ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 二十九巻

玄徳やっぱり可愛いと思う(今更)

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

呉の孫権、やはりまだ若いせいか合肥城を攻め落とせない。挑発に乗ってかっとなり大戦するが有能な将を失うだけで勝負はつかない。

若気の至りを反省するが太史慈が作戦を言い出し孫権はこれを許した。

太史慈の部下戈定兄弟による合肥城放火計画である。

横山先生は兄弟モノがかなり好きな気がする。まあそもそも『三国志』って兄弟モノではある。

生き生きしてる。

しかし張遼の冷静な判断により彼らはあっという間に捕まり斬首されてしまう。

張遼は外部と示し合わせているに違いないと考え「謀叛人だ」と叫びながら開門させる。

外でこれを待っていた太史慈軍は中へとなだれこんだ。

張遼は「よし射て」と壁上から一斉に矢を射らせた。突っ込んだ呉軍の兵士はむろん太史慈も全身に矢を浴び死亡。

命からがら逃げのびた呉軍を張遼は追撃する。そのまま呉陣へと突っ込み逆に火矢を射て陣を焼失した。

呉軍は陣を解き南徐の潤州まで敗退せざるを得なくなった。

 

一方玄徳の身辺では、劉琦がついにこの世を去ってしまった。

弔問に訪れた魯粛は「劉琦の没後荊州を呉に返す」というかつての約束を持ち出す。

だが孔明はまったく引くことはない。

魯粛はたじたじとなるがそれでも自分の立場の危うさを訴える。魯粛さん、嫌いになれないんだよあ。

ここで孔明は自分の計画「天下三分の計」の一端を話す。「蜀を取った時に荊州をお返しする」と言い出す。そして玄徳に一筆お願いし保証人として自らの名を記し魯粛にも署名を望む。

 

周瑜は安静のため柴桑で療養していた。

荊州帰りの魯粛の報告を聞く。そして持ってきた証書を見て呆れる。またも魯粛孔明に騙されたのだ。しかも魯粛自身が保証人として記名しているため魯粛も巻き添えで責任をとることになると説明した。

 

ここで周瑜はまたもとんでもない策を考える。

孫権の妹を玄徳に嫁がせると言って呼び寄せ結婚式が終わったとたんに玄徳を暗殺する、というものだ。

むろんこの結婚は謀略として進行していく。

果たして魯粛周瑜の手紙を差し出すと孫権は「うまくいくかもしれん」と納得したのだった。

 

周瑜のこの玄徳結婚作戦のどたばたが面白い。

早速玄徳の元へ結婚話が持ちかけられる。

玄徳は五十歳、妹君は十七歳と言う若さだ。武芸が好きで勝気だという。

この話孔明は乗り気だ。占いも大吉らしい。それに両国の衝突も避けられる。

この時点では玄徳あまり乗り気ではなさそう。

 

しかし話はとんとん拍子に進む。

孔明は護衛の趙雲に謀を秘めた三つの袋を手渡した。

 

まず孔明趙雲に渡した謀に「喬国老を訪問するように」とした。

このことで玄徳は孫権より先に国老から母君に知らせが行き母君が孫権を𠮟りつけるという段取りになっていく。

母君は大事な娘を傷モノにはさせないと意気込み自分が気に入れば婿にするので勝手は許しませんと息子孫権に言い渡す。さしもの孫権も母には逆らえないのだ。

 

翌日甘露寺にて孫権の母君はじめ国老や重臣たちが玄徳の到着を待った。

入ってきた玄徳を見た孫権もその威風に圧倒され母君は気品と威厳を高く評価したのだった。母君は玄徳を婿殿と呼びすっかり気に入ってしまう。

が、護衛の趙雲はあらゆる場所に刺客がいるのを感じた。

これを知らされた玄徳はあっけなく母君に「私の生命を縮めんと思召すならどうか私にも剣を取らせてくだされ」と頼む。こういうあっさりした態度をとれるのが玄徳の強みよな。

母君は怒り孫権を問いただすがさすがにそうだと言えず部下のせいだと言い訳する。気の毒にその矛先はさらに下の者へ向けられてしまう。玄徳はこれを諫めて事なきを得た。

やれやれと書かれてなくても書かれている。しかし首が飛ばずよかった。

 

ここで有名なエピソードとなる。

酔った玄徳が酔い覚ましに外へ出ると庭に大きな石があり玄徳は「我が生涯の大望」と念じて持った剣を振り下ろした。

すると石はさっくりと斬れてしまったのだ。

それを観ていた孫権に「結婚を機に供に力を合わせて曹操を滅し得るならこの岩斬れよ、と念じたら斬れました」と嘘をつく。

孫権も面白がって斬りつけるとこれも斬れたのだった。

この岩は今もあると言う。すごい。

 

玄徳の結婚は急ぎあげられた。

周瑜はこの報を聞き驚く。

そして新たなる策謀として「玄徳を酒と女で堕落させ家来たちが見限るよう仕向ける」と手紙を書く。

貧乏暮らしだった玄徳はこの策略にかかるだろうとして孫権は楽園を増築し玄徳を骨抜きする作戦を取る。

中国の策略この「酒と女で堕落させる」多い。

そして玄徳ほんとにすっかり堕落してしまうのだwwwwww

まあ確かにこの作戦にはまらない人間はいないとも言える。

これに趙雲は苦しむ。

そしてはたと孔明の秘策を思い出し決行した。

こんな玄徳は見たくなかったwwwさすが劉邦の子孫。

妹君のほうがしっかりしてるし。

 

しかし趙雲が「曹操荊州攻撃(うそ)」と言い出すとやにわに正気となる。(曹操と聞くと背筋がぴんとなる)

それでも「すぐ国へおかえりください」と言う言葉には躊躇ってしまう。

玄徳は未練たらたら妹君に打ち明けようとするが妹君の方が先に荊州へ帰ることを言い出し「思えば短い月日であった」と言い出す玄徳に「死ぬ時も一緒です」と同行する意志を示す。

ここからの妹君の活躍は見もの。玄徳なんか目じゃないから。

 

正月の宴席を尻目に玄徳と妹君は先祖の霊をお祀りするという口実で門外へ出る。

そして待っていた趙雲と合流して国外脱出をはかる。

これに気づいた孫権は部下を次々と差し向けるが勝気な妹君に𠮟りつけられると部下たちは平伏するしかないのだった。

礼節を守る者にはどうしようもない掟がある。

玄徳一行は漁村にたどり着く。

さらに孫権から剣を預かる部下が追いかけてきた。

しかしここに孔明の乗る船が到着し玄徳一行を乗船させた。

 

