微小変化型ネフローゼ症候群、3回目の再発の入院記録

微小変化型ネフローゼ症候群の3回目の再発時の備忘録

【入院30日目】退院が決定しました。今日の夜帰ります。

入院30日目。

10:20に退院が決定。今朝は、採血・採尿があったのだが、きっと結果は順調だったのだろう。よかった。ほんとうによかった。

 

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看護師さんが、すぐに部屋まで教えに来てくれた。本当に、朝からそわそわというか、昨日からずっとそわそわしていて、0:30に目が覚めてから、もう眠れなかった。

 

朝の、検尿カップも自分からとりに行ってしまうくらいにそわそわしていた。

とにかく、検査結果がすぐに欲しかった。

 

30日という入院は、私の人生で一番長かった。

LDLアフェレーシスという、治療をして、半信半疑なのは変わりないのだが、よく効いて、そして、再発せずに過ごせるといいなと心から思う。

 

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この1年、3回も再発してきたから、本当につらかった。

プレドニン点滴80mgの治療を3回もやってきた。10mg以下になることは、ほぼなかった。ほんとうに、1年間、身体がぼろぼろになった。プレドニン治療で、ぼろぼろになった。

 

 

今回の、入院でも十分、もうぼろぼろになったのだが、そのプレドニンに命を救われているのである。

 

また、ゆっくりと減薬して、そのあと、ネオーラル(シクロスポリンカプセル)という薬も、何年もかけて減薬していく予定。これで、再発するようであれば、また入院が必要なのだが、こればかりは、分からない。

 

とにかく、今回の入院で、頸部カテーテルをいれて、LDLアフェレーシスを行ったという、私最大の頑張りをしたので、お願いだから効いてくれと心から思っている。

 

まだ、これから自宅での治療は続くし、プレドニン30mgを飲んでいて、シクロスポリンカプセルも飲んでいるので、副作用は続くし、身体もまだまだキツイのだが、家に帰れるというのが、なによりも嬉しい。

 

今日、夫の仕事が終わったら、迎えに来てもらえる。

家で、夫の寝息を聞きながら、布団を並べて眠れるのが楽しみでしょうがない。

入院中にポチってしまった、ずんだ餅が、明日届く。それも楽しみだ。

 

たくさんの、病院スタッフや、ツイッターでつながっている友人たち、フェイスブックでコメントをくれた友だちに感謝しかない。たくさん支えられた。涙は出ない。きっと、家に帰ったら、泣くと思う。

 

治ったわけではないし、治る病気でもないし、再発のリスクは、ずっとこれから生きていたらつきまとうのだが、ほんとうに、ほっとした。たくさんのありがとう。たくさんの人に、ありがとう。

 

午前中は、眼科に行って、そして、午後は会計を自分でできるようであれば、会計を済ませておこうと思う。そして、シャワーを浴びて、帰ろう。

 

(眼圧は、右左18、17で正常範囲内。白内障も進行なし。メガネ屋さんで視力が出ていれば運転して問題なし。今後白内障が進行すれば処方箋が必要だが基本的には必要なし)

 

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【入院29日目】昨日の夜は、急に涙がぽろぽろと

入院29日目。

 

29日目の朝。おはようございます。

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あと、一晩寝たら、退院日になる。そんなことを思いながら、今朝は起きた。

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退院日も決まり、今後の治療も、一通り説明も受けた。

ほっとして、昨晩は、22時ごろから急に涙が止まらなくなった。最初は、涙も出なかったのだが、感情が震えるのを感じて、布団の中で、じっとしていた。

 

いよいよ、ぽろりぽろりと、涙が出た。

 

怖かった、不安だった、しんどかった、寂しかった、痛いのがいやだった

 

そんな気持ちが、一気に私の中に、ふわっと戻ってきた。感情が戻ってきたのを感じた。入院期間、「長い」とか、そういう感情も、どこかへ隠していたのだろう。

 

