九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

熊本で復活祭

今日は熊本ハリストス正教会に巡回し、1週間遅れの復活祭を執り行いました。

 

九州地方は朝から大雨。

熊本教会の信徒は全員が85歳以上の高齢者なので、ちゃんと参祷できるか危ぶまれましたが、開式時刻の午前10時には皆がそろいました。

 

信徒が各自で作って持参したイースターエッグも並べられました。

信徒が持参したイースターエッグとプレゼント用のカーネーション

 

祈祷中に参祷者の一人が体調不良を訴えたので、祈祷を中断して妻が娘さんの携帯に電話。車で迎えに来てもらってご自宅に帰しました。

軽い貧血で、大事には至りませんでした。

 

しかし熊本に限らず、日本正教会はどこでも高齢の参祷者が多いので、不測の事態が起きた時に臨機応変で対応できるよう、心得ておく必要があります。私たち夫婦のスマホに信徒の緊急連絡先を登録してあるのも、その一つです。

今回はその緊急連絡先である娘さんとすぐ連絡が着き、体調不良の程度も比較的軽かったので、救急車を呼ぶには至らず、安堵しました。

 

聖体礼儀の終了後、教会近くの老舗の日本料理屋に注文しておいた弁当で昼食会を開きました。

日本料理屋に注文した弁当

復活祭の祝賀会ともなれば、婦人会が教会でご馳走を作ったり、信徒が自宅で作った料理を持ち寄ったりするのが普通ですが、熊本教会の信徒の構成では困難です。

それでコロナ禍収束以降、教会の周辺で気の利いた料理屋を探して、祝賀会用の弁当を作ってもらうことにしています。

 

熊本教会への巡回は原則として、その月の第二日曜日なので、復活祭の祈祷も毎年5月第二日曜日、つまり母の日と重なります。

そこで、いつもカーネーションの鉢植えを私費で買ってきて、解散時に女性信徒にプレゼントしています。

もちろん今回もカーネーションを持ち帰ってもらいました。

 

前述のように、ある一定の規模の教会なら婦人会などの信徒による奉仕が組織的に行われていますし、実際に前任地でもそうでしたが、九州各地の教会のように信徒が数世帯で、しかも高齢者ばかりだと、司牧者が礼拝の意味以上に心配りの意味としての「サービス」を考えなくてはなりません。

何はともあれ、今年は体調不良者というアクシデントはあったものの、それを除けば熊本での復活祭を無事に執り行うことができて良かったです。

福岡新教会で初めての復活祭&小倉地区集会

今年の5月5日は正教会の復活祭。

2月に福岡に開設した九州北ハリストス正教会で、初めての復活祭を執り行いました!記念すべき日といえるでしょう。

 

前日、5月4日の夕刻に教会に着き、妻と設営をしました。

信徒が持参したイースターエッグを置く台を設営

京都教会から贈呈された西陣織のイコンを飾る

復活祭の開式の十字行(聖堂の周囲を行進すること)の必須アイテム(?)である凱旋旗は、旧福岡伝道所になかったので、今は使われていない戦前の人吉教会の旗布を持参し、木製のカーテンレールの棒を旗竿にして自作しました。

凱旋旗を自作

妻が参祷者に配るためのイースターエッグとクリーチ(大祭で食べる菓子パン)を30個ずつ作って持ち込みました。

もし余ったらどうしようかと思いましたが、全くの杞憂でした。

 

当日は30人の参祷者で礼拝所が一杯になり、こちらで用意したものは全て配り切りました!

