flyingfishisummerの日記

「拍手」で得したことなど、今日も心を込めて手を叩き続けます!

Clap! Clap! Clap! 拍手がつなぐ幸せの心

求められる拍手の公式って?

環境によって求められる拍手は違う

拍手で得た会社でのポジショニングで書いたが、拍手は大きく「1.自然発生的に生じる場(例:観劇やフィギュアスケート、有名人スピーチの場)」「2.義務的に行う場(例:会社で社長スピーチ、社内プレゼン、株主総会など)」の2つに分けられる。

1に関しては深く考えず大きな拍手をすればいいが、2はそう簡単にはいかない。環境がよく知っている人たちに囲まれた「ホーム」なのか、見知らぬ人に囲まれた「アウェイ」かに、さらに分類されるのだ。ホームであればこちらも深く考えず基本大きな拍手を展開すればいいが、問題はアウェイ。

自然発生的に生じているように見える拍手も、最初に誰が手を叩くか、その大きさをどの程度にするかなど、実は互いに牽制しあい行われているのだ。

求められる拍手の公式って?

求められる拍手=拍手への期待値×環境

これで多くは説明がつくと考えている。

  • 求められる拍手:ボリューム(音の大小、高低)、間隔
  • 拍手への期待値:盛大に盛り上げてほしいのか、お飾り程度でいいのか
  • 環境:部屋・会場の大きさ、湿度(季節)、人の入り

(例)
フィギュアスケートで求められる拍手「ボリューム大・音程高・間隔1秒に2回程度」=期待値「盛大」×環境「会場大・湿度高・人が多い」

原則この公式に沿えば、場違いな拍手を展開することはなくなるだろう。ただ、「拍手への期待値」は場数を踏まないと、またその場の人間関係をきちんと把握していないとミスすることが多いため、やや属人的な経験則が必要になることだけは理解して、この公式にそれぞれのケースをあてはめ実践してほしい。

拍手で得た会社でのポジショニング

株主総会に11年連続出席。最初はボディーガード役

2005年に上場し、いままで株主総会に連続11回、1回も欠かすことなく社員代表として出席している。社員の入れ替わりが激しい弊社において、いままで1回も欠かすことなく出席しているのは社長と私だけ(まあ社長と私では職制で天と地の差があるが)。株主総会担当者(総務部の誰か)も毎年毎年変更となるなか、歴々の社員代表のなかでは結果として私だけが生き残った。

会社の規模が大きくなればなるほど「あの人の仕事っていったい何?」とか「3か月に1回開催される全社キックオフミーティングにおけるパワポ職人」的な人員が出てくるものだが、わが社の規模は中小クラス。正直そんな人的余裕はない。

中小クラスに勤める私も「株主総会の社員代表」のみで生き残っているだけではないが、「日常におけるパフォーマンス+株主総会の社員代表」としての独自の人員ポジショニングを確保している(と勝手に自分で思っている)。

1年目は社長のボディーガード役(理由:体が大きいというだけ)。初めての株主総会ということもあり、ノウハウもないなか、「不測の事態が起きてはならぬ」的な意味合いで舞台の端で終始位置していたが、50人程度の参加者で超シャンシャン。約30分程度で終了。2年目も同役をいただいたが、参加人数は30人程度で、これまた超シャンシャン終了。

3年目から拍手先導役に

想像以上に閑散としていたため、3年目以降は社内会議室に株主総会の舞台を移し実施。役割も1・2年目とは異なり「拍手係」に。総会担当者から伝えられたことは「ガリクソンさん、ここに総会の台本があるので一度目を通しておいてください。そこに『拍手』って書き込んであるので、その場で適宜拍手をお願いします」「ガリクソンさんも理解している思いますが、過去2年間の総会、ひじょーにさみしいもので、社長も場の盛り上がり感を気にしていたので、盛大な拍手をお願いしますね」とざっくりした依頼だけだ。

たしかに台本を見ると「社長:当該決議にご賛同いただける方は拍手をお願いします(拍手)」というくだりが2~3箇所ある。折を見て拍手をするということだろう。

当日、総会が実施される会議室の一番前に陣取る。手土産も配当もないわが社の総会に参加する株主がほとんどおらず、ざっと見て20人程度だろうか。いつもながらのシャンシャン総会は滞りなく進行し、社長が「当該決議にご賛同いただける方は拍手をお願いします」という終わるや否や、閑散とした場で1人盛大な拍手を展開。

明らかに浮いているような気もしていたが、「場の盛り上がり感」を最優先順位と考え、気にせず気にせず。周囲のパラパラした拍手の中、計3回ほど盛大な拍手を繰り返し、一般株主のように会場を立ち去る。

会社に戻り、総会担当者に台本を返却すると「ガリクソンさん、よかったですよ! さみしい総会もパッと花が咲いたように明るくなりました」との声が。「あんな感じでよかったのかな」と半信半疑の中、4・5・6年目の総会にも社員代表として呼ばれ、同じ雰囲気、同じタイミングで拍手を繰り広げた。

社外取締役から一言に冷や汗が……

会社の規模も大きくなり、社外取締役が参加するようになった7年目の株主総会。参加者が10人程度と「やる意味あるのか」レベルの総会になりつつある中、いつものシャンシャン展開で進み、社長の「ご賛同いただける方は拍手をお願いします」に続き、盛大な拍手を繰り広げる。