麻痺していた気持ちが、戻ってくるのを、感じた。

 

涙が止まらなくなるというよりも、ぽろぽろと、今まで、どこかにお出かけしていた私の感情が戻ってきた。

 

よくがんばったねと、自分に布団の中で、ぎゅっとハグをして声をかけた。友だちからのメールで、大変だねと言われても、ツイッターでよく頑張ってるねと言われても、どこか現実味がなかったのかもしれない。

現実味を感じていなかったということすら、感じていなかった。

 

涙がぽろぽろこぼれたことを、ツイッターで呟いたら、よく頑張ってきていたと声をかけてもらえ、発信してくれていたことが有難かったとも、すごいとも言ってもらえ、なんだか、ただただ言葉の通り、

 

ぁぁ、そうやって思ってくれるんだ

 

と、思った。感情が、おいてけぼりをくらっている。

1か月はあっという間で、本当に、生きるだけで、生き残るために、わたしは必死だったんだなと思った。

 

感情が戻ってきたら、膨らみ始めたムーンフェイスも、ひどくなった顔の挫創も、中心性肥満にも、目が見えにくいことにも、きっと、もっともっと凹むんだろう。筋肉が落ちて、力が入りにくいことも、足がつりやすくなったり、知覚過敏になっていたり、そういう小さな副作用にも、また凹んだり、落ち込んだりするんだろう。

 

逆に、

 

ぁぁ、空がきれいだな

 

と、もっと鮮明に思える、感じられるのかもしれない。

入院中は、窓から見える空の変化が支えだった。ツイッターで流れてくる綺麗な写真に、癒された。

 

もう、冬はすぐそこ。

季節の変わり目を感じながら、こころも、少しずつ取り戻していきたい。落ち込む自分も、いろんな繊細な嬉しいことを見つけられる自分も、全部自分だから、少しずつ、取り戻していきたい。

 

明日の夜、夫の仕事が終わって、夕飯を病院で食べたら退院だ。

今朝の、早朝の空の色はとても美しかった。

 

 

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(もう、どこが傷口なのか、わからないくらいに。本当に小さい穴だったのかもしれない。)

【入院28日目】退院が決まりまりそうです。(追記:決まりました)

入院28日目。

 

木曜か金曜日に退院できそう。

木曜日なら30日間、金曜日なら31日間の入院になりました。結果として。

 

気付いたら、そんなに経っていたのかと思うのは、やっぱりここまで、必死だったんだと感じた。必死だったから、必死だった最中は、もう意識すらできていなかったが、30日も病棟から外に出てもいなければ、外の空気も吸わずに過ごしてきたんだと驚いた。

 

家にいて、そんなに外の空気を吸っていなかったら頭がおかしくなりそうだが、それだけ、いっぱいいっぱいだったんだなと、今更ながら、感じている。ほんとに。

 

ステロイドの副作用は、結構強く出ているので、治ったねー!という退院ではないのだが、今後の治療を、自宅で行っていける段階に入ったんだと思うと嬉しい。

 

まだまだ、しばらくは、強い薬を飲んでいるので、仕事を出来る状態でもなければ、手放しで自由になれるかと言われるとそういうわけでもないのだが、外の空気を吸ったり、散歩に行ったり、自分で料理をしたり、そういう日常に戻れるのが嬉しいと思う。

 

病院で出されるご飯は、とてもとても美味しかった。

だが、夫にご飯を作ってあげたいし、私ができることはやりたいし、役に立ちたい。家に帰ったら、ボッチ生活に戻るのは、とても寂しいし、それは不安なのだが、またそれは仕方がないこと。

 

人とかかわらない生活は、つらいものなので、また、メガネを調整して、スタバに通う日々を過ごせたらいいなと思う。こうやって、ブログをつらつらと書いてきて、昨日は、全部読み直してみたら、「(どれだけ必死だったんだ)」と、自分で読んでいて、びっくりした。