福岡県内だけでなく、熊本、大分、宮崎の各県からも人々が集まりました。

うち11人が高校生以下の児童生徒たちで、それに外国人留学生の大学生たちが加わり、子どもと若者が半数を占める賑やかな祈祷となりました。


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復活大祭の開式

また参祷者の半数は米国出身者とその家族、つまり英語話者だったので、福音書朗読後の説教は「金口イオアンの復活祭の説教」(The Paschal Sermon of St. John Chrysostom)を英語で読み、日本語で解説を加えながら話すことにしました。

福音書の朗読。たくさんの参祷者で立錐の余地なし

参祷者が持ち寄ったイースターエッグなど

イースターエッグの成聖

十字架接吻(閉会の祝福)でイースターエッグを配る

祈祷後はリビングルームを転用した信徒会館で、祝賀会を開きました。

信徒にパーティー料理の宅配を手配してもらい、盛大にお祝いできました。

 

翌日6日は朝から北九州市の小倉へ移動。

小倉は明治時代に教会があった数少ない都市であり、現在教会がないにもかかわらず古くからの信徒が2世帯住んでいます。

そこで一昨年から「小倉地区集会」として、福岡以外に小倉でも復活祭の祈祷を行うことにしています。

 

会場としてレンタルスペースを借り、会議机を祭壇に見立てて設営。

会議机を祭壇に

小倉在住の2家族が参祷しました。

かなり高齢の方もいるのですが、この集会を楽しみにして、毎年欠かさず参祷しています。

福音書朗読後の説教

聖体礼儀の中で信徒が持参したイースターエッグを成聖しました。聖体礼儀に引き続き、2家族のご先祖のパニヒダも献じましたので、糖飯も置かれています。

イースターエッグの成聖

小倉から人吉に戻った時は日が暮れていましたが、たくさんの人々と主の復活の喜びを分かち合うことができ、充実した二日間でした。

受難週間を終えて 明日は復活祭

エスの受難を記憶する「受難週間」は、人吉ハリストス正教会で連日祈祷を行いました。

2日(木)晩の聖大金曜日の早課では、4つの福音書の受難の記事を12分割して司祭が朗読する「十二福音の読み」を行いました。

ゲッセマネを想起させるかのように、聖堂内の照明を消して暗闇の状態で朗読します。私は老眼で、暗いところでは字が見えないので大変です…
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3日(金)は、聖大金曜日の晩課をイエスが息を引き取った時刻の15時から開始。

この祈祷では、十字架から降ろされたイエスを描いたイコン「寝りの聖像」を至聖所から出し、聖堂の中央に安置します。
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夕刻からの聖大土曜日の早課では、アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を墓に運んで葬ったことを記憶して、寝りの聖像を掲げて聖堂の周囲を行列して歩く「十字行」が行われます。

行列といっても、人吉の信徒は誰も教会に来ないので、私が一人でやっているのですが…f:id:frgregory:20240504225333j:image

 

今日は聖大土曜日の聖体礼儀を終え、聖堂を復活祭モードに模様替えして福岡に移動。

明日はいよいよ、福岡新教会で初めての復活祭。開式が今から待ち遠しいです!

鹿児島で受難週間のスタート

今年、正教会では5月5日が復活祭です。

西方教会カトリックプロテスタント)とは1か月以上も間が開いていますが、その理由については先月書きました。

 

frgregory.hatenablog.com

 

復活祭前の1週間を正教会では受難週間(Passion Week)と呼びます。

4月26日はその初日の聖枝祭にあたりますが、今年は鹿児島ハリストス正教会で迎えました。

聖枝祭のイコン「イエスエルサレム入城」
(19世紀のロシア製・鹿児島ハリストス正教会所蔵)


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この祭はイエスエルサレム入城(ヨハネ12:12-19他)を記念するものです。

エルサレム市民がシュロの枝を持ってイエスを歓迎したという、ヨハネによる福音書の記述に基づき、聖体礼儀の参祷者にも開式の前に各種の枝が配られ、それを持って祈祷に与ります。

各種というのは、何の植物を用いるかは地域によって違いがあるからです。

それについては、以前に書いていますので、過去記事を添付しておきます。

 

frgregory.hatenablog.com

 

結論としては、正教会では「何の木の枝でも、さらには木でなく草花であっても構わない」ので、鹿児島教会での聖枝祭では妻が花束を作って、それを配りました。

鹿児島ハリストス正教会で配った花束

聖枝祭は英語では「シュロの日曜日」(Palm Sunday)、ロシア語では「枝の日曜日」と呼びますが、日本正教会では「花の主日」という別称もあります。

その意味では、枝ではなく草花だとしても、逆に理にかなっていると言えなくもありません。

 

