乳がんカフェ

2017年大きなシコリが出現し乳がん摘出手術を受けました。乳がん手術を終えても怖さはいつもどこかにあります。まだ慣れないシリコンおっぱいと共に、ひと息つきながら経過を綴っていきます

もし読まれている方がいたら

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1年ぶりになってしまった。再発も転移もなく元気にしております。

不安にさせてしまってたらごめんなさい

私が乳がんになった時も、「乳がん」のキーワードで「症状」「初期」「マンモグラフィー」「痛み」など検索をかけ、いろいろな方のブログを読んで希望をもらっていました。

その中で、途中で更新が途絶えてしまった方のブログは「そっか・・」と受け止める部分もあったり。

検索を掛けて、たまたまこのブログに訪れ、不安になられてしまったら。ごめんなさい。

私は、元気です!

再発もなく、転移もなく、居ます!

再発もなく、転移もなく、元気に過ごしています。

気持ちの変化も、いろいろありました。日々、傷が消えてくように、胸のベタ〜と張り付く感覚のシリコンにも慣れてきています。

それから、温泉も行ってます。最初は、再建した胸もブログで再建した胸を公開している方達のような綺麗な出来上がりでもなく、露天風呂付きの部屋を予約していたんですが、誰もいない時間帯から、大浴場に行けるようにり、そのうち、人を気にすることなく大浴場も行けるようになりました。

 

腫瘍マーカーが高いとか、マンモグラフィーで血が出たとか、シングル乳がんとかで同じような境遇の方が、もし更新の途絶えてしまったブログに不安を感じてしまった時があったら本当にごめんなさい。

更新の途絶えたブログに私が感じた不安や受け止める気持ちを、させてしまったかも。ヤバイ!私生きてる!元気!と、急いで書いてるので、読みにくいかもしれませんが、元気です!

 

私の不安 退院後のCA 15−3の腫瘍マーカー

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健全の胸とエキスパンダーのアンダーの位置のズレの悩みもありながら、基準値を超え続けていたCA15-3の腫瘍マーカーが気になっていた。

 

乳頭乳輪温存皮下乳腺全摘手術退院後2回目のCA 15−3腫瘍マーカー測定

これまで測定の度に下がってはいるけれど、基準値外ばかりの腫瘍マーカー。発見時から5回目、術後から3回目のCA 15−3の測定。上がってたらどうしようと、不安で採血さえ恐怖。結果を聞くのはもっと、恐怖。診察室へ呼ばれ パソコン画面を覗き込む。

基準値を超え赤いエラーの数字が並び続けていたCA 15−3の欄に初めて黒い数字で書かれていた。「23」。

 

腫瘍マーカー下がっていたけど喜べない

基準値ギリギリすぎる数値を前に、担当医は「いいねー。下がってるね」とお褒めの言葉を掛けてくれた。数字が1上がってしまえば、また赤いエラー数字を前に喜べず担当医に「ビタミンC療法とか、免疫療法とかやったら変わるのかな・・・」と問いかける。「やめてー!ビタミンCを大量に投与したって、尿でジャンジャン出るだけ。やってもいいけどお金のムダだよ。他の療法を試すならホルモン剤を勧めるよ」と。

私だってビタミンCを大量に投与しても、尿で排出されてしまうと思っている。

だけど、癌になり、色々調べていくと、その治療にすがりたくなってくるのだ。不思議なものだ。「もっと、グーンと下がってくれたらいいのに。もう下がらないのかな。微妙な数値すぎて不安・・本当は隠れた癌があってここからまた、上がったりしたらどうしよう・・・」と不安を消すため来月も採血をしてもらうことにした。

 

6回目の腫瘍マーカーの結果

術前1回目400越え(転院前の病院 基準値30) 2回目198

術後 48 26 23 

と私を不安にさせた6回目のCA 15−3腫瘍マーカーの結果は、前回と変わらず「23」という結果。もう、これが私の基準値だと認められれば楽なのだけど「隠れた癌があるのかも・・・」という不安が頭によぎってしまう。

CEAはいつも4以上の基準値の5をなんとか超えずにいてくれる。でもこれも基準値ギリギリ。高めだ。

「やっぱり、下がらないんだ・・」とガッカリした言葉を吐くと、担当医は「なんで?下がったじゃない?ちゃんと基準値内だよ。最初は3桁もあったのが手術で下がった。その後上がってないんだから。腫瘍マーカーはみんな、基準値が違うの。高めのタイプなだけなんだから」と言葉を掛けてくれるが、初めから3桁を出した現実が怖くて仕方ないのだ。

 

丸山ワクチンはどうなの?