 

この時、こんな気持ちだったんだ。

 

と、思うこともあった。やっぱり記録しておくことって私にとっては大切で、その時にしか書けないんだなと感じた。

 

その時の気持ちは、その時にしか書けない。そのみずみずしさというのが、また面白いと思うのだった。そして、メインのツイッター、闘病用のツイッター、ニコニコ時代のツイッター、無料ブログ2つと、ワードプレスのブログをフル稼働させて、文字を綴りまくってきたこの入院期間を振り返ると、

 

私って本当に、文章を書くことが好きなんだ

 

と実感したのだった。びっくりするくらいに、こうやって気持ちを表現したり、話をしたりすることが好きなんだなぁと気づいた。

 

治療場所が、病院から自宅へ変わるだけと言えば、それだけなのだが、夫と布団を並べて寝られる時間が楽しみだなぁと思うのだった。「おやすみ」と言いながら、寝息を聞きながら、ほっと寝られる時間とは幸せなものだなと、思う。

 

ほっとして、先が見えて、

 

「(私って頑張ってきたのかな)」なんて、今更、少しずつ実感がわいてきた。あんまり自分に【頑張った】と思わない方なので、不思議な感覚。でも、大変だったのかもしれないくらいには、少しずつ実感がわいてきた。

 

友だちに心配され、周りに声をかけられ、ようやく気付く。もうちょっと、自分をいたわってあげることが出来ればいいのだが、気付くのにラグがあったり、自分の気持ちには何か鈍感なんだ。

 

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まぁ、なんだ。入院して、夫のことをとても好きなんだという自分の気持ちがよく分かったよ。

 

 

(追記)12:30

退院日が決まりました。

11/7の夕方?夜?に退院が決まりました。

夫は仕事なので、夫の仕事が終わったら、退院となります。その日には採血がありますが。よかったです。30日間の入院となりました。人生で一番長い入院でした。くたくたです('Д')

 

11/10(日)から、プレドニン25mgに減量です。そのあとは、一か月ごとに少しずつ減量予定。終わりが見えて、ほっとしました。

 

ついでに、カテーテルのテープの所も、貼り替えてもらえて、普通にシャワーを頭からかぶってもいいようになりました。今日合わせて、あと3日間、ぬくぬくとゆるゆると過ごします。

 

ほっとした。ほっとしたほっとしたほっとしたーーーーーーー。

病院→自宅に変わるだけなんだけど、ほんとうにほっとしたーーーーーーー。毎日の血糖測定が嫌だからね(笑)

【入院27日目】入院飽きました。慣れました('ω')

入院27日目。

経過も順調で、ちょっとAlbが下がったらしいけど、誤差の範囲内。らしい。

 

元々、Alb低め安定だし、まぁ大丈夫でしょう。っていう感じ。

先が見えてきたのと、身体が楽になったのと、首のカテーテルが抜けたのもあって、気持ちが楽になった。本当に楽になった。

 

ということで、入院に飽きました。そして、慣れました。

 

毎日やることも、血糖測定と、バイタル測定のみ。あとは、畜尿と体重測定くらい。本当に、やることがない。毎日、美味しいご飯が出てくるし、ネット環境もあるし、ありがたいことに感染予防という名のもと、個室にしてもらえ、刺激から守ってもらえているし(ステロイドのうつ症状の易刺激性の症状が出ている)、快適なのだ。

 

電気を消して、柔らかい穏やかな、角部屋で過ごせている。

看護師さんたちも、長らく入院している私に慣れ、ほどほどに放置しておいてくれる。家に独りぼっちで、療養生活をしてきた1年の中で、ほどほどに人と話すことが出来て、快適な環境で、ご飯も出てくる。

 

本当は、自分でご飯を作りたいし、やりたいこともあるが、入院にも慣れた。

 

