Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

インバルのマーラー10番

ようやく大阪にもエリアフ・インバルが来てくれて、マーラーのなかでも特別に好きな第10交響曲を聴きにいきました。

デリック・クックによる補筆完成版はめったに演奏されることがなく、大阪フィルにとっても初めてなのだそうです。私が実演で聴くのも、20代に若杉弘都響で聴いて以来。

 

インバルはクック版に早くから取り組み、個人的にも知り合い、実際に演奏したあとに意見を述べ、それが改訂版に反映され、今回のは何度めかの改訂を経た最新のバージョンとのこと。クックの死後も後継者が少しずつ筆を加えられる work in progress の形になっているなんて、なんだかすてきです。作曲者も喜んでいるのではないでしょうか。芸術作品というものは、個人の占有物ではなくてみんなの共有するもののはずですよね。
聴いてみて、聴き慣れている古いクック版とどのように違うのか、なんかいつもと違うなあというところはあったけれど、よくわかりませんでした。

インバルの指揮は、細部まで知り尽くした人だけに、明晰で理知的。声部が複雑にからみあうところも、まるで澄んだ水の中の魚が全部見えるみたいに透明に聴こえてきます。
マーラーのこの曲そのものが、透明感を感じさせる、とも言えます。中期の巨大な編成よりはひと回り小さく、あちこちでテクスチャーが薄くなってソロが出てくるところはまるで室内楽みたい。第1楽章では打楽器がずっと沈黙したままで、あのトーンクラスターのような恐ろしいクライマックスの和音でさえ、どこか透きとおったところがある。

もっとドロドロとして狂気すれすれの、のたうちまわるような濃厚なマーラーの演奏もありうるし、個人的にはそういう演奏のほうが好きです。今夜のインバルも、あっさりしすぎとも言えるかもしれない。第1楽章のテンポも、すこし早すぎる気がして、もっとたっぷり歌ってほしいなどと思います。しかし、この第10交響曲に関しては、こういうあっさりしたアプローチのほうが、むしろ曲の特異性をよりあざやかに表現できるのかもしれません。

インバルによれば、第9交響曲は死を表現し、第10は死後の世界なのだそうです。私はそのような標題的な聴き方は好みませんが、人生の修羅を経たあと、どこか吹っ切れたような、澄みきった彼岸性とでもいうべきものが、きょうのこの演奏からは感じられました。

 

終演後帰ろうとしたら、Bravo と大書した横断幕を掲げている人が客席にいて、ちょっとびっくりしました

開演前の韓国料理店にて。楽譜のとなりにあるのは黒豆マッコリです。

 

小澤征爾とマーラー

さきごろ亡くなった小澤征爾をしのんでマーラーを聴いていました。

第9番と第10番、10番はアダージョ楽章のみです。ボストン交響楽団との演奏で、1989~90年の録音。

 

東京で学生生活を送っていた1980年代、小澤征爾をよく聴きに行ったものでした。海外のオーケストラは貧乏学生には割高で、聴きに行ったのはもっぱら新日本フィルとの演奏です。

よく覚えているのは、シェーンベルクの「期待」、ベルクの「ヴォツェック」(演奏会形式)、マーラーの9番、メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」など。私にとって小澤さんは、何よりも20世紀音楽の水先案内人でした。彼の遺したレコードのなかで、すりきれるほどいちばんよく聴いたのは、シェーンベルクグレの歌」です。

マーラーの9番は、そのころ住んでいた学生寮の仲間ふたりを誘って、東京文化会館で。そのころ寮でこの曲が流行っていたのでした。

メシアンは、小澤さんの指揮でパリで世界初演したあと、東京カテドラルで、抜粋版を演奏会形式で聴かせてくれました。客席後方のオルガン席のソプラノの天使に向って、半身をねじらせてふりむいてキューを出している姿を、あざやかに覚えています。

