ほんねblog

創価学会員の父親なんていらない

貧乏な創価学会員

父が蓄えた貯金は一切ありません。

生命保険にも入っていません。

今まで全て、創価学会へ財務として寄付しているからです。

もう何年も聖教新聞を自腹で四件の家に入れさせてもらっています。

少しでも自由になるお金があれば、全て創価学会関連の書籍を購入しています。

本棚に入りきれず、床に積み重なった人間革命、大百蓮華、グラフSGI、潮。

読み返す事も無いのに捨てる事はせずに、どんどん増えて床が抜けそう。

人間革命も 新!人間革命が出てるんですね。そのうち改!人間革命とか出るんでしょうか?

ゴーストライターが書いた文章をありがたがって読んでいるなんて空しいですね。

グラフSGI池田大作氏が撮影した桜や富士山の写真を額に入れて大切に飾っていますが、あんなにアングルも絞りもばっちりな写真を本当に本人が撮影したのでしょうか?

もう、そのへんはどうでも良いのでしょうね。

池田大作大先生を信頼しきっているのですから。

聖教新聞に載っている、通販の商品も良く買っています。

聖教新聞に載っている事は全て信頼出来るのだそうです。

そうやって購入した冷風機は全く涼しく無いし水漏れして大変だと、母が言ってました。

選挙のPRの為のDVDなどを人に見せて廻る為に、ポータブルDVDプレーヤーを買っていましたが、そんなもの誰も見てくれないみたいです。

 

もし、自分が病気になったら相続した家と土地を売ってお金を作るから、生命保険に入らなくて大丈夫なんだそうです。

代々のご先祖様から受け継がれ祖父がそれを父に託したのに、後世に残そうなんて考えは一切無いのです。

自分と創価学会の事だけしか頭の中に在りません。

 

お金が無くても、誰かがなんとかしてくれてきた人生。

若い頃や離婚して独身の時には実家の父親に仕送りをしてもらい、結婚と再婚してからは母がどうにかやりくりしてきました。

再婚後には毎年、年に二度の財務の時期になると母からお金をむしり取るようにして寄付をしていました。

母が生活費が無くなってしまうからと抵抗すると「俺の事を愛していないのか?」と財布を力づくで奪い取るのです。

そういう時だけ、愛だのなんだの持ち出して情に訴えようなんて気色悪くて吐きそうになっていました。

中学生だった私は、その度に父を殺してやりたい衝動にかられていました。

金属バッドで頭を殴ったら正気に戻るんじゃないかと思った事もあります。

50代からやっと正社員で勤めた警備会社から至急されたボーナスは全て財務行きです。

祖父から相続した家は築30年を超えてボロボロなのに、リフォームなど考えもしません。

外壁だけでもと母と私でペンキを買って来て、梯子をかけてペンキ塗りをしました。

屋根が雨漏りをすると、屋根に登って防水シートを貼ったりしました。

ホームセンターで長い梯子を買って配達してもらったのですが、とても役に立ちました。

しかし、梯子に上って二階のペンキ塗りや屋根の修理をしていると、ご近所さんから「危ないから止めなさい!」と言われる事がありました。

どうして業者に頼まないの?と問われても返す言葉がありませんでした。

お金が無いから自分たちでやってるんですよ〜って言える大らかさがあれば良かったなと思います。

 

三人の孫達に去年初めてくれたお年玉は500円ずつ。

小学生の子供達はお年玉に硬貨をもらってびっくりしていました。

父から出産祝いも入学祝いももらった事はありません。

孫達の誕生日もまったく覚えていないし覚えようともしません。

プレゼントを買うお金があったら、その分財務をする事で孫達が健康で幸せに暮らせるのだそうです。

父にとって、お金を創価学会の為に使う事がとても有意義なお金の使い道なのです。

もはや、財務をすると幸せになるのでは無く、財務をしないと不幸になるという脅迫観念に捕われてしまっているのです。

 

 