だが、洗濯物を持ち帰ってくれ、洗濯をしてくれ、毎日面会に来てくれる夫も疲れてきているし、私も夫と一緒にご飯を食べたい。

 

心に余裕が生まれ、早く帰りたいと思えるようになった。

カテーテルを入れる前日は大泣きしていたのだが、とにかく、ほっとして、身体の力が抜けてきているのを感じる。

首を濡らしてはいけないので、洗髪だけは介助してもらわないといけないのが、「めんどくさい」と思ってしまうのだが、こればかりはしょうがない。副作用で、頭が脂ギッシュになりがちなので、遠慮しすぎず、入院中は洗髪介助をお願いする勇気を持とうと思う。

 

もうすぐ、入院して30日も経つのかと。

木曜日に、採血をしてその結果が良ければ、退院の方向で…と主治医から、今日の午前中言われ、思わず「木曜に退院…」と言いかけて、「さすがに、その日のその日はあれかもしれませんが…」なんて笑われてしまった。

 

入院していれば、入院保険が下りるので、むしろ儲かるくらいなのだが、とにかく、入院生活に飽きたのだと思う。入院していた方が、食事は楽だが、血糖測定ももう刺されたくないし、毎日畜尿し続けるのにも疲れてきたし、そろそろ家に帰って、ぐだっと自由に過ごして、自由にトイレに行きたいものだ(笑)

 

この、私の人生一番の長さの入院と、白目をむきそうなくらい怖かった首のカテーテルとLDLアフェレーシスを乗り越えられたのは、病院スタッフのおかげであるのは間違いない。

 

以前の、入院2回は、全然耐えられず、ギブアップするように退院したので、本当に今回の入院環境は恵まれていたとしか言いようがない。感謝しまくりだ。

【入院26日目】空腹感が強くなってきた日

入院26日目。

 

もう、26日も経ったのか、と驚いた。

必死に過ごしていたら、あっという間に1か月が、飛んで行った。本当に、飛んで行った。必死だったんだと、振り返られるくらいに、自分に余裕が出てきたんだと感じた。

 

看護師さんたちが、あと一週間くらいで退院みたいですねと声をかけていく。あと一週間なのか。

 

今、プレドニン30mg/日を服薬中。明日で、手持ちの薬がなくなる。明後日から、25mg/日にならないだろうかと、小さな願いを心に持っている。なんせ、副作用が、本格的に自覚されてきた。副作用は、じわじわと出てくるから、これからしばらく、副作用を感じた生活をするのは分かっているが、20mgくらいになれば…、少しは楽なのだ。

 

そう、空腹感の副作用が出てきた。

空腹感くらいと思う人もいるかもしれないが、感覚としては【満腹中枢の麻痺】というような副作用なのだ。食べている途中でも、おなかが空いて仕方がない。寝ていても、おなかが空いて、つらすぎて、イライラしすぎて、夜中に、こんにゃくや、もやしを大盛り食べて、泣きながら食べていたのを思い出す。

 

おなかがすくなら、我慢すればいい。

 

そんなもんじゃないのだ。食べても食べてもお腹がいっぱいにならない。ずっと空腹感にさいなまれているという副作用なのだ。食べている最中でも、空腹感に襲われている。

 

お腹がすきやすいとか、そういう問題じゃなく、明らかに【異常】な状態。それで太った分は、自分で減らさなければならないので、絶対に太りたくない。

 

帰ったら、こんにゃくと、もやしと、豆腐をたんまりと買い込んで、お財布を守り、脂肪がつかないように、気を付けようと思う。それでも、つらいものはつらいので、食べても太りにくいものを、食べて食べて過ごそうと思う。

ここで、無理して我慢すると、死ぬほどつらかったので、カロリーの低いものを食べることにする。諦める。食べないということを諦める。何かを口に押し込むように過ごす時間はつらいし、美味しいと思うことも遠のく時間はしんどいのだが、しばらくはこんにゃく生活だ。