まるで体そのものから音楽がきこえてくるかのようなしなやかでリズミカルな体の動き、大きな管弦楽でもすこしも重くならない軽快さ。何十年経っても消えない印象です。

このたび、このCDのマーラー10番のアダージョを聴きなおして、あらためて感じるのはゆったりしたテンポです。たいていは20分から25分でおさまるこの楽章を、30分ちかくかけて、悠々と、ていねいに、歌い上げる。この楽章をほかの指揮者で聴くと、特に真ん中へんの、皮肉交じりのスケルツォ的な楽想のところで、せかせかと早すぎるように感じることが多いのですが、そう感じてしまうのは、小澤さんのこのテンポが、私の中でデフォルトになっているからかもしれない。

打楽器の好きなマーラーなのに、10番のアダージョでは打楽器が一度も鳴らされず、それがこの曲の独特の透明感をもたらしている気がします。あの恐ろしい不協和音、すべての色を重ねて真っ黒になったようなクライマックスの和音のところさえ、どこかに透明ななにかが残っている。ただ、作曲家は未完成のまま世を去ったので、推敲の過程で打楽器が加わっていたかもしれない。

デリック・クックの補筆した完成版を、小澤さんは録音に残さないままでしたが、お考えがあってのことでしょう。ぜひ聴いてみたかったです。

小澤さん、ありがとうございました。安らかに

 

 

クリスマスと新年のカンタータ@神戸

お友だちのお友だちが行けなくなったとのことで切符を譲ってもらった音楽会を聴きに、神戸・六甲の松蔭女子大学チャペルへ行ってきました。鈴木優人指揮のバッハ・コレギウム・ジャパンを聴くのは10月のヘンデルジュリオ・チェーザレ』以来ですが、きょうはバッハ。クリスマスと新年を祝う輝かしいカンタータの響きにひたってきました。

管弦楽組曲第2番』
子どものころ父がこの曲のレコードを家でよくかけていて、そこでの大編成の堂々とした演奏を聴いて育った私にとって、ミニマムの人数(各パート一人ずつ)の室内楽編成での軽やかな演奏は、まるで別の曲みたいでした。フラウト・トラヴェルソのホロホロとひなびた響きが印象的。ロ短調という短調で一貫して書かれていますが、なんと陽気な短調だろうかと思います。ロマン主義的な悲哀の感情が短調に込められるより前の時代の、明るい短調。とりわけ終曲の「バディヌリ」の羽目を外したような陽気さは、序曲の荘重さを裏切るように聴こえて面白い。仰々しい王様の入場で始まった宴会が、最後にはハチャメチャな無礼講になるみたいに。ロマン派以降の発想ならば、序曲とつりあうような重々しいフィナーレを置くべきところを、こんなふうにふざけるところが好きです。

カンタータ第36番『嬉々として舞いあがれ、星星の高みまで』
ほんとうに重力から解き放たれて空に舞いあがるかのような旋律線を描く合唱の壮麗さが耳に残ります。愛のようにあたたかいオーボエ・ダモーレの響きも。世俗カンタータからの転用の過程を分析しつつバッハの作曲の秘密に迫った江端伸昭氏の解説がものすごく勉強になりました。

カンタータ110番『われらの口には笑いが満ち』
フランス風序曲を宗教的合唱曲に応用するなんて、バッハ以外の誰も思いつかなかったでしょう。ティンパニやトランペットも加わった華やかな音楽。ほんとうに、私たちの口に笑いが満ちる世の中になりますように。

カンタータ第190番『主に向かって新しい歌を歌え』
同じタイトルのモテットBWV225 は愛してやまない曲ですが、こちらの曲は初めて。鈴木優人氏が楽譜の欠落を補筆したヴァージョンとのことですが、ほんとうにバッハの曲みたいに聴こえましたし、優人氏のこの曲をへのひとかたならぬ思い入れが伝わってきました。

音楽が終わって外に出ると外は夕闇。六甲の中腹から見える残照がきれいでした。

 

ジュリアード四重奏団@西宮

キンモクセイの香る秋の夜、ジュリアード四重奏団の室内楽を楽しんできました。

プログラムは

ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第13番 op.130

ヴィトマン: 弦楽四重奏曲第8番(ベートーヴェンスタディⅢ)