「先生、丸山ワクチンってどうなのかな?打ったら下がるかな?再発予防とかになるのかな?」と問うと「なんでだろう?最近患者さんが、丸山ワクチン、丸山ワクチンって聞いてくるんだよね」と担当医は不思議がった。私自身、以前から丸山ワクチンの存在は知っていたけど、検診に行く少し前、2018年1月9日世界仰天ニュースで丸山ワクチンの放送がされたからだろう。そのことを告げると「そうなの?テレビで放送したんだ・・・。反対も賛成もしない。確かに僕の患者さんでも丸山ワクチンを打ってる患者さんはいるんだよ。効果はわからない。丸山ワクチンも、高濃度ビタミンCもやりたければやればいいけど、変な壺とかは買ったりは、しないでよ!」と注意を受ける。大丈夫、いくら私だって、壺で病気が治るとは思っていない。

丸山ワクチンがテレビで放送された後、治療の選択肢、予防の選択肢、摂取してくれる病院が増えたり、何か大きな動きが出てくるかな?と、効果や情報など期待して待ってみたけど、放送から1年過ぎた今も、特段大きな動きは、なさそうだ。

 

これが本当に基準値なのか?疑いしかない

乳がんが発覚する前の自分のCA 15−3の数値など知っている筈もなく、乳がん手術後に「これが、あなたの基準値なの。もともと高めなんだよ」なんて言われても、最初が最初なだけに、本当にそうなのか?と疑ってしまう。手術で腫瘍を取り、一時的に腫瘍マーカーが基準値ギリギリまで下がってるだけで、これからまた上がってくるんじゃないの?と疑う気持ちが消えないのだ。不安と疑いの表情の私に「どうする?来月も測ってみる?」と聞いて来た担当医の言葉に、迷うことなく頷いた。

 

エキスパンダー時 アンダーのズレと期待と不安

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今私の胸にはシリコンインプラントが入り再建後の胸が出来上がっている。

エキスパンダーの当時、初発から高かった腫瘍マーカーのことや乳がんが再発したらと、もしもの心配が消えた訳ではなかったけど、次のステップ、再建への期待と不安があった。

 

再建の先輩たちの画像

医師の言葉や説明より、同じ境遇の方達のブログが参考になったりする。

再建後の胸をアップしてくれている方達も沢山いて、その素敵な仕上がりに、私も期待を膨らませていた。

もちろん、貧乳の私は、こんな素敵な仕上がりとは違って、小さな仕上がりだろうな。と豊胸もおこなってくれる病院を選択すれば良かったかな・・・。とチラリと頭を過ることもあった。

 

心配ごとはエキスパンダーのアンダー位置

エキスパンダーを膨らませる注入を何度か繰り返し、大きくなるに連れて

「あれ・・・?これってもしや・・・」と不安になっていった。アンダーの位置が左右ズレている。健全の左の胸の位置より指1本?2本?分上にある。形成外科の注入時に担当医に「先生、位置がおかしくない?」と不安をぶつけた。「インプラントを入れる時に、少し下の方に入れよう」と担当医は言ったけど(うそ〜!そんなことできるの?)と心の中で思った。

エキスパンダーの位置がおかしくて、最初からやり直している方のブログや、医師が再建の説明を書いているサイトなどを見ていたので、先生の言葉を怪しんだ。

 

答えの出ない自問自答

「インプラント入れ替え時に少し下入れよう」と言う医師の言葉に「本当にそんなことできるんですか?エキスパンダーからやり直してください」と怪しんでも、やり直しを希望する言葉を言う気にもなれない私がいた。エキスパンダーからやり直すということは、また入院して、麻酔して再手術を受けるということだ。それに、エキスパンダーからやり直すなら、この病院でいいの?との疑問も頭に浮かんできていた。

