だからなのかもしれない。

俺は、読んだ小説の内容よりも、その文章を元に頭で描いたシーンの方をよく覚えていた。

この間、エンダーのゲームというSFを読み終えたのだが、これがまったく面白くなかった。

この小説は上下巻で、そのほとんど(体感的には8割)が立体空間での無重力的なバトルの描写なのだが、その映像を想像することがとてつもなく苦痛だった。その文章から納得いく状況を頭の中で描けないからだ。FF??のブリッツボール的な感じだろうと、無理やり納得しようとしたが、頭の中でキャラが動かない、景色が見えないのだ。

伊藤計画の虐殺器官もSFだが、これなどは今までに読んだ物の中で最低の小説だとさえ感じた。戦闘妖精雪風も、星を継ぐ者も、あまり面白いとは思えなかった。面白かったSFもあるが、それについては置いておく。

 

俺が文章を面白いと思えるかどうかは、視覚的に想像できるかどうかによるところが大きい(のだろう)。そしてSFの世界は中でも描くことが困難なジャンルなのだ。

伊藤計画の話ばかりになるが、彼はメタルギアソリッドの大ファンで、自分でほぼ二次創作みたいなものだ的なことを語っていたのをどこかで読んだ。俺はメタルギアソリッドが大の苦手で、あれ系のゲームはいくつかやったが、どれも序盤で心が折れてやめた。

岡田斗司夫は、絶対にSFを読むべきだ。なぜなら未来を、今ここにないものを想像する力を養えるからだ。みたいなことを語っていた。それも俺がSFを読みだしたきっかけの一つだが、俺が上手く想像できないのはおそらく前提知識がないからだと思う。前提知識とは、多分科学や宇宙や物理の基礎学力ではない。もちろんそれはあったほうが良いが、違う。そんなものなくても面白いSFは確かにあったからだ。それは端的に言えば伊藤計画におけるメタルギアだ。先入観と言い換えてもいいだろう。

ガンダムやらのロボSF的なのはこれまでにたくさん出ているが、あれらも俺は通っていない。日本におけるSFの世界は、ガンダム的なアニメや漫画による先入観によって描かれてているところが大きい。その先入観が無い俺には読むことがとても難しいのだ。

モビルスーツと聞いてガンダム的な造形をすぐに思い出せるように、想像するための材料をあらかじめインストールしておく必要があり、それは市場にたくさんあり、それらはどれも、ほぼ同じようなものだ。市場にあるものがほぼ似ているものになるのは、どんなジャンルだろうが当然のなりゆきだ。

その狭い世界の前提知識がないと楽しめないというのもおかしな、不自由な、不愉快な話だが、理解はできる。だから子供の頃に日本のロボット系SFの系譜をまったく履修していない俺は、その世界に入ることを躊躇する。常連客たちだけの閉じた世界で楽しそうにやってる店に入ってしまった時の居心地の悪さは嫌というほど経験している。俺がノンフィクションや歴史物が好きなのは、その前提知識が日常にある、と思っているからだろう。

繰り返すが、そんなものがなくても楽しめるSFはたくさんある。ドラえもんなんかは良い例だ。飲茶氏が昔書いていたブログに、小説は空気感を描くのが大事とあったことを強く覚えている。前提知識がなくても想像できる空気感、俺たちの日常から想像できる空気感。やはり不自由で不愉快だ。しかし理解はできる。

 

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