ルーティンワークのように会社に戻り、総務担当者に台本を戻すと「●●さん(社外取締役)から『あの、一番前に座ってた拍手のでかい奴、誰?』って指摘されちゃいましたよ」と一言。目立ちすぎというか、雑にこなしていたことが見透かされたのか、社畜として背中にじわっと汗が広がる。「まあ、あまり気にしなくてもいいですけど」とも伝えられたが、さすがに「まずかったか」という思いに襲われた―――。

株主総会は最高のアウェイ環境

拍手が展開される場は大きく、「1.自然発生的に生じる場(例:観劇やフィギュアスケート、有名人スピーチの場)」「2.義務的に行う場(例:会社で社長スピーチ、社内プレゼン、株主総会など)」に分けられる。さらに2に関しては周囲の環境がホーム(よく知っている人たちか)か、見知らぬ人に囲まれたアウェイかに分類される。

2のホームでの拍手は互いに性格やパーソナリティといった属人性を理解しているため、誤解が生じる隙間はそこまでないが、この社外取締役の一言に「アウェイの拍手は難しさを伴う」ということを痛感。とくに株主総会は最高のアウェイ環境であり、サッカーに置き換えると日本代表がイランのアザディ・スタジアムで行われる場に乗り込むくらいの緊張感をもってして挑むべきだ(だった)と7年目にようやく理解した。

拍手のリードオフマンたれ!

場の雰囲気を総合的に判断し、拍手のボリューム、そしてタイミングをよく理解せよということだ。間違えれば袋叩き。8・9・10・11年目の総会で学ぶことなるが、アウェイ環境では何より「拍手のリードオフマンたれ」これに尽きる(いきなりサッカーから野球のたとえになってすいません)。

あとに続く拍手を違和感なく引き出す、これが拍手のリードオフマンの役割だ。株主総会レベルになると、みんな他者であり、気心通じた人は皆無。観劇のように感動することはなく(激怒することはあるが)、自然発生的に拍手が生じることはまずない。支流から注ぎ込む水の流れが大河になるように、互いに相手を牽制しあう中、最後は違和感ない拍手へと誘い込み、一体化させる。

会場の大きさ、季節や湿度(天気)を頭に入れて、適切なボリュームと間隔で他者に入り込む余地を与えるような拍手を展開する―――。

8・9・10・11年目の株主総会リードオフマンとしての立場で乗り越え、12年目を迎えようよしている。今年も呼ばれるだろうか。呼ばれたのであれば、最高の拍手で株主総会を支えていきたい。

「拍手のリードオフマンとなるコツ」と「環境における拍手の違い(場の大きさや天気や季節要因など)」はまた別途記事にしていく。

年下社員からかけられた拍手への感謝の気持ち

突然振り向けられた感謝の言葉

ガリクソンさん(私の会社でのニックネーム)、私のプレゼン(営業担当が受注した案件の素晴らしさをアピールする事業部主催アピール大会でのプレゼン)に大きい拍手をしていただき、ありがとうございました!」

体調を崩し、お酒も飲めないため、その後に行われた懇親会の場からそそくさと1人帰ろうとしたところ、後輩の女性社員からひと言。背後から唐突にかけられた言葉にびっくりして、

「よろこんでもらえたらよかったよ~」

と返し、「感謝してくれる人もいるんだな……」と感じながら、その場をあとにした。

「お前、大した貢献してないんだからさ」

観劇に結婚式、会社のプレゼンやMTG―――人を歓待する場、よろこびを表現する場では心がけて大きな拍手を心がけてきた(きちんと表現すると、その場に合う拍手を心がけてきた)。新卒間もないころ、当時在籍していた会社で先輩社員から「お前、会社で大して何の貢献もできてないんだから、こういう場(社員研修のプレゼン時)くらい拍手くらい大きくして、少しでも先輩社員によろこんでもらえる工夫したら?」と言われたことがきっかけだ。

会社に入りたてで、素直な気持ちでなんでも受け止めた当時の私は「たしかに先輩の言うとおりだ」と深くうなずき、社会人生活16年目に突入したいまも、この教え(嫌味?)を愚直に守り続けている。

ガリクソンさんって拍手、大きいですよね」「お前、拍手が大きすぎるんだよ!」など、音の大きさに関する言及は多々寄せられていたものの、面と向かって感謝の気持ちを述べられることは初めてだった。

誰しも面前に立つ限り、多少の違いはあれど緊張し、その評価を気にするものだ。面前でのスピーチや発表がうまくいけば万雷の拍手が降り注ぐかもしれないし、うまくいかなければポツポツとお情けばかりの拍手になるかもしれない。

ただただ「気持ちよく立ち去ってもらいたい」その一心で

私はその評価に関係なく、常に心からの拍手を送るようにしている。なぜなら、気持ちよくその場を立ち去ってほしいからだ。いい結果に運べば万雷の拍手で意気軒高となろうが、しょぼい結果にしょぼい拍手じゃさみしすぎるじゃないですか。傷口に塩を塗り込むようで。このさみしさを経験した人ならよくわかると思う(私も多数経験)。

良くも悪くも清濁併せのみ、心地いい拍手を浴びせかけ、いい気持ちで降壇もしくはその場を立ち去ってもらう。そのために、真心を込めて拍手し続けてきた。すると不思議なことに、拍手は相手のためだけではなく、自分自身に何かしらのいい結果を返してくれることに気づいたのだ(特にサラリーマンであれば、社内のポジショニング確保にちょっと貢献)。

きちがいじみていると感じるかもしれないが、このブログを読んで1人でも多くの人がいままで以上に大きな拍手をし、周囲の人を幸せにし、結果自身にその幸せの一部が戻ってきたらうれしいです。