自治体職員の勉強ブログ

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森池豊武・折口晴夫・丸尾牧『号泣議員と議会改革――市民のための議会改革処方箋』(2015)

・本稿は法令(法律や条例)等に関するものですが、その解釈はこのブログ(『自治体職員の勉強ブログ』)筆者である私の独自のものであったり、誤りが含まれている可能性があります。

・法令等は日々更新されるものです。本稿に記載される法令名や条文等が最新のものとは限りませんし、最新情報を漏れなく補っていくことはしません。

・以上はこのブログに関する免責事項ですが、このブログの元となる研修や書籍等に対して上記の責任を帰するものでもありません。しかし、本稿を参考にされる場合、ご自身で書籍や法令等を一度ご確認いただくことを推奨いたします。

・また、このブログに記載されている内容は、このブログの筆者が所属する地方公共団体及び関連するその他の団体の意見を何ら代表するものではありません。

号泣議員と議会改革: 市民のための議会改革処方箋

号泣議員と議会改革: 市民のための議会改革処方箋

 

日本全国を驚かせた野々村竜太郎元兵庫県議会議員(以下、引用等以外では「野々村議員」で統一)のいわゆる「号泣会見」が行われたのは2014年の7月1日。
野々村議員が感情的になったのは、約3時間の記者会見の内のほんの数分に過ぎないというが、この会見をきっかけに、それまで一般の人にとって馴染みの薄かったであろう「政務活動費」の存在は広く認知され、また、おそらく人々の関心の外にあったであろう地方議会に対して、良くも悪くも世間の目が向けられました。

政務活動費とは、地方自治体の第100条で「その議会の議員の調査研究その他の活動に資するため必要な経費の一部」として「その議会における会派又は議員に対し」交付が認められている。そして、議会の長である議長は「その使途の透明性の確保に努めるもの」とされます。
当時問題となっていたのは、野々村議員が2013年度に城崎などへ計195回もの日帰り出張をしたとして、政務活動費約301万円を支出していたことであり、交通費に係る領収書全てが自作の「支払証明書」で代替されていたこと、訪問目的や活動内容が明きらかでなかったことなどから、これらの通常不可能かつ不可解な出張による支出は、虚偽報告によると考えられたのです。

その後の2014年7月7日、野々村議員は議長から辞職勧告を受け同11日に辞職。
同15日には兵庫県内のオンブズ3団体が、この事態に対し記者会見を行い、「野々村竜太郎県議の『号泣事件』に対する私たちの見解」を公表します。

omb-nishinmy.jugem.jp

 (2016年11月20日アクセス)

市民オンブズ西宮代表世話人で本書の著者である折口氏は、

この見解の公表によって私たちが伝えたかったことは、号泣の異常さに目を奪われることなく制度的不備の是正を目指すことの重要性である。

(本書p.45より抜粋)

としており、



いたって冷静で真っ当な主張であることに驚かされます。



野々村議員は言わば兵庫県議会にとっては「トカゲの尻尾」(本書p.104)だったのです。著者らは野々村議員個人に対してというよりも、兵庫県議会という組織の問題点に目を向けており、

議会が取った行動は、➀野々村氏に辞職勧告を行い、➁説明責任を果たせないなら全額返還することを求め、③虚偽公文書作成等で刑事告発をおこなうなど、徹底して野々村氏個人の責任を追及し、自分たちに火の粉がかからないように、徹底して幕引きを図る狙いが明らか

(本書p.97より抜粋)

であり、

 

老獪な県議会のボスたちは野々村議員の3年分の支出に焦点を絞り、県民の怒りを野々村議員だけに向けようとしていた。

(本書p.39より抜粋)

としています。

その後は、マスコミ報道やオンブズマンの働きかけにより、領収書偽造や大量切手購入、妻同伴視察、絵画購入など、兵庫県議会の政務活動費に係る様々な問題が明かになり、兵庫県議会での政務活動費のあり方についての見直しが進められていきます。
また、ご承知の通り「政務活動費問題」は全国に飛び火し、議員による政務活動費の杜撰な取り扱いが全国で次々と発覚します。



では、このような事態はなぜ起きるのでしょうか?