再建の本なども出されている岩平先生のブレストサージャークリニック(http://www.iwahira.net )のサイトを見て、やり直すならここにしたいと思いながら、このエキスパンダーの位置は妥当か?相談に行こうか悩んだ。だけど、エキスパンダーからの再手術を受ける決心もないのに、相談に行って何なるのか・・・。でも、このままインプラント入れ替えの胸の仕上がりが変だったらどうする?一生この胸なの?と泣きたくなるよね・・・。エキスパンダーからやり直す覚悟を決めて相談に行った方がいいんじゃないのか・・・。と、結局、ブレストサージャークリニックに相談に行くか、今の病院の担当医の言葉を信じてみるか、ただ、悶々と悩む時間だけが過ぎ、何もしないまま時は過ぎて行った。

 

エキスパンダーの胸の不快感

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乳がん手術直後は同時再建のエキスパンダーの小さな膨らみによって、胸の喪失感は、かなり少なく済んだと思う。

 

手術後の乳首の様子

乳頭、乳輪温存皮下乳腺全摘手術プラス同時再建手術の退院後、乳首がガサガサと皮が毛羽立つような感じになり、担当医の指示通り、消毒用の軟膏を乳首に塗って過ごした。退院後しばらくは、お風呂上がりに消毒をする度に健全の乳首や乳輪の色より濃い色になっているガサガサの乳首が気になったが、日を追うごとにガサガサと荒れた乳首は改善し、乳輪の色も少しづつ健全と同じ色になっていった。

 

エキスパンダーへの注入は大きな注射器

乳がん手術の退位後、エキスパンダーへの注入を何度か繰り返し、シリコン入れ替え手術に向け胸を少しづつ大きくする。初めての注入時、診察室のベッドで胸を曝け出し形成外科の先生の準備を待っていると、大きな注射器を持って現れた。「先生、ちょ、ちょっと待って!それ胸に刺すの?!」とあまりにも大きな注射器に驚く。「大丈夫、大丈夫。痛くないから」と注入されたが痛くない。

 

注入回数を重ねるごとに胸に圧迫感

最初の数回は注入した分、胸の大きさの変化はあるものの、胸の苦しさは最初と変わらなかった。診察の度に「どうですか?前回注入したあと、苦しさなどは有りましたか?」と聞かれ「大丈夫です」と答えていたが、回数を重ねるごとに胸の圧迫感、不快感が増す。特に、夜寝る時。うつぶせ寝はできないし、エキスパンダーの入った右側を下にして横に寝るのも寝にくい。仰向けと左横向きの繰り返し。

 

睡眠時エキスパンダーの圧迫感は枕やクッションで軽減

胸の圧迫感で寝るのが辛い時、右肩から腰にかけて枕やクッションを体の下にハサミ、体全体を健全の胸の左側に傾ける状態で寝ることで少し楽に感じた。それでも、寝にくい時は、リクライニングソファーで体を起こした状態で横になった。再建手術を受ける前、先生に、胸を大きくしたいと相談した時「大きいのは大きいので、色々大変なことも沢山あるんですよ」と言ってた先生の言葉がわかった気がする。胸の不快感で寝つきが悪かった。

 

人生初めての巨乳になる

再建手術の術前説明で、エキスパンダーを挿入し、注入を繰り返して胸を倍ぐらいの大きさに膨らませるとは聞いていたが、最後の注入後には、想像もしなかったほどの巨乳になった。片方の胸だけパーンと大きな硬い風船がハリついている状態だ。彼氏にその胸を見せた時「それはエキスパンダーが辛いって言ってるのが分かる。痛そう・・・」と口にした。弟と極わずかな知り合いにしか乳がんの報告をしてない私にとって、Tシャツや薄着で過ごす夏でなくて良かった。不自然な胸の大きさで周りにバレると心配するほど胸は大きくなった。エキスパンダーで、出来上がった人生初めての巨乳姿、見るからに硬そうなパンパンになった胸、しかも片胸だけの巨乳姿は左の健全の胸が、いかに貧素なものかを際立たせた。アンバランスな期間限定の硬い巨乳が出来上がった。

