ふさとのじ

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ゴキゲンになるための鉄則その1

ゴキゲンになるためには、

ゴキゲン脳にシフトしていく必要がある。

 

言い換えれば、

脳をゴキゲンにしてれば、

気分も良く幸せに過ごせる。

 

じゃどうやったらゴキゲン脳になれるのか?

ってかゴキゲン脳ってなんだ?

 

ゴキゲン脳とは、

簡単にいうと、物事をポジティブに見ることができる視野と思考をもつこと。

最近よく聞く

『フロー』

って状態に近いかな。

 

幸せに生きること

のパフォーマンスを上げること。

 

脳がゴキゲンにシフトすると、

自分にとって良い選択ができるし、

頭の回転は早くなるし

気分は明るくなるし、

運まで良くなる!(運は自分で良くできる!)

 

と、

ここまで引っ張っておいて、

じゃ、ゴキゲン脳になるにはどうすればいいのか。

 

実はそんなに難しくないし、

鉄則があるんです。

 

今日はその初歩的な方法のひとつを紹介。

 

それは、

思考や出来事の7割を自分が気持ちいいと思うことで占める。

というもの。

 

例えば、良いことがひとつあれば、

その時点でゴキゲン度は100%。

けど、そのあと嫌なことがあれば、

良いこと(ゴキゲンなこと)1:悪いこと(嫌なこと)1

でゴキゲン度は50%になります。

 

そうやって計算していって、

ゴキゲンなことを70パーセント以上にしていくと、次第に脳がゴキゲン脳になっていく

というもの。

 

やなことがあったら良いことを探す。

美味しいもの食べるとか、

幸せそうな人を見つけてその人の気持ちになって見るとか、

好きな人に『好きだよ』って伝えるとか。

そうやってゴキゲン度を70パーセント以上に保つと、自然にゴキゲンな人になっていきます。

 

そして、その時間と、そうでない時間の比率が70パーセントを超えると

それが自然に維持できるようになります。

 

 

ゴキゲン度を上げて

ゴキゲン脳になりましょう。

自分の努力でゴキゲンな日々はつくれるのです。

傾聴神話の崩壊

日頃、人と話すときは傾聴を心がけているが、

今日、わたしの傾聴神話が崩壊した。

 

話をするとき、

傾聴すりゃいいってわけじゃない。

ってことだ。

 

今日、とある社長と話をしていたのだが、

なかなか話が盛り上がらない。

続かないし、なんか楽しくない。

 

そこで、ラジオだとかYouTubeとかで、トークのプロの話を聞いてみた。

 

うーん、さすが、トークが面白いし、何しろゲストが楽しそうに話している。。

 

けど、そのとき、

私は気づいた。

 

『あれっ、この人たち傾聴してなくない?』

 

ってことに。

 

いや、正確には

話って傾聴だけじゃない。

っめことだ。、

 

お互い楽しげに話していて、

ゲストの話をまるごと受け入れているが、

その合間にインタビュアーの想いやツッコミが遠慮なく入っている。

 

それが、トークを面白く、

気持ちよくしている。

 

 

これは私にとって発見で

『話は傾聴ありき、相手を受け入れることに終始すべき』

という私の傾聴神話をぶっ潰してくれた。

 

傾聴はあくまで基本の基本。

相手をそのまま受け入れるってのも基本の基本。

けど、その上で自分の考えや想い、ジョークやアイデアがないと、

話はなーんも面白くない。

 

ハッピーに生きるには、

相手と面白い時間を作るのがいい。

 

傾聴神話が崩壊した。

けど、なんだか人と話すのが楽しみになってきた。

 

夫婦喧嘩を解決するには、正しさを諦めること。

夫婦喧嘩のきっかけも、

夫婦のすれ違いも、

そのほとんどは『正しいこと』をしたからだ。

その正しいことを諦めた時、夫婦喧嘩の解決が見えてくる。

 

当然だけど、

ほとんどの人は正しいことをして生きていこうと思う。

悪いことをせず、いいことをしたいと思うし、

悪ではなく、善を求める。

 

特に人間は社会的な動物だから、

社会性を大切にする。それは、多数派が正しいと思うことだ。

その多数派とは、『普通』というもので、『マナー』とか『常識』と呼ばれることもある。

 

その『正しさ』は社会や学校で学ぶが、多くは自分が生まれ育った家庭に由来する。

そう。正しさはそれぞれの家庭で、それぞれの正しさを獲得するのだ。

 

そこで、疑問が出る。

わたしの家庭の正しさと、

隣の家の正しさは

全く同じなのか?