本書では、個人的・組織的問題の他に「おまかせ民主主義」(本書p.34)の問題点を挙げています
野々村議員を選出した兵庫県西宮市は「文教住宅都市」(本書p.50)であるが、「転出入が多く、自治体行政への無関心からか投票率は30%台で低迷している」(本書p.50)。
要は、市民(本記事では、代表的な意味で「市民」と表現する)がしっかりと議員を選び、監視しなければならないということ。
また、組織的な問題ではありますが、「全国で同じような問題が発生する」(本書p.193)ことについても、

その背景には、行政と議会の馴れ合いがある。
行政側は議会のチェックを受け予算を通してもらう必要があることから、議会のお金の使い方については、あまり問題にしない。

(本書p.193より抜粋)

と指摘しています。

私自信も、このような「馴れ合い」に陥ってしまわないように、日々意識をしておきたいと思います。


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一連の政務活動費問題とはやや話が逸れますが、本書中にいくつか興味深い記述があったので記しておきます(一部、「政務調査費」という記述がありますが、これは旧制度上の「政務活動費」の旧称です)。
 

しかし、地方議会においても現職優位であり、とりわけ政務調査費を使って大量の議会報告を出すことが可能であり、実際に多くの現職議員がそうやって再選を果たしている。ありていに言えば、税金で選挙の事前運動をやっているのだ。議会報告作成、印刷、郵送、新聞折込み、戸別配布(全戸配布)、これらすべてに政務調査費を投入することができる。新人候補が街頭に立ち、市民に訴えることでどこまで対抗できるかを考えたとき、現職が行使できる“議員特権”が絶大な力を持っている。

(本書p.34より抜粋)

なるほど。政務活動費自体は「選挙活動」には充てられないため、「議会報告」についても「政務活動」にあたる範囲に限って政務活動費から支出されるはずです(ただし、政務活動費からの支出例は各自治体議会によって異なる)。しかし、部分的にであれ政務活動費の補助によって「議会報告」が出せるのであれば、政務活動費は「選挙活動」においても有利に働くんですね。

また、

議会の多数派は報酬や政務活動費の削減には反対し、定数削減で議会批判をかわそうとしている。(中略)定数削減は多様な意見を議会に取り入れる道を閉ざし、既得権(議員特権)にあぐらをかく現職議員をのさばらせる。

(本書p.35より抜粋)

とのこと。議会とは市民が選出した議員により構成されているはずですが、議会のロジックというものに関しては、注意深く目を凝らしておいた方が良いということなのかも知れません。

期待をしない~la tendre indifférence~

ここのところ、自分の「怒り」の感情との向き合い方について考えていました。
他人(ひと)が自分の思った通りに動いてくれないことに対しイライラしていたのです。


「普通」だったら、もっと早く対応するのに一向に動きがない。


「普通」だったら、もっと他人の意見を尊重するはずだ。


「普通」だったら、そんな話を何度も人前でしないだろう。


と。


ここで言う「普通」というのは、私にとって「時間を守らなければいけない」もしくは「嘘をついてはいけない」というのと同等の倫理観に基づいているものであることを意味します。
また、それらの問題を解決する為にも、「どうしたら相手に動いてもらえるか?」「どうしたら考えを変えてもらえるか?」と、そのことをどう伝えるかも含めて考えている内に、こうも1人で考え続けていることに対し腹立たしさと辛い気持ちが膨らんでいったのです。


そんな時、周囲に相談してみると、


“他人は変えることはできない。(変えることができるのは自分だけ。)”


というアドバイスを多くいただきました。


しかし、これがどうにも腑に落ちませんでした。


現状、他人に変わってもらわなければ、それらの問題は解決しないままである様に思えるし、他人を変えることが一切できないのであれば、例えば教育的指導であったり告白によって想いを告げるということも、一体何を目的として行われるかがわかりません。
それに私は簡単に諦めるということが嫌いなので、「他人は変えられない」という態度を初めからとることは、一種の「諦め」のように思えてしまうのです。
また、これまで「自分を変える努力」というものを私自身がしてきたつもりだったので、「それは他人には求められないのか?」という不公平感もつい抱いてしまいます。


とは言え、これまで通りイライラし続けることについては、もう限界を感じていました。


「怒り」のマネジメントは、おそらく今後一生大事なことです。


そこで改めて、「怒り」という感情を抱く際の一つの大きな要因は、「物事が思い通りにならないこと」によるものではないのか、そして、意識的/無意識的に抱いている「他人への期待」がその銃爪(ひきがね)となっているのではないかと考えました。何故なら「期待する」ことによって「思い(≒期待)」を抱くのですから。「怒り」という感情そのものを否定する気はありませんが、「他人への期待」を無くすことで、「怒り」の感情を抑えることが可能だと考えたのです。


“他人に期待をしない”


これまでも幾度となく繰り返されてきた苦しみの元凶は、実はいつも「他人(及び様々な事象)への期待」によるものだったのではないか?期待することによって得られたものよりも、期待することによって失われたものの方が多かったのではなかったか?


