私の話を聞いてくれ。

たまにはブログでもやってみる。

ちゃっかり出世した話

2023年8月、自分が勤める拠点の責任者になりました。

 

今の会社に入社した当初から責任者をサポートしてきて、自分にはこういう立ち位置が合っているなと確信していました。

 

けれど状況は一変、前責任者の異動の話が出始めたのが2022年12月。もう1年も前なんだけど、そこから半年はゴネにゴネていたのです。絶対無理、出来ない、うまくいくイメージが沸かない。

 

自分が拝命しなかったら他のメンバーがやる、だったら100%断っていたと思います。それでも引き受けたのは、自分じゃなかったら外部登用する、と言われたから。

 

そこで初めて沸いた感情には、自分でも驚きました。「余所者に指図されるくらいなら自分でやる」こんなこと考える人じゃなかったんだけどなあ。実際、初期の責任者は現場の色々な面倒事を放置していたし、現場に入らず威張っていました。なので責任者=いざというときに全責任を被る人、というイメージ。

 

前責任者はいい意味で頑張りすぎないしなやかな人。休みは満喫するし出来ないことはすぐ他を頼る。私とは真逆の世渡り上手なタイプ。なのできっと私が同じやり方をしても上手くいかないのは明白です。どうしたものか…と考えながらいろんな本を読み耽る日々。

 

そしていざ実際にその立場になってみると、想像以上にいろんなことを考えないといけないことに驚きました。人のこと、利益のこと、機材のこと、衛生のこと、オペレーションのこと…。現場の人間が料理に集中するために、私がやるべきことはこれらのバランスを調整することなんだなと。

 

役割はわかったけれど、これらのどこに力をいれるべきかは日々突然変わります。そのために日頃の自分の業務は余白を残しておく必要がある、余白を作るためには周りのみんなの力が必要です。メンバーとの関係性を穏やかに保ち、いざというときに助けてもらえる人間性が何より大事だと思うのです。

 

なにより、 周りのメンバーはほぼみんな年上です。年下の私の指示を聞かないといけないというのは、大なり小なりプライドが傷つかないわけがないのです。だからこそ目上の方々を敬う気持ち、自分が調子いいときに浮わついた素振りを見せない謙虚さ、言動不一致を起こさないような軸の構築、常に気を張りながら過ごしてきました。

 

そんなこんなで昨日、ひとつの目標としていた「年内は絶対辞めない、役職も降りない」を達成。

 

日々小さなトラブルはたくさんあったけど、人命や会社の評判に関わるような事件は起こさずに年内の業務を終えました。本当によかった…。めちゃくちゃ気が抜けて、納会はたくさん飲んだし、帰ってからこんこんと眠りました。

 

転職したんじゃないかというくらいに仕事内容が一変した1年。私に求められる役割の真意もやっとわかってきた気がします。来年はもう少し本社の人を巻き込んだり他拠点の人とも関わりを持てるように、殻を少しずつ破っていかないとなあ。1人味方になってくれそうな人が現れたので、うまく力をお借りしたいところ。

 

取りあえずすごくつかれたので、しばし休憩~。

 

仕事の話ばかりになってしまったけど、プライベートも目標は決まってます。ブロンプトンを買って輪行旅をする!というもの。4月には買いたいな、旅先は広島…と思ったけど一旦安曇野あたりにしておく?

 

お金もちゃんと貯めたいのです。40歳までに1000万円が今の目標。現在200万円、道のりは遠い…。つみたてNISAの運用益がなかなかいい感じなので、貯蓄と投資の割合も見直してみます。

 

今年もあと1.5日。のんびり過ごします。

また来年もがんばろうね。

彼氏と別れたら自分の人生がはじまった話

25歳になる少し前から付き合って同棲してきた彼と、2022年の11月1日をもって別れました。

 

…いや、ここには真実を書き記しておく。

 

2021年の7月20日、確かこのあたり。この日から一切口を利くことがないまま暮らし続けて最近ようやく離れました。

 

なんの話をしていたかわからない。覚えていない。でも向こうが怒った。一時的なものだと思って待ったけど、解決することはなかった。家の中で話しかける勇気があればよかったのかもしれないけれど、人が本気で怒ると私の想像以上の事態になる気がして出来なかった。口を利かなくなった翌日に、私が寝ている隣の部屋で物に当たる音が本気で怖かったことだけは覚えている。