かっこいいねえ。

 

『三国志』再び 横山光輝 二十八巻

趙雲の(だけじゃないけど)いつもは目をつぶっているのに何かの時には片目だけ開ける(?)というのはどういう意味なんだろう。表現としてむしろ好きなんだけど謎ではある。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

「玄徳軍」というだけで人々が恐れおののくようになっている。

玄徳かっこいい。

 

まさかりを担いだ邢道栄の前に現れたのは四輪車に乗った孔明である。

孔明、言う時は言う。そして邢道栄が襲ってくると

不思議すぎる四輪車。

直後、邢道栄は張飛趙雲と戦う羽目になりあっという間にお縄を頂戴することとなる。

「今の世有能な者はつとめてこれを生かす」と孔明は言う。「今の世って」w

なにしろ西暦208年頃、この年代を見るといつもわけわからなくなる。なにしろ日本は卑弥呼の頃なんだものな。魏志倭人伝だものな。

ともかく孔明の策略にすっかりはまった劉延は父が降伏することによって助かるが零陵城は玄徳の手に落ちた。気の毒なのは殺される羽目になるまさかりの邢道栄である。

 

次は桂陽。くじ引きで先陣は趙雲となる。趙雲の槍の前で勝負はあっけなくついてしまう。

桂陽の太守は趙範と言った。これを機会に同姓のよしみで義兄弟の約束をしてくださいませぬかと趙雲に願った。趙雲は快く承諾する。

ところが趙範から酒席に招かれた趙雲はそこで趙範の兄嫁に引き合わせられる。彼女は夫と死に別れた未亡人であった。まだ若く美しい女性である。

趙範は是非将軍の妻としてくださいませぬか、と言うと趙雲は「この愚か者」と趙範を殴りつける。

趙範は屈辱に怒りこれを見ていた陳応・鮑隆は報復せんと趙雲の陣へ降ると見せかけ赴くがすっかり見通され首を刎ねられてしまう。

趙範もまた捕らえられ玄徳の前に引き出される。趙範はことの次第を述べ玄徳に逆らう気はまったくなかったと言い訳する。

 

玄徳は「今の話はまことか」と趙雲に問う。趙雲は「もし私がその兄嫁を妻としたら世間は力づくで兄嫁を奪い取ったとみるでしょう。そうなれば我が君にも偏見を持たれてしまう。民衆の心を逆なでするようなことは避けるべきでございましょう」

玄徳は「今は桂陽も余の支配下だ。余が仲人となってその美女を娶らせようか」と勧めた。

だが趙雲はこれも断る。「妻なくとも武士の務めは行えます。拙者は武士として名分の立たぬことのほううを怖れます」

満足そうなふたりの表情が良い。

 

お次は武陵。

張飛は苛立っていた。後輩の趙雲が先に桂陽城を奪うと言う手柄を立てているのに自分はおとなしく城で酒を飲むだけだ。

抗議する張飛孔明は武陵城攻撃を任せた。

武陵の太守金旋はこれを迎え撃とうとするが鞏志は「民を戦火にまきこみたくない」と反対をする。

金旋は怒るが周囲の者が鞏志をかばったため自宅謹慎となる。

が、これまでの退屈を吹き飛ばしに来た張飛の前に金旋軍は叩きのめされ城へ逃げ戻ったがそこには鞏志が立てこもっていた。

鞏志は金旋の首を討ちとり張飛の前に出して降伏した。

 

これで三郡が落ち残りは長沙ひとつとなった。

玄徳は荊州を守っている関羽にもこのことを知らせてやろうと手紙を書く(やっぱりアニキは優しいなあ)

荊州でお留守番の関羽は玄徳からの手紙をしみじみと読んだ。傍らに立つ周倉が問うと「我が君はとうとう三郡を手に入れられたそうじゃ」

(´;ω;`)ウッ…

「しかし私情でもって曹操を見逃した拙者だ。そのようなことは許してくださるまい」

と嘆く関羽周倉は「戦いに参加できるようお願いなさいませ」と語りかける。(やさしい)

三国志』で一番良い場面。周倉奥さんのよう。

涙溢れるよお

 

この手紙を読んだ玄徳は「関羽にもお何か機会を与えてやりたい」と孔明に問いかける。「我が君がそうお思いならそうなさいませ」

孔明優しいけどいじわるwww)

「よし、では長沙攻めは関羽にやらせよう」

玄徳は張飛を呼び荊州関羽と交代してくれと頼む。張飛は喜んでこれを承知した。

 

関羽は長沙攻めに自分の配下五百貴で充分と答える。

孔明はこれを心配し「我が君みずからひそかに力をそえてやる必要があります」と言い玄徳もすぐに支度した。

ああこのあたりの玄徳軍のつながりよ。ほんとうに強い連携があって唸ってしまうよ。

孔明の言った通り長沙の太守韓玄は良い人間ではなく語ることもないが関羽はここで黄忠と相まみえるのだ。

黄忠は六十近い老人と説明されている。なんと五十代だった。そういう関羽は何歳なのだよ。よくわからないなあ。

どっちにしても黄忠、いいよねえかわいいよね。

額の逆♡もいいね。

しかし関羽をして「これは油断はならん」といわしめる。

おお。赤兎馬にまたがる関羽の絵、すばらしい。

しかし一騎打ちは翌日へと持ち越される。

が、翌日の戦いで黄忠の乗る馬がつまずき黄忠は振り落とされる。

地面に倒れた黄忠関羽は討ちとれなかった。

(おいおいまただよ関羽

「馬を乗り替えられい。改めて勝負いたそう」と去る。

太守韓玄黄忠を罵る。「お前の得意は弓だ。なぜ弓を使わぬ」黄忠は謝罪した。

(ほんとに嫌な太守だこいつ)

しかし黄忠の思いは関羽に占められていた。

ここでも「今どき」発言。

それにしても漢は悩むねえ。

 

翌日黄忠は弓を使うがまずは何もつがえず弓を弾いた。

関羽は身をよけるが何も飛んでこないことを不思議がる。

が三度目黄忠は矢をつがえたがその矢は関羽の頭巾、頭すれすれに深く刺さった。

関羽黄忠の意を察し「それにしても恐れ入った」と馬を返した。

 