思い返せば、私自身が他人の期待に応えて生きてきました。常に期待以上のことをしたいと思っていたし、場合によっては(良い意味で)期待を裏切ってやろうと思っていました。
故に、他人に対しても期待をかけるようになっていったのかも知れません。


メールの返事はもう返ってこないかも知れない。


約束の時間になっても誰も現れないかも知れない。


はてなスターは1つも付かないかも知れない。


・・・・・・。


店員さんはお釣りを渡してくれないかも知れない。


缶コーヒーを買ったけれど、中身はコーンポタージュかも知れない。


・・・・・・。


と、ギリギリのところまで考えてみる。


果たして、全ての事象に対し、「そうならない」という可能性を予測することはどこまで可能か?


現代の日本におけるサービス水準は非常に高く、それに併せて私達の期待水準というのも非常に高いところに設定されているように思います。そのため、全ての事象について「期待をしない」というのは実に非現実的です。しかし、思考を習慣化するためにも、先ずは起こりうる全ての事象に対して期待をしないでおくということを実践してみたいと思うのです。
そして、それに併せて自分に対する期待もしないように心掛けます。
(ただし、他人そして自分への期待をやめるからと言って、私が他人の期待に応えなくなるというわけではありません。)


この実践は、単に「何かを失いたくない」「傷つきたくない」という後ろ向きな理由からではなく、「期待をする」ということによって生じる、私が勝手に作りあげた「私の理論」への他人及び自分自身へのはめ込みを防ぐためでもあります。
また、属人的に期待をかけないことによって、個々人によって期待度に違いを生じないようにしたいです。


“他人は変えられない”と“他人に期待しない”


後者の方が受け入れられる気がするのは何故なのか?そして、ここに存在する微妙な差異とは一体何なのか?それは“他人に期待しない”の方が行為遂行的であるからか?


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こんなことをここに書いたのも、どんな重大な決意も2、3日経てば忘れ去られてしまうのが関の山だと感じたからです。それこそ自分に対して期待なんかできません。


(2016年10月25日アクセス)

http://www.counselingservice.jp/s/lecture/lec9.html(2016年10月25日アクセス)

http://www.office-stella.com/renai/post-108.html(2016年10月25日アクセス)

http://www.counselingservice.jp/s/lecture/lec532-3.html(2016年10月30日アクセス)

倉田哲郎(大阪府箕面市長)『大阪のことを不思議に思っている人たちへ~箕面市長からみた「橋下徹」と「維新の会」の実像』(2012)

※このブログ(『自治体職員の勉強ブログ』)に記載されている内容は、このブログの筆者が所属する地方公共団体及び関連するその他の団体の意見を何ら代表するものではありません。
 
大阪のことを不思議に思っている人たちへ~箕面市長からみた「橋下徹」と「維新の会」の実像

大阪のことを不思議に思っている人たちへ~箕面市長からみた「橋下徹」と「維新の会」の実像

 
 
大阪の問題について、わかりやすく書かれている本(本記事の内容は概ね本書を元に書いています)。

※ちなみに、著者である倉田箕面市長は「大阪都構想」に対しては賛成の立場である。
 
 

大阪市

関淳一市長の時代の2004年、職員の厚遇(いわるゆ大阪市問題)がメディアで報道される。

※問題の背景には伝統的に力を持つ大阪市職員組合等との癒着があるとされる。
 
関市長は行政改革に取り組む(大阪市職員組合との決別、助役の外部登用、職員数の大幅削減など)ものの、2007年の大阪市長選挙平松邦夫氏に敗北する。

※平松氏を擁立したのは大阪市職員組合

※これまでの大阪市長大阪市議会多数派議員・大阪市職員組合大阪市職員OBなどの大阪市役所関係者をその閉鎖性を揶揄して「中之島一家」(中之島大阪市役所の所在地)と呼ぶことがある。
 
 

大阪府

1970年代の黒田了一知事の時代頃から、財政が大赤字化する。
 
2008年、橋下徹氏が大阪府知事に就任する。
 
 

【「大阪まんじゅう論」と「ふしあわせ」】

大阪府大阪市の関係を「大阪まんじゅう論」と言うことがある(大阪市が“あんこ”で大阪府が“薄皮”)。これは、大阪市政令指定都市都道府県と同等の権限を持つ)であり、大阪府大阪市が並列に存在していること、さらには、大阪市がベイエリアを含む都心部の、すなわち主要な(美味しい)行政権限を握っているのに対し、大阪府がそれ以外の周辺エリアの広域行政のみを行っていることに由来する。
 
橋下さんは、大阪の教育をなんとかしたい、子育て環境を整えたいとの気持ちで、たとえば「保育所を増やして子供を預けられる体制を作る」「全国では常識になっている公立中学校の学校給食を導入する」という公約を掲げた。でも、知事選挙に臨み、知事に就任する過程で「実はそれらはすべて市町村の仕事であって、大阪府の仕事ではない」ということを初めて知る。
(本書p.45より抜粋)
 
