cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

空と雲と 妖精と

今日は朝から風の強い一日でした。

どんよりした曇り空の一日と思いきや、夕方にさしかかる頃に空を見上げると、厚い雲はどこかへ去り、すっかり青空が広がっていることに気づきました。しかも北側の空には面白い雲がたくさん浮かんでいることがわかり、一気にテンション上がりました。

とても複雑な形の雲ですが、主にCirrus(巻雲・筋雲)、ところによりUmcinus(鋸状雲)に分類されるもののようです。



いったいどんな風にこの形が作られたのか、不思議でなりません。でも空を見上げる時は原理や仕組みよりも、その形や色に感嘆するのみです。

この雲は平和の象徴ハトが葉っぱくわえて羽ばたいているように見えます。

 

こちらは子供を抱く母親のような。。

 

これは翼を広げた妖精のような、天使のような。。

雲の分類名はラテン語で表記されています。ラテン語といえば二千年まえのローマ帝国公用語。二千年まえも、いやそのもっと前から人はこうやって空を見上げては想像力と創造力を掻き立てられてきたのでしょう。

 

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ナヴォナ広場 美しい広場

数あるローマの広場の中で、もっとも美しいと思われるのがここ「ナヴォナ広場(Piazza Navona)」。

パンテオンから300mほどの距離にある美しい広場です。

細長い広場はバロックの建物で囲まれ、3つの見事な噴水がバランスよく配置されています。写真の細長い広場の奥にに「ネプチューンの噴水」、手前に「ムーア人の噴水」そして3つの噴水でもっとも華麗で有名なのが、広場中央にオベリスクと共に立つ「四大河の噴水(イタリア語:Fontana dei Quattro Fiumi)」です。

 

「四大河の噴水」は、1644-1651年にベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini, 1598-1680)よって製作されました。

ドナウ(ヨーロッパ)、ガンジス(アジア)、ラプラタ(南アメリカ)、ナイル(アフリカ)の四つの大河をあらわす彫像をオベリスクを中心に施すことで、カトリック教会が四つの大陸を支配していることを表現したと言います。

現代のローマの街を歩くと、あちこちでとても頻繁にベルニーニの彫刻作品に出会います。ベルニーニは古代遺跡で溢れるローマ街を華やかなルネサンスの街に作り替えたと言われるほど、その斬新な発想から生まれる作品はローマの街と共に賞賛されました。

「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」

とまで言われたベルニーニとはそういう人物です。

ところが四大河の噴水を手がけるころのベルニーニは、時の法王の交代により苦境に立たされていました。ベルニーニはそんな逆境を覆すが如く「四大河の噴水」を製作し、この作品の成功によって法王の信頼も得て、その名声を取り戻したと言います。

 

ローマでも特に美しいと言われるナヴォナ広場には、ローマのために働いた天才ベルニーニの渾身の作品によって彩られているのです。

もう一つ、ナヴォナ広場が特別な理由はその「形」にあります。

 

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食事小話 救世主マクドナルド

ヨーロッパを歩き回っていた頃、僕の基本は一人旅でした。

何の気兼ねもなく好きなところで好きなだけ過ごす。いろいろな場所に行って、街並みや遺跡、建築や美術を堪能することが一人旅の最優先事項。食事に関しては、どちらかというと、いや、圧倒的に「後回し」の対象となっていた。あんな食異文化の豊かな場所に行っておきながら、食にお金も時間も使わなかったなんて、何と勿体無いことをしたものだと、今振り返ると思うのだけど、当時は何の躊躇もありませんでした。

なので、このブログcafe mare nostrumの中で、食事を扱った記事はほんのわずか、片手で余る程度です。

実際どうしていたかというと、大抵の場合、朝は安ホテルの朝食の定番「パンとコーヒー」、または朝抜き。昼は地元スーパーで何か簡単な食材を仕入れる、または昼抜き。夜は安い定食屋、またはスーパーか屋台で果物。という感じでした。行った先の国の事情により多少変化はするのだけど、基本は食事のお金と時間は最小限。でも、できる限り地元の食堂やスーパーや屋台で食べる、その土地ならではの安いものを食べるように心がけていました。