これを見ていた太守韓玄黄忠がわざと関羽を助けるとは敵と内通しているなと叫び黄忠を打ち首にしろと命じる。

 

部下たちはやむなく黄忠を刑場へと連行した。

ここで登場するのがあの魏延なのだ。

魏延黄忠がどれほど長沙のために尽くされたかと言い述べ逆に太守韓玄がどんな仕打ちをしてきたかを並べた。

我々の敵は玄徳軍ではなく太守韓玄だと言い先頭に立って韓玄を討ちとった。

長沙城の様子に気づき近づいた関羽に差し出されたのは韓玄の首だった。

魏延はその首を持って玄徳様に城を明け渡すとした。

 

老将軍黄忠は屋敷にこもり誰にも会おうとしなかった。

玄徳は自ら赴き黄忠に力を貸してほしいと頼み込む。黄忠は「もったいない」とひれ伏しこの老骨役に立つなら使ってくだされ、と答えたのだ。

 

さらに玄徳は魏延とも会う。

しかし孔明はここで「私はこの男を召し抱えるのは反対でございます。いやむしろ処刑すべきでございいます」と言うのだ。

これに反対した玄徳に孔明は「我が君がそうお考えあそばすなら逆らいませぬが」と言いながらも魏延に一言釘を刺したのである。

 

うーむ、この場面、孔明の芝居だったのかどうか。

後々の顛末を思うと孔明はこの魏延に嫌な何かを感じていたのか。

他の人物が寝返るのはむしろ喜んでいたのになぜ魏延だけ?

ここだけ読んでいる分には奇妙に思える孔明の言葉なんだよな。黄忠を助けた良い人にしか思えないのだが。

孔明には未来が見えていた、としか言いようがない。

 

『三国志』再び 横山光輝 二十七巻

周瑜、優秀な人なのにほんとうに気の毒です。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

赤壁の大戦で大勝利を収めた呉軍の勢いはまさに天を突くばかりであった。

降伏する曹軍の残兵を自軍に組み入れその勢いで南郡攻略を開始した。

そこへ玄徳からの祝いの品が届きさらに居場所を移したことを聞いた周瑜はここで玄徳に釘を刺しておかねばと自ら返礼に向かう。

「この程度の儀式になぜ」と訝しむ玄徳に孔明周瑜への返答の方法を教えた。

 

「恩義あるゆえ荊州を奪うことはできぬ」とあれほど義侠心を固辞し続けていた玄徳がここにきて突然「よるべき土地を持たねばならぬ。事情は大きく変わったのだ」と言い出してる。何があったのか。

しかしここでの孔明

かっこいー。

痺れるではないか。

 

ここから周瑜の下り坂が始まっていく。

 

曹仁を将軍とする南城を先手を蒋欽として攻めさせた。

曹操に籠城を命じられていたが曹仁の部下牛金は出陣しての戦いを志願する。

牛金は五百の兵で戦い苦戦するが曹仁はこれを見捨てず自ら救援に出た。

曹仁将軍は強く呉軍は五千の兵を持ちながら逃げるしかなかった。

 

この報を受けた周瑜は怒る。甘寧が南城ばかりに気を取られず夷陵の城を取ることで南城を孤立させると言い出すのだ。

が、甘寧は逆に夷陵城に閉じ込められてしまい周瑜が救援に向かうことになる。

ここでは周泰の活躍もあって曹洪・曹純・牛金らは命からがら南城へと逃げ落ちることになる。曹仁は追い詰められるが曹操から授けられた秘伝の書を思い出して開いたのだ。

曹操の秘策は恐ろしいほど効果をもっていた。

 

周瑜は城兵が腰に兵糧袋を提げているのを見て「逃げ支度」をしていると判断し敵の士気の衰えを感じた。

出陣し戦うと圧倒的に呉の韓当周泰が勝り曹軍は逃げ出した。

この機を逃すなと周瑜は南城へと攻め込む。

がそこには落とし穴が仕掛けられており周瑜をはじめ駆け込んだ将たちは転がり落ちそこへ矢を射かけられた。

周瑜は馬と自分の胸を射られ倒れ落ちてしまう。

からくも助けられ馬によって運び出されたものの周軍は無残な敗退となってしまった。

曹操の秘計まさに神に通じるものだった。

 

 

逃げ延びた周瑜だったが矢じりが骨の中に残っているのを木槌とノミで削り出すしかなかった。しかもその矢じりには毒が塗られていた。

医者は「感情が高ぶると骨の傷と肉の間から高熱が出る」として安静を求めた。

 

呉陣は周瑜回復のため静寂を命じられる。

これに乗じて曹軍は悪口雑言で呉軍を挑発する。

やむなくここはいったん呉に戻って出直しをという将を魯粛が制する。周瑜は「南郡の城取が呉軍の手に余るなら劉備玄徳に好きなように城を取っていい」と約束してしまったのだと皆に話した。

呉軍はどうしようもない状態にあった。

 

しかし周瑜は立ち上がり戦場へと赴く。

曹軍は周瑜を罵り再び落馬させ勝利を収める。

が戻った周瑜はこれは「敵をあざむくためだった」と称して喪旗をあげさせ周瑜の死亡を噂させる。

勝利を確信した曹仁は夜襲をかけるがこれは罠だった。周瑜率いる呉軍は曹軍の大半を討ち果たした。

周瑜は堂々と南城に乗り込もうとしたがその城壁の上には趙雲が立ち「すでにこの城は占領した」と告げる。

周瑜たちが曹軍と死闘を繰り返している間に劉備軍はゆうゆうと何もせず南城を占拠したのだ。

周瑜はいったん陣地に戻り策を練った。

まずは荊州・襄陽の城を奪いそれから南城を取り返そう。甘寧凌統がこれを命じられたが両方ともすでに張飛・玄徳の旗が翻っていたという。

しかしなぜこうも簡単にふたつの城が落ちたのか。

孔明曹仁の割符を手に入れそれを持って荊州城へ向かい「南城危うし、すぐ救え」と言い送りそれを信じた荊州の将が開城して出陣したところを張飛が占領したのである。襄陽の城も同じであった。

これを聞いた周瑜はどっと血を吐き倒れ込んだ。

 