ということだ。

 

前置きが長くなったが、本題に入る。

 

夫婦は、違う家庭でそだった他人であり、

その正しさは違っているのは当たり前なのである。

 

言い換えると、

わたしの常識は妻の非常識で、

わたしの正義は妻の悪かもしれないし、

わたしのマナーは妻にとっては邪魔くさいものかもしれない。

 

夫婦喧嘩をする時は、だいたい意見の食い違いでお互いの正しさを主張する。

そして、それは折り合うことは少ない。

自分の意見を曲げる必要もないと思っている。

なぜなら、自分は正しいから。

 

それを、お互いが思っている。

 

そりゃ夫婦喧嘩もエスカレートする。

 

そこで、夫婦喧嘩を解決するには、

正しさを諦めること。

 

それは、間違ったことをしろということではなく、

妻も正しい。

と認めることだ。

 

具合的になにをするかというと、

夫婦喧嘩をした時、

自分の言いたいことを1分間がまんして。

妻(夫)にこう言うのだ。

『うん。君は正しい。』と。

そこから、夫婦喧嘩は解決に向かうだろう。

 

そこで注意するのは、そのあとに、『けど、』『だけど、』『しかし』は言っていけない。

それは、結局相手の正しさを否定することになる。

 

夫婦喧嘩を解決するには、正しさを貫いてはいけない。

その正しさは、大切な人を傷つけるかもしれない。

そんな正しさはさっさと捨ててしまった方が、ハッピーだと思う。

 

そう、正しくない方がハッピーなことは、

意外に多い。

 

と思った夜。

夫婦喧嘩をしたあとに(笑)

他人事と自分事

自分に起きるのは自分事

他人に起きるのは他人事。

 

目の前の人がしていることや、感じていることは他人事。

それをみて、考えることや感じていることは、自分事。

 

他人は変えられない。

変えられるのは、自分だけ。

 

他人事は他人事。

自分事にフォーカスしよう。

からだのことはからだに聞こう。

からだの調子が悪いとき、

ついついスマホで調べがち。

僕は最近胃の調子が悪いから、

『胃痛 原因』とか、『胃もたれ 漢方』とかググったりする。

 

けど、そうやってネットサーフィンしても、わかったようで、わかってない。

なるほどー!根菜がいいのね!

とか思っても、根菜ばっかの食卓になることはないし。

 

それよりも、

からだのことを知るには自分のからだに聴くのが一番。

 

胃の他にいたいところは?

 そういえば、背中の右側が痛いし張ってる。右肩も痛いし、なんだか内にちぢんでるみたい。

最近の生活で兆候はあった?

 先週くらいから、実は違和感があったな。食べるのが好きだから気に留めなかったけど。

胃が痛くなったとき、心になにか変化はあった?

 仕事で頑張らなきゃ、気を張らなきゃと思うことが多かったな。少しストレスを感じやすかったのかも。

 

とかとか。

 

そうして、丁寧に自分の体と向き合う。

 

そうしていくと、原因がわかるし、

そうすると、どうすればいいかもわかる。

それよりなにより

そうやって自分のからだに向き合うだけで、からだは癒えてくる。それだけで癒える。ほんとに。

 

そしてしまいには、

自分のからだを撫でて、声をかけてあげるといい。

痛かったねー

無理させたね。

俺のからだ、ありがとう。

 

って。

 

ぜーんぶ、ひとりでできる。

 

じぶんのからだのことは

からだにきこう。

 

からだに触れると効果的。

 

自然に囲まれていると、なおよし。

 

僕は海でできるとサイコーだなー。

 

 

 

 

二日酔いでイライラ。は一瞬で落ち着かせる。

お酒が弱くなったのか、

もともと弱いのか。

 

昨日のビール缶2本で

二日酔い。

 

気分が悪くなることはないんだけど、

判断力が鈍り、ぼーっとする。

 

そして、イライラしがち。

 

イラっときたら、

それは、一瞬で落ち着かせるようにしてる。

 

方法は簡単で、

 

空を見て、

陽に当たるなり、風を感じるなりして、

自然を五感で感じる。それだけ。

 

あったかいなー

とか

風が強くてびゅーびゅーいってるなぁ

とな

ってか寒いなぁ

とか

空が青いなぁ

とか。

 

そうすると、

イラっとした気持ちは、落ち着く。

 

詳しく解説はしないけど(今度します)

ちゃんと効果がある方法。

自分の感覚に意識をむける。

それだけで、

感情の一時的な起伏なんて

一瞬で落ち着く。

 

自然が近くにあると

効果的。

だから

誰でもできる。

 

誰の頭上にも空はあるからね。

 

ただ、今日は晴れててよかった。

有難や。

幸せの敷居は低いと幸せ。

ハクモクレンの花が散り、

茶色く潰れた花びらが地面を散らかしていると同時に、

新緑が芽吹くように、咲くように、

頭上を彩る。

 

その過程を通勤中に感じて、

あぁ自然っていいなぁ

幸せだなぁ

と感じることができる私は幸せだと思う。

 

昨日雨で、

今日晴れで、

晴れが好きな私は陽にあたって

気持ちいー。幸せだぁー。

って思える私は幸せだと思う。

 

幸せの敷居は低い方がいい。

競うわけじゃないんだから。

ただ、人生幸せに生きたいんだから。