このように、大阪府の担う広域行政というのは限定的なのである。
 
さらには、大阪市は古くから、東京・京都と並び、国から特別な扱いを受けてきた歴史があり、それが次のような意識へと繋がっている。
 
昔から大阪市は「大阪府なんて相手にしなくていい」というお墨付きを国から与えられてきているのだ。
大阪市役所という行政組織も、市の職員も、歴代の大阪市長大阪市議会議員も、とにかく大阪市にはそんな特権意識が根強く、いわば「大阪市大阪市より格が上」「大阪市が一番偉い」という感覚を自負するのが大阪市という存在だった。
(本書p.32より抜粋)
 
傍から見れば、市の権限が強大で、府と市の力関係は逆転している。大阪においては、府よりも市の方が「偉い」のである。さらには、大阪府大阪市は仲が悪く、府と市が出くわすのは「ふしあわせ(府・市合わせ)」だとさえ言われていた。
 
故に、大阪市を含んだ広域的な課題解決も、聖域と化した大阪市を前には進まないのである。このため「府・市統合論」が幾度か語られたが、この大阪府からの提案はいつも大阪市からの反対によって終わっていた。
 
 

【「大阪維新の会」と「大阪都構想」】

当初、橋下知事は「WTC府庁移転案」など、「府市“協調”路線」をとっていたが、組織の方向性の違いや平松市長との不和などにも伴い、次第に「府市“統合”路線」に舵をきる。
 
2010年4月、大阪府大阪市を再編して大阪都とする「大阪都構想」を結集軸として「大阪維新の会」が発足する。
 
2011年4月の統一地方選挙において、大阪維新の会大阪府議会で単独過半数大阪市議会と堺市議会で第一党を獲得する(「大阪春の陣」)。
 
2011年11月の大阪市長選挙にあわせ橋下知事が辞任し、大阪府知事大阪市長のダブル選挙に持ち込む。「大阪都構想」を「大阪都“妄想”」とし、府・市統合に反対する「中之島一家」との対立のもと、大阪維新の会松井一郎氏が大阪府知事に橋下元知事が大阪市長に当選する(「大阪秋の陣」)。
 
***********************
 
その後、大阪都構想は、2015年5月に、その是非を問う住民投票大阪市特別区設置住民投票)において、反対票が賛成票を上回り、否決される。
 
 「なぜ知事が市長に出るのか?」(略)理解し難かったに違いない。
(本書p.60より抜粋、一部省略は筆者による)
 
もうおおよそ5年も前のことになるのだが、2011年11月の選挙が騒がれていた当時、まさに私はそのように思った。要は何も知らなかっただけなのだが。また、大阪府大阪市の関係を紐解けば、それがダブル選挙であったことが筋道に沿ったものであることが理解できる。   

職場でのコミュニケーション

職場でのコミュニケーションに関する覚書。
 
 
*******
 
 

以前、仕事で私が市民からクレームを受けた時、ある(直属ではない)上司Aさんからは、

 
“今後は、○○(私の非があったことを)しないように気をつけなよ。”
 
と言われました。
 
一方、ある(これまた直属ではない)上司Bさんからは、
 
“クレームがあったことを、そんなに気にし過ぎるなよ。”
 
と言われました。
 
私はその時、平静を装ってはいましたが、そのクレームを受けたことによって職場全体に迷惑がかかる可能性も十分あると考え、内心は不安な気持ちで一杯だったのでした。
 
実はBさん、その月一杯で自己都合退職してしまったのですが、もし今度お会いする機会があれば、その時の御礼を述べたいなと思っています。ただ、いざ述べる時に涙が込み上げてくるんじゃないかと。そういう心配をしていたりします。
 
 
*******
 
 
仕事でミスをしたことがありました。
 
“ちょっと忙しくて・・・。”
 
と私は咄嗟に言い訳をしました。
 
すると上司Cさんは、
 
“今後は○○(私のしたミスを)しないように。”
 
そして、
 
“忙しいからって理由にはならない。”
 
と私に言いました。
 
単なる甘えに聞こえるかもしれません。
しかし、私がかけてもらいたかったのは、そんな言葉ではなかったのです。
その時、私は多くの業務を抱えており、そのミスに関わる業務については、多くの時間を割いてはいられないと感じていました。
私が何故ミスをしたのか。その「原因」については少しでも考えを巡らしてくれたのでしょうか。そもそも私がどのような仕事を抱えているのか上司は把握していたのでしょうか。
 
(もちろん報・連・相の重要性はあります。また、上司が指示をしなくても部下が動くということもひとつ大事なことでしょう。)
 
私がミスをした直後に聞きたかったのは、逆説的ではありますが、
 
“いつも仕事頑張っているね。”
 