 

「また機嫌を損ねたら殺されるかもしれない」

 

笑われるかもしれないけれど、当時は本気でこう思ったのです。

 

2022年になって、LINEで仲直りしたい旨を伝えても返事はありませんでした。向こうがコロナになったときに一瞬だけリビングで鉢合わせをしましたが、何も会話はせず逃げていきました。私が風邪を引いて物資を要求したとき(いま思うと図々しい、勇気あったな)はUber Eatsで対応、一応連絡だけくれました。

 

もしかしたら?なんて期待をしなかったと言えば嘘になる。でもしばらくして、やっぱりそれはないなと。別れ話をしようとして食事に誘っても無視。それで向こうがやっと連絡してきた、同棲解消しませんかという、別れるんじゃなくて住むのをやめるだけとでも言わんばかりのセコい提案。即乗りましたけど。

 

思えば告白も電話、最後もLINE。しょうもないなって。男らしくなりたいとかいろいろ言ってたような気がしたけど、面と向かって言えないなら男じゃねえよ。なんでも後回しにするし、真面目な話は一度も出来なかった。私がワインを飲むことに対して、軽蔑心を隠そうともしなかった。何がよかったんだろうか、合わないことが露呈し始めたら所詮こんなものだったよ。

 

私には、男を見る目がまったくありませんでした。

 

そんなこんなで引っ越し。お金はかなり使ったけど、今までとは違い"いつでも引っ越せるようなコンパクトな暮らし"をする必要はなくなりました。だってそんな約束をしている人間はいませんもの。いままでも約束はしていなかったけど。

 

私の悪かったところ、それは向こうが誘ってきたら承諾できるような生活をしていたこと。向こうには一切の計画性がなかったので前もってこの日に出掛けよう、といった約束すらありませんでした。その日の気分で出掛けたいと思ったら出掛け、眠かったら寝る。それに私は翻弄されることをよしとしていました。

 

本当に愚かしい、だからこそ、いま何でも自分の意思で決断できることに疲労感すら覚える日々です。だっていままで人任せだったから。もっと自分から誘えばよかったのに、嫌なら断ってもよかったのに。

 

正直、家を出ようと思えばもっと早く出られた。それでも向こうが「もうやめよう、終わりにしよう」って決断するまで行動出来なかった。自分の人生を勝手に相手に任せていたことを痛感して、本当に情けないと思ったよ。

 

こうしてつらつら書いていると、自己嫌悪が止まらなくなるのでもうやめます。年明けのキラキラした雰囲気がしんどいけれど、今は敢えてそれに乗る方がいいのかも。

 

周りには徐々に周知しています。元旦には意を決して1年ぶりに実家に帰り、報告。両親の落胆がひしひし伝わってきて本当にしんどかった…。一人暮らしなら今日は泊まっていけばいいと提案されたけど、食いぎみにお断り。だれも待っていなくても、今はこの部屋が唯一安心できる場所なのだから。

 

そして次の日にあたるのが今日なんだけど、見事に家から一歩も出ませんでした。アマプラで動画を見続けて長い1日が終わろうとしています。大晦日から3日間で結構観たので記録。

 

・劇場版-のだめカンタービレ

・ソロ活女子のススメ2

・老後の資金がありません!

・劇場版-奥様は取り扱い注意

孤独のグルメseason3~4の途中まで

・劇場版-きのう何食べた?

 

今はSING-ネクストステージを流してるけど、正直これ書きながらだからbgmにしかなってないのでノーカウントかも。

 

明日は気晴らしに佐倉の美術館で芸術鑑賞してきます。わざわざ正月に行く意味ある?とか普段なら思うんだけど、今年の目標がこれ。

 

「余白や手間を敢えて拾いにいく」

 

合理性の塊すぎていろんなものを手離しまくってきた半生でした。32歳でパートナーすら手離した私は今なんでも拾えるくらい身軽なはず。

 