ヴィトマン: 弦楽四重奏曲第10番「カヴァティーナ」(ベートーヴェンスタディ

ベートーヴェン: 弦楽四重奏のための大フーガ op.133

ベートーヴェンの作品130にはフィナーレが二つあり、はじめに書いた《大フーガ》が長くて難しすぎると言われて、より簡潔な曲を新たに書いてフィナーレにし、大フーガは作品133という別の番号をつけて独立させたのでした。

近年は、作曲家の最初の意図を尊重して、フィナーレに大フーガを演奏することも多いようですが、この日はあえて新フィナーレのほうにして、大フーガは最後に置き、あいだにイェルク・ヴィトマンの、ベートーヴェンにインスパイアされた委嘱作品を置いたプログラムです。

メンバーが入れ替わって、いつのまにか女性3人男性1人となり、演奏スタイルもずいぶん様変わりしているように感じます(昔のは録音でしか知りませんが)。
昔のは、ぬかるみの悪い道でもそのように感じさせず快速で走り抜けるスポーツカーのような演奏だったけれど、きょうのは、ぬかるみのところはぬかるみのように聴こえるし、崖から飛び降りるようなパッセージは、ほんとうにぞくぞくするほどスリリングに聴こえました。昔のジュリアードの演奏にはあまり聴かれなかった、フレーズの歌い始めや区切りに現れる〈タメ〉や〈間(マ)〉が、音楽の中にある起伏や亀裂をよりあざやかに見せてくれる。たまたまたまたまチェロの近くの席だったせいか、チェロがよく聴こえてきて、きょうのベートーヴェンにはそれが似合っていました。


ベートーヴェンは作品130の四重奏曲を書いたとき、迷い、戸惑い、悩んでいたのかもしれない。一歩進んでは考え込み、別の方に進んでみて、そこでまた迷い、ああでもないこうでもないという具合に。自分の選んだソナタ形式という服が、なんとなく自分に合わない気がして、それでもなんとかしてそれに合わせようとしているような。

このあとに書かれ、作品130と同様に破格の多楽章形式をもつ嬰ハ短調の作品131では、その筆に迷いが感じられず、ある種の確信をもって進むように聴こえるのと比べても、作品130では、何か手さぐりで未知の領域を進んでいるように思えます。この手さぐりの感じ、ベートーヴェンでほかに思いつくのは、ハンマークラヴィーアソナタのフィナーレの序奏くらい。

英雄交響曲を書いた頃の自信満々とは正反対の、このような優柔不断な心の動きは、特に第1楽章の、たびたびテンポが変わり曲想が変わるところによく聴き取れます(初めて聴いたときこの楽章がとっつきにくいと感じたのも、その不確かさゆえであり、聴く方も、あれ?いま自分はどこにいるのだろう、と迷子になるほど)。第4楽章のカヴァティーナの途中の、Beklemmt(息切れして)という珍しい指示のあるヴァイオリンのソロが、不規則なリズムで呻くように歌うところも、作曲家の不安定な心の動きをそのまま表しているように聴こえます。

決して聴きやすい曲ではないし、12番以降のベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲のなかで、これが一番好きという人は少ないはずで、私自身も好きかと問われればためらいますが、それにもかかわらず、その謎めいたところをもっと知りたいと思って、後期の中では一番ひんぱんに聴いているかもしれない。

作品130で昔から好きなのは、ほとんど遊び心さえ感じさせる軽やかな諧謔の第3楽章と、大フーガの代わりに新しく書き直したフィナーレです。自信作の大フーガをけなされて、作曲家は気を悪くしたに違いないけれど、怒りながら書いたはずなのに、なんとすばらしい、入念に彫琢され、しかも音楽の喜びにみちた楽章でしょうか(大フーガよりも新フィナーレの方が好きなんて言うと、ベートーヴェンの真髄がわかっていないみたいで恥ずかしいのですが、ほんとうだからしようがない。大フーガはまだまだよくわからないところがあります)。