できる限り、と書いたのはその限りではない場合ももちろんあるわけで、その時の体の疲れ具合とか、気の張り方によってはどうしてもそれができない時もあります。僕の一人旅は早朝からひたすら歩いてあちこちを回るので、1日経つとかなりエネルギーを消費することになります。なので日によっては夜には足が棒のようになって、精魂尽き果てた状態になることがあるのです。そんな時、知らない土地で安くて美味しそうな食堂を探す体力、知らない言葉で書かれたメニューと格闘する気力がないとき、そんな時は食事を抜くか、最後の手段を使います。

最後の手段、それは。。。マクドナルド。

フランスでパリの街を散々歩いた後にルーアンに移動して夜遅く到着した日、店が軒並み閉まってる真っ暗な街に希望の光のように見えたマックの看板に吸い込まれました。早朝から南フランスを歩き回った後ヘトヘトになって辿り着いたニースの駅で入ったマックは、はち切れそうな笑顔で英語で店員さんが対応してくれた。物価の高いスイスで手軽に食べられる場所が見つからず、最後の砦となってくれたのもマックでした。でも、スイスのマックは当時の日本のマックと比べて3倍くらいの値段だったに驚かされました。イタリアのミラノでは地下鉄のサインがちょうど赤字に黄色い「M」なので、疲労&空腹の時に、何度もマックの看板だと錯覚しました。

*ミラノのドゥオモ前の地下鉄のサイン

マクドナルドのすごいところは、メニューの字が読めなくても食べたいものを選べるし、「あれはああいう味だ」ということがわかる安心感。国によってご当地メニューや多少の味付けの変化はあるものの、基本的なラインナップは同じ。ビッグマックハンバーガー、チーズバーガー、ポテト。。。。僕はどうしようもなく疲れて気力もゼロというときに、マクドナルドさまにお世話になってきました。ヘロヘロな状態であの赤地に黄色い山二つの「M」の字の看板を見つけた時の安堵感ったらありません。フラフラになりながら、マクドナルドに入り、言葉は適当に、でも適確なオーダーを行い、ハンバーガーとポテトとコーラを「いつもの味だ」と噛み締めて食べていると、とてつもない安心感を感じます。

でも、空腹を満たす食事にありつき、明日への活力を取り戻している時に、僕の心には大きく二つの文字が浮かんでいるのです。

それは「敗北」。

豪華な食事ではなく、必ずしも地元の名産品でもないけど、旅先で地元のお店で地元のものを食べるというのが何となく僕の一人旅のルールになっていて、それをできなかったことが「敗北感」として頭に充満するわけです。今思えばおかしなこだわりですが、当時は大真面目に「負けた」と凹んでました。救世主マクドナルドへの感謝と共に己への敗北感を感じながら過ごしていたのです。今でもマクドナルドに入ると、いつも当時のほろ苦い記憶が蘇ります。

 

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パンテオン5 変わらない風景

パンテオンは二千年もの間、ローマのこの場所に立ち続けています。長い長い時間を経てもなお、この場所に変わらずにあり続けることは、奇跡のような話であり、それはローマ人のエンジニアたちの叡智によって完成されたこと、ローマがキリスト教国家となってパンテオンが教会として使われるようになったこと、他にもたくさんの理由が重なり合って起きた奇跡です。姿を変えずにこの場所に存在している、という奇跡。それがパンテオンです。

 

だから、僕が初めて訪れた1991年も


2度目に訪れた1994年も、

 

3度目に訪れた1998年も、その佇まいは何も変わらない。びっくりするほど変わらない。

しかも、最初の2枚は笑ってしまうほど、同じアングルから同じ写真を僕は撮っている。パンテオンが変わらないということと同じように、「この場所が最高!」という位置も変わらないということ。

そんなわけで僕は、三度同じ写真を撮るまいと、撮ったのがこの写真。この年はパンテオンの全体がわかる写真を残していない。

最後にパンテオンを見てからもう、四半世紀以上の時間が過ぎてしまった。でも人間の僕にとっての四半世紀という随分な時間は、ローマの街にとっては瞬きする程度の時間だから、今もパンテオンは何も変わってないんだろう。

また必ずローマに行きたいと思っている。ローマに行ったら必ずパンテオンを見にいく。そうすると、また変わらない風景がそこで待っていてくれるはず。

 

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パンテオン4 美しきドーム

パンテオンのドームは古代ローマの建築家、エンジニアの手により多くの困難を克服して実現されました。そしてその後二千年もの間この場所に、姿を変えず存在しつづけている。すごいことだ。