目覚めた周瑜は玄徳と一戦をと意気込むが魯粛がこれを制し「拙者が玄徳に会いに行きましょう」と言うのだった。

魯粛は怒りを持って孔明に抗議した。

しかし孔明はあくまでも沈着に「荊州劉表のご長男劉琦は我が君に養われてござる」とした。しかも劉備劉表の同宗の家系であり劉琦とは叔父甥の関係なのだ。

魯粛は何も言えなくなる。

 

さらに周瑜のもとに呉王孫権から急ぎ立ち戻れと言う軍命が下る。

こうして呉軍は多大の犠牲を払いながら荊州を手に入れることなく軍を引き揚げた。

 

玄徳は孔明と話し合う。

三か所の城がたやすく手に入ったことで玄徳は心配するのだった。

孔明は「これも我が君の今までの苦労が実ったもの」として慰める。

玄徳は「ではこれからどうすればよいか」と問う。

孔明は「すべて人です」と答える。襄陽に馬良をはじめ五人兄弟がいるという。特に弟の馬謖はすぐれた武人とか。

 

ほおお。ここで馬謖が出てきてたんだなあ。しかもすでに特に優れていると孔明は評価しているのだ。

玄徳は伊籍を通じて馬良を呼ぶ。

馬良荊州に詳しく玄徳に対しこれからどのようにして荊州を手に入れられるかを説いてみせた。

ただちに南征軍が準備され関羽には荊州を守らせた。南征軍の先手は張飛。玄徳・孔明が中軍となり後陣を趙雲が固める。総勢一万五千。

時は建安十四年であった。

 

尻込みしていた玄徳がいきなり意欲的になっているのは気になるが(何があったのかなあ)いよいよ進撃が始まるという興奮を覚える。

しかしやはり関羽曹操に目をかけられそのことに恩義を感じてしまったことが尾を引くなあ。それこそが関羽の人格なのだから仕方ないのだが。

 

 

 

『三国志』再び 横山光輝 二十六巻

やっぱり曹操様はステキだ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

総勢百万の曹軍の出陣。威容の艦隊を見て周瑜は慄いた。

折しも強風で「帥」旗が折れ、曹操はこの日は引き揚げた。

が、周の旗もまた同じように折れてしまい周瑜はその下敷きとなって倒れてしまう。

孔明が見舞った時も周瑜はまだ起きれずにいた。が、怪我はなかったのだ。

孔明周瑜に会うなり「なにがそれほど不安なのです」と問う。

周瑜は「不安など何もない」と答える。孔明は「それは気の病です」と言い「良い薬を差し上げましょう」と続けた。

人払いをして孔明が紙に字を書き周瑜に手渡す。「これが薬でござる」

そこには「ただ東風を欠く」と書かれていた。

周瑜は身を起こし魏の大水軍を見てぞっとしたと告白する。「東風が吹かなければ火計を用いることもできない」そのため胸が痛くなってしまったのだ。

ここで孔明は昔異人から伝授された秘法を持って風を祈りましょうと言い出す。

「十一月二十日にかけて祭りをすれば三日三晩のうちに東南の風が起こりましょう」

魯粛はそれまでに祭壇を造らせた。

しかし孔明は知っていたのだ。彼は子供の時より気象を観測していて毎年十一月になると二三日だけ東南の風が吹くことに気づいていたのだ。孔明は造られた祭壇の上で祈りを始める。

黄蓋は干し草枯れ葉を積み込み曹軍へ向かう準備を整えた。

 

果たして東南の風が吹き始めた。

三国志』ほんとうにカッコいい言葉が多いのだ。

ここで周瑜は真っ先に曹軍へ向かうのではなく孔明暗殺の指示を出した。

周瑜の心を察し慌てる魯粛に「玄徳の元に帰すわけにはいかん」と言い放つ。

しかし孔明の姿はすでに祭壇から消えていた。

周瑜の部下がその姿を探し回る。孔明はもう船に乗り上流へ向かって漕ぎ出したという。

部下は孔明の船に追いつき「周提督よりおことづけがござる」と叫ぶ。孔明は「周提督のおことづけはわかっておる」

こんなかっこいいシーンある?

これで惚れてしまわないヤツなどおらんだろう。

しかしなおも追い詰める周瑜の部下の前に現れたのが趙雲だった。趙雲はすらりと追っ手の帆を射落とした。

ここで「孔明趙雲は我らの歯が立つ相手ではない」と声をあげ「それよりも一大決戦に向かおう」と諫めた者がいた。

戻る呉の船を見て趙雲孔明も安堵した。

 

報告を受けた周瑜は帰りの船まで用意していた孔明にさらに恐怖を増す。そして曹操と手を組んでまず玄徳・孔明を討つべきではないかとさえ言いだした。

これを魯粛は制す。まず叩いておかねばならないのは曹操。そしてその曹操を叩けるのはこの東南の風が吹いている間のみなのだ。

 

一方、玄徳たちは

なんか玄徳の顔見たらほっとした。この人はそういう人なのか。

関羽が帰りたくなるはずだ。

なんだろう。この能天気さwww

 

あっさりー

 

良いコンビだなあ。

孔明趙雲をはじめきびきびと命令を下す。

表情だけで張飛の心がわかるねえ。

 

ここ、すごく泣けちゃうの。病弱な劉琦様にもちゃんと仕事を割り当ててくれる。孔明心遣いの人なんだよなあ。

 

しかしここで何の命令もなかった関羽は怒りの声をあげる。

孔明は「お主は昔曹操に気に入られ大切にされた。今でもその恩は感じているはずだ」

関羽はすでに報いていると返す。

「敗戦で無残な姿をさらした曹操をお主は斬れるかな」とさらに問うと「斬れまする。私心に動かされたならば潔く軍法に服す」と答える。

玄徳もここで関羽の立場がなくなると口添えする。

孔明関羽に「軍命を怠ればいかなる罪にも服すと誓紙を差し出されい」とした。

それでやっと孔明関羽に命令を伝えたのだった。

 

様子を見ていて玄徳は急に不安になる。「関羽は人一倍情に厚く義を重んじる。やはり曹操は討てないかもしれぬ」

「討てないでしょう」と孔明

この思いやりが孔明の魅力なのだよ。ほんとに優しい人なのだよお。

 