第2楽章のプレストの曲想も、これを書いた人は怒っていたに違いないと思ってしまうのですが、そのような不機嫌や怒りと、第3楽章のようなユーモアが矛盾しながらも同居しているところが、この曲の魅力の一つではないでしょうか。まるで、一人の人間の性格の多面性をさまざまな角度からてらしているかのように。

大フーガについてもうすこし書いておくと、フーガといえばどうしてもバッハを標準にして考えてしまうので、この曲はなんだか異質な要素を詰め込みすぎて、フーガじゃないみたいに聴こえるのです。たぶん、フーガというよりも変奏曲としてとらえた方がわかりやすいのかもしれない。

異質といえば、ブルックナーの第5交響曲のフィナーレは、大フーガと同じ変ロ長調ですが、バッハ以降に書かれたフーガのなかで最上のもののひとつではないかと思います。フーガでありながらソナタ形式のようでもあり、異質な要素もありながらも、全体の有機的な統一性はまぎれもない。ひょっとしてこれを書いたとき、ブルックナーベートーヴェンの大フーガを意識していたのかもしれません。

1973年生れの作曲家イェルク・ヴィトマンの新作(ジュリアード四重奏団の委嘱)は、ベートーヴェンへのオマージュであり、作品130の引用と、フラジオレットや激しいピチカートや鋭い不協和音の交錯する音楽。聴きなれたフレーズが唐突にデフォルメされるさまはちょっとした聴きものです。信じられないほどの最弱音でヴィトマンの曲が終わったあと、間を置かずに大フーガの冒頭の、激しい不協和音程の跳躍が始まったとき、まるで前の曲の続きみたいに聴こえました。

そういえば遠い昔、今は亡きカザルスホールで、アルディッティ四重奏団の演奏を聴いた時のプログラムも、現代曲ばかりならべて、トリがこの大フーガだったのを思い出します。ベートーヴェンのこの畢生の大作が、時代を超えてダイレクトに今とつながっていると感じたことでした。

ヴィトマンを聴きながら脈絡もなく思い出したのはスメタナの四重奏曲《わが生涯より》のフィナーレで、協和音のめくるめく饗宴のさなかに、それをさえぎってとつぜんキーンと鳴るヴァイオリンソロの高音は、作曲家の命を奪うことになる梅毒の最初の兆候である耳鳴りを表現したと言われています。ベートーヴェンの引用のなかに響くフラジオレットがそんな連想を呼んだのでしょうか。

思えば、スメタナが幻聴のように聴いた、可聴音域の閾を踏み越えるほどの未知の音域を、やはり耳の病に苦しんだベートーヴェンも聴いていたかもしれず、それはコンピューター音楽その他を体験した今の時代のヴィトマンに、そして我々に、いっそう親しいものに感じられるのかもしれません。

会場の兵庫県立芸術文化センター(西宮)には、ことしは縁があって4回足を運びました。出無精のわたしにはめずらしいことです。大ホールで7月の『ドン・ジョヴァンニ』と10月の『ジュリオ・チェーザレ』、小ホールで4月のノトス四重奏団ときょうのジュリアード。来年はどんな出会いがあるか、楽しみ。


たまたまきょうは誕生日で、よい記念になりました。

 