ずっと中途半端にしていたワインの勉強ももう一度始めようと決めました。今日はテイスティングの教科書をパラ読みした程度だけど…。ワインのことだって今さらやってなんの意味が?とか毎回自分にいちゃもんつけてはあきらめてきました。何度も気になるならもういっそ、エキスパートを取得してしまえと。

 

…本音言えば、私が勝手に見ているインスタグラマーが昨年ワインエキスパートを取得したと聞いて触発されたのが一番のきっかけ。その人はワインや飲食とは無縁の職業で、金持ちだからかいろんないいワイン飲んで興味をもち1年で資格まで取ってしまった。

 

それをめっちゃ悔しいなと思ったのは、私がワイン販売の経験があるのに真面目に勉強しなくてここまできてしまったから。あのときは、ソムリエなんか取ってしまったら「ソムリエなのにこんなことも知らないの?」とか言われるのが怖くて、二次試験まで進んだのにたった1回のセミナーで本番を迎えて、それで落ちた。マジでくだらない、ビビり、出来るかわからないのに自意識過剰な妄想爆発してた。

 

なので今年は取ります、エキスパート。

 

あとね、コーヒーを自分で豆から挽いておうちでたくさん飲むことにしました。前の家で全自動のコーヒーメーカーを使ってたけど、大晦日からハンドドリップしています。

 

肝心のミルだけまだ届いていないので、粉を買って練習中。サーバーを途中で揺する方式でやってるので、いつかはその工程なしで土手のない抽出をするのが目標。でもいまだって十分おいしい。1日2~3杯は平気で飲んじゃうけど、取りあえず買った250g900円の粉で15杯は飲めるから1杯60円でまあまあ経済的。

 

経済的といえば、もう出費をほぼ100%自分でコントロールできるから今後はしっかり管理したいです。今までは向こうの誘いを予測して予算立てても急にスパとか行こうってなって(断らない私が悪い)、想定外の出費でもうどうでもいいやとその月はどんぶり勘定になることも。食費も折半していなかったわりに私が作ることが多く食材も私持ちだったな…。もしまただれかと住むなら金の問題と会話できるかと親に紹介できそうかをクリアしない限り別れよう。そんな出会いもうないかもしれないけど。両親よすまぬ。

 

そう、これらのくだらない出費がなくなりました。今は自炊が当たり前でなんなら職場からいろいろもらえたりするので助かってます。ただ酒代がねえ…ワイン飲みすぎなんだよねえ…。

 

3000円くらいのワインを5本くらいで1ヶ月楽しみたいのに、現状は1000円くらいのワインを15本飲んでる。金額的に同じじゃんって思ってはいけない、経験値がまったく変わってくるのです。1000円のワインは吟味して選ぶとか味わうとかそういう対象じゃなくてただの消費、というか浪費。3000円クラスになってくると生産者の個性とか出てきて楽しくなる、舌の経験値が積めて投資にすらなる。わかっているのに仕事が終わるとのどが渇いたとか飲まなきゃやってられんとかいいながらやっすいワイン買うのです、糞です。

 

ワインとのつきあい方がもう少し綺麗に品よくなれば、それにともなっていろんなことも変わりそうなんです。飲んで酔って自己嫌悪って、ワインなんかでやっちゃダメです。第3のビールとかでやるやつでしょ。

 

アルコール依存性になるのだけは絶対に避けないといけない、こんな飲み方してなまじ量も飲めてしまう私は結構危険だと思う。自覚はある。律してくれる人なんていないから自分で変えていくしかない。

 

ウイさんの本に書いてあったよ、失恋してボロボロの生活をしていたミツコに女友達が仕掛けたのは"おそうじ本舗"だって。ちゃんとした規則正しい生活をして、身だしなみも綺麗にして、また恋愛市場にもどってきたミツコ。私は引っ越すまでの間にもうボロボロになったから、今がおそうじ本舗のタイミング。まあ実際は部屋も綺麗だし早寝早起きしてる。あとは酒だけ気を付けたいのです。がんばっていこうね、私。

 

なんかこうして書いていると、自分で案じていたより私はあれこれやりたいことも自分でみつけて取り組める人間だったんだなあって感心している。もっと何も出来なくて決められなくて腐っていくものかと思ってた。なんなら今年もクロスバイクでたくさん走り回りたいし、高級宿じゃなくて那須塩原の大黒屋みたいなひとりでこそ味わい尽くせる宿もみつけたい。暮らしの発信がしたくてインスタでさっきもうひとつアカウント作ったし、部屋の家具も今年中に納得のいくものを買い揃えるつもり。