という労(ねぎら)いの言葉だった気がします。
 
ミスをした後に、「同じミスを繰り返さないよう念を押す」、これもミス防止のためのひとつの方法かとは思います。
しかし、ミスが判明した時点で、ミスをした本人もそれがいけないことだとは気づくし、気にすると思います。
それをわざわざ念押しする必要って、どこまであるんでしょう。
「ミスを注意する」ということで、仕事上の「監督責任」は果たされるかも知れません。しかし、「それはいけない」と状況をなぞることに終始することは、今後ともに仕事をしていく中で、どれだけ有益なのでしょうか。
毎日家族のために(代表的にはお母さんが)御飯を作っているのだけど、御飯が美味しくない時にだけ、「なんだこの飯は!」と言われてしまうような。「できている」が当たり前だと、ダメな点にばかり目がいってしまうのかなと。
 
 
*******
 
 
嬉しかった話。
 
職場の守衛Dさんと話をした際に、
 
“自治体職員さんは・・・”
 
と私の名前が出ました(もちろん、実際には私の本名)。それを聞いて驚いた私は思わず、
 
“何で、私の名前を知っているんですか???”
 
と聞き返してしまいました(その守衛Dさんが私の名前を知る機会というのは、私が時間外勤務をするために名前を名簿に記入する時ぐらい)。すると、
 
“自治体職員さんはいつも真面目ですから。”
 
と言ってくださいました(しつこいですが、実際には私の本名が入ります)。
 
 
*******
 
 
何気ない一言(やり方の違い)で、人の心は動いたり、動かなかったり。
 
少しだけ『北風と太陽』みたいですが。
いざという時、太陽のように人を暖かく照らせるような、

f:id:fh19881028:20160921145135j:image
(画像出典:
 
ソウイウヒトデ
ワタシハアリタイ
 

御葬式について

※本記事に限定し、「コメント」及び「はてなスター」は遠慮したいと思います(それ以外は可)。
 
 
職場に限らず、組織に属すると、組織関係者やその親族などの不幸に遭遇することがあります。
その際、それが自分の特に親しい間柄の人物またはその親族などであれば、御葬式(通夜や葬儀・告別式など)に足を運ぶこともあるでしょう。
私自身、今の仕事に関連して御葬式へ参列したことはこれまでにありませんが、今後そのような事態に見舞われることはないとは言えないでしょうし、多くの場合、そういった事態は突然にやってきます。
 
今回、御葬式における作法についてを中心に書いていきたいと思います(あくまで一般的な作法です。宗派や地域によっても違いがあるため複雑ですし、全てを説明するわけでもありません。ここに書いてあることを実践される場合には念のためもう一度お調べになることをお勧めします)。

 

  

お坊さんがイチから教える! 葬儀・法要のマナーと心がまえ―宗派ごとの違いも大胆に説明

お坊さんがイチから教える! 葬儀・法要のマナーと心がまえ―宗派ごとの違いも大胆に説明

 

  

季節と暮らしのマナーとコツ (暮らしの絵本)

季節と暮らしのマナーとコツ (暮らしの絵本)

 

 

※今回、概ねこの3冊の内容を元に書いています。
 
あらかじめお断りしておくと、このような状況において、「恥をかかないこと」それ自体が大切だとは思っていません。
 
この記事を書いたのは、故人やその親族を思い遣るという意味で、一定ポイントを押さえておくというのは重要であると考えたこと、また、こうした場に馴れてでもいなければ、いざという時の振る舞い方について苦慮するのが実情であると考えたことによります。
 
また、 
 現在、日本で行われる葬儀の9割以上は仏式でとり行われています。
 (現代の葬儀を考える僧侶の会 2014: 2)
 
ということから、今回は仏式のものに限り、また、中でも参列する場合に重要と思われる事柄についてのみ話を進めていきます。 
 
 

●服装

○通夜
・遺族は通夜から喪服を着用するが、それ以外の参列者は派手な服装を避ければ喪服でなくてもよい
→通夜は急ぎかけつけるものであるため
※ただし、現在は通夜でも喪服を着用するのが基本
 
○葬儀・告別式
喪服(男性はブラックスーツに黒ネクタイ、女性は黒無地のワンピースなどが一般的)を着る
・靴や鞄は光沢のない黒色のもの
・真珠の二連のネックレスはつけない
不幸がかさなることにつながるため
・毛皮や革のコートは避ける
→殺生をイメージさせるため
 
 