 

ぁぁ、おなかがすいた('Д')

 

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昨日は、首のカテーテルを抜いて寝たのだが、とても素晴らしく快適だった。寝がえりを打てる、首を動かすことができる、肩を自由に動かすことができる、カテーテルが引っこ抜けてしまうのではないかと心配することなく過ごすことができる。

 

なんと素晴らしいことか。

 

逆に、こんなにも、ストレスをため込んでいたのかと思うほどだった。

LDLアフェレーシスで、このまま寛解を維持して、ステロイドが5mg以下になって欲しいものだと思う(体内で通常作られているステロイドの量が5mgなので、5mgであれば、普通の人と変わらないはず)。

 

この一年10mg以下で、長らく過ごせたことがなかった。せめて、5mgに、と願う。

 

ネオーラルの腎毒性がとか…妊娠できないとか、そんなことは、もう、【今】の私にとってはどうでもいい。数年は、とにかく、もうこの入院をしたり、再燃をしてステロイドを増やしたり、首のカテーテルを入れて治療をしたりということからは、おさらばしたい。

 

20mgくらいになれば、

目のかすみ

白内障

満腹中枢の麻痺

筋肉が落ちてしまう

 

辺りは、マシになってくるはずだ。

 

10mgくらいになれば、眼科受診も落ち着くし、ムーンフェイスや中枢性肥満、ニキビも少しは落ち着いてくる。

 

ぁぁ、でも、5mgになって、元の顔に戻りたいと思う。これから、副作用が強くなってくるということは、これから、ムーンフェイスもどんどん出てくるということだ。ぱーんと、顔が膨れ上がる。大問題だ。

 

おうちを建てて、記念写真を撮るであろう、6月には、落ち着いた顔になっていて欲しいと思う。本当に思う。

 

こんなことを思えるのは、ステロイドがあって、命が助かっているおかげであり、LDLアフェレーシスという治療があるおかげなのでもあるが。それはそれ、これはこれ。家に帰ったら、また、仕事とお金のことで悩むのだろう。

 

だが、目がかすんで、物がはっきり見えない間は、しばらくは、集中して何かをすることは出来ないので、どうしたものか。体力が落ちないように、過ごすしかないのかなと思う。体温が、ぐんと上がって、ばててしまうのはしょうがないので、ぐだぐだとストレスなく過ごすというのが、一番いいのだろうが、一人でストレスなく、1,2か月家で、過ごすのは、まぁまぁ大変だと思うのだ。

 

洗濯・料理辺りで、バテバテなのは、目に見えている('Д')

ある意味、病院で制限されていて、看護師さんに声をかけてもらえる状況の方がありがたいのかもしれない。乱視で目が見えにくいだけなのであれば、お金はかかるが、メガネをもう一度一時的に作り直そうと思う。

 

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退院するとは、【現実】を目の当たりにするということなのだ。

【入院25日目】ステロイドの副作用はこれから本格化。頸部カテーテルが抜けた日。

入院25日目。

 

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頸部カテーテルを抜いてもらえた。

 

今回入院して、はじめて、LDLアフェレーシスという治療法を知り、頸部カテーテルを入れて治療を進めた。プレドニンは点滴で80mgまで増やして、少しずつ減らして、40mgを経て、今は30mgになった。

 

1年間飲み続けてきた蓄積はあるようで、肌は一気にぼろぼろになって、顔は今までにないくらい腫れあがった。入院した時が、一番健康的に見えていた。

 

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退院が見えてきた今、ステロイドの副作用はどんどん強くなってきている。ステロイドの副作用は、少しずつ出てくるのだ。「退院おめでとう」「寛解おめでとう」そんな声に、励まされながら、副作用が強くなっていくこれからを思うと、「(全然めでたくない。これからしんどいんだよ。)」とどこか思ってしまう所がある。

 

