Four L consultant's blog

4つのLを大切にするキャリアコンサルタントです

コロナ禍後のキャリアコンサルタント

 東日本大震災から10年になります。

 昨年の4月、コロナ禍が本格化してきた頃に、この一つ前の記事を書きました。その3ヶ月前に阪神・淡路大震災に関連して、やはり記事を書きました(記事というにはおこがましいのですが、はてなブログではそう呼ぶらしいので)。

 東日本大震災の後に、当時経営していた会社が業績不振になり、休業を決意して、被災地にボランティアに行きました。そこで本来であれば前途あるはずの若者たちが打ちひしがれている様子を見て、何か人生の先輩として力添えができることもあるのではないかと思い、キャリアコンサルタントとして出発したのが現職の始まりです。

 その後、厚生労働省のキャリアコンサルタント5万人(のちに10万人)計画などもあって、世間の注目度が高まる一方、その希少価値も徐々に薄れてきたように感じます。

 特に、そう昔のことではない自身の就職活動経験を通じて、後輩にアドバイスをしたいと考える比較的若い方や、子育てが一段落した後のキャリア再開の選択肢として、この道を選ばれる女性が増加してきているのも特徴の一つではないでしょうか。

 私自身もそうだったように、人の役に立つ仕事がしたい、人事採用業務の経験を活かせそう、などの動機も多いように思いますが、大げさに言うと、戦後の高度経済成長期以降の日本において、このコロナ禍というものは、バブル崩壊や、インターネットの普及、リーマンショック等を上回る労働環境の変遷、パラダイムシフトに繋がることは間違いないと考えています。

 経済はいかに不要不急な消費行動によって回っていたか、都心のオフィスの存在や遠距離通勤は今後も必要なのかなど、企業にとってこれまで当然の事のように考えられていた事象の再考に迫られる結果、その構成員である社員の働き方や要員計画も、未来を見越した改革が求められるのは自明の理といえるでしょう。

 少子高齢化はますます加速、中高年層は人口は増えるが仕事がないという状況に陥るのは明らかで、受け皿の定まっていないままのリストラや退職勧奨は、現在より更に増加することに疑いの余地はありません。


 そこで、キャリアコンサルタントの出番です

 ・・・のはずなのですが、現実的な問題として、皆さん、どのような支援ができますでしょうか。

 パラダイムシフトというのは字面どおり、コロナ禍が収束しても元の姿に戻らないことを意味します。

  若年者支援に関しては、若者気質や周辺環境、就職事情等のキャリアコンサルタント側の絶え間ないキャッチアップについて、これまでも必須事項でしたが今後は更に重要度が高まり、コンサルタントという職業名称どおりの知見・振る舞いが求められます。

 更に、ミドルシニア層については、産業構造が変化し、ニューノーマルな世界に放り出され、とにかく明日からでも働かなくては食べていけないというクライアントが、キャリアコンサルタントの元を訪れる機会も今より増加するのではないでしょうか。

 そのようなクライアントに対しては、「求人を紹介しない」とか「自分を見つめ直す手伝いをする」とかの、抽象的な、成否が目に見えにくい支援内容で報酬を頂くのは難しいと感じます(企業内キャリアコンサルティングのように契約主体がクライアント自身ではなく別にある場合や、ハローワーク等の職員として勤務する場合を除きます)。

 
 厚生労働省の10万人計画のせいか、昨今のキャリアコンサルタント周辺事情を見ると、乱立した養成講座、質が高いとは言い難い講師陣、決して安くはない資格更新に必要な講座受講料などから、いわば資格ビジネス化した感さえあります。

 特に最近は facebookの有資格者グループなどにおいても、上級資格取得者や経験の長い先輩方から経験の浅い方へといったキャリアコンサルタント同士の有料の勉強会等のお知らせも多く、言い方は極端ですが、マネタイズできるパイの喰い合いのような様相も見受けられます。


 繰り返しになりますが、「キャリアコンサルタントして、自分は費用対効果に見合ったどのような支援をすることができるのか、その裏付けはあるのか」を、改めて考えてみることも重要だと思います。


 「他人の役に立ち、やりがいのあるこの資格で食べていく」と決意されて資格を取得された方も、他人の就職支援以前に自身の収入の心配しなければならないという自己不一致に陥る恐れがあることを、このコロナ禍の今、自戒の念も込めて記しておきたいと考えました。

 

