私とは

パニック障害と診断された自分のまとめも兼ねて綴っております。

てんかんになりました。

2019年7月2日の夜:電車で帰宅途中に緊急搬送される

2019年7月3日の朝:診断の結果「てんかん」だと言われ薬を処方される

2019年7月中旬:副作用も強くセカンドオピニオンをすると、専門病院を勧められる

2019年8月26日:専門病院での検査の結果急性症候性発作と言われ、もう一度大発作が起きたら、てんかんが確定と言われる

2019年9月15日:ボランティア中に大発作で倒れて確定する

 

これが大まかな流れである。

私は今でも受け入れることができない。

 

正確には一度は受け入れられるようになりかけてた。

私が受け入れられ無い理由は5個だった

 ①家での居場所の低下 

 ②仕事を失うことの劣等感・失望感 

 ③友達を失う怖さ

 ④趣味ができなくなり、生きる希望がなくなること

 ⑤好きな人に思いを告げられなかったこと

 

幸いにも仕事・友達は失わずに済んだ。それでも仕事量は減り収入は減った。

そして友達とも変わらず接しているが、自分が劣等感を感じないことはなかった。

趣味は接し方を変えることで、何とか失わかった

 

⑤は告げることができたが、私が元々伝える日に伝えれば未来が変わってたた。一般的な社会人のように働けてたら好きな人を救うことができた。

 

そこから自分に対する嫌悪感・悔しさ・もどかしさが増えていった。しかしそれでも彼は変わらず接してくれていたので、私もどうにか保とうとした。

 

しかし①がどうにもならなかった。

私の治療費がかかるのに家にいなければいけない、様子がおかしいなどで仕事を休むようになり仕事場に入れなくなってる。

その結果両親は機嫌が悪くなる。

私は自分が邪魔だと言うことを嫌でも痛感していく。

 

この結果私はてんかんを受け入れられてません。

2020年1月末にはてんかんの薬も精神薬も全て増えてしまいました。

 

悪循環なのはわかっていても、どうしても受け入れません。

 

 

家族

自分のせいでさ家族が崩壊してくのわかったらさもう無理してくしかないやん…
笑って、味もしないご飯でも食べて…希死念慮もないことにして…
そんな時になんか言われたら、プツンとくるやん…
そこで本気で怒鳴られたらどうしたらいいのかわからんよ…それこそ自分が邪魔なの痛感するしかないやん…

 

大切で無ければこんな事ならなかったのかな…

楽しみ という感情の強さ

明日は自分が大好きな人とのご飯である。

正直ご飯ではまだ美味しく食べれる状態ではない… しかしながら明日のご飯が楽しみである!

 

楽しみという感情は久々にもてた。

先週ライブに行ってもどこか楽しめなかった

だから次のライブに応募するか迷うくらいだ…

 

それなのに今回はこんなにも楽しみである!

 

人という存在は色々な意味で偉大だと身にしみる。時には楽しませ、時には苦しませる。

自分は他者から楽しいと思ってもらえる人になりたい。

 

実家帰還

病院で症状悪化を宣告されまたもや実家に戻ることに…。

でも戻ったところで落ち着くわけでもなく…物は全然食べれないし、髪の毛は禿げるのではないかというくらい抜けてく…

 

全てがマイナスへ向かってる気がする

 

 

しまいには精神安定剤的になってるストッキングを全て隠された…

もう紐で首絞めてるしか手段がない…

 

弱虫でここまで生きてしまったが

もう本気で死ぬべきなんだろうな