 

そう、これ以上しゅんと落ち込んでいる時間とかないわけで、私は私の人生を謳歌するだけでいっぱいいっぱいなのである。

 

なんとなくこれまで頭の中や心の奥で言語化出来ずにいたいろんな想い、こうして誰に見せるでもないこの場所で指を動かして書き続けてみるとこんなに出てくるのかと驚いています。

 

成仏せよ、私の約7年間。

 

怨念になって出てくるなよ、ぜったいに。

 

なんかきれいにまとまらない感じになってしまったので、この辺で終わりにしておきます。たくさん書いた、もう23時になる、寝なきゃ。

前回の記事から8ヶ月後、私は調理師にもどりました

タイトルの通りです。

 

8ヶ月の間にあったことも書いていきます。

 

まず、前回の記事を書いたのが2019年12月。年が明けてからすぐに販売員の仕事を辞める決断をしました。

 

元々転職する気だったので転職先が決まったら辞める予定でした。しかし、転職先が決まるより先に販売員として続けていけるか自分に質問し、もう無理だという結論が出たため上司に退職の意向を伝えた次第です。

 

販売の仕事は店舗ごとに毎月予算が決められています。早い話がノルマであり、この予算達成を目標に営業します。この予算はもちろん必達前提で話が進んでいくので、未達になればスタッフ全体にどことなく気不味い雰囲気が漂います。そしてケジメというわけではありませんが、自爆営業(店舗の商品を自分で購入して売上を立てる)を余儀なくされることもありました。

 

この予算、越えればそれでいいのかというとそうでもありません。来年度の予算が今年度の売上を参考に設定されますが、予算達成したら来年度の予算はさらに高く設定されます。

 

数字を追い、数字に追われる。そんな日々を楽しめるかどうかが販売員としてやっていけるかどうかの分かれ目なんだと痛感しました。私は数字自体がプレッシャーになり、予算達成しても大口計上を上げても来年度の自分の首を絞めているとしか考えられませんでした。めっちゃネガティブ笑

 

そんなこんなで3月末日まで働き、4月はまるまる1ヶ月有給消化。

 

世界的なパンデミックにより国内にも緊急事態宣言が発出されたのもちょうどこの頃です。

 

次の仕事は決まっていなかったのですが、多少の蓄えがあったので細々と生活を続けられました。5月以降はいよいよ肩書きが"無職"になったため、手始めに日雇いの工場アルバイトを開始。

2週間ほど続け、その期間に平行して派遣登録を済ませました。幸い、高時給の事務仕事を紹介してもらえたため、5月末には派遣社員になりました。

 

元々2ヶ月程度という契約だったため、短期間で割りきって初の事務職を経験できたので、いい機会を与えてもらえたなと思います。

実際、私の従事していた事務職は本当に誰でも出来るような業務内容で手持ち無沙汰になることもしばしば。対面業務もあったため、コロナ禍という情勢を加味して高時給設定だったのでしょう。

 

そして何も状況が変わらないまま7月。周りの派遣組が徐々に次の仕事を決めていきます。

 

このとき、みんなが次も事務派遣として進むような環境だったら、タイトルのような決断には至らなかったと思います。

 

派遣組のなかには、前職システムエンジニアをしていた方や、デザイナーとしてブランドを持っていた方もしました。彼らは始めこそ、その職業に戻るつもりはないと考えていたそうです。

しかし、この仕事を続けていく中で、やはり自分にしか出来ない仕事があるのならそれを活かして社会に必要とされたいという思いが強くなっていったのだとか。

 

この話を聞いたとき、自分はどう考えているのか問うことに。

 

誰でも出来て定時退社でノンストレスで高収入、申し分ない仕事が世の中には他にもたくさんある。それでも私はきっと次に事務職を選ぶことはない、そう直感しました。

 

その会話のあと、ずっと見るのを避けていた飲食店の求人サイトに久々にアクセスしました。

 