バッハ・コレギウム・ジャパンの『ジュリオ・チェーザレ』

ほとんど予備知識のないままに、初めて見に行ったバロックオペラ、ヘンデルの『ジュリオ・チェーザレ』を楽しんできました。
ステージ上の楽団を取り囲むようにして歌手が演じて歌う、セミステージ形式です。
開幕早々、チェーザレの第一声に驚き。カウンターテナーだったんですね。
敵役のエジプト国王トロメーオ(プトレマイオス)と、クレオパトラの召使もカウンターテナーでした。
英雄たちは男性的な低くて太い声のはず、というのも、今の時代の人間の思い込みなのかもしれない。
鈴木優人指揮のバッハ・コレギウム・ジャパンは初めて聴きます。小編成のピリオド楽器の小気味よい切れ味のすてきな演奏でした。
チェンバロが3台、テオルボも奏者が2人で大小何台かを持ち替えという具合に、通奏低音が充実しています。テオルボという巨大なギターのような楽器の、乾いているのにズシンと低く響く、ちょっと琵琶に似た響きが大好き。
クレオパトラ役の森麻季を生で聴くのも初めてです。うっとりと聴き惚れてしまう声はもちろん、歩き方から手足の動きの一つ一つまで、オーラというか色気というか、そういうものを感じました。
ヘンデルの音楽は何か金太郎飴みたいといったらあれですが、どの曲も似たりよったりという印象をもっていたけれど、よく聴けば工夫され変化に富んだ曲想で、フラウト・トラヴェルソやホルンやヴァイオリンのソロも印象的です(皆さんすばらしい技巧)。鳥のさえずりを模したヴァイオリンは、ヴィヴァルディの春みたいでした。なかでも、めでたしめでたしの大団円でのチェーザレクレオパトラの二重唱から終曲の合唱の盛り上がりは、聴き応えがありました。
それでもやはり、ときどき退屈に感じてしまうのは、ABAのダ・カーポ形式のアリアがこれでもかというくらい続くことで、後半の反復の部分は、もうわかったからと〈早送り〉したくなってしまうのも、せわしない現代人の聴き方なのでしょうか。アリアがひとつ終わるごとに盛大な拍手で演奏が中断されるのも興ざめで、早くドラマを先に進めてほしいのに、と思ってしまいます。
7月に同じ兵庫県立芸術文化センターで聴いた『ドン・ジョヴァンニ』の初演が1788年、きょうの『ジュリオ・チェーザレ』は1724年。わずか60年のあいだに、同じオペラの範疇とは思えないほど、まったく違う様式なのに驚かされます。

 

韓国ドラマ『マイ・ディア・ミスター』を見た

心の底から静かに揺さぶられるほんとうにすばらしい物語。これだから韓国ドラマはやめられない。

最終話のお葬式の場面、これほど温かい気持ちになるお葬式は見たことがなかった。


ドンフン役のイ・ソンギュンの声は暖かく深みがあってセクシーで、人を安心させる不思議な力がある。絶望の淵にあるジアンが、「いい子だな」착하다というドンフンの声を何度も繰り返して再生して聴くシーンがあったけれど、彼女はあの声に救われたのだなと思う。最後の再会の場面も、姿よりも声がさきに聞こえてきて、あ、彼がいる、とわかるのだった。「おじさんの声、言葉、考え、足音、全部好きでした」
イ・ソンギュンは、以前見たコン・ヒョジンとの共演のパスタのドラマではそのパワハラを絵に描いたような強圧的な役柄にうんざりして途中離脱したけど、このドラマでは、なにか生きることに倦んだような、「真面目な無期懲役囚のような」影のある中年男をていねいに演じていた。
若い女の子と二人で食事というだけでそっち方面の妄想がふくらむ中年男の助平根性にはうんざりするが、そのような下心をまったくもたないドンフンの清廉さが素敵。下働きの派遣社員にも、わけへだてなく礼儀をつくす正しさも。

こんな中年男性もいるのね。

この人は本当の紳士だと思ったのは、清掃員のおじさんにていねいにおじぎをする場面。ジアンにひそかに助けの手を差し伸べていたことを知って「尊敬します」と頭を下げるところ。そういえば彼の兄弟も清掃をなりわいとしているのだった。職業に貴賤はなく、明日は自分もその仕事をするかもしれないのならば、その人に敬意を表すのは当然のはずなのに、そうする人は少ない。
建築設計エンジニアという仕事柄だろうか、いつもバランスを心がけるドンフンの、建築物の内力(内側から支える力)と外力(外からの風や荷重や振動など)の均衡の話から、それを人間にたとえて、人間を内側から支える力についての話が面白い。他人から軽蔑されたり攻撃されたりしても、しっかり自分を支えるだけの力があるかどうか、その力は何に由来するのか。