今後の治療方針は無治療を選択

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ステージ0→ステージ1の病理検査の結果と下がりきらない腫瘍マーカーCA15−3の結果受け、今後の治療は

 

ホルモン剤だからと喜べない

乳がんかも!と病院へ行き、細胞診ではなく針生検を提示された時、乳がん確定かな?と心を決め、まだ結果も出てないないのに、抗がん剤の副作用で脱毛した時のためにカツラ屋の予約をしようとしていた。抗がん剤は嫌だけど仕方ない!癌に勝つ!と気持ちを決めていたが、針生検の結果「非浸潤性の乳がんでホルモン陽性だから、よかったね。仮にステージが上がってたとしてもホルモン剤が効くよ」と最初の病院で医師に言われた時、ホルモン剤か・・・。と喜べずにいた。

 

抗がん剤も辛いがホルモン剤が辛い人もいる

リンパ節転移もあった母の乳がんはフルコース治療だった。術前に抗がん剤をし、手術、放射線、ホルモン治療10年。その治療を受け、母が辛いと言ったのは抗がん剤ではなくて、ホルモン剤だった。閉経前の私と閉経後の母ではホルモン剤の種類は違うのだろうが、母はホルモン剤が辛いという言葉を何度か口にした。

「抗がん剤は見た目を変えた辛さと脱力感が一気に来て短期で終わった。ホルモン剤はジワリジワリとこれが長期続くのかと思うと。なんかね・・・辛い」ホルモン剤の薬が途中で変わった時は更に辛かったようで「今度のホルモン剤はね、オリモノの凄いの増えて気持ち悪いし、なんかカー!っと顔が熱くなったあと気持ち悪くて・・・。体がねジワリジワリと辛いのよホルモン剤って・・。この気分の落ち込みもホルモン剤なのかな」と時折こぼしていた。そして10年後には骨密度が低下し、骨粗鬆症の薬を飲んだ方がいいと担当医は言って来たが、副作用に顎壊死という字を見て服用していない。

 

ホルモン剤には抵抗が

ホルモン剤が効くよと言われた時から、ホルモン剤のことを調べていた。やはり母と同じようにホルモン剤の副作用が辛くて途中で中止した方。そして私と同じように、子宮に筋腫などの疾患があり、ホルモン剤の副作用で筋腫が大きくなったり、内膜が増殖してしまった方。リュープリンのホルモン注射では、筋腫が小さくなるようだけど、注射か・・と後ろ向き。私は子宮筋腫の他に子宮腺筋症があるが、筋腫も大きくならず腺筋症も痛みもなく過ごせている。いつか痛みが来るのかもしれないが、このまま何も起こることなく自然と閉経を迎えたい。

 

骨も心配

 私は日常生活には問題がないけれど、先天性の疾患で股関節が弱い。被さりが浅く閉経後、骨がもろくなると共に足に負担が出てくるかもしれない。杖を使うのが人より早いかも知れない。と20代の時に言われている。ホルモン剤を飲むことによって人工関節をつけるを早めてしまうのではないだろうか?人工関節をつけると決まっているわけではないけれど、先々の不安が頭に浮かんでくる。乳がん、子宮、足の骨、どこに誰に、何を相談すればいいのか・・・。

 

ホルモン剤やりたくないです

「ホルモン剤が効くタイプだからね。今後の治療はノルバデックス ・・」と担当医が話し始めた時「ホルモン剤やりたくない。子宮体癌のリスクもあるし、筋腫が育つんじゃないかとか気にしながら飲み続けるなんて。いやだなぁー」と担当医に告げる。「健全の胸の予防になるよ?」と担当医は言ったが「大丈夫。もう乳がんにならない」と全くもって根拠のない自信を告げる。「ホルモン治療をするか、今決めないとダメ?子宮の定期検診に行った時に婦人科の先生とも相談してみたい。でも、飲みたくないけど・・・」「まぁ・・・0.1の乳がんだしね。まぁ・・・飲まなくてもいいでしょ」と担当医の言葉に喜んだが、飲まなくてもいいと言われると、飲まないことが本当にいいのか、下がりきらない腫瘍マーカーなどを考えると飲むべきなのか?と迷う気持ちも出てくる。「いろいろ調べて、考えて、飲みたくなったら飲む」と告げ、基準値外の腫瘍マーカーを来月も測定することにした。