さて呉軍は(孔明がいなくなり)才能あふれる周瑜提督の指揮で巨大な曹軍を相手に堂々と渡り合う。

蔡和の首を儀式に捧げ周瑜は勝利へと進む。

曹軍に降ると偽る黄蓋が向けた枯草を乗せた船は曹陣の湾内に入り火矢でもって燃え上がる。

その火はあっという間に曹軍大艦隊に飛び火していく。やむなく曹操は小舟を出して陸地へと上がった。

東南の強風は瞬く間に大艦隊を火の海にしていく。その様は火炎地獄となる。さらに火の粉は陸地の陣にも降り注ぎ天幕が焼けその火の粉が林や森にも飛び火した。

 

この時、曹軍は焼死者溺死者あわせて三十万を数えた。歴史に残る赤壁の戦いである。

 

命からがら陸へと這い上がった曹操の一軍は敗走した。だがそこへ呉の甘寧が走りこんできた。

曹軍の兵が防御するうちに曹操は走り抜けていく。

 

曹操軍は烏林の西・宜都の北に出た。

ここで曹操は大笑する。「もしこの曹操が奴らの立場ならここに伏兵を置おいて全滅させる」

そう言った途端目の前に趙雲が現れた。かつて曹軍の中を一騎で駆け抜けたあの豪傑と曹操は慌てふためく。

曹操の周りの部下も三十ほどになっていた。

無情なことにこの時豪雨が彼らを襲う。曹操は近隣の村で食べ物を奪い取らせ逃げようとするところに許褚と李典が追いついてきた。

合流しさらに進むうち兵が倒れる。曹操はここで休み食をとることにした。

あの孔明張飛に予言した状況である。

無論ここに張飛が現れ

曹操のこの逃げっぷり。さすがと感心してしまう。逃げる時はカッコなんかつけずこうでなければいかんのだ。

でもちょっと逃げてると

ハンサムに戻ってる、さすが。

強い人間はこうなんだなあと思う見本。

 

追いついてくる者は皆傷を負っていないものはいなかった。曹操は再び進み始める。

まさに敗走に次ぐ敗走であった。

 

しかし皆ついてきているんだからな。えらい。

曹操孔明が言ったとおり裏の裏をかいて山路へと進む。やれやれ。

許褚と同じこと言ってる。曹操も疲れて何も考えてないな。

 

進めば崖崩れ避ければ泥沼が行先を阻む。雪の降る中曹操は兵たちに水の中で橋を造らせる。寒さと疲労と空腹で兵たちは動けなかった。しかし休めば将に斬り殺される。

残兵の三分の一を失いながら橋を架けさせた。

更に山越えで三分の一が倒れ曹操に付く兵は三百人ほどになってしまう。

 

ここで曹操はまたもや「ここに伏兵を置いておけば我らは降参するしかないのに」とうそぶく。

その前に現れたのは関羽だった。

はい名場面。

 

こうして関羽は無残なほどにやつれた曹操軍とまみえる。

部下は曹操関羽の人柄を告げ許褚は「関羽に見逃してもらっては」とささやいたのだ。

あれほど孔明の前では強気を顕した関羽曹操を目の前にしてかつての恩義を思い出してしまう。でもこれ「玄徳よ、お前は良い家来を持った。うらやましいぞ」という一言が関羽のプライドをくすぐったってことかな。関羽は「ふーっ」とため息をつくほどその言葉に酔いしれてるってこと?一途な玄徳愛を褒めたたえられるのがなにより嬉しい関羽てことなのか。

そして関羽は目の前で跪き主君の命乞いをする兵士たちを見て背を向ける。

曹操関羽の行動をいち早く察して急いで逃げ出した。

曹操はなんとか我が城へとたどり着いたのだ。

 

関羽は陣へもどり「曹操をつい取り逃がし討ちもらした」と告げる。孔明は「故意に曹操を見逃されましたな」と言い放ち「この罪は重い。死罪に値する。関羽の首をはねい」と指さした。

これに一同は驚き玄徳は真っ先に「待ってくれ」と叫ぶ。「関羽の死はわしの死を意味する。今日の罪は許しがたいがわしに免じてしばしあずけてくれぬか」と頭を下げた。

孔明は「軍紀はあくまで軍紀です」としながらも「だが我が君のお言葉です」として関羽を去らせた。

三国志』でいちばん良い場面じゃない?

(ってばっかり言ってる気もするが)そしてやはり孔明の優しさに打たれてしまうのだ。こんな良い場面どうして描けるのか。

この時の玄徳軍の人柄とつながりがあまりにも泣けるのだよ。

 

『三国志』再び 横山光輝 二十五巻

諸葛亮魯粛そして霧深し。ステキな表紙だ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

前にも書いたかもしれないが周瑜のモデルはクラーク・ゲーブルだと思う。

 

蒋幹は周瑜の床に供に入るが眠れず起き出し側の卓に手紙が置かれているのを見つける。それには蔡瑁と記されており周瑜からの返事がくれば内乱を起こして曹操の首を討つ所存であるという内容だった。

蒋幹は周瑜の陣を抜け出し曹操の元へと急ぐ。

蒋幹がもたらした手紙を見た曹操は激怒し直ちに蔡瑁の首を討ちとってしまった。

 

これぞ周瑜が望んでいた計略結果だった。水軍の将たる周瑜にとって曹操の巨大な水軍は脅威だった。

だがその曹操水軍も蔡瑁さえ取り除けば恐るるに足らぬものとなる。

しかし周瑜が気がかりなのは今度の謀を孔明がどう批判するかだったのだ。

周瑜魯粛を使い孔明の心を計る。

孔明周瑜の計の大成功を祝した。孔明周瑜の計略も彼が魯粛を使って孔明の評価を聞きに来ることもすべて見通していたのだ。

さらに孔明は「孔明がこの度の計を知っていたということは周瑜提督に言わないでください。それと聞けば提督はまた孔明を害そうとなさるに違いありませぬ」と魯粛に釘を刺した。

 

周瑜孔明の恐ろしさをいっそう感じて絶対に殺さねばならないと決心を強めていく。

 

ここから有名な「十万本の矢」エピソードとなる。

軍議の中で孔明の口から「今必要なのは矢」という言を引き出し周瑜はそれを受けて「では十日の間に十万本の矢を作ってくださらぬか」と頼む。

孔明は「十日ではなく三日の間に作り上げましょう」と言って周瑜を驚かせて去っていった。

周瑜は約束が守れぬ時は死んでもらおう、と企む。

 

