その後

地学に向けて受験勉強をするうちに

統合失調症 は治ったが

脇見恐怖症はまだ半分くらい 残っている

然し人生の目的を手に入れれば

その他の事がとても些末に見えて来て

様々な事を乗り越えやすく成ったと実感している

合理的に解決可能ならもちろんそうした方が良いが、どうしようも出来ない状況の中、

他人による理不尽な圧力で精神疾患

患っている人に言いたいことは、そこと反対方向を目指すのでは無く

自分の人生の目的を探し求めれば

他の事がどうでも良くなるのでは無いか、

という事

決して「人間は何故生きるのか」 では無く 自分の生きる意味、目的は何か?をひたすら考える そうすれば

色々な考えを需要でき、他人に対して寛容にもなれる

この先私がどうなるかはまだ分からないし、

きっと高校生活よりも辛い時はやってくると思うが

目的さえ明確ならば

年齢 性別に関わらず 月並みな表現だが、

何にでもなれるし、

何処へでも行けると思う

出会い

その雑誌は南国の海洋地形を特集しており、

とても面白かったので他の本も次々と手に取ってみた。

いつしか地球の美しさに夢中になり、我を忘れて没頭し、

直感的に、 これだ と思った。

きっとこれのために生きているのでは無いか?

私が生まれて初めて夢中になれるものだった。

恐ろしいほど美しい物があるなんて今まで全く知らなかった。

その日は何冊か買って帰り、自室で朝まで読み耽った

不思議と地学に出会ってからは 周りの声が気にならなく成った

恐らく 私の事を言っている人間は人生の目的が無く、

不安だから学部では無く大学のランクで競い合い

まわりの人間を評価 位置づけしたがるのだろう

そう思うと、哀れに見えて来たのだ

私は理転して地学関係の学部を目指す事を決心、

数ヶ月かけて何とか親を説得し 夏頃から本格的に勉強をスタート

させて、最終的に半年でセンター得点率を2割伸ばすことができた。

勉強は地学さえあれば全く苦痛では無かった

結局様々な都合で本命の地学科では無く

環境工学に入学することに成ったが 学問的には

とても近いので 概ね満足している

再生

私に転機が訪れたのは3年の春だった。

その日 は外部模試が有り、予備校で模試を受けていたのだが、 今まで私の事を散々言って居た男子達が

受験モードに入り、まるで何も無かったかのように

真面目な顔をして志望校の話しをして居た。

精神の糸の様な物は絶え間ない圧の中では無く 緩急の中に切れるのだ、と思った

たまらず1科目が終わった時点で会場から飛び出した

彼らはこの先私の事は人間関係の潤滑油程度の印象で

高校を卒業し、一流大学に入って

結婚し、子供を授かったりするのだろう

まるで自分は世界一模範的で清らかな人間の様な

顔で、また心の奥底からそう信じ

幸せになるのだろう

歩きながらそう考えた

自分が誰かの歯車になった様だった

暇になってしまい、親は外部模試の事を知っているので 近くの大きい本屋で時間を潰すことにした

と言っても小説を読む様な精神的余裕は無いし、

本屋をあてもなく歩いていると

地学のコーナーに行き当たった

私は文系だったので、理科基礎で地学と物理を

取っており、地学には少し興味があったので

何の気無しに手近な一冊を手に取ってみた

続き3

そんなこんなで 季節はいつの間にか冬になり、

来年はいよいよ受験生なので 周りも進路を意識し始める頃だった。

私は1年の頃こそ成績は良かったが、

1年の11月から顕著に下がり、いつの間にか

偏差値が平均ちょっと下、くらいになっていた。

最も私には生きる気力すら無かったし、卒業まで耐えれるかどうか、と言うところが最需要事項 だったので

正直どうでも良かった。

しかし親はもう私が立ち直ったものと思っていたので、進路について熱心に説得し、私に国立の法学を目指す様に進めて来た。

私自身も漸く少し進路について考え始め、突き詰めていくと 「何の為に生きているのか?」と言うところに当たった。

今の辛い状況を耐えて何を掴めるのか。

一生惰性で生きていくなら今死んでも変わらないじゃ無いか?