ダークスーツの男ばかりの会社の出世争いの世界の中で、派遣の分際で、とバカにされてもくじけるどころか、怯むことなく、かえって彼らを翻弄し狼狽させるジアンの力強さが印象的。履歴書の特技の欄に「かけっこ」とだけ書く、学歴も職歴もない、何ももたない彼女が、強欲な高利貸しに殴られても、憎悪の視線で強く見返すしたたかさをもつ。強靭な建築物が内なる力だけで外圧に持ちこたえるように。
特技がかけっこで、自分の足だけを頼りに走るジアンに対して、ドンフンには特技らしい特技もない。無駄に学歴ばかりあって、つぶしがきかなくて、息子に特技の動画を頼まれると困惑してしまうが、友人や兄弟の協力で何とか切り抜ける。たった一人で走るジアンと、周囲に助けられて生きるドンフンの違いが際立つ。
彼女の賢さがよくわかるのは自分を殴るようにドンフンに言う場面。ト社長にドンフンに求愛するように命令され、あとから証拠として録音を聞かせなければならない。しかし、ドンフンを陥れようとする一派に親密な写真を撮られてはならない。そこで、わざとドンフンを怒らせて殴るように仕向けるのだけれども、その憎まれ口の中にも、彼を心から愛して尊敬する気持ちを盛り込むのを忘れない。
ジアンの入り込んでしまった貧困層のヤングケアラーという袋小路の苦悩がつらすぎる。中卒で親にも見捨てられては、どのように生きていけばいいか途方に暮れるのも無理はない。相続放棄や無料の介護制度などの情報も、彼女たちには届かない。その袋小路から、ドンフンに助けられながら、少しずつ生きる力をつけてゆくジアンの成熟がまぶしい。

それにひきかえ、男とはつくづく弱い生き物だなと思う。どんなに強がっても、どんなに高学歴でも、地位が高くても、ひとたび弱みを突かれるとあっけなく崩れ落ちる。互いの弱みを握るために社内の至るところに監視カメラをつけて監視し合うというのも、クソみたいで気が滅入る。

ドンフンの兄と弟も、そういう弱い男の典型で、事業に失敗したり妻と別居したりするだけで落ちぶれて、詰んでしまう。その兄弟たちのサブストーリーも見ごたえがあって、酒を飲んでは母親に叱られる情けない中年男たちが、それでも仲間と励ましあいながら、小さなビジネスをはじめて、新しい道を摸索してゆく。必ずしもカップル成立のハッピーエンディングとならない結末も、嘘っぽくなくて良い。
人生も下り坂になって、今さら何を始めるのも遅すぎて、やり直しのきかない年齢とあきらめるよりも前に、幸せになろうという意志を強く持って、自らの可塑性を信じてみようよ、というメッセージがきこえてくるような気がする。
可塑性といえば、強欲一点張りのはずの借金取りが、終盤で見せる涙とともに、それまでの彼には似合わない思いがけない行動に出る結末も、彼のような人間にも変わる可能性があることを教えてくれる。

日本人にはピンとこないが(それともピンとこないのは私だけ?)、韓国人の男にとって、親の葬式を立派に執り行なうことが、人生の優先順位のかなり上位にあるようだ。沢山の人に参列してもらうこと、花輪や供物をどっさり飾って故人を送ることがこの上なく重要で、それは単なる見栄なのか、儒教的伝統の呪縛なのか、ずいぶんつまらないことにこだわっているようにも見えて、それでますます自分の首を絞めているようにも思えるのだけれども、それでも、最終話のお葬式はじんわり心にしみてくる。さみしかった祭壇に、いつの間にか供物が並べられ、花が飾られ、弔問客が次々に現れて、にぎやかな宴が始まる。
女の人が喪服を着るときに、頭の横のところにつける小さな白いリボンがかわいい。