何よりも、気になっているのはいつも腫瘍マーカーCA15−3だった。

 

退院後の腫瘍マーカーCA15−3 下がっているのか

 

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術後の病理検査の結果を聞きに行った時、採血室で腫瘍マーカーの採血もした。病理検査の結果を聞いた後、腫瘍マーカーの結果を聞いた。

乳がんが確定した時から、私の腫瘍マーカーCA15–3は高値の異常値を示し、転移探しのPET−CTまで受け、結果を待つのも聞くのも恐怖の日を過ごした。術後も何よりも気になっていたのは腫瘍マーカーのこと。腫瘍マーカーがこんなに高くなければ私はもう少し気持ちは落ち着けていたと思う。

 

これまでの腫瘍マーカーCA15−3の結果

針生検で乳がん確定後最初の病院で400を超え(基準値は30)

転院後、術前 198  (基準値は23)

乳がん手術後入院中 48

そして病理検査結果時に測定した退院後初めての腫瘍マーカー結果は 26

基準値超えてます。

400越え→198→48→26 下がって来ているとはいえ1度も基準値に入らない。ネットで他の方の腫瘍マーカーを見ると1桁だったり2桁でも10代。再発や転移に反応を示すというCA15−3が私は初発から高く、いつも基準値外。モヤモヤの不安感が消えない。ちなみにCEAは3.5→5→4→4.5(基準値5)基準値ギリのいつも高め

 

不安になる赤いエラー数字

下がってきているという結果でも、もしかすると一時的なもので、どか〜んとまた3桁に跳ね上がったり、それともジワリジワリと上がってきたりするのか?PET−CTではまだ見つけらない転移があるの?と不安で仕方ない。なんとか毎度基準値内に入っているCEAとは違って、CA15−3の欄に並ぶ数値は全て赤く表示されている。エラーだらけのCA15−3が不安にさせる。

 

担当医と私の気持ちの違い

基準値外の数値にがっかりしている私に対し、入院中、他の患者でも腫瘍マーカーが高い患者がいると教えてくれた担当医は今回の結果を見て「いいね!順調に下がってきているね」といつものニコニコスマイルを私に向ける。「先生、不安・・・。どっかに癌が隠れてるのかな?転移があるのかな?またPET–CT受ける?いや〜そんなに受けてたら被曝しちゃうよね・・・。血液クレンジングとか行ったら変わるかな?」と考え込む私。「どうして?下がったじゃない?これだけ手術して下がったんだから。胸の癌が原因だったってことだよ。腫瘍マーカーの基準値が元から高かったってことだよ」と言葉を向けてくれるが耳に入らず「どうしよう、転移が見つかったら・・・」と赤い数字の26を見つめ口にする。

「その時はその時に合う治療をしていけばいいんだから、今は転移は無い。それに、ほぼほぼ、非浸潤性癌なんだし」とポジティブスマイリーを向けた。その時はその時って・・タラレバの話をしても仕方ないのは分かるけど、その時は来て欲しくなく、その時を考えると恐ろしいのだよ患者としては。

 

乳がん手術後病理検査の結果 結果って変わるもの

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退院から2週間後初めての診察。この日は乳腺外科の診察の前に採血室、形成外科、リハビリテーション科の診察もあり、大学病院内をあっちこっちと忙しかったのを覚えている。

 

 病理検査の結果

乳腺外科の診察室へ呼ばれ、結果が悪かったらどうしようとドキドキで椅子に座る。「今日は、手術の病理検査の結果だね〜」と言いながら先生が開いたデータを一緒に覗き込んだが英語だらけの文面が並んでいた。

「え〜!英語だらけ・・・」と言うと先生が病理検査の結果を説明しながら書き出してくれた。

 

