7routeplanet

写真と七辻脳内白描図

絵を描くことに悩んだときに考えたこと

 昔、目指したい作家さんの画風があって、その絵を描きたくて頑張っていたけれど、どうもうまくいかなくて、いろんな作家さんの絵を真似たことがある。

 そのうちに、その絵を描く作家さんには成れない僕が、真似たい絵を完璧に描けるわけがないと気が付いて、その作家さんがどうやってこの絵を描くに至ったのか、その経緯を辿る方法を考えることにしたんだ。

 

 ある作家さんの画集を紐解くと、みたことのある構図や線のタッチ、色の塗りかた、または「これは模写だ」とあからさまに分かるイラストを発見した。

 その画集には、作家さんの学生時代のイラストも含まれていた。

 

 この作家さんも、スタートラインは同じ。

 ただ、目指したい絵を模写しても、僕は作家さんになれはしないし、あなたにもなれはしない。

 作家さんには作家さんの、僕には僕の、あなたにはあなただけの表現がある。

 それは、自分自身にしかないもの。

 さまざまなものを吸収して、自分というフィルターを通して濾し出されたもの。

 

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 それから僕は、模写をやめた。これまで目の当たりにしてきた先人たちの作品を礎にして、僕だけが表現できるものは何かを考えることにした。

 

 もし、あなたが絵を描くことに悩んでいるのなら、絵を目指すきっかけとなった作家さんがどんな経緯で絵を描くようになったのかを、そのルーツを辿るのも、上達の一手になるかもしれない。

 

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 素敵な絵をたくさんみてきたよ。

 画集もたくさん買ったんだ。

 今の僕は、僕らしい絵を描けているから、これからも安心していられる。

 描けなくなっても、大丈夫。

まだ、しばらく吐き続ける

 また、このブログでこうして書いている理由としては、ただひたすらあたまの中のごちゃっとしたものをただひたすら吐き出したいだけに過ぎなくて。

 

 ようは、気持ちが悪い。

 気持ちが悪くて思いのままに吐いているだけ。

 これまで成せていた「物語り」が出来なくなって、眩暈が続いて仕方がない。

 

 振り返れば、「物語り」も思いのままに吐き続けてきた。

 即興執筆なんて、あたまの中にある景色と人々の行動をただ書き記しただけのもの。

 あたまの中にあったから、そのままを言葉にしたんだ。何も考えてなかった。

 

 ただ、僕の読みたい文章には成っていた。

 今でも、読み返してとても嬉しい「物語り」が幾つかある。

 

 これまで、本を読んでいてもこんなに嬉しい展開はなかった。

 僕が書くしかなかったんだ。僕の読みたい物語は。

 

 書き直したいと何度呟いたか。でも、書き直しをしてしまったら、それはもう、彼らの生きていた世界線ではないんだ。

 

 彼らの進む軌道を僕は紡いでいる。

 僕は、糸のような細いひと筋をずっと紡ぎ続けている。

 また、彼らの物語の続きを書いてやりたい。

 書く場所を見つけなくては。

「生物」が人間になるとき

 これまで書いた作品を読むのは大丈夫。

 でも、気に食わない表現がいくつかある。

 今の自分が読みたい話は、三年前の僕がちゃんと書いていてくれている。

 

 もう、三年も経ったんだって。

 気が付かなかった。

 

 次の話を書こうとしてやってくる眩暈でやられたあたまで、気が付いたら気を失いそうになっている。

 自律神経がどうのこうのってやつだ。

 心が脳から意識をべりべり剥がしにくる。

 

 人間は、感情を持つ生き物なんだ。

 感情を持たない人間は、人間というより「生物」で、居てもいなくても同じ。

 そこにあってもなくても同じ。

 

 いてほしいと思うのは、その「生物」が「好き」だから。

 頼りにしているから。

 支えになっていてほしいから。

 「面白い」と思うのも、見ていて飽きないなら「楽しい」から。

 

 その「生物」に対して感情が生まれる。

 愛おしい。愛でたいと感じる。

 少なくとも、僕はそんな人間だ。

 

 僕は「生物」のひとつだけど、心が通っているうちは人間なんだ。

 僕は今、人間に成れている。

 

 成れていると良い。