いつか偶然に再会したときは笑顔で、と約束して別れた二人の、ラストシーンでの再会で、約束通りの、それまで一度も見せなかったような輝かしい二人の笑顔がほんとうに素敵。雪のちらつく長い長い冬のシーンがずっと続いていたが、このラストでは、明るく暖かい春の日差しにあふれていた。

このドラマについてはいくらでも語りたいのだけれど、あとひとつ。

15話、バレてしまったあとの病院での、ジアンとドンフンの会話で、ジアンが、私のことを恨んでいないのですかと尋ねたのに対して、ドンフンは「その人のことを知ってしまえば、その人から何をされても関係ない。そして僕は君を知っている」と言う。

しかし、ドンフンは、妻のユニの婚外恋愛を知った時は、取り乱して怒り狂ったのだった。彼は妻のことをよく知っていたはずなのに。

いや、知っているつもりでも、本当の意味で知っているとは言えなかったのかもしれない。結婚生活を続けるにつれて、いつのまにかすれ違いが多くなり、相手の問いかけに生返事で答えることも多くなるうちに、互いのことがだんだんわからなくなってゆく。

ドンフンがユニに語りかける言葉の中で「何か要るか?」という言葉がいちばん温かかった、とジアンは言う。相手を気遣う優しいことばのはずなのに、倦怠期の夫婦にとっては内容空疎な音でしかなくて、言われた方はその優しさに気づけないし、言う方も、いつもの惰性で言っているだけで、心がこもらない。ことばにこめられているはずの優しさに気づけるのは、皮肉なことに、ジアンという婚外の人間なのだった。

誰かを本当に知るというのはどういうことだろうか。旧約聖書では、「女を知る」と「女と性交する」は同義だったらしい。しかし、性交したり結婚したりしたからといって、その人のことをほんとうに知ったことには必ずしもならない。逆に、そのような関係でなくても、あるいはそのような関係ではないからこそ、その人のことを深く知ることもありうるのかもしれない。

それで思い出すのは、ジョンヒとジアンの関係性で、数日間ジアンを泊まらせてほしいとドンフンから頼まれたとき、ジョンヒが、そのわけを尋ねようともせず、喜んで迎え入れるところ。その人の境遇や経歴などを中途半端に知ってしまうと、知っていることがかえって邪魔になって、その人の深いところを知る妨げになりうる。何も知らないことこそが、その人を深く知る助けになる、と言えるだろうか。そして、ある人を深く知るとき、それはその人を愛することに限りなく近づく。

ある人について、どれだけ多く知っているかということと、どれだけ深く知っているかということは別のことなのだろう。たしかにジョンヒはジアンについて少ししか知らないけれども、深く知った。だからこそ、盆と正月を一緒に過ごす約束をした。

さきほどのドンフンのことばに戻るならば、その人のことを深く知ることによって、深い信頼が生れるとき、もはやその人からどんなことをされても、信頼がゆらぐことはない、ということを彼は言おうとしているかもしれなくて、そのような深い信頼を、誰かに抱いた、あるいは誰かから抱かれたことはあっただろうか、と、ふと自らに問いかけたくなる。

39年ぶりのドン・ジョヴァンニ

見に行くのは何十年ぶりかしら、フランス文学のゼミでモリエールドン・ファンを読んだとき、先生に誘われて映画のドン・ジョヴァンニを銀座のヤマハホールで見て以来、数えてみたら39年ぶりに、モーツァルトドン・ジョヴァンニ』を見てきました。

佐渡裕の指揮、デイヴィッド・ニース David Kneuss の演出、兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏、見に行ったのはドン・ジョヴァンニ役のジョシュア・ホプキンズ Joshua Hopkins を中心とする外国人メンバー中心のキャストの日でした。

私の個人的な好み、古楽器の切れ味のよい速めのテンポの演奏への好みからすると、佐渡氏の棒の紡ぎだす音楽は、好みとはいえませんが、よくまとまっていて、柔らかく温かいもので、管楽器のソロなどプレーヤーの皆さんもお上手。歯切れのよい(バロック風?)ティンパニのアクセントも良かった。