孔明魯粛に頼んで兵と船を用意させるが何もせぬままに三日目になる。その間に船にはぎっしりと藁人形が並べられ青い布で船を覆わせた。

夜、孔明魯粛を連れて曹操の陣へと近づく。折しも深い霧が立ち込め見通しが悪い夜だった。

曹操の陣では呉軍の夜襲だという報が成され曹操は矢による攻撃を命じる。

孔明らが乗る船はあっという間に矢衾となった。

孔明は「よしこれくらいでよいだろう」と引き揚げる。

船に並べた藁人形には数えきれないほどの矢が突き刺さっていた。その数は十万本を越えていた。

さらに孔明は濃霧の日を予測していたのだった。

 

孔明周瑜に「十万本の矢、しかとお渡しいたしましたぞ」と言い周瑜もこれには「恐れ入りました」と答えるのみだった。「この知恵、とても拙者の及ぶところではござらぬ」

そして周瑜孔明を天幕内に呼び曹操軍を打ち破る計を授けて欲しいと言い出した。

孔明は「計がないわけではない」と言い「だが提督にもまったくないわけではございますまい」として「ではそれぞれ自分の手にその計を描いて見せあおうではありませんか」と提案する。

ふたりはそれぞれ自分の手に字を書いた。「では一緒に開きましょう」

そこにはどちらにも「火」の一文字が書かれていたのであった。

 

曹陣では「十万本の矢」を孔明の策によって奪われたとわかり落胆する曹操に「埋伏の毒」なる計略が進言された。

蔡瑁の甥である蔡和・蔡仲を呉軍に降らせ内部を攪乱させるのだ。

 

周瑜は呉軍に降ったふたりを信じ受け入れることとした。

これを聞いた魯粛は心配で孔明の考えを聞きに行く(魯粛、すぐ孔明に聞きに行く)

孔明は周提督は絶好の囮と考えて利用するつもりなのですよと答える。

以前ここで魯粛さんにきゅんとなった。かわいい。孔明の笑顔も良い。

 

ここで周瑜は老将軍黄蓋から火計を進言される。

周瑜はそのためには「苦肉の策」が必要となると言う。黄蓋は老体ながらその役を引き受けたのだ。

 

公衆の面前で黄蓋周瑜の命令に反抗しその罰として百叩きの刑を受ける。

ここで魯粛は初めて孔明周瑜の策を見破っていると周瑜に告げずにおく。

周瑜孔明をもあざむけたと自信をつけこの計略の成功を信じた。

 

黄蓋の体を張った「苦肉の策」は進行する。黄蓋は闞沢に計略を打ち明け曹操の陣に降るために手紙を渡した。

闞沢もまた命懸けで曹操陣へと向かい黄蓋の手紙に疑心を持った曹操大芝居を打ったのだ。

そこへスパイ蔡和からの手紙が届き黄蓋が受けた百叩きは真実だったとわかる。

曹操はついに黄蓋の言葉を信じると闞沢に言い渡したのだ。

 

闞沢は呉軍に戻り黄蓋に琴を知らせる。そしてスパイである蔡和・蔡仲のふたりと結託し計画を進めていった。

裏を持って謀ればまたその裏をもって謀る。兵法の玄妙はここにある。

 

曹操には闞沢からと蔡和からと同じような計画の手紙が届くがあまりにも話がうますぎると曹操は疑念を抱く。

そこで再び蒋幹が呉に参って前の罪を償いたいと言い出す。

 

周瑜龐統を招き曹操軍討伐の策を問う。龐統の答えもまた火計であった。

龐統はさらに「連環の計」を提案した。

そこへまんまと入ってきた蒋幹をも周瑜は利用していく。

今度はわざと蒋幹を叱責し逃げ出した蒋幹は龐統の家へ逃げ込むこととなる。

蒋幹は有名な龐統先生がこんな山奥にお住まいとはと驚き志あれば自分が曹操に紹介したいと言い出す。

 

曹操は有名な龐統先生が来られたと聞き大喜びで歓迎する。

さらに曹操龐統を連れて陣地を見学してもらうのだ。おいおい、敵に陣地見学とは。

龐統は体調を崩したと申し出て曹操軍内部でも病人が続出していると聞きだす。

龐統は北国の人が他国の水に慣れずさらに慣れぬ水上生活、それがために食も進まなくなるのが原因だとし「大小の船を組み合わせて鎖をもって固くつなぎ合わせれば平地にいるがごとく揺れずに苦痛を取り除けます」と説く。

曹操はことを急ぐと考え「連環の鎖」を造らせた。さらに龐統は呉の諸将を口説いて曹軍に降らせましょうと約束して去った。

 

ここでとんでもない一幕が

これは徐庶のおふざけだった。

徐庶龐統はかつての学友だった。

おもしろいなあ。本作に出てくる学者青年たちがぞろぞろご学友なんだよな。

こうしたネットワークもあるんだなあ。

ここで徐庶は自分の悩みを打ち明け龐統に知恵を授けてもらう。

火計が行われてしまえば共に焼かれる不安があった徐庶龐統の発案で「西涼馬超が反旗を翻し都へ進撃している」と噂を流して都府を守るための将となって戻ることとなった。どの将も今回の戦いで褒美を得たいと考え誰も離れたくなかったのだ。

これに徐庶は手を上げ戦いから離れたのだが誰も引き留める者などなかった。

 

こうして曹操率いる百万の水軍が呉へと攻め入ることとなった。

折しも強風が出てきた。

が、龐統発案の連環のおかげで船の揺れは少ない。

とはいえ将の中には火計を心配する者もいた。

だが曹操は「時はいま十一月。西北の風が吹くが東南の風は吹くことがない。我が軍は北にある。今敵が火攻めをすれば火は己の船を焼き払う」ときっぱりと言い切った。

 

もういろんな状況人物が入り乱れて簡単には説明できない。

こんな複雑な物語をマンガで描いた横山光輝の力量に今更ながら慄いてしまう。

 

 

『三国志』再び 横山光輝 二十四巻

美周郎と呼ばれた優れた才能を持つ周瑜演義でも活躍するが実際はもっと穏やかな人格者だったという。そっちの周瑜も読んでみたい。

でも本作のおもしろい周瑜は気に入ってる

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

でもやっぱり大好きなのは魯粛さん。横山キャラの中でも魯粛さんは特出。


呉に到着した孔明はいきなり孫権重臣たちとの舌戦を体験する。

日本ならば「知の甲子園」というところか。(ちっちゃ)