乳がんの病理検査の結果

  • 乳がんの大きさ:非浸潤径5.5× 5.0 浸潤径0.1× 0.1

  • リンパ節転移:なし

  • エストロゲン受容体:陽性90%
  • プロゲステロン受容体:20%
  • HER2蛋白:陰性
  • Ki−67:5%
  • リンパ管浸潤:なし
  • 静脈浸潤:なし
  • 核の悪性度:グレード2
  • 切除断端:陰性
  • 組織型:乳頭腺管癌
  • ステージ:1 

 

非浸潤性乳癌ステージ0からステージ1へ

術前の針生検の結果ではステージ0の非浸潤性の乳癌という診断が、0.1×0.1の浸潤が見つかり、ステージ1に変わってしまった。腫瘍の大きさが5センチを超えているからステージ2とか3じゃないの?と質問すると、非浸潤径の大きさではなく浸潤部分の大きさでステージが決まるらしい。0.1×0.1針で穴を刺したような大きさの微小浸潤が憎たらしい。  

 

乳がんの大きさも倍以上の結果

術前のエコーでは、最初の病院で1.7、大学病院で1.9と診断されてはいたが、5.5× 5.0の非浸潤癌という病理検査の結果に、やっぱりね。という感じだった。私の乳がんの始まりは自己触診で握り掴める大きさの突如現れた大きなシコリからだったからだ。

 

腫瘍のスライス幅の確認

術前から腫瘍マーカーが高値を示していたので、もしや血管侵襲でもしているのか?とモヤモヤしていたが、結果を聞き「血管なしね!良かった!」と言うと「腫瘍見る?」とニコニコしながら画像を出そうとする先生に「えー!いいよ怖いから」と言った時には既に遅し、画面には腫瘍が映し出されたいた。慌てて画面を切り替えようとする先生に「もう見えちゃった・・・先生それ何ミリで切ってるんだろう」と細かく切られている画像を二人で確認し「かなり細かく切られてる感じ。良かった。この幅に切って診断した結果、1㎜の浸潤があったってことだよね?」と確認をした。スライス幅が細かく切られている方がいい。自分の取り出した乳を見るとは思わなかったが、確認できて良かった。

 

乳がん手術退院後エキスパンダーの胸で困ったこと

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退院し自炊生活が始まると、病院食のぬるいお味噌汁でも3食はありがたかったと改めて感じた。

 

 ドアノブもシャンプーも痛い

乳がん手術をしエキスパンダーが入った右胸で退院。家の玄関のドアノブを引いた時、胸が圧迫される痛みを感じ、胸が心配になった。ドアってこんなに重かった?お風呂に入ればシャンプー、リンス、ボディーソープのポンプを押すだけのことで胸が痛む。ポンプってこんなに力必要だったの?押すたびにエキスパンダーがズレたり、傷口がパックリ開いたりしないか気になって仕方なかった。しばらくは左手で押すことにした。

 

米を研ぐのも包丁を使うのにも胸が痛い

退院の翌日から自炊を始めた。利き手の右手で米を研いだ時、耐えられない痛みではないけれど胸が痛い。お味噌汁は大好きな大根にしようと途中まで包丁を入れたが胸の痛みで手が止まり、諦めるべきか、もう一押し力を入れてもいいものか、なぜ大根を選んだのかと後悔までも感じた。途中まで包丁が刺さった大根を見つめ、フリーズしていたことを今でも覚えている。

 

 家のベッドでの寝起き

リモコン式の病院のベッドは寝起きにはとても便利だった。家のベッドではフラットの状態から手すりもなければ自力で起き上がらなければならない。入院中、看護婦長に教わったテコの原理を使った起き方でしのいだ。老後に備えてリモコン式ベッドのお金を貯めるべきだと私の未来設計にリモン式ベッドが組み込まれた。今現在全然貯まってないけれど・・。

  

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 最初を思い出せば

手術の翌日、トイレットペーパーを取る、切るだけの動作で腕の行動範囲が狭く感じ胸が痛かったこと、歯を磨くだけの動作がぎこちなかったけど数日たった今は違和感を感じない。大丈夫。1日1日回復して来たんだ。その内何も違和感を感じなくなるさ。と言い聞かせた。