鹿児島ハリストス正教会の境内には、いろいろな庭木が植えてあり、季節ごとに花を咲かせています。

今はバラとバンマツリカ(ジャスミンの一種)が見頃を迎えています。

鹿児島ハリストス正教会の庭木

 

今週はイエスの受難を記憶して、今度の日曜日は福岡新教会で初めての復活祭を執り行います。

この花々のように晴れやかに、主の復活をお祝いできればと思っています。

佐世保で初めての船舶成聖式

今日は長崎県西海市大島造船所で、ギリシャの新造船の船舶成聖式を執り行いました。

長崎県内では以前、長崎市(正確には長崎市沖!)で船舶成聖式をしたことがありますが、佐世保方面では初めてです。



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造船所は社名のとおり、大島という島にあります。本土と橋で繋がっているとはいえ、人吉からは300km近く離れていて、日帰りでは到底行かれません。

そこで昨日と今日、佐世保市内でホテルに2泊し、現地への往復を送迎してもらうことにしました。

 

一般的には、正教会の宗教行事としての船舶成聖式はそれ自体を単独で行うのではなく、建物の竣工式に相当する「命名式」というセレモニーに付随して行われます。

つまり、これまで製造番号しかなかった船の「誕生」にあたって、オーナーやその他の有力関係者が立ち会って「名前をつける」という発想です。

何だか「幼児洗礼」と「洗礼名」の関係に似ていて興味深いです。

 

新船は「Marla Royalty」と名付けられました。
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命名者はオーナーのゲストで、タムタ・ゴドゥアゼさんという芸能人でした。名前から察するにギリシャ人ではなくジョージア人だと思われます。洗礼式の代母(証人)を意味する「God Mother」と呼ばれていました。

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成聖式の後は造船所が手配したバスに乗って、30分ほど構内見学が行われました。説明は造船所の女性社員がとても流暢な英語で行っていました。

他社では式典が終わると、来賓はそそくさと引き上げてしまい、私もその場で「ハイさようなら」になってしまうので(それは造船所側というより、式典を取り仕切っている商社側の考えだと思われますが)、この会社はずいぶん丁寧だなと思いました。


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見学のあと、造船所が経営するリゾートホテルにバスでそのまま移動し、祝賀会が開かれました。

いつもは「ハイさようなら」の私も、今回は造船所が来賓の一人として席を設けてくださったので、ありがたくご相伴に与りました。

 

ホテルは隈研吾氏の設計だそうで、景色の良いゴージャスなものでした。地方の造船所に隣接したホテルということで、古びた会社の保養所みたいなものを想像していたのですが、全くそうではなかったので驚きました。



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パーティーでは主賓らの挨拶や鏡開きなどの後、造船所が制作した会社のプロモーションビデオが上映されました。


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家族3代が大島造船所で働いている島の少女が主人公というストーリー仕立てなのですが、演じているのは俳優ではなく、ここの社員やOBで、撮影当時は少女だった主人公役も今は造船所に入社して受付をしていました。

いろいろな意味ですごい会社だなと思いました。

 

こちらの造船所では、ギリシャ船籍の船の建造を他にも何隻も受注しているそうです。

完成の暁には、また声をかけてもらえたらなあ、と思いました。

福岡に巡回 ゲスト来訪で充実の一日

先週末の大斎第三主日は福岡巡回日でした。
この日は大斎期間の折り返し地点であり、私たちの罪の贖いのためにイエスがかけられた十字架を記憶します。このため「十字架叩拝の主日」と呼ばれます。

十字架叩拝の主日では、聖堂の中央に花で飾り付けた十字架を安置し、各人がそれに伏拝(ひれ伏して讃美すること)を行うことになっています。

さらに4月7日(ユリウス暦の3月25日)は受胎告知を記念する生神女福音祭でもありますので、祈祷としては十字架とマリヤの両方を讃美する内容となります。

 