コロナ禍でふつうのレストランの需要が低くなった昨今、ブランクのある調理師は雇われにくいと考えていました。案の定求人自体が少なかったものの、その中でフードデリバリー事業を営むベンチャー企業の求人に出会いました。

 

正直、前職の販売員で接客には疲れていたため、顧客と程よく距離をとれる事業形態に魅力を感じました。顧客との距離が近ければ近いほど、喜ばしい声も聞こえますがクレームもダイレクトに入ってきます。それをCSでワンクッション置いてもらえるのはありがたいなと。もちろん面接ではこのことははなしていませんけどね笑

 

ニーズに合う求人に出会えば、あとは反射で応募していました。選考はさくさく進み、あっという間に採用が決定しました。

 

8月から、まさかまた調理師として働いているなんて。

 

正直、以前の調理の仕事よりはレベルが低いのですぐに馴染めると思いました。ナメてた、という表現の方が近いのかな。だけど、最初はすごく大変だったのを覚えています。

 

1ヶ月のニート期間、3ヶ月近くノンストレスで単調な仕事に従事。その果ての調理の仕事、なかなかにハードでした。

 

思い出したくもありませんが、2日目くらいでピックアップ寸前の料理を床にガシャーンしたときは死んだと思いましたね…。他にも焼き物を焦がしたり、以前の調理の仕事の時なら絶対にやらないような失敗を片っ端からやらかす日々。

 

それがあったから、改めて新鮮な気持ちで仕事に向き合う決心がつきました。

 

また、今までどの職場でも下っ端か下から2~3番目くらいのポジションに位置することが多かったのですが、今回の職場ではサブマネージャーというポジションに就きました。

 

面接の時はそんな話はなかったけど、パート社員が多い現場では珍しいことではありません。初めてメインで指示出しする立場になり、パート社員同士のトラブルにも直面したり、今では業務よりそちらの方が大変だと感じる日々です。

 

入社から年末まで、わけもわからないまま走り続けたような感覚です。

 

また明日から業務が再開しますが、もう少し落ち着いて心を乱されずに仕事をこなしていきたいなと考えています。

 

旗から見ると充分落ち着いているとのことですが、そうじゃないんです。いろんな人の一挙手一投足に気持ちが振り回されて内心はざわつきっぱなしなので、自分の軸を今一度しっかり持ちたいのです。

 

いまの仕事は契約社員としての雇用なので、8月にまた契約更新してもらえるよう真摯に仕事をこなしていきます。

それと平行して、自分1人で少しでもお金を得られるような環境を作りたいと思っています。たぶんこの仕事も長くて3年くらいしか続けないとは思うので…。

 

さて、書きたかったことは一段落ついたかな。

 

7日間あった休みもあと半日、のんびり過ごします。

自分の本音に向き合いすぎて思わぬ所に着地した

前回の記事を書いてから早10日。

 

転職活動は一歩もすすんでいません。

 

というのも、ずっと転職サイトをくまなく見ていたけどエントリーボタンが押せないんだよね。

 

 

応募するだけなら、いくらでも応募すればいい。事務職でサラリーマン勤務、アフターファイブを手に入れるんでしょう?

 

そうやって何度も、自分に言い聞かせています。

 

それでも今日まで、事務職の求人にはひとつもエントリーしていません。

 

 

私だってうすうす気付いていたよ。

 

私が本当は事務職に就きたいとは、微塵も思っていないって。

 

 

結局やっぱり、自分の作ったもので今この瞬間に誰かを喜ばせたいんだよなあ。

 

 

料理人時代、辛いことはたくさんありました。

給料だけじゃない、本気で怒られたこともたくさんあって、気楽に働きたいのに、料理のピックアップ直前はいつもピリピリしていた。やっと仕事が終わったと思えば飲みに誘われて、たくさんお酒を飲んだ。

 

それでも、この仕事でしか味わえない喜びを得る機会もたくさんあった。

 

初めて盛り付けを誉められたとき。

カッティングサービスを任されたとき。

鉄板焼きの焼き手として客前に立ったとき。

1本の氷から白鳥を彫り上げたとき。

 

 

うん、まあ今だから綺麗事ばかり言えるんだけどさ、マジで料理は好きだよ。

 