僕は前回、ドーム天井実現の最大の問題だった「重量」を克服する手段のひとつが、四角い段々の格間だったことを紹介しました。

そして、この格間には技術的問題を解決するだけではない、もうひとつとても重要な役割があります。

それは「天井の装飾」です。

この「格間」は、天頂のOcculus(明かり取り)からの光によって影を作ります。それも個々の格間の段々の部分で複雑な影をつくり、ドーム天井のローマンコンクリートの表面に、とても豊かで多彩な表情をつくることになるのです。パンテオンの下層部の色大理石の華やかな色彩と模様とは対照的に、色のないコンクリートで形作られた格間は、そこにできる影によってとても表現豊かに天井を飾り、時間によって、季節によって、太陽の光の差し方によって、その表情を千差万別に変えていきます。その様子は派手な色大理石の装飾よりも、むしろ派手と言えるかもしれません。

この格間は半球ドームの経緯に沿って規則的に構成されていて、縦方向には大きさの異なる5層の格間が規則正しくドームを一周するように並んでいます。一つの格間は、一番上の層が3段、その他の層は4段の四角が段々に重なった構造におり、段差の付け方や大きさはその層ごとに少しずつ変わっています。

パンテオンの天井を横から眺めた図

一番上の層の格間は四角の中心を基準に3つの大きさの異なる四角が重なる構成です。

二番目から五番目の層は4つの四角が段差を作っているのですが、その層の高さによって、4つの重なり肩を変えています。この格間内の四角の中心軸のズレは、実際に配置される高さによって、パンテオンを訪れた人が地上から見たときに、格間の陰影がバランスよく見えるように設計されています。

5層目の格間は垂直に近い面に配置されるので地上からは、かなり斜めの状態で見ることになります。地上からみたときに5層の格間の模様が視覚補正がなされるように、4段の格間がバランスよく見ることができるような形にしてあるのです。なので、5層目の格間を単体で、正面から見るとかなり歪な形状に見える。

パンテオンは「人が見たときに、バランスが良い(美しい)と感じる」ことを目的として細部のデザインが決められています。ここのとはヴィトルヴィウスが建築書でギリシア神殿について記述したように、ギリシアで発明、完成された手法で、それをローマ人が受け継いだ。パンテオンも、人が見たときにバランスよく見えるように細部のデザインを調節しているのです。

 

実際にパンテオンの中に入り天井を見上げると、光と影が格間に織り成す模様に圧倒されます。そして、とてつもなく芸術的で神々しい。この天井は不可能を実現した「機能(軽量化)」と「美」が一体となっている。「美しい建築」をギリシア神殿から学んだ古代ローマ人は、建築を美しく見せるために、数値の均等ではなく、「人の感覚」にダイレクトに調和を感じさせるための設計をしました。パンテオンはそれを端的に示す例と言えるでしょう。

 

二千年前に誕生した世界最大級の半球ドームの天井は、格間を効果的に取り入れたことで神々しい美しいドーム天井となりました。ローマ人の美意識にはただただ脱帽するばかりですが、このドーム建築と格間の構造は、建築の手本として後世、そして近代に至るまで、たくさんの建築家に影響を及ぼして、さまざまな建築で模倣されることになるのです。

 

パンテオンを建てた皇帝ハドリアヌスとこの建設に関わった古代ローマの建築家、技術者たちは、このパンテオンが二千年もの間姿変えることなく存在し、その後のたくさんの建築の手本になってきたという事実と、そこに自分たちの名前を刻まなかったということに、静かに控えめに、とても誇らしく思っているだろう。

そして、あの世でみんなで「オレたちいい仕事をしたな」って称え合っている、そんな姿が眼に浮かびます。。。

 

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パンテオン3 その構造

ローマ帝政初期に誕生し、やがてキリスト教と共にあったことで2千年の時を生き抜いたパンテオンは、古代ローマの技術の高さを今でも世界に伝え続けています。今回はパンテオンの構造について綴ります。

 

パンテオンの内部空間は 直径43.3m、高さ43.3mの広さがあります。ドーム天井は正確な半球形状をしているので、つまりパンテオンの内部は直径43.3mの球がすっぽりはいる空間になっています。

ドーム天井は主にローマンコンクリートで構成されていて、それを支える円筒形の壁はレンガとローマンコンクリートのミックス構造になっています。半球状の天井を円筒で支えるシンプルで合理的な構造は同時に驚異的な耐久性も実現しました。

 

