子供じゃないもん'17

生きるって超せつない

吉本ばなな「キッチン」を読んで

この人はどうしてこんなにも身体的に言葉を綴るのだろう。

心から滲み出る感情を、頭を使うのではなく身体で書いているように感じた。書くのではなく、言葉になって出てきてしまった、というような文章だった。あまりにもみずみずしくて、私の身体に、そして記憶に染み込んできた。

 

この小説を読んで、「普通に生きる」ことが難しいこの世界で自分を守ってくれるのは「習慣」なのだとわかった。毎日キッチンに立つ。毎晩ともにごはんを食べる。毎朝、ジョギングをする。「習慣」は、自分が底の見えない深い淵へと落ちてしまいそうな時、自分をもう一度もとの場所へ戻してくれるものだと思う。原点に立ち返るための習慣、それは生きていく上で私の想像をはるかに超えるほど支えになってくれるものなのだと、気づかせてもらった。

 

「この世の美しさを書きとめていたい。」と、著者である彼女は書いていた。


愛する人たちといつまでもいっしょにいられるわけではないし、どんなすばらしいことも過ぎ去ってしまう。どんな深い悲しみも、時間がたつと同じようには悲しくならない。そういうことの美しさをぐっと字に焼きつけたい。少しでも私の作品が人々の心にしみこむなら、必要としている人にだけでいいから、ちゃんと届くものを書き続けたいというだけだ。」

 

この言葉の温度に、私の心はおだやかになった。人生、生きていればいろんなことがある。心が壊れてしまうほど孤独で悲しいことも、自分のふがいなさに苛立ちいつまでも許せなくて苦しいことも。そして人生は小説のように極端ではないし、文字に起こして冷静に自分の感情を読む余裕もない。大なり小なり自分の中に生まれる繊細な感情は、次から次へと身体中に蓄積されていく。それでも、向き合って次の一歩をゆっくりと歩いていけば、その先の未来の自分は今より辛いことはなく、きっと大丈夫になっている。それはとても美しいことだと。私はその世界の見え方にハッとした。きれいだな、と思ったし、自分の中にずっとあった息苦しさから報われた気がした。

 

人は醜いし、世の中は生きづらい。そんな風にどこかで自分を諦めていた。でも、私は美しいものに出会い胸に刻まれる感動が私を生かしてくれることを知った。私は、生きていける。大丈夫だ、と思った。

 

経験は私を美しく健やかにしてくれる。知識は私の人生を豊かにして見える世界の解像度を上げてくれる。そして娯楽は、私のかたくなった頭をゆっくりと溶きほぐし、渇いていた心と身体にうるおいを与え、生きる喜びを教えてくれる。

 

私はこの本を何度も読みたい。本来の自分に立ち戻りたいときに。息の詰まるような日々に乾ききった時に。そして読み終えたらまた、大丈夫になると信じれる自分がいることに気づく。

 

 

 

 

無条件の愛を感じて、全部を肯定してくれる存在と出会って

私は完結してしまったと思っていた。

 

けど、多分、「まだまだ幸せになっていいよ」って

そういう意味なんだと思う。

 

これ以上幸せになったら、私どうなっちゃうんだろう。

 

幸せは怖いものだ。失いたくなくなるもの。

 

どうしたら良いか、考えよう。

無理せず行こう

 

 

 

 

「ごめんね」と先に言った君の

何もかも先を読んでそうしているかのような

決まりきった困り顔をみて

私はいつものように「負けた」と思った


あの日、別れのことばは

「ありがとう」だった。

謝りたいことなんてたくさんあるけど

それよりも君には感謝することがたくさんあった。ただそれだけのことだ。

何も言わない君の表情から

一生懸命にその心を読み取ろうとした。

でも、考えれば考えるほど

君の気持ちとは違う気がした。


君は何も言わず、どこにも触れず、

ただ静かに後ろをむいて歩いていってしまった。



別れのキスくらいかっこよくしてくれよなんて思った。


でも、そういう軽率ではないところが

好きだったんだ。なんだか笑えた。