【治った】という定義ならば、10日目くらいで、【治った】状態にはなっていた。ステロイドの副作用や、ネフローゼ症候群の理解は難しいと思う。なんというか、すっきりしたものの、全然すっきりしない。

 

ステロイドの副作用は、これから強くなる。薬が減ってきていても、肌の状態や、多くの副作用は、遅れてやってくる。自宅に帰ってから、現実に戻って、いつもの生活に戻ると、より副作用を感じる。

 

 

たぶん、2か月くらいは、「全然めでたくない。」と思っていると思う。私の心は、しばらく、こうやって、ひねくれていると思う。

 

元に戻って退院できれば気持ちがいいのだけれども。だから、多床室だと「誰が一番に良くなって退院できるかな」「元気そうだね」「若いからいいわね」「まだまだこれから、楽しいこといっぱいよね」なんて、おばーさんたちから、羨ましがられたり、元気そうに見られたりすると、本当は「(ふざけんなー!)」と思ってしまうこともある。

 

年末くらいまでは、うだうだ、心がひねくれたりしながら過ごすのだと思う。きっと、これは、ステロイドの内服治療をしたことある人や、見た目から分かりにくい病気になったことがある人にしか分からないのだと思う。とても、とても、繊細な部分なのだと思う。ほんとうに。

 

治療をしている同士だからこそ「よかったね」を受け入れられることもある。だから、同じ病気や、ステロイド治療をしている人や、難病で同じような気持ちになったことがあるツイートをしている人たちからの言葉は、より私の心にすっと入ってきて、癒されることがある。

(もちろん全員が全員そうではなくて、私が2回目の再発をした時に、「なんだ、発症してから、まだ2回目の再発か」とリプをしてきた人がいたことは、死ぬほど恨んだこともあった。)

 

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ひねくれた心の話は、このくらいにしておこう。

 

先週の月曜日から13日間、私の首に刺さっていた首のカテーテルがついに抜いてもらえた。テープの固定位置で、肩がガチガチになったり、洗浄・消毒で毎日死ぬほど痛い思いをしたり、シャワーに入る気にもならなかったり、顔すら思うように洗えなかったり、歯磨きをする気すら奪われたり、起き上がるのにも寝るのにも首の血管に管が三本も刺さっていた状態からやっと解放された。

 

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来週の中頃までは、テープを貼っておかないといけなくて、頭からシャワーを浴びることは出来ないので、頭は洗ってもらわないといけないのだが、首からぶらぶらと三本もぶら下げながら、濡らさないように、わきの下くらいまでしか、そーーっと洗えない状態からは解放された。

 

首にテープが貼ってあって、濡らさないように言われているので、そーっとする必要はあるのだけれども、肩からそーっとシャワーを浴びることができた。とても気持ちがよかった。

 

何より、怖がりで、ホラーが苦手で、ビビりな私にとっては、首の血管に何かが刺さり続けている事実が恐ろしくて、ずっと緊張していたので、それがなくなったという事実だけで、とてもとても、肩の力が抜けた。

 

だって、首の血管ですよ。

 

首の血管から、三本も管が出ているんですよ。

 

毎日の消毒もなくなり、痛い洗浄・処置もなくなり、ほっとした。毎日、洗浄・消毒の時間には、冷や汗をかいて、いつやるんだろうと朝からそわそわして過ごしていた時間が無くなると思うと、もう本当に嬉しい。どれだけ、この13日間、毎日緊張して過ごしていたんだろうと、今になって感じた。

 

こんなにも、負担になっていたんだなと、今更、感じて、必死だったんだと、必死に毎日を乗り越えてきたんだと、やっと少し気付いた。それにすら気付かなかったくらい必死だったようだ。

 

今日、カテーテルを抜くと言われていて、朝からずっと緊張していて、緊張のあまり、朝早くに目が覚めて、午前中はぐったりして、よだれを垂らして気絶をするように寝ていた。