土曜日の午後、夫婦で福岡の九州北ハリストス正教会の設営をしました。

大斎用の黒い布は福岡には常備されていないので、人吉教会から持参して宝座(祭壇)などに掛けました。

礼拝所を大斎仕様に衣替え

十字架を置く台のフラワーアレンジメントは妻が制作しました。

花で飾り付けた十字架

 

さて、この週末は京都ハリストス正教会のソロモン輔祭が来訪し、土曜日の晩祷と日曜日の聖体礼儀に陪祷してくれました。

ソロモン輔祭は神学校に入学する前、旅行で人吉と鹿児島に行き、教会にも参祷したことはあったそうですが、福岡に来るのは初めてだと言っていました。

 

私の前任地には長輔祭(故人)がいましたが、高齢と体調不良のため、私が着任して3年で引退してしまいました。

以来10年以上、自分の管轄教会内ではワンオペで司祷してきましたので、輔祭がいることでかえって手順が分からなくなってしまいました…

もちろん祈祷としては、司祭一人よりも複数の聖職者で司祷した方が、よどみなく進むので良いに決まっています。

ソロモン輔祭の陪祷で、大変充実した聖体礼儀となりました。

小聖入(福音書を掲げた行列)

ソロモン輔祭による説教

大聖入(パンと葡萄酒を掲げた行列)

聖体礼儀の最後に、福岡新教会開設のお祝いとして、京都教会から西陣織の生神女マリヤのイコンが贈呈されました。特注品の貴重なものです。

西陣織の生神女マリヤのイコンの贈呈

ついで、と言ってはいけませんが、翌日の4月8日から福岡県内の学校では新学期が始まります。

この日は小学生と大学生がそれぞれ3人ずつ参祷しましたので、最後に彼らの進級を祝して、正教会の祝賀の祈り「幾とせも」を献じました。

 

正午からは1階の談話室で約1時間、ソロモン輔祭に信徒のための「学びの会」を開催してもらいました。

「学びの会」でソロモン輔祭による講話

いつも私ばかりが講話しても聴く側にはマンネリになってしまうので、ソロモン輔祭に話してもらったことで、信徒には良い機会となったでしょう。

 

このように先週末は、福岡にゲストの聖職者をお迎えして、教会としても大変充実した一日となりました。

復活祭の日付 なぜ正教会は違うのか

今年は例年より桜の開花が遅れていましたが、ここ数日の暖かさで(東京は昨日、28℃もあったそうですね)人吉でも一気に満開になりました。

人吉ハリストス正教会の聖堂脇の桜も見事です。桜の木は一本しかありませんが。

人吉ハリストス正教会の桜

さて、西方教会カトリック教会とプロテスタント教会)では昨日、3月31日が復活祭でした。

一方、正教会では5月5日が今年の復活祭なので、1か月以上も日付がずれています。

 

しかも日付のずれの間隔は年によって違います。

例えば昨年、2023年の復活祭は西方教会では4月9日、正教会では一週間遅れの4月16日でした。私の感覚では、このように一週間ずれる年が多いようです。

しかし来年、2025年の復活祭は西方教会正教会も同じ4月20日です。

どうしてこのようなことが起きるのでしょうか?

 

その理由として、「カトリック教会やプロテスタント教会太陽暦を用いているが、正教会太陰暦だからだ」と書かれたものを見たことがあり、びっくり仰天したことがあります。あたかも「カトリックプロテスタントキリスト教だが、正教会イスラム教だ」と言っているようです。

 

そもそも復活祭の日付の決定方法は、325年に正統なキリスト教の教義(orthodoxy)を定めるために開かれた第一全地公会において正式に決められました。つまりキリスト教で共通のルールです。

それは「春分の後の満月の日の次の日曜日」というものです。

春分秋分も)とは昼の時間と夜の時間の長さが同じ日のことですから、太陽暦だろうと太陰暦だろうと、人間が作った暦に関係なく同じ日に決まっています。

今年の春分の後に到来した満月の日は3月25日でしたので、その次の日曜日は3月31日です。西方教会で今年は昨日を復活祭としたことに矛盾はありません。

 