●香典

線香や抹香のかわりに差し上げるお金で、金額は故人との関係によって異なる(「4」は「死」、「9」は「苦」、「8」は「末広がりで縁起良し」を連想させるため、この数字の付く金額は避ける)
・お金は新札でも構わない(が、気になる場合は、軽く折り目を入れる)
・表書きは、宗派がわからなければ「御霊前」より「御香料」「御香奠」
浄土真宗では、死後、霊としてさまようことなく、すぐに成仏すると考えるため
※ちなみに、本来は「御霊前」「御仏前」は亡き人に「御香料」「御香奠」は喪主にささげる場合
 ・薄墨を使う
→涙で墨が滲んだという意味などから
・上包みは上側の折り返しを上に、上側が下側にかぶさるようにする
→悲しみが再びないように頭を伏す意味から
→慶事の場合は下側の折り返しを上に重ねる
・袱紗に左前に包んで持参する(袱紗ばさみの場合も左前
→慶事の場合が右前
 
  

●受付 

 ・袱紗(ふくさ)から出した不祝儀袋はたたんだ袱紗の上にのせ、正面を受付の人に向け、両手で差し出す
・渡す際には、「このたびは、ご愁傷さまです」などひと言添える
・通夜と葬儀の両方に参列する場合には、通夜に香典を持参する
・代理で弔問するときは、本来参列すべき人の名前を書き、その左下に小さく「代」(妻の場合は「内」でも)と書く
 
 

●数珠

・本来は人間の煩悩の数である108個の珠を基本とした本連数珠を使用するが、略式数珠が一般的
・数珠の扱い方は宗派によって異なる
 
  

●焼香

○抹香
①数珠は左手、僧侶・遺族(・弔問者)に一礼し、祭壇の前に進み、遺影に一礼
右手親指・人差し指・中指の3本で抹香をつまみ、額の高さに上げて(おしいただいて)(※)から、抹香を香炉に落とす(※)
 
曹洞宗は念じ、浄土宗は左手を添えて軽く、浄土真宗はおしいただかない
 
※焼香の回数は宗派で異なる
 
真言宗=3回
天台宗=3回
曹洞宗=2回(1回でも可)
臨済宗=1回(一般的に)
日蓮宗=1~3回(宗内宗派で異なる)
浄土宗=1回
 
③合掌後一礼、僧侶(・遺族・弔問者)に一礼し、席に戻る
 
○線香
➀数珠は左手、遺影を仰いで一礼
②右手に線香をとり、蝋燭の火を移し下または後方に引き火を消す(息で吹き消してはいけない
③線香を香炉に立てる(※)
 
※線香の本数は宗派で異なる
 
真言宗=3本
天台宗=決まりはないが1本or3本
曹洞宗=1本
臨済宗=1~3本
日蓮宗=1本
浄土宗=1本
浄土真宗=1本(香炉が小さければ2~4つに折る)
 
浄土真宗では、火のついた方を左にして寝せる
 
 

●通夜ぶるまい

・故人を供養するためのものであり、誘われたら固辞せず一口でも箸をつける
・遺族から「にぎやかなほうが、故人も喜びます」と言われても、はしゃぐのは慎み、長居はしない
 
 

●弔辞

・頼まれたら断らない
 
 

●出棺

・故人を別れ花で飾る(仏教上の儀式ではない)
・寒くてもコートは脱ぐ
 
 

●骨揚げ

故人と関係が深かった順に2人1組で、下半身の骨から骨つぼへ
→この世からあの世への「橋(箸)渡し」を意味するとされる
浄土真宗では行わない
 


●清めの塩

仏教上のしきたりではない(容認する宗派もあり)
→死を穢れとし、塩で清めるのは神道の作法
浄土真宗などは強く異を唱える
 
 

●その他

通夜は正式な儀式ではないので、できれば葬儀・告別式に参列する
「死ぬ」「死亡」などの直接的な表現「かさねがさね」「たびたび」 などの不幸が重なることを連想させる言葉は使わない(忌み言葉
「天国」「空の上」などはキリスト教的な表現なため、仏式葬儀にはふさわしくない
※「冥福を祈る(=死後の幸福を祈る)」という表現は、人は死後すぐに仏となると考える浄土真宗では好ましくないとされるが、一般的表現として使われているのが現状
 
 
*************************************** 
 
 
余談となりますが、次の本に、非常に大切なことが書いてあります。

 

それマナー違反ですよ! ~誰も教えてくれない、本当に恥ずかしい一挙一動
 

 

ただし、大事なことは、他人ができていないときに非難はしないでください。マナーの本質は愛です。

 (岩下 2014: 3)

 

私自身、最大のマナー違反というのは、マナー違反であるということを人前で、もしくは、その人に対してこれみよがしに指摘することだと思っています。

 

人のマナー違反を指摘するということは、場合によっては、その人の家族や周りの人を否定することにもなりかねません。また、マナーというのは時代や文化、時と場合によっても異なるものですし、知らず知らずのうちに自分自身がマナー違反をしている可能性だって十分にあります。指摘をする場合は、それだけの覚悟と愛をもって臨みたいところです。