そんな思考が頭で渦巻き、眠れなくなった。

年が明け益々受験色が強くなって来たが、まだ答えは見つから無かった。

生きている意味は、まだわからなかった。

つづき 其の2

(文章が下手で前回までと語尾が変わってしまいました すいません)

冬休みが明けると、状況が変わっていた。

どうやら私の親が担任に相談したらしく、

担任が主な1人に注意し、 あろうことか私の親も本人の家に電話していたようだ。

これは男子たちの会話の端々から聞こえてきた物なので 確証はないが おそらく概ね正しいようだった。

しかし男子たちは寧ろ、「少し変なやつを話題に出しただけじゃ無いか、なんで俺たちが?」と言うような感じだった。

その後も結局言われ続け、クラス替えがあっても一時期は収まったものの好転せず、夏休みの勉強合宿が来た。

勉強合宿で、私が休憩時間にぼーっとしていると、(私は偽斜視で、考え事などをすると左目が外向きになる癖がある) 一人の男子が 「こっち見てる」 と言っているのが聞こえた。 この時からだ、私が脇見恐怖症になったのは。 男性にしかならないのだが、電車に乗っていても 自分の目が何処にあるのかわからなくなる。 クラスの男子の前では事務連絡の時も細目でしか話せない。 また、秋頃になると自宅にいても男子達の笑い声がしたり、 登校中も後ろから声がついて来た。 今考えると統合失調症 だったのだ。 私は朝起き上がれない日々が続き、もう限界だった。 弁当も食べられなくなり、親には本当に申し訳ないと 思ったが、毎日8割型トイレに捨てていた。 親は自分が電話をしてから収まった、と思っているようだったので 家では明るく振る舞った。 女子の友人は多かったので、普通にグループ行動をしていたが、話している時は極力明るくて適当な人間を 演じていたので、本来の自分とのギャップが開き 疲れ果てていた。

続き

ブログ更新遅く成りました

すいません 前回の続きから。

1年の11月あたりから、私のことを男子生徒3人がチラチラ見て話して居るように感じ始めました。

しかし、私は中学時代女子に囲まれていた影響で、

高校に入ってからほとんど男性と話した事がなく

、その3人もまた然りでした。

「きっと気のせいだろう」 最初はそう思って居ました

しかし、1ヶ月経っても治らず、疑惑は確信へと変わって行き

そうなると まず思い浮かぶのは「一度も話した事が無いのに何故?」 と言うところでした。

私が理由を考えて居る間も益々酷くなり、

気づけば男子の全てのグループが私の一挙手一投足を

あげつらい、体型のことを言い始めました。

この頃から教室にいると汗が酷くなったり 左耳の聴力が少し落ちたり 頭痛がしたり 身体中に異変が起き始め、

昼休みは自分の弁当を食べる音が気になり 別棟で一人で食べていました。

私は相変わらず 理由を考えていました

この頃から休みがちになり、気づけば 冬休み目前に迫っていました

私がなぜ精神疾患を患ったか

さて、前の記事で自身の精神疾患について少し

紹介させて頂きましたが、

これから毎日少しづつ自分が精神疾患になった理由を時系列順に

書かせて頂きたいと思います

私は中学校は私立に通っており、クラス編成の関係で女子95% 男子5% と言うかなり特殊な環境で 中学時代を過ごしました。

中学は周りの女子が甘やかされて育った子ばかりで

みんな心に余裕が有り、楽しく過ごせました。

その後、親の都合で私は共学の高校に移る

事になりました。

高校では、始めは馴染めなかったものの、

とても引っ込み思案な私ですが、友人2人と慎ましながら 楽しく過ごしていました。

そのうちクラス中の女子とも分け隔てなく話せる様になりました。

しかし、一年生の11月ごろから少しづつ

私の周りで変化が起きました。