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2011年8月 宮城県南三陸町

 

何年後か、何十年後かに

 今年で東日本大震災から9年が経過しました。阪神淡路大震災からは四半世紀経過ということで、この2つの大震災については、1月にこのブログでも言及しました。

 9年前の出来事が、ほんの9ヶ月前のようにも、遠く19年前のようにも、そのどちらにも感じられるような、時の流れの不思議さを感じます。
 本来であれば、今夏はクラウドファンディングで整備資金を寄付した復興祈念公園を訪ねる予定でしたが、その進捗状況も聞こえてきません。

 

 ざっくり人生を80年として、私の祖父母世代が関東大震災、父母世代が第二次世界大戦という悲惨な災いを体験してきました。
 私自身の世代はどうかというと、まさしく高度経済成長期の、東京オリンピック大阪万博に沸く時代に生まれ育ち、就職活動の時はバブル真っ只中、もちろん個人々々には様々な紆余曲折はあるにしろ、世代的にはとても恵まれていたと感じます。

 

 そして、25年前というと私は社会人7,8年目で、その年は前述の阪神淡路大震災の他にも、地下鉄サリン事件も発生しました。私は当時も今も東京在勤ですが、阪神地震は朝テレビのニュースで初めて知ったほどでしたし、サリン事件もこの地下鉄路線は通勤経路ではなく、被害はありませんでした。

 運良く大災害を掻いくぐってきて、ブラックマンデーリーマンショックなどのある意味経済的災害も直接的な被害を受けることなく、人生の折り返し地点周辺まで来た時に、東日本大震災に遭遇しました。
 とはいえ、これもまた、友人の親族が数日間行方不明になったこと(結局無事でした)、発生時は都心にいて、真夜中まで長時間の徒歩での帰宅を強いられたこと程度の被害で済みました。

 

 しかし、今回の新型コロナウイルス禍は違います。全世界的な流行であり、いつ収束するかも誰もわからない、逃げ場のない未曾有の事態です。

  人生100年時代とか、諦めたらそこで試合終了とか、今が一番若いとか、すべて真実ではあるのでしょうが、そうはいっても、正直この歳になってからジタバタしても仕方のないことはありますし、時の流れを巻き戻せないことも紛れのない真実です。


 私自身はそれでよい、というか、受け入れざるをえないにしても、これから社会に出る人や家庭を持とうとする人、キャリアを積んでいこうと考えている人、等、まだまだたくさんの可能性を持っている若い人達にとっては、本当に大変な時、耐え忍ばざるをえない時だと思います。
 ただ、裏を返せば、この苦難の時を乗り越えた後には、大きなパラダイムシフトが起きることは間違いありません。そこには未知の、大きな可能性が広がっていることと思います。

 

 私は企業勤めだった頃、上場のために新しい業務が増えるたびに担当させられたり、複数の役職を兼務させられたりするたびに、「なんで自分ばかり」と不平不満を述べていましたが、今、振り返ってみると、その時の経験は自身のキャリア形成上、とても大きな財産になっています。 

 この時期を乗り越えたパラダイムシフト後の世界の、何年後か、何十年後かに、「あの新型コロナウイルスの頃は大変だった」と、皆さんが回想できるように、今、この瞬間に老兵キャリアコンサルタントとして、どのような貢献ができるのだろうか、と自問する日々が続いています。

 

 皆様もくれぐれも健康に留意して、ご自愛の程を。

 

オッサンの経験値は通用しないか


 ある講演の書き起こし記事で見た、

 オッサンの経験値が通用しない時代が到来

には、全くもって異論はありません

 しかし、いじめっ子といじめられっ子、健常者と障がい者、富裕層と貧困層など、何かのきっかけで双方の置かれている立場が、瞬時に入れ替わることも少なくありません。古くから「明日は我が身」という言葉もあります。

 私達世代もかつては「新人類」などと呼ばれていたんですよ。

 例えばパソコン一つとっても、私より上の世代(現在リタイアしている方々など)は使用したことがない方がいても不思議ではありませんが、私の世代やそこから下で、現在20代中盤ぐらいまでの方々ですと、馴染みのない方は少ないと思います。
 ただ、更にそこから若くなると、すべてスマホで済ましてしまい、「キーボード打つの苦手です」とか「Excelは全然使えません」などと言う人も現れるようになりました。
 学生の就職支援をしていても、当初はメールが連絡手段でしたが、今ではラインをはじめチャットツール全盛です。携帯キャリアから付与される自分のアドレスを知らない学生も多く見かけます。
 かつてドッグイヤーという俗語が世に出てきましたが、これまたすぐにマウスイヤーという俗語が取って代わったそうですが、オッサンの私は犬までしか知りませんでした。