居並ぶ呉の重臣たちを相手に若き孔明はたじろぐことなく応戦する。

いやもうすごい。私なら何を言われているかすらわからずあわあわしてるだろう。

これは孔明自身なんども失望した件なんだよなあ。玄徳のあの潔癖性というかグズグズ感はいつまでも後を引く。この痛いところを突かれた孔明

うは、逆手にとりやがった。しかも相手を小鳥あつかい。やるなあ。

孔明はこれまでの玄徳軍を重病人に例えそんな時期に曹操軍のような大軍を避けるのは兵家の常とし逃れて身を隠すは体の回復をまつためのもの、それでも曹軍と互角以上の戦いをしてもいると玄徳を持ち上げる。

項羽と劉邦の例を挙げ虚部的な勝敗ですべてを論じるのは軽率とぴしゃりと言ってのける。

涼しい~

孔明はさらに攻撃してくる重臣たちに堂々と立ち向かう。孔明の意志は「魏と呉を戦わせる」ことにある。

なので玄徳のような小さな軍隊も勇気を持って戦った。呉のような大国が何故曹操の如き賊臣を討たぬかと論じていくのだ。

 

この後孔明は兄である諸葛瑾と再会しついに孫権と会う。

孫権を一目見て一代の巨人だと感じる孔明であった。

孔明はあえて強い言葉を使い一旦は孫権を激怒させ魯粛を使ってそれを収めさせ再び話し合う。

この孔明もよく使われる。表情豊かだ。

孫権孔明の弁論に乗せられついに曹操との戦いを決心する。だがこれを重臣たちが再び諫め孫権は揺れ動く。さらに魯粛に決心を変えてはならないと言われ思い悩む。

ここに現れたのが母君。母君は後にも活躍するんだよなあ。

その母君は兄君の遺言を思い出してと言う。外からの混乱には周瑜に相談せよ、と。

孫権は「そうでした」と急ぎ周瑜に手紙を出す。

ところが手紙と同時に魯粛も到着(手紙遅い)魯粛は開戦派なので周瑜孔明とまず話してほしいと言い出す。

直後重臣たちも到着。(手紙が遅いのか、彼らの足が速いのか)重臣たちは魯粛が出ていったのを見て愚痴を言う。周瑜重臣たちの心を読み自分自身も不戦の意志だと伝えた。

周瑜の屋敷は重臣たちの「開戦か降伏か」の大論争となる。

そこへ魯粛孔明を連れてきたという知らせがあり周瑜重臣たちを帰らせ自分はふたりが待つ水閣へ入る。

(なんだかステキなシチュエーションだなあ。呉って優雅でロマンチックだよね)

ここで周瑜はふたりに自分は「不戦派」だと告げる。

孔明はここからまたもや策を講じる。

孔明魯粛が「時勢に疎い」と下げて周瑜殿こそが真の道理をお持ちだと上げる。

戦火は免れうまく立ち回ればもっと出世できるかもしれない。

しかしここで孔明は戦わず降伏せずに曹軍を引き揚げさせる策があると言い出す。

絶世の美女として名高い大喬小喬姉妹を曹操に差し出すのだ。

曹操は豪華な銅雀台この美姉妹を侍らせ晩年の楽しみにしたい、と言う念願を持っている、と話したのだ。

周瑜は激昂する。美姉妹の小喬周瑜の妻なのだ。

「ならば戦うまでよ」と声をあげた。

周瑜孔明の手を取って「力を合わせ曹操を討とうではないか」と言い出す。そして「迷っている重臣たちと我が君を説き伏せる」と言明した。

 

時勢は孔明の罠にはまっていく。堅固な呉の国が孔明の誘導で動き始めたのだ。

が、明晰な周瑜孔明の手で動かされながらも孔明の知性に恐怖していた。孔明の慧眼と知慮は後に呉の禍となる。周瑜孔明暗殺を決意した。

 

映画『レッドクリフ』はこの孔明周瑜が強い友情で結ばれるという解釈で作られていた。美貌の金城武孔明トニー・レオン周瑜の交流を見るのは楽しいものだったけど物語的には横山版が面白いんだよなあ。

 

そして周瑜孔明の間をいったりきたりする魯粛殿が楽しい。

周瑜はいったん孔明の兄諸葛瑾を通じて孔明を呉に仕えさせようとするが孔明はここでも兄をやりこめる。

しかし諸葛瑾は却ってそんな弟を「偉い」と嬉しく思うんだよ。諸葛兄弟は良い人たちだと感心してしまう。そしてそんな諸葛瑾に皮肉を言いながらも言い返されると「冗談冗談」という周瑜もおもろい。呉はなんとなく全体におっとりしてる気がする。

とはいえ孔明暗殺計画はやめないけどな。

 

その頃、玄徳たちは孔明を心配していた。

呉軍が動き始めたと報を受けて喜んだものの連絡がないのだ。麋竺が様子を見に行くことになる。麋竺は玄徳の訪問を依頼されて戻る。

玄徳は関羽を護衛にして周瑜と会う。

これを見た孔明周瑜が玄徳までも暗殺する計画と感じて玄徳に「来る十一月二十日趙雲に早舟をださせ南岸で待つようご指示くだされ」と頼み急ぎ帰らせるのだった。

 

魏呉の水軍の戦いが始まる。

 

曹操のもとには蒋幹と言う男が居りかつて周瑜と学友だったという。

蒋幹は周瑜の陣を訪れ味方にしようとしたが周瑜はすぐにそれと気づき逆に蒋幹を酔い潰し自ら剣の舞を見せた。そして同じ床にて語り明かそうと蒋幹を連れ出し大笑した。

 

周瑜のキャラ見ごたえあって良いんだよなあ。

これに魯粛殿が加わりさらに楽しい。

やはり赤壁の戦いは良い。

 

 

 

『三国志』再び 横山光輝 二十三巻

張飛が物語を面白くしてくれる。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

読書目的である許褚の活躍もむなしく曹仁軍はまたも大きな犠牲を出してしまう。(この人これでいいのだろうか)

張飛は深追いすることなく皆が待つ船へ向かう。

もうすっかり昔から軍師であるかのような孔明。素直に返事する張飛もかっこいいね。

 

こうして玄徳は大戦果をあげたのち農民とともに樊城にむかったのである。

 

宛城では曹操が第一軍の大敗北の報を受け全軍出陣を命じた。が、部下は直ちにこれに反対し玄徳に対して降伏を求める使者を出すべきと講じた。

その使者には徐庶をという。

徐庶は玄徳の元に仕えていた。だからこそこの使者の任につき戻らなければ物笑いになるとこの部下も言い曹操も納得し本人もそういうのだが私にはよくわからない。

そうかな????