家族より大切なもの

最近、父と口論になった時に懇願されました。

「俺は何を言われてもいい、でも創価学会の事だけは悪く言わないでくれ」

これを聞いて、私は心底ぞっとしました。

「私の悪口は言っても、お父さんやお母さんの悪口を言うな!」

という子供の心理そのままなんですよね。

父にとって、創価学会が父や母であり自分はその子供。

目の前にいる本当の家族より、創価学会が何より大切な自分の家族なんですね。

本当の家族を失うより、創価学会を失う事の方が脅威なんです。

 

私が、ずっと父に訴えて来た事。

それは、一番大切なものは家族だと言う事。

家族をないがしろにして、全てを創価学会に捧げてきた結果をきちんと理解して向き合って欲しいのです。

そして、人生の終盤に差し掛かった今からでもやり直して欲しい。

少しでも家族の関係を修復したいのです。

あなたが家族より大切にしている創価学会は、本当に困った時に、助けてくれるの?

病気になった時に看病してくれるの?

暮らしに行き詰まった時に面倒を見てくれるの?

こう問いかけると父は口を閉ざしてしまいます。

心の中では「それは血の繋がった家族であるお前達の役目だろう」と思っているに違いありません。

 

これまで、父は私と母の為に何もしようとはしなかった。

ただ同じ屋根の下一緒に暮らしていただけ。

母は父のお世話をする都合の良い家政婦のような存在で、私は父と会話したり一緒に楽しい時間を過ごした記憶は一切ありません。

それなのに、父にとっては血の繋がりは絶対的なもので、いくら放っておいても私と母は一生自分の家族であり、自分の老後の面倒を血の繋がった娘が見るのは当たり前と安心しきっています。

家族に心底甘えきっているのです。

母と私の心はとっくに父から遠く遠く離れてしまっている事を、全く理解していないし気付こうともしていないのです。

 

 

 

 

 

 

 

父は創価学会員 (回想) その三

さて、祖父が用意した新築の家で父との生活が始まりました。

真新しい家には家財道具らしいものは一切無く、床の間に小さな仏壇と父の布団があるだけでした。

父は仕事もしておらず、貯蓄も一切無かったようです。

来て早々に、母は立派な仏壇とお客用の座布団と大きな座卓を買わされました。

地区のブロック長になり、座談会を開く為に何も無い部屋では格好がつかないからでした。

夜になると、どやどやと地域の学会員がやってきては、大きな声を張り上げ皆で勤行をあげるのです。

家中どころか外にまで響き渡る勤行は、私と母の肩身を狭くするものでした。

母は堅実で現実的な考えの人でしたから、創価学会に一切関わろうとはしませんでした。

そして、父の学会活動を否定する事もしませんでした。

「お父さんは学会活動をしなかったら本当にダメになってしまうから」といつも独り言のように言っていました。

 

時々、父に電話がかかって来ていましたが、それは借金の催促の電話でした。

「お父さんはいますか?」と言われ隣にいる父に取り次ごうとすると、「いないと言ってくれと」声を潜めて私に言うのです。

「父はいません」と返答すると「うそでしょ、本当はいるんだろ」なんて厳しい口調で問われました。

父は30万円するビジネス教材やら、15万円するビデオ教材やらをローンで購入しては、支払いが出来ず、クレジット会社から度々催促が来ていたのでした。

結局、母が持参した貯金から支払いをしていました。

そして、新しい仕事が見つかっても朝起きれずに結局すぐに辞めてしまうのでした。

生活は母がパートをしたり貯金を切り崩したりして、なんとかしのいでいたようです。

家のローンも家賃も無く自家用車も無かったので、なんとかやっていけたのでしょう。

 

毎日当たり前のように朝夕の勤行のお供をさせられました。

長く離れて暮らしていた父への遠慮もあって、私は黙って従っていました。

勤行は宇宙のリズム!生命の根源!本当にスゴいんだよ!なんて言ってましたが、私にとっては何の事やらさっぱりで理解も興味も持てない話でした。

伝えようとしているのでは無く、ただただ自分の価値観を押し付けている印象です。

そして出かける時には、必ず題目三唱。

一年程続けましたが苦痛でたまらなかった為、中学生になってからはきっぱり止めました。

「にーじーせーそん じゅーさんまい あんじょーにーきー ごーしゃりほつ・・・」

意味は判りませんし知りたいとも思いませんが、今でも暗唱出来ます。

そして、父と離れて暮らし始めてもしばらくは耳鳴りか空耳のように父の勤行の声がどこからか聞こえていました。

 