 

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退院は突然決まり普通はお迎えに来るものなのか?独身女の退院は

 

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明日ドレーンがとれる予定と言われていたのが、その日の夕方にドレーンがとれ、術後エキスパンダーの入った胸との対面を果たした。

 

退院は突然決まる

夕食前、乳腺外科の担当医に「ドレーンとれたんでしょ?明日退院ね」と言われる。退院の目安はドレーンが外れたらとわかっていたけど、突然すぎてビックリするというか、荷物まとめるのが面倒だわ・・・。と思ったのが正直なところ。こんなに突然退院と言われると、お迎えに来る側のスケジュールは関係なしね。独身女、実家の両親には内緒にしている乳がん。迎えに来られるか期待せずに彼に電話をかけた。「明日の夕方なら迎えに行けるかもしれないけど、病院って何時までいられるんだ?」と聞かれ確認して折り返すと電話を切った。

 

病院という職場も人間関係いろいろありそう

いいところに看護師さんが病室に入って来たので、明日は何時までに退院すればいいのかと聞くとキョトンとしている。「明日、退院なんです。それから毎日の消毒とかって退院後も必要ならやり方を教えて欲しい」と告げると「え?明日退院?!」と看護師が驚いている。そこに病棟婦長がやって来た。「誰が退院なんて言ったんですか?」と婦長も驚き乳腺外科の担当医に確認を取りに出て行った。

私にしてみれば患者でいるだけのただの病院だけど、看護師や先生にとったらここは職場。どこの職場でも人間関係がいろいろあるものだ。入院中、私にとってはどの科の先生も優しい先生に見えても、隣で指示を受けテープやガーゼを渡す看護師さんの顔はこわばっているのが見えたり、看護師さんとの婚活話で、医者と結婚したら?と勧めると「医者だけは絶対に嫌だ!」とものすごい拒絶。洗髪をしてもらってる最中に介護士さんの止まらない不満話を聞くのもそれはそれで楽しかった。人間関係どこでもいろいろあるものだ。

 

退院日変更

婦長が担当医を連れて病室に戻って来た。「乳がん手術をした方はドレーンがとれたら、リハビリテーションを受けてもらってからの退院なんですね。明日は午後からリハビリテーションを受けて頂いて翌日退院でよろしいでしょうか?」と婦長が私に説明すると担当医は「じゃあ、退院は明後日ね」と一言告げて部屋を出て行った。

もしかするとだけど、担当医は不眠生活の私を見かねて、ドレーンがとれたなら1日でも早く退院させてあげようと思ってくれたのかな?

 

退院日には迎えに来れない

明後日の退院日に彼は来れないということで、明日の夕方に荷物を取りに来てもらうことにした。ローラーがついているキャリケースは便利なので、彼には預けず退院日当日まで使う洗面道具、タオル、脱いだパジャマ、メイク道具をキャリケースに入れて一人でタクシーで帰ることにした。それ以外の不要な荷物を彼に持って帰ってもらった。

 

退院はお迎えに来るのが普通なのか

退院日の朝「お迎えは何時頃いらっしゃいますか?」と当たり前のように看護師さんに聞かれる。私は乳がんのことを私の口からは彼氏、弟、勤めていた会社の社長、高校時代からの男友達1人しか話していなかった。「お迎えは来ないので、一人で帰ります」というと「えー?大丈夫ですか?」と心配される。家族が迎えに来れる日を希望して退院を伸ばす方もいるようだ。独身、一人暮らしの女にとってみれば、術後だろうが、乳がんだろが、家に帰れば食事の支度、買い物、食器洗いも全て一人でしなければならない。荷物がほとんど入ってない軽いキャリーバックを転がしてタクシーに乗るだけのことが一人でできなくて、退院後どうなる?の世界だ。それでも看護師さんは心配してくれてタクシーまで荷物持って行きますよ。と気遣ってくれようとした。軽いし大丈夫です。お世話になりましたと独身女は退院した。