 

<マナーについて考えさせられる1冊>

 

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

 

 

 

先月21日に享年54(満52)歳の若さでこの世を去った叔父を偲んで。

 

 

地方公務員としての心構え(自治体研修研究会編『地方公務員フレッシャーズブック(第3次改訂版)』(2014)より)

・本稿は法令(法律や条例)等に関するものですが、その解釈はこのブログ(『自治体職員の勉強ブログ』)筆者である私の独自のものであったり、誤りが含まれている可能性があります。

 
・法令等は日々更新されるものです。本稿に記載される法令名や条文等が最新のものとは限りませんし、最新情報を漏れなく補っていくことはしません。
 
・以上はこのブログに関する免責事項ですが、このブログの元となる研修や書籍等に対して上記の責任を帰するものでもありません。しかし、本稿を参考にされる場合、ご自身で書籍や法令等を一度ご確認いただくことを推奨いたします。
 
・また、このブログに記載されている内容は、このブログの筆者が所属する地方公共団体及び関連するその他の団体の意見を何ら代表するものではありません。
 
 
こんにちは。入職3年目に突入した自治体職員です。
 
最近は、どうもプライベートな方面ばかりにかまけていて、ブログについてはスランプ気味でした。
1年以上続くブログはなかなかないとどこかで聞いたことがありますが、ひとつ私も、その壁にぶち当たったのかもしれません。
というわけで、初心に返るという意味も込めて。

 

地方公務員フレッシャーズブック第3次改訂版

地方公務員フレッシャーズブック第3次改訂版

 

入職前の話です。私は現在働く自治体から本書を貸与され、入職までによく読んでくるようにと言い渡されました(これぐらいくれても良いんじゃないかと思ましたが、私の働く自治体は決して財政が良い方ではないので、その点はあっぱれだなと思います)。
 
本書は「フレッシャーズブック」、つまりは新入職員向けの本なわけですが、実際に働いてみないとわからないことが結構書いてあるような気がします。
(「○○入門」ってタイトルで、全然入門者向けじゃない本って、おそらくかなりあるはず笑)
 
今回、第1章の「地方公務員としての心構え」というところを読み直してみました。基礎的な内容にもかかわらず、かなり読み応えがあります。
 

全体の奉仕者日本国憲法第15条2項、地方公務員法第30条)

 

住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げる地方自治法第2条第14項)
 

など、「基本理念」なんかを述べた後に、お見通しだと言わんばかりに、こう言い放つのです。
 
なお、仕事に慣れてくると、往々にしてこうした公務員としての大切な心構えを忘れがちになるものです。
 (本書p.6-7より抜粋)


本章では「地方公務員としての心構え」について、かなり細かく書いてありますが、実は、この部分が一番重要な気がします笑
 
以下、自戒の意味を込めて、特に気になった点をピックアップします(実行できていないというわけではないですよ!笑)。
 
  • 朝出勤せずに直接他を訪問する場合にも、その旨を前日に上司に届け出るようにし、当日になって急に連絡するような事態は避けること。(p.7)
  • 席を離れるときは、必ず隣席の人に行き先を告げること。(p.8)
  • 役所の代表という気持ちで相手の方の話をよく聴くこと。(p.9)
  • 上司の指示の内容をよく聴き、ポイントは、忘れないようにメモをとること。(p.10)
  • 一歩外へ出たら、仕事に関しての言動は慎重にすること。(p.12)
  • 電車、タクシー、飲食店などでは職場の話は避けること。(p.12)
 
(下線はブログ筆者による。)


その他にも、


  • 職場のプロとして、法令や役所の仕組みなどを理解し、住民が適切かつ公平にサービスを受けられるように努力すること。(p.9)
  • 仕事に役立つ読書をするなどの自己啓発に努めるほか、幅広い教養を身につける努力をし、豊かな人間性を養う自己研さんに努めること(p.19)

 

(下線はブログ筆者による。)


とあり、これは、本ブログの趣旨とも合致しています。頑張れ自分。

 

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以上、「地方公務員としての心構え」でしたが、その他のお仕事をされている方にとっても共通する点はあるかと思います

また、入職(社)時に与えられたテキストなどをたまに読み返してみても良いかも知れません。当時とは、全く違った観点から読めること請け合いです。

 

 

ああ、公務員として恥じないよう努めないと・・・(苦笑)

関西大学社会安全学部編『東日本大震災 復興5年目の検証ーー復興の実態と防災・減災・縮災の展望』(2016)

※このブログ(『自治体職員の勉強ブログ』)に記載されている内容は、このブログの筆者が所属する地方公共団体及び関連するその他の団体の意見を何ら代表するものではありません。