 唯一、今の時代でも通用するオッサン側の経験値から言えることがあるとすれば、

 「今、非オッサン側の人達も、等しく歳を取り、
  いずれこちら側の人になる。
  そして、そのスピードは
  より加速していくかもしれないよ」

ということぐらいでしょうか。

“オッサンの経験知”が通用しない時代が到来 山口周氏が語る、年長者と若手のあるべき関係性 - ログミーBiz

 

「日本を元気にしたい」「笑顔を届けたい」系

 志望先の業種や職種にもよりますが、就活生の志望動機で
 「日本を元気にしたいからです」
 「みんなに笑顔を届けたいからです」
などの文言を見聞きすることがあります。私も模擬面接などで、特に女子学生がキラキラした笑顔でこう話す場面に、幾度となく立ち会いました。

 実際に企業で採用担当をしていた頃、下記のような応答がありました。業種は広報・PR業で、職種はAE職(アカウントエグゼクティヴ;一般的には営業職同様です)でした。

私 「この業界を志望した理由は何ですか?」
学生 「広報・PRを通じて、まだ認知度の低い良いものを世の中に知らしめて、世界の多くの人を幸せにしたいからです」
私 「そんなに大上段に構えなくても、自分の仕事によって、周囲の身近な人が幸せになれれば、それで十分ではないでしょうか?」
学生 「いえ、そういう誰もができる感じではなく、もっとこう、やりがいを…」
私 「身近な人を幸せにすることは、貴女にとって誰でもできる手軽なことなんですか? 私はそんなに簡単ではないと思いますが、いかがでしょう?」
学生「…(沈黙。やがて号泣)」

 号泣してしまったインパクトは大きかったのですが、それ以外の部分では十分に優秀さを感じ取れていたので、人事としての面接は通過させて、あとは役員面接次第となりました。

 役員面接には、私は人事(事務方)として同席するのですが、最後に1分間のフリートークの時間をあげたら、
 「面接で泣いてしまい恥ずかしかったけれど、確かに身近な人を幸せにすることは、そんなに簡単なことではないことに気づかされて、かえって感謝している」
と言ってくれて、泣かしてしまった罪悪感から救われました。

 彼女は無事入社し、活躍してくれましたが、会社の器が小さすぎたのか、日本語学校を現地に設立するために東南アジアの某国に飛び出していきました(今は帰国し、結婚・出産を経て、編集者として頑張っています)。

 下記の記事を見かけたことから、今回はこんなブログになりました。

president.jp

 

スタートアップの功罪 ~人を雇うということ~(後)

 前回、スタートアップ企業に就職する側についてはコメントしましたが、今回はスタートアップとして採用する側について、になります。

 自力でプログラミングが可能で、アプリなどを容易くローンチさせられるデジタルネイティヴ世代の優秀な人達が立ち上げるスタートアップですが、企業を経営する、組織を運営するという点においても、同じように優秀かどうかはまた別の問題です。

 人を雇用するということは、その社員、およびその家族の生活を、責任をもって引き受けるということに他なりません

 私の亡父は小さな企業を経営していましたが、労働集約型産業だったため、バブルの好景気時にはどんどん人を雇いました。が、一転不景気になった際は、解雇宣告される社員はもちろんのこと、宣告する方の父も申し訳なくて、双方泣きながらのリストラを進めざるをえませんでした。

 私自身が昔の同僚と会社を立ち上げた際も、亡父の姿をこの目で見ていたので、どうしても人手が足りなくなるまでは、社員の雇用には慎重を期そうと誓い、外部リソースの活用で凌いでいました。結局、私と共同経営者の2人以外、社員を雇うこともなく、東日本大震災の影響で業績不振から休業となってしまったのですが…。

 『「一緒に会社を大きくしよう」「夢に向かって突き進もう」のスピリットだけで、他人の人生を背負える覚悟はあるのか』ということを採用者側に問いかけてみたい、と悶々としていた最近、偶然あるツイートで「とあるスタートアップで働く人」さんの noteを拝読し、このブログエントリーを書く後押しとなりました。是非ご一読を。

note.com