したばっかり」の、やる気満々の温泉宿に泊まったことがありました。お風呂場の脱衣場は、まっさらの畳が敷かれていました。湯上がりの素足にひんやりしてさわやかな畳の感触は、とても心地よいものでした。そこから見える小さな坪庭には、掛け軸のような植栽がこじんまりと植わっていました。毎回、温泉では痛い目に遭うつっぴ君でしたが、この時は何にも遭遇しなかったようでした。お風呂上がりのつっぴ君は「畳やったでー!畳」と、うきうきしつつ「衛生的にはどうなんだ?」といろいろ考察を巡らせていました。


夕食は食事処の個室に案内されました。茶室のような小さなお部屋に、床の間があり季節のお花が生けてありました。つっぴ君と私はお品書きを手に「これはなんだ」とお皿の来るのをわくわく待ちました。お皿が届くや「これがこれで、こっちがこれ」とお品書きと見比べながら食べ、食べては「甘い」の「それ、中身何?」だの言い、また食べました。砂糖がかかった甘いトマトに私が驚愕していると「ほらな!山形ってトマトに砂糖かけるんやでー」と、得意満面で解説もしてくれました。おつゆのお椀も空にして、大盛りの白いご飯も食べ終わり、つっぴ君は満腹の大満足でした。


そこへ、お盆を掲げた仲居さんが現れました。空のお椀、空のお茶碗をすいっと避け、つっぴ君の前に置かれたのは、どんぶりでした。どんぶりの中身はカレーうどん。THE温泉宿といった夕食フルコースの後に、何故かカレーうどんが現れたのです。
あっけにとられている私たちに仲居さんは言いました。「当宿名物のカレーうどんです。よろしかったら、お召し上がりください」
名物を残す訳にはいきませんでした。おなかいっぱいのつっぴ君は果敢にカレーうどんに箸を伸ばしていました。そのとき私はふと思い出したのです。夕方のニュース番組で取り上げられていた生き残りをかけたリニューアルに挑む温泉宿と、新開発の目玉商品のことを。
「つっぴ君、そのうどん・・・」「このうどん・・・麺が一本や!」
カレーの中から高々と持ち上げられたうどんは、人差し指ほどの太さの極太一本麺だったのでした。


「一言、最後にカレーうどんがありますって言ってくれたらよかったのに」とこぼしながらも、もちろん、つっぴ君は完食しました。私はぱんぱんのおなかをさするつっぴ君に「目玉商品だから。奥の手だから」と仲居さんの代わりに、お詫びを申し上げたしだいでした。


そろそろ初盆です。今日は新しい仏壇も注文してきました。つっぴ君が買ったつっぴ君のお家には、すでにつっぴ君の王国がありますが、さらに秘密基地といいましょうか、別荘といいましょうか、獲得することになりました。気に入ってもらえると嬉しいなぁと思います。