そしてみんなも、きっと料理しているっていう私の方がなんとなく慣れてるよね笑

 

今からわざわざ仕事にしなくてもいいかなあと思っては入るけど、でも仕事にしないと味わえないものがあることを私は知っています。

 

 

そういえば昨日、友達のツテでとあるミュージシャンの路上ライブを見てきました。

 

私たち以外の人は誰も立ち止まりもせず、目の前を通り過ぎていきます。それでも彼女はマイクも使わず大きな声でずっとありがとうと言い、私たちに歌を歌ってくれました。

途中で苦情が入って中止になり、大変だねと言おうと思った矢先、彼女は「よくこーなる笑」って笑っていました。

 

なんていうか、心がぐらぐらしているときに見ては行けなかったなと。

 

料理の仕事はもうしないっていう決意が、少しずつ崩れていく。

 

少なくとも、事務職には就けないなあ。

 

 

給料が良ければなんでもやる、と言いきれるほどがめつくはなかったようです。

さすがに以前の職場は薄給過ぎたけど、もう少し待遇面のマシなところなら働けるかなあ。

 

なんてね。

 

今は少し、飲食関連の求人も見ています。

 

また数日後には言ってることがコロッと変わるかもですが、この気持ちは忘れたくなかったので書き留めておきました。

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

他者承認を基準とした意志決定

これまで幾度となく、決断を下してきました。

学生時代はその日に着る服やおこづかいの使い道について、大人になれば住む家や仕事を、自分で決めてきました。


そこでふと思ったこと。

私の意志決定の基準って、"他者承認"を基準にしているのではないか?


他者承認とは文字通り、他者から認められるということ。
誰にだって、他者承認欲求はあります。だけどその欲求には、2種類あると私は考えています。


1つ目は、"自分が信じ貫くものを他者に認めさせたいというもの"。

そして2つ目は、"自分に軸がないから他者に認められるような道筋を歩むもの"。


私は圧倒的に後者です。
いつも他人に笑われないように、変だと思われないように、そして決して怒られないうように、恐る恐る決断してきました。


あとこれは、物心ついた頃から今までの人生で無意識に身につけてしまった能力なんだけど、私が何をすれば他人が嫌な思いをしないかがわかってしまいます。

私がこうすれば、この人はきっと面白くないよなと。だからあなたを喜ばせるような選択を、私はするよ。とまあ、毎回こんな感じで表向きは決断していたようで、実際は他者が割り食わない選択をしてきただけです。


この悲しい事実について、私は大人になってから気付きました。でもなかなか変えることはむずかしいから、これが私の人生なんだと半ば諦めていました。

だけど30歳を目前にして思ったのです。

"私の人生、まだ50年以上あるのにそれでいいのかな"と。


迷うということは、その決断姿勢が嫌だと思っているから。変えられるのなら変えたいと、心の奥底で思っているから。


実は今、転職しようと思っています。

その転職先の決め方が、今までのような"他者承認を基準とした意志決定"であってはいけないのです。なぜなら、今の会社の決め方がまさにそれだったから。

だからいつも考えます、もしも私の行動に身内ですら何の興味関心を抱かない状況だとしたら何を選ぶのか、と。

今までは手っ取り早く誉められるような仕事や立場を選んでいたけれど、もうそういうのやめようね。自分に言い聞かせています。


これから少しずつ"自分"を取り戻していこうと思います。

日本の貧富の差を垣間見た日

今日は最近知り合った方の家にお招きいただきました。

 

そこは都内のタワーマンションで、広いリビングの大きな窓の向こうにはレインボーブリッジが見えます。タワマンに入ることが初めてだったので、「ああ、世の中には本当にこんなところで暮らしている人がいるんだなあ」とようやく確信することが出来ました。

 

こだわりのカトラリーやクロスで飾られたテーブルコーディネート、有機栽培の食材で作られた美味しくて健康的な手料理。こんな生活を送れたら、心身共に健やかで何でも挑戦してみようという気持ちになると思います。

実際にその方はもう還暦を過ぎているのですが、とても溌溂とした印象で今でも旦那様と食事や旅行を楽しまれています。

 

 