演出も、オーソドックスで無難なもので、驚きは期待できないものの、安心して見ていられます。

子どもだましのこけおどしとわかっていても、地獄落ちのシーンはゾクゾクするものですね。 第1幕の終り、色男の催すパーティーに仮面の三人組が招かれる場面では、舞台上に3つの小楽団が乗り、別々のリズムで奏でるカオスな音響が立体的に聴こえてきました(音だけ、あるいは二次元の映像だけではこの立体感はなかなか伝わってこない)。

第2幕、ドン・ジョヴァンニと思いこんでいたのがレポレッロとわかったとき、ドンナ・エルヴィーラが失望して歌うアリアでは、レポレッロの脱ぎ捨てたドン・ジョヴァンニのコートを羽織って歌う演出を興味深く感じました。 死ぬほど嫌いな大悪党なのになぜか惹かれてしまう彼女が、まるで彼のコートを通してその体臭を身につけたいと思っているかのように。

誰もがおじけづいて逃げ出す石像の騎士長を前に一歩も引かず、悔い改めよと諭されても悔い改めないドン・ジョヴァンニの強さは超人的で、ブルジョワの清く正しく美しい一夫一婦制への命がけの挑戦と言ったらかっこよすぎるかしら、Viva la libertà! 自由万歳!をつきつめればこうなるのかもしれなくて、フランス革命前夜の不穏な空気をそのまま体現しているように思われました。

(帰りのバスのなかでぐうぜん旧知のご婦人と乗り合わせて、あいかわらずチャーミングなかただったのですが、ドン・ジョヴァンニならばここでこのご婦人に優しく耳打ちしたのだろうか、などと妄想しておりました)

上演に先立って、ドン・ジョヴァンニ関連の文献をいくつか読みました。メーリケ『旅の日のモーツァルト』、キルケゴール(キアゲゴー)『ドン・ジョヴァンニ 音楽的エロスについて』、ペーター・ハントケドン・ファン(彼自身が語る)』、ジョージ・バーナード・ショー『人と超人』、ティルソ・デ・モリーナ『セビリャの色事師と石の招客』、モリエールドン・ジュアン』、E・T・A・ホフマン『ドン・ファン』、メリメ『ドン・ファン異聞』など。

その中で、このオペラを見た後で私に一番しっくりくるのはアルベール・カミュドン・ファン論で、『シーシュポスの神話』の中で一章を割いて論じています。

Mais que signifie la vie dans un tel univers? Rien d’autre pour le moment que l’indifférence à l’avenir et la passion d’épuiser tout ce qui est donné. La croyance au sens de la vie suppose toujours une échelle de valeurs, un choix, nos préférences. La croyance à l’absurde, selon nos définitions, enseigne le contraire. 

ところで、このような世界で生きるとは何を意味するか。さしあたり、未来への無関心、あたえられたすべてのものを汲みつくすことへの情熱、それ以外にない。生きる意味など信じ始めたら、もろもろの価値に段階をつけたり、選択したりえり好みしたりすることになる。ここで定義する不条理を信じるならば、ちょうどその逆になる。『シーシュポスの神話』(拙訳)

未来への無関心。たしかにドン・ジョヴァンニは明日どうなるか、死んだらどうなるかなど考えず、ただ今のこの時のすべてを楽しみつくそうとするから、えり好みをせず、女性の好みもただ一人に集中せず、年齢も地位も容貌も多様な、「スカートをはいているかぎり」すべての女性にその愛は向けられる。たとえ明日死ぬとわかっていても、石像の騎士長から悔い改めるように脅されても、彼は上機嫌に、今のこの時を楽しむことをやめようとしない。なぜならこの世界はあまりにも美しく、女たちは彼を魅惑することをやめないのだから。

ドン・ジョヴァンニは享楽的なキリギリスなのかもしれないけれど、寓話のキリギリスが、冬が来るとあわてて困りはててアリの家の門をたたくのとは対照的に、冬が来てもかまわない、死ぬまで遊びつくすのだ、そのような強い覚悟と生への意志がうかがえる気がします。