まあそれが義理堅いということなのか。

 

徐庶は玄徳と再会し和睦の使者として来たと言いながら曹操の本心を玄徳に伝える。玄徳は徐庶に戻ってこないかと誘うのだが徐庶は「曹操に世話になりすぎました」と答えてこれを辞した。

 

曹操との和睦などありえず玄徳らは襄陽城へと逃げ延びようとする。

だがここでは蔡瑁の命令で玄徳と付き従った農民は攻撃を受け孔明の考えで江陵城へと進んだ。

がこれを見ていた襄陽城の兵の中には玄徳一行を追いかけた者もいた。

 

農民の移動は遅々として進まない。関羽は玄徳に「民百姓はここに置き我々だけで江陵に向かい守りを固めたらいかがでしょう」と問うが玄徳は「あたかも子が親を慕うようなものだ。なんで捨てていかれる。民と共に死ぬならそれもまた本望」と答える。

孔明の提案で関羽は江夏の劉琦の元へ急ぎ援軍を頼むこととなる。

 

襄陽城の蔡瑁曹操軍を丁重に出迎えた。

曹操蔡瑁を水軍の大都督とし劉琮には青州に移るよう伝える。

蔡瑁を水軍の大都督としたのは曹操軍は野兵山兵で水軍の法は誰も知らない。蔡瑁から水軍の法を学ぶまでは祭り上げておく考えだった。

そして劉琮の方は何の使い道もないとして于禁にその始末を命じた。

 

曹操荊州を治める業務に追われていたが部下の提言もあり玄徳追撃の命令を出す。

相変わらず遅々とした行進を続けていた玄徳は曹軍に追いつかれた。張飛は玄徳を逃げさせ敵を追い払う。

逃げ惑う農民の群れの中で玄徳は「趙雲が曹軍の軍門に降りました」という報を受ける。

趙雲には玄徳の妻子を守らせていた。玄徳には信じられなかった。

張飛は長坂橋の上に立ち曹軍の攻撃を待ち受けていた。

 

その頃趙雲は夜襲で玄徳の妻子の行方を見失い探し回っていたのだった。

途中曹軍の夏侯恩に出会い討ちとり名剣「青釭の剣」を手に入れる。

その後趙雲は玄徳妻子を見つける。が、傷を受けて立ち上がれなくなっていた奥方は我が子を趙雲に託して井戸に身を投げた。

趙雲は珠玉の珠である若君を胸に縛り付けると馬を駆って曹軍の中を突き進んだ。

高みからこの様子を見た曹操趙雲の雄姿に惚れ込み「あの者を生け捕りにせよ」と命じる。部下らは慄きながらも趙雲を取り囲むが生け捕りにするのは無理難題であった。

 

趙雲はそのまま駆け抜け張飛の待つ長坂橋にたどり着く。

趙雲の謀叛を怒っていた張飛はその胸に若君が抱かれていると知り誤解をといた。

張飛趙雲を逃すと再び長坂の橋の上で曹軍を待ち構える。

 

趙雲は玄徳の手に若君を渡す。玄徳は無造作にその子を傍らの者に預けると趙雲に対し「子どもはまた生めば得られるが良き将はまたとは得られぬ」と謝った。趙雲はその言葉に涙した。

 

本来は玄徳が我が子を放り投げてしまう、となっているらしいですがさすがに横山光輝氏はそれをそのまま絵にするのはためらわれ、ぱっと横の人に渡して「我が子がかわいいのは当然だがお前を戦死させてしまったかもしれないと思うと心が痛むのだ」的なことをごにょごにょ言う場面に描き替えておられる。

正しい判断だったと思えるwww

 

さて長坂橋で張飛は単騎、曹操軍を迎える。曹操すらもその名前に怯えを見せた。

さらに張飛が部下に命じて林の中で物音を起こさせたため曹操孔明の罠があると考えて逃げ出したのだ。

張飛は長坂橋を焼き落とした。

 

その報を受けた曹操は罠ではなかったと気づき急ぎ橋を作らせ追撃を再開した。

ところが曹操軍を待ち受けていたのは劉琦からの援軍を従えた関羽だった。曹操は再び「孔明の罠」と感じて退却を命じたのだ。

 

関羽は玄徳一行に合流し用意した船に乗り込んだ。

そこへ別の船から劉琦が「叔父上」と声をあげて乗り込み「私の城で態勢を立て直してくだされ」と申し上げる。

さらには孔明が夏口からの兵を連れて合流した。

孔明は兵をまとめてしまうのは危険として関羽を夏口へ玄徳孔明劉琦は江夏へと向かった。

 

曹操はすでに荊州は手に入れた、後は呉一国を討てば全国統一という気概である。

その打倒方法として呉に降伏を勧め「玄徳を討てばその土地は与える」とする、応じなければ武力で呉を奪い取るまで、とした。

 

呉では若き国王・孫権魯粛と話し合っていた。

魯粛さんも大好きなんだけど、この時は悪い顔してるwww

孫権さんの帽子いつ見ても気になる。

魯粛劉表の喪を弔うという名目で荊州へ行き玄徳と手を組むというアイディアを提言する。

 

その頃江夏では孔明が玄徳に「まもなく呉からの使いが来るでしょう。その時私も一緒に呉に渡り孫権曹操が戦うように働きかけます。戦わずして勝つ。これも兵法」と説いていた。

張飛も玄徳もそんなにうまくいくわけがないと訝しんでいた。

ところがそこへ「孫権の名代として魯粛と言われるかたが到着しました」という報告がされる。

張飛はなぜわかったのかと問う。

説明難しいし皆ぽかんである。

 

孔明は玄徳に「なにを聞かれても知らぬわからぬで通してください」と注意する。これは簡単だな。

そして満を持して孔明登場。

おお。孔明ファッション。

孔明はもちろん魯粛に対し

と話を進めていく。

魯粛は「ひとつ先生ご自身呉においでになられてはいかがです」となり孔明は目論み通り呉へと渡ることとなった。

 

あの映画『レッドクリフ』を思い出しますなあ。

これからさらにさらに面白くなっていきますぞ。