そんな楽しい食事会の帰り道、本屋に立ち寄ってふと目に留まった一冊の本。 

東京貧困女子。: 彼女たちはなぜ躓いたのか

東京貧困女子。: 彼女たちはなぜ躓いたのか

 

タイトルから想像できるように、女性の貧困について書かれた本です。取材形式で様々な事情の女性たちの壮絶な事情が赤裸々に綴られています。

 さっきまでのタワマンでの出来事がすべてまやかしに思えるような境遇に直面している数々の女性。貧富の差ってここまで広がっているのかと思うとぞっとします。

 

かくいう私は、社会人になるまでずっと実家は貧乏だと思って暮らしてきました。

その理由は、近所の家庭と比べると何となく生活水準が低いと感じていたから。この感覚は間違ってはいないんだけど、幼かった私にとっての世界がご近所さんだけで完結していたんですね。だから変な劣等感を抱いたまま大人になりました。

 でも社会人になってから、もっと世界は広くて想像以上に過酷な生活を余儀なくされている人達が日本には数えきれないほどいることを知りました。そしてこの本は、29歳の私が今日まで知らなかった更なる過酷な貧困女性の生活を知るきっかけとなりました。

 

独り身で貧困という状態は、まだ身動きが取りやすいと思います。問題は、シングルマザーである場合。

子供のためにも、稼がないといけません。だけど働ける時間が限られてます。だから時給の低いパートとして働く。貯金がないどころか今日を凌ぐお金もなくてほんのわずかな金額を消費者金融から借りてしまう。いわゆる闇金。そして膨らむ利子。

ちょっと極端な気もしますが、こんな話はたくさんあります。実際、この本にも闇金からお金を借りてしまったために多額の利子を払い続けることになった女性が登場しています。5万円を借りると10日で2万円の利子が付く、冷静に考えればヤバい金利だってすぐにわかりますが、追い込まれた状況下で他に選択肢がない場合は手を出してしまうのが闇金なのです。

 

 こういう話を聞くと、自分はまだ全然いい生活をしているなと実感します。しかし、少しでも人生の判断を誤ってしまえばあっという間に貧困に陥るでしょう。給料は同年代の平均より低いので、仕方ありません。

だからまだマシな生活が送れている今のうちに、もっと自分に出来ることを増やしていかないといけないなと思います。

 

今日お邪魔したタワマン暮らしの方も、現役時代はバリバリ働いていろんなチャレンジを繰り返してきたと伺いました。当時そういった中で知り合った方々とは今でも交流があり、自分で趣味の教室を主宰するといった生活を楽しんでいるようです。「人との繋がりがあるといざというときに頼ることが出来るから気楽よ」という言葉が印象的でした。

スキルのない状態でお金が無くなると、安い給料で長時間働く羽目になります。そうすると職場外での交流がなくなり、孤独になって本当にどうしようもなくなっても頼るアテがありません。つながりは安易に増やせばいいものではないけれど、無意味にすべて断ち切ってしまってもいけません。

 

今日は何気ない会話の中にいろんな発見がありました。自分とはかけ離れた生活を送る人の言葉は自分の中にはなかった価値観で、言葉の一つ一つがいい刺激になりました。

 

行動する人、挑戦する人はパワフルなオーラをまとっています。それがチャンスや成功を引き寄せているのだと、らしくもなくスピリチュアルな結論に達しました。足を止めた人から追い詰められていくのが今の日本です。追い詰められることがないように、心身の健康、好奇心、最低限の貯金は常に備えておく必要があります。逆に言えば、それさえあれば人生どうとでもなる気もします。

 

実は内心、今日のお誘いは気乗りがしませんでした。だって、わざわざお金持ちの家に行ってもみじめな気持ちになるだけだと思っていたから。でもむしろ、視野が広がりいい経験になりました。

自分と違う生活をしていたり異なる考え方をもつ人と会話を交わすと、自分の中の凝り固まった常識があっという間に砕かれます。とてもいい影響をもらえる反面、自分からは何かを与えることが出来ているのか疑問ですが…。

 

最近引きこもってだらだら過ごす休日ばかりだったので、今日はいろんな発見や経験が出来て久しぶりに充実した一日となりました。心地よい緊張感とそのあとにくる疲労感も、たまにはいいなと思いました。