◾️壁

直径43.3mものドーム天井を支えるために、横壁の厚みは最大6mにも及びます。外側と内側にレンガの壁を作り、その間をローマンコンクリートで埋める構造です。また外側から壁面を観察すると規則的に横積みされたレンガの壁の所々に、アーチ上にレンガが積み上げられている箇所があるのがわかります。これは内部の祭壇などの壁内空間を作るために撮られた構造で、ドーム天井を支える強度を持ちながら内部の祭壇空間を確保するために編み出された技術です。

◾️ドーム

この直径43.3mものドームはローマンコンクリート製。内部には鉄筋や鉄骨はもちろんレンガなどの構造材が何もない。当時いかにローマンコンクリートが丈夫であることが知られていたとはいえ、この完全な半球ドームを作ることはとても難しく、この見事な半球のドームを実現するために様々な工夫が凝らされることになります。

柱のない直径43.3mもの巨大なドーム空間をどうやって成り立たせるか。最大の課題はドームに使用されるローマンコンクリートの重量でした。ローマの技術者たちは半球球形状の天井を成立させるために、三つの方法でこの難問を解決しました。

ひとつ目は、天井の厚みを天頂に行くにつれて徐々に薄くすること。円筒部の横壁厚みは最大6m、そこから天頂にいくにつれ少しずつ1.6mまで薄くなっていきます。天頂部の体積を減らすことで、支える重量を大きく軽減しました。

ふたつ目は、ローマンコンクリート軽石を混ぜ込むこと。比重の軽い軽石を、上部に行くほど多く混ぜることにより天頂部の重量軽減を実現します。

みっつ目は、内面に広がる無数の格間構造です。格間構造は秀逸な装飾であると同時に、半球天井の凹みをつくることで、使用するローマンコンクリートの量を減らし、ドーム全体の重量軽減に大きく貢献しています。

 

コロッセオで石材(トラバーチン)による駆体の隙間をローマンコンクリートが埋めたように、パンテオンではレンガ構造の間をローマンコンクリートが埋めることで二千年保つ強度を実現しています。ローマンコンクリートの使用方法としては、ここに極まれりです。パンテオンでは実現された直径43.3mものドームは、ブルネレスキによるフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレが完成するまで、約1300年もの間、「世界最大」を顕示していました。

僕はパンテオンを見るたびに、その斬新な造形と二千年前から形が変わっていないことに毎度新鮮な驚きを感じます。でも、「二千年前と変わらない」ことに驚く僕たちに対して、パンテオンを建てたローマの建築家や技術者たちは「あたりまえだろ?そういう風に作ったんだ」と呟いていそうです。

 

パンテオンの技術と美しさはその後もいろいろに受け継がれ発展していきます。コンスタンティノープルアヤソフィアのドームとなって、さらに無数のモスク建築へと受け継がれたり、やがてフィレンツェのサンタマリアデルフィオーレの美しいクーポラとなり、ローマのサンピエトロ寺院のクーポラへ、ロンドンのセントポール大聖堂へと広がって行く。またパンテオン(全ての神々に捧げる神殿)という存在は、パリのパンテオンとなっていくのです。

 

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小話 桜

今年も桜の花が咲きました。

満開です。

桜の名所はそれぞれ素晴らしいですが、こんな近所の桜の木もそれはそれは素晴らしい。桜の木、桜の花にはそういう力がありますね。

桜の花が咲くととっても華やいだ気持ちになります。

白い花びらに朱の絵の具を一滴だけたらしたように、全体は薄く淡い桃色に見える。

 

この時期は日本全国桜に酔いしれる。この熱狂は桜ならでは。チューリップでもバラでもなく、桜なんです。一つの花にここまで盛り上がる、そんな花をもつ国がほかにあるでしょうか?桜は日本の誇りです。

一年のほんの1週間ほどの間だけ、一気に花を咲かせて散っていく。

美しい姿が徐々に衰えていくの見せる前に、ひらひらとこれまた美しく散る姿は、潔い。僕たちは桜に、ただただ見事な華やかさだけでなく、儚く潔く散る姿も合わせて魅了される。

そして、ただひたすら美しい姿の裏側にある、咲くのも全力、散るのも全力、そんな一生懸命さや力強さがこの花からは感じられる。そんなところも日本人が桜に惹かれる理由なんじゃないかと。

僕もこんな風に、華やかに潔く生きたいものです。

 

最後に紹介する桜は。。

これは昨年、入院中だった娘に贈った桜の花です。この春から高校生、元気いっぱいに毎日を過ごしてほしい。

 

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