 

 

 

父は創価学会員 (回想) その二

さて、結婚後に父は母を当然のように創価学会に入信させます。

なにやら、集会所のような所に連れて行かれ名前を書かされ3000円を支払ったそうだ。

きちんとした説明も無く、いいからいいからって感じでいつの間にか入信させられていたと言っていました。

結婚後、相変わらず仕事は続かず一日中布団から出られない日が続いたかと思えば、友人と会社を興すと言い出し家の貯金を持ち出したり。

その頃私が産まれたが、学会活動だけは熱心に続けるが仕事は続かず、生活が立ち行かなくなり、母は父との離婚を決意する。

その後、母は故郷に帰り私を育てます。

3才から11才まで私は母と2人で田舎で暮らしました。

祖母やいとこ達の近くに住み、田舎でのんびりと平穏な子ども時代。

11才になった頃、突然母が父と再婚する事にしたと私に告げました。

父の記憶はおぼろげで、何の印象も残ってはいなかったけど子供心に嬉しかったのを

覚えています。

その時は私の将来の為に、父と一緒に暮らすんだよと説明されたと思う。

その少し前に、神戸で喫茶店を営む姉から一緒に暮らそうと言われて悩む母がいました。

私はいつも沢山のお土産を持って訪ねて来てくれる叔母が大好きだった。

センスが良くて面白い話をたくさん聞かせてくれる、都会の洗練された雰囲気の

叔母に憧れていました。

しかし、母は片親の子ども(特に女子は)は就職や結婚が不利であると、なんとも古臭い思考の持ち主だったのです。

父方の祖父が息子の行く末を心配して、家を用意するからまたやり直せないかと打診してきたらしく、母も一人で私を育てる事に不安があったようでした。

もしかしたら、父への未練もあったのかもしれない。

私がこの時もっと大人であれば、この再婚をなんとしても阻止したのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父は創価学会員 (回想) その一

私の人生の中で、一番でっかい悩み。

ずっとつきまとう大きな障害があるのです。

それは、父が創価学会員である事。

稚拙な文章ですが、これまでを思い返しながら書いてみます。

 

私の父は、20代の頃に創価学会に入信しました。

父はお勉強は出来たけど、身体の神経に問題があるようで疲れやすく何事も

長続きしない人間です。

コミュニケーション能力も乏しく、いつも人生に行き詰まっていたよう。

大学を中退し、自衛隊に入隊するも厳しい訓練についていけず、

すぐに脱走してしまったとか。

その後、商社で得意の英語を生かしアルバイトをしていたが、正社員にならないかと言われ、多忙な商社マンになる自信が無くまた逃げ出した。

そんな時、勢力を増していた創価学会に出会い即入信。

折伏したのは、姉の夫の友達だったそうです。

その際、父の姉も一緒に入信。

信心して題目を唱えれば、何でも願いが叶う!道が開けるのだよ!なんて熱く語られたのでしょう。

何をやってもダメで自分に自信が無かった父は、すごい宗教だ!!自分を変えられるチャンスだ、これで何もかも上手く行く!と思い飛びついたと容易に想像されます。

その後、神戸で母と出会い結婚。

時代は大阪万博の数年前。

 

その二に続く

 

 

 

 

 

初めまして、のりすけです。

今まで、色んなところでブログを書いてきたけど、

この問題にだけは触れる事が出来ませんでした。

父親が創価学会員である事は私の人生に大きな悩みと影響を与え続けています。

身近な友人や知り合いには相談したくない知られたく無い、この問題。

同じような悩みを持つ誰かと共有出来れば良いなと思って、このブログを始めます。