美しさとは ―雨宮まみさん、レディー・ガガの言葉から考えてみる―
最近、 美しい という言葉が気になる。
ある大学の授業の後、ゲスト講師と、聴講しに来ている男子高校生と、その授業の担当の教授とその授業を履修する私の4人でたまたま話すということがあった。
年齢や立場、地位や学問領域の違う4人が社会に固定された上下関係に因われず、フラットに議論をする。その有り様を見てその授業担当の教授は 実に美しいねえ 、と言った。
その教授はまた、素朴な質問や意見を「こんなことを大勢の前で言うのは恥ずかしい」などと考えずに、ストレートに発する姿も「美しい」、と表現していた。
またある時、芥川龍之介の『羅生門』に関する資料の展示会に行った。
そこで見た展示物の中で、芥川が『羅生門』の着想のもととなった今昔物語について書いた手書きの資料があった。そこに芥川は「今昔物語の作品の中に”野生の美しさ”を見た」というようなことを書いていた。
美しさって何だろうって、ずーっと考えていた。
そしてついさっき、昨年お亡くなりになってしまった雨宮まみさんのブログを読んでいたら、このブログが心に留まった。5年前の記事だ。
2012-05-05
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人生の中で、何日かあるかないかぐらいの、美しい一日だった。
ひとの心は、なんと複雑で、繊細で、脆くて、
浅はかで、強欲で、疑い深くて、
あたたかく、やわらかく、難しいものなのだろう。
わたしはそういうひとの心のありようを「美しい」と呼びたい。
その揺れを、激情を、傷つくその様子でさえも、美しさだと定義したい。
動いて、動いて、動いてゆく。休むことなく、生きている限り、なにも考えたくなくても、思考を止めたくても、絶対に止まらない。
そのことを美しいと思い、愛すると、心に決めていたい。
mamiamamiya 5年前
■ - 戦場のガールズ・ライフ
この文章を読んだ時、「あ、これだ。」と直感した。
読んで咄嗟に思い浮かんだのは、レディー・ガガだった。
私が最も尊敬して、愛している女性だ。
彼女は2011年のヒット曲、"Born This Way" の中でこう歌っている。
I'm beautiful in my way
’Cause God makes no mistakes
I'm on the right track, baby
I was BORN THIS WAY
私は私なりに美しい
だって神さまは間違いを犯さないから
私は正しい道を進んでいるのよ、ベイビー
私はこうある運命のもと生まれてきたの
雨宮さんの複雑な心のそのままの有り様を「美しい」という気持ちは、大学の教授や芥川の言った「美しい」と、それからレディー・ガガの言う「美しい」ときっと同じなのだと思う。
2年前、とある勉強会で「可愛さ」と「美しさ」の違いについて聞いたことがあった。
そこでは、可愛さは不完全性であり、美しさは完全性であるというような説明がなされ、すごく、しかし妙に、納得した覚えがある。
可愛いはつまり、幼いとか、育てたい、抜けている、とか、つまり向上や改善の余地があることと同義だ。
対して美しいとは、完璧で、変えるべきところは一つもないという意味なのだろう。
ああそう、書いていて答えが出たかもしれない。
美しいっていうのは、そのままで変わらなくていい、それを形作るそのある全ての構成要素が欠けてはだめ、という意味なのだろう。
自分の
隠したいと思う部分、「醜い」と思って認めることのできなかった部分を全て
”わたしの有り様” だとして見つめ、それを「美しい」と称すことができるようになりたいなって思う。