しかし正教会にはもう一つのルールがあります。

それは「旧約(今日のユダヤ教)の過越祭が終わるまで復活祭を行うことはできない」というものです。

ユダヤ教で過越祭は曜日に関係なく、ユダヤ暦の「ニサン(1月)15日」と決められており、その日を含めた8日間が過越祭の祭期となります。ニサン15日は、グレゴリオ暦に換算すると概ね「4月の満月の日」に該当します。

今年は4月24日が満月であり、よって今年の過越祭の期間は4月24日から5月1日までとなります。

その後に到来する日曜日が5月5日なので、正教会ではその日を復活祭としているわけです。

 

この正教会のルールは、復活祭とは単なる「イエスという人物が復活した奇蹟を祝うイベント」なのではなく、旧約の過越祭に対して「新約の過越祭」だという考えに基づきます。

正教会での復活祭の正式な呼称は「パスハ」ですが、これはヘブライ語で過越祭を意味する「ペサハ」のギリシャ語読みです。つまり日本語で「復活祭」と訳していますが、正教会にとってこの祭はそもそも「過越祭」なのだということが、この呼び名からも分かります。

 

この過越祭は元来、旧約聖書出エジプト記にある「過越」を記念する祭でした。

神の民であるユダヤ人が異国のエジプトで奴隷状態だった頃、神はモーセ預言者に立てて、エジプトからの脱出を成功させました。そして神はモーセを通して「この日は、あなたたちにとって記念するべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭として祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない」(出エジプト12:14)と命じました。

民はエジプトを脱出した後、38年間を要したとはいえ、父祖の地であるカナン、今日のイスラエルに戻ることができました。

つまり、ユダヤ教における過越の意義は、神によってユダヤ人(という特定の民族)がエジプト(という特定の国家)の奴隷状態から解放され、カナン(という特定の地域)に到達したという、極めて地上的な理解がなされています。

 

それに対してキリスト教では、出エジプト記の過越の事績はキリストによって新たな、そして真の救いが示されることの預象と理解しています。それを整理すると、少し長いですが、以下に記したようになります。

ユダヤ人だろうと他の民族だろうと、人間は等しく神に造られた被造物であり、アダムとエヴァが犯した罪の結果、誰も死から逃れることはできない。つまり、すべての人間は「罪と死の奴隷状態」である。しかし、神ご自身がいつか死ぬ人間となってこの世に来られ(つまりキリスト)、私たちの罪の赦しを実現する生贄として十字架上で死に、復活して永遠の生命を示してくださった。これが新たな神の救いの約束「新約」である。よってキリストの復活は、すべての人間に共通の「罪と死の奴隷状態」からの解放と、同じくすべての人間が共通して帰るべき場所「天国」への到達を実現したのであり、「新約の過越」といえる。つまり、出エジプト記で神が「代々に守るべき不変の定め」として祝うように命じた過越祭とは、旧約時代を終えて新約の時代を迎えた私たちクリスチャンにとっては、キリストによって示された「復活」を祝うことである。

 

このような理由で、新約の過越祭である復活祭は旧約の過越祭が終わった後で祝う、というルールになっているのです。

 

もしユダヤ教キリスト教とが全く無関係な別個の宗教だとしたら、キリスト教に「旧約聖書」は要らないはずです。しかし、それがそうなっていないのは、神がずっと示して来た人間との関わりがあり(旧約)、その成就としてキリストが来られた(新約)と、キリスト教では信じているからです。

よく「旧約の神」「新約の神」という言い方を目にしますが、それはユダヤ教キリスト教とで別の神を信じていると言っているのに等しく、キリスト教的には一神教の否定という意味で正しい考えではありません。

 

現実問題として、正教会だろうと他の教会だろうと、大部分の信者の皆さんにとって復活祭の日は楽しい教会イベントとして一日が終わってしまうのですが…それはそれで良いことですが、「クリスチャンなら主の復活を祝う理由まで分かってくれたらなあ」と思っているところです。