ドレーンがとれた日 エキスパンダーの胸と初対面

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手術後、尿管には管が入り、胸にはドレーン、足には血栓予防のマシーンと、術後は身体中管だらけ、翌朝には血栓予防も尿管も抜かれるけど、ドレーンは最後の最後までお友達状態。

 

入院期間はドレーン次第

手術した翌日、病棟婦長が、ずっと個室での入院でいいか確認にきた。乳がん+同時再建エキスパンダーの手術の入院予定期間は2週間〜3週間、ドレーンが外れれば退院。ドレーンの排液の出具合は個人差があり長引く可能性もある。差額ベッド代の掛からない大部屋はいっぱいだけど差額ベッド代5000円の4人部屋なら今なら空いていると婦長に病室を案内してもらった。体調によっては長引く可能性もあるし、1日15000円の個室で高額になるであろう入院費用を心配して案内に来てくれた。でも婦長が訪れたのは入院費用の心配だけではなかったのだろう。入院して分かったのは、婦人科病棟には個室が少なく個室はナースステーション前。重篤な患者さんが出た時のため空けときたかったのだと思う。「入院が長引きそうなら、その時、相談に乗ってください。優先すべき患者さんがいれば、いつでも他の部屋に移りますので」と個室入院を続けた。入院期間はドレーンにかかってるということだ。

 

とりあえず歩いた

10年前、母が乳がん手術をした時、術後しばらくは安静にするのが当たり前だと思っていたら「今は動いた方が回復が早いという考えなんですよ」と看護師さんに言われ、リハビリと称して母と、病院内を歩き回っていた。私も手術翌日から体を動かした方がドレーンと早くサヨナラできる気がして階段移動をし、とりあえず歩き回ったていた。

 

ドレーンの排液

胸の管からドレーンパックに移動する排液の色も最初は赤い血の色そのものが、徐々に薄い赤、黄色身がかった色に変化して量も減っていくのが自分でも確認できる。私の入院していた病院では、真夜中に看護師さんがドレーンパックに溜まった排液を計量回収にくる。不眠生活に陥ってた私は毎晩その計量を見ては順調に減っていくのを喜んでいた。

 

ドレーンを抜く時の痛みは

退院2日前、明日ドレーンが取れる予定と言われていたのに、夕方、看護師さんに形成外科の先生の呼ばれてますと連れていかれるまま、移動するとそこは処置室。その時、ドレーンを抜くとわかり「先生、怖い。抜くの痛いの!?」と身構える。「ぜ〜んぜん。痛くないですよ」と言われてるうちに「もう終わったよ」とあっという間に抜かれてた。痛みは全くない。思いのほか早くドレーンは手術から1週間でとれた。

 

エキスパンダーが入った胸との初対面

ドレーン除去後、病室に戻ると、看護師さんが「ドレーンも外れたし胸見て見る?」と手鏡を渡してくれた。部屋のシャワー室に鏡はなく、洗面台の鏡では廊下に面していて服を脱ぐこともできない。胸を確認したい人にとってはもどかしい状況だ。私は、毎日の消毒のたびに顔を背け、持参してた手鏡で胸を見る勇気もなく過ごして来ていた。

乳輪乳頭温存皮下乳腺全摘手術をし、エキスパンダーが入り小さく膨らんだ胸を見た。乳頭、乳輪の色が濃く具合が悪そうな色は徐々に良くなってくると伝えられ安堵する。脇から縦に切った縫い目。これは術後消毒に来る看護師さんたちが「凄い!綺麗!これ手術誰?H先生?流石」と嬉しい言葉を何度も耳にしたほど、細く綺麗に縫われていた。乳がんを切除した後、乳腺外科の先生から形成外科の先生にバトンタッチしエキスパンダー挿入後、閉じる縫い目は、乳腺外科の先生たちよりも形成外科の先生たちの方が綺麗だと、閉ざされた個室で内緒話のように看護師さんが教えてくれた。

初対面の術後の胸の感想は本当に乳頭、乳輪の色は良くなるのだろうか?酸欠状態のような具合の悪そうな色の乳首はポロリととれたりしないだろうか?と気になることはあったけどエキスパンダーで小さな膨らみをつくった胸は安心させてくれるものがあった。