 

本当に、よかった。昨日、泣いていたのは、死ぬほど怖かったからだろうか。やっと抜けるという安心感だったのだろうか。疲れだったのだろうか。いや、もう、全部だろうなと思う。

 

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夫は、今日は、残業決定の、忙しい日なのだが、泣いていないか心配だと前々から話していた。私は泣き虫だから、よく心配される。

 

今日の残業が終わったら、夫は三連休になる。「やったー三連休なんだー」と嬉しそうに話していたので、私も嬉しい。今日は、面会時間には会えないので、ごはんの写真を送っておいた。

 

ステロイドの副作用はこれからで、現実に戻ったら、生活やお金のこと色々なことが待ちかまえている。おめでたくなく、これから、また自宅療養生活が、長い長い自宅療養生活と、色々な現実が待ち構えているのだが、とりあえず、グロイのが苦手な私は、ほっと肩の力が抜けた日になった。

 

ステロイドの治療をしている人が近くにいたら、手放しで「おめでとう」というのは、気を付けた方がいいと、私自身も思う。でも、病とは闘わず、夫との生活を楽しみに、再発しないことを祈って、退院を迎えられることを祈って過ごしたい。

 

「おめでとう」よりも、「おつかれさま」「がんばったね」のほうが、ありがたかったりするのかもしれない。ステロイドの副作用が、これ以上増えないうちに、もう少し、薬が減ることも全力で祈っている。でも再発はしたくない。そんなジレンマ。

涙がとまらない

なんか、涙が止まらなくなってきちゃった。

なんだろう、悲しいのかな、しんどいのかな、つらいのかな、うれしいのかな、わからないけど、涙が止まらなくなってきちゃった。

 

なんなのか、わからないけど、涙が止まらない。

疲れちゃったのかな。

 

ひとりぼっちじゃないって、思えたのかな。

わからないけど、涙が止まらない。

 

 

子どもを持つのが怖くて、ずっとずっとこわくて、生理痛も、座薬を1日に3回入れても効かないくらいひどくて、ずっとピルを飲み続けていた。それでも、夫と話し合って、たくさん喧嘩して、ぶつかって、妊活を始めようって決断して、ピルを辞めて、1か月でネフローゼ症候群になった。

 

注文住宅を考え始めたところだった。工務店ハウスメーカーをまわりはじめたところだった。

未来を見据えて、前に進めたところだった。

 

歩けなかったし、食べれなくなった。

病気をきっかけに、ずっと私を縛っていた実家との縁を切った。

 

退院したら、10年ぶりに、高校時代の親友に会う予定だった。不倫や、シングルマザーを経験して、それでも、もうすぐ再婚するんだって嬉しそうに私の入院中に連絡をくれた。会う予定だったころ、親友は「つわり」になった。子どもを授かったって嬉しそうだった。大切なパートナーにも出会えたから紹介するねって。

親友は、会う前に、突然死した。会う約束を、体調が整ったら、お互い会える時にってしていたら、会えなくなった。お葬式で、再会した。

そのあと、私もすぐに再発して、また入院した。24時間点滴につながれて、何度も大泣きした。パニックになった。

 

そのあとブログを始めた。たくさんの友だちができた。

仕事は辞めた。やることがなくなった。

 

10か月後、また、再発した。発症してから、1年経った、がんばってきたご褒美の旅行の出発日に、私は、救急外来にいた。映画の世界なのかと思った。地鎮祭や着工式の翌日だった。

ブログをはじめて、できた大切な友だちに、また会いに行く大切な旅行だった。

 

こんなドラマチックな人生はあるのだろうか。

そんなバカなことを思う。笑って、今の、この1年のことを、話せる日が来る時が来るといいなって思う。私の人生も、色々あったのよって、面白いでしょ?って笑って話せるときが来るといいなって思う。

 

なんか、涙が止まらない。