※【閲覧注意】本記事には、東日本大震災の被災地の様子についての記述や写真があります。

















2011年3月11日14時46分発生




記録された津波最高値消防庁発表)9.3m以上福島県相馬市


死者数消防庁発表)1万9418人(2016年3月1日現在、その後の余震などでの被害・震災関連死等を含む)


行方不明者数消防庁発表)2592人(2016年3月1日現在)


※死者、行方不明者の99%は、岩手県宮城県福島県の3県に集中


全壊住家消防庁発表)12万1809棟(2016年3月1日現在)


※全壊住家数は、岩手県宮城県福島県の3県で95%を占める


避難者数(復興庁発表)は災害発生約1年後の2012年3月22日時点は約34万4千人、2016年4月14日現在約16万5千人


被災地復興予算(平成26年度末まで)約26.3兆円


「ヨミダス歴史館」(読売新聞社の記事検索サービス)での地震 or 震災」 and 「東北 or 東日本」で検索した記事本数は2011年3月11日〜2012年3月10日に5万373本(100%)、それに対し、2014年3月11日〜2015年3月10日に8368本(17%)


「福島」 and 「原発」で検索した記事本数は2011年3月11日〜2012年3月10日に1万3623本(100%)、それに対し、2014年3月11日〜2015年3月10日に3423本(25%)


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本記事のデータは基本的には本書を参考に、そして、そのデータの一部については改めて省庁のホームページを確認し、新しい数値を補いました。

東日本大震災福島第一原子力発電所の爆発事故等、一連の事態(「3.11」)の発生から5年の歳月が経過しましたが、今、被災地がどうなっているのかというイメージをどれだけの人がどのような形でもっているのでしょうか。
私にはそのイメージがありませんでした。なので、宮城県での仕事が決まったことをきっかけに、自分なりに3.11に今一度向き合ってみることにしました。

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〈5月上旬〉
東北地方に震災ボランティアに行きました。初めて足を踏み入れた東北の地。被災地は震災5年後。どれだけ「復興」しているのか?

しかし、

どれだけ「復興」しているか、していないか、直感的にはよくわからない。

これが実際に被災地に足を運んだ上での、正直な感想。

そう感じたのは、2つの理由からだと思います。

1つ目の理由としては、震災前・直後の状況を知らないため、元々こういう場所だったor被害を受けてこういう場所になった、ほとんど被害を受けなかったor被害を受けた後にこういう場所になったなど、私にはビフォーアフターがわからないということ。

《しかし、震災の爪痕と言えるものは残っていました。》

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《荒涼とした大地も広がっていました。》

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《私の住んでいる地域には、こんなに高い津波表示はありません。しかし、これが津波がここまで来たという証です。》

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2つ目の理由としては、何が「復興」なのかがよくわからないということ。たとえば、上の1枚目の写真に写された建物が取り払われることや建て直されることが「復興」なのでしょうか?場合によっては、この地に新たな建物を建て直す必要はないし、この建物をこのまま残すことに意味がある場合もあります。外観からだけではわかりません。また、被災された方にお話を聞く機会がありましたが、その方は「復興」という言葉はあまり好きではないとおっしゃっていました。それは、津波被災地に再び住みたいから再び住んでいる人ばかりではないことや(人なども含め)完全に震災前の状態へと「復(また)興(お)こる」ことはありえないということからでした。

確かに、「復興」という言葉は使い勝手が良いです。しかし、同時に複雑な言葉であるということも押さえておきたいところです。

ちなみに、震災ボランティアに参加するにあたり、私の背中を押してくれたのはこの本。

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〈5月下旬〉
仕事で宮城県に行きました。震災に関連しての仕事だったのですが、他の自治体で話を聞くに、このような事態になるとは全く予想してなかったとのことです(これについては、先のお話をしてくださった方も同様のことを言っていました)。
震災後の今となれば、「沿岸部なのに・・・(予想していなかったの?)」と正直思ってしまいますよね?

つまりは、「自分が住んでる場所は無関係だ。」「自分が住んでる場所はまさかね。」と普通は思うんです。

大規模自然災害は誰(どの自治体)にとっても無関係な話ではない。

これが、今回の仕事の中で得られたことで最も重要なことです。

詳細には書きませんが、ボランティアに参加したのも、元はと言えば、今回の仕事を行うことについて、私自身があまり意味を見出せなかったことに起因します。その点、この気付きは重要でした。併せて、


天災は忘れた頃にやって来る。

寺田寅彦の言葉らしいですが、ひとまず災害の記憶を留めておくことが一番の対策であるように思います。

そういった自治体の試みもあるので、ここに載せておきます。