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ゲームサイド編集部の何か

for E 10 years, そして本当におつかれ


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本来の予定から2カ月近く過ぎてしまったが、やっと都合がついたので、先週土曜の12月5日、KさんとYくん(もう編集長でなくなったので、今後はこう呼ばせていただく)の3人……のつもりが、Kさんが来年で3歳になるご子息も連れてきたので計4人で、Eさんの墓参りに行ってきた。

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この3名で初めて墓参りしたのは、Eさんが亡くなった翌年、2006年9月の彼岸時期だった。その時は墓碑の建立者名にEさんのご両親の名前が朱色で塗られていたのだが、今回訪れたらお父様の名前だけ朱色でなくなっていた。どうやら2年前の10月に逝去されたようだ。
あの時、3人で初めて墓地に来たものの、肝心のお墓の位置が分からないのでEさんのお父様に電話で尋ねたら、わざわざ墓地までスクーターで駆けつけて案内してくださったのを思い出す。あのお父様が、今は息子のEさんと共にここへ眠っている。
また、以前来た時に立ち寄った店が、ことごとく姿を消していた。Kさんがお供え物を買ったという墓地近くの大丸ピーコックは閉店し、テナント募集の空家に。そういえば大丸ピーコック自体もすでにイオングループ化して名前が変わってしまった。
もう一軒、帰りに昼飯を食べた、世田谷通りにあるチーズフォンデュのレストランも閉店していた。食べる際に「チーズフォンデュにかなりワイン入ってるけど、車で来たKさん運転大丈夫かな……」と密かに心配するなど、あれ以来チーズフォンデュを食べたことがないほど印象に残っていた店だが、路面ファミレス店の外観だけ残して跡地はGOLFパートナーになっていた。レストランは「グリーンウッズ」という店名だったが、まさかゴルフつながりで?

そして、われわれの人生も、この10年でえらく変わってしまった。当時は独り身だったのが、いつの間にかそれぞれが家庭を持ち、小さな子どもの保護者になっている。
誰かが亡くなっていたり、店もつぶれて消えていたり……10年という月日の重みが、これほどまでにあらゆる人や物事に変化をもたらしていることを身をもって、改めて思い知る。
世界を180度回って見守るハイテク大仏さまにとっては、10年など瞬きのような時間かもしれないが。
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Eさんの墓前では、毎回かならずゲームの話などを報せていた。今度PS3が出るよー、プリキュア5人に増えたよーとか。久しぶりすぎて、さらに状況も変わりすぎて、一体どのあたりからゲームやプリキュアの話をしていいか分からないほどだった。
今回ここへ来たのは、19年間継続してきた本誌の歴史の終わりとYくん卒業の報告を、Eさんが逝去して10年目のいま、再び3人揃って行うことでひとつの節目になるかと思い、自分が提案してみたのだが、Kさんの「10年間、お前が見守ってくれていたおかげで、俺たちは何とか元気に生きてるよ」のたったひと言で、複雑に考えていたあれこれがすっ飛んで、すべて救われたというか、この10年間に感謝することができた。

帰りに寄った近所のサイゼリヤ(子連れでも安心して入れるのが付近でここしかなかった)でも、出てくるのはゲームの話よりも各々の家庭や子育ての話題ばかりで、10年前には一切想像できなかった未来がいま、ここにあるのが不思議で仕方がない空間だった。会うたびに買ったばかりの最新デジタルガジェットを披露しては自慢していたあのKさんが、いまは2歳のヤンチャ盛りなちびっ子坊やに翻弄されてるとは。

Eさんの没後10年兼Yくんお疲れ様会というよりも、結果的にはちょっとした保護者会のような会合となり「次は子ども連れでママパパ会をやろう」と言って別れたのだが、きっと、これでよかったのだと思う。

死んでしまっても魂や心は(誰かの中では)生き続ける、とはよく言うが、結局のところ、魂や心などの生きる原動力があっても、体が死んでしまっては当人にとっては何にもならないのだ。だから、せめて体だけは、くれぐれも元気であってほしい。たとえ心がダメになっても、体さえ元気であれば何とかなるかもしれないし、やりたいこともできるだろうから……と、枯葉舞い散り深まる秋にポエム。
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とはいえ、割と長い時を共にした相棒がいないのは、やはりけっこう寂しくなるもんだなぁ。さーて、これからどうするか、このブログも(勝手にやってるだけだけど)。


ところでエントリ本編とはまったく関係ないが、たいへん興味深いというか怖い話があったので書いておく。
Kさんが、自分たちが手を離せない時に夢中になってくれて便利だからと、タブレットで息子さんにYouTubeの動画などを見せ続けていたら、息子さんが次第に寄り目気味になってしまったらしく、医者に診せたら、目の成長時期にスマホタブレットを凝視させすぎると視線が固まってしまい寄り目になるとのことで、すぐに見せるのをやめたら、元の位置に治ってきたそうだ……こ、こえー。
乳幼児の黒目の位置が、顔正面からフラッシュをたいて写った黒目と光部分が左右でずれていないか日頃からチェックしよう、と母子手帳にも書いてあるが、スマホタブレットに子守問題は精神情緒云々以前に、目へダイレクトに影響が出ると知ったので、ぜひとも気をつけたい。

映画「ピクセル」観てきた話

ほぼ1年ぶりのブログ更新が映画の感想かーという感じだが、今回はまとめて何かしたためておきたくて、久々に書くことにした。ほんとはちまちま書いては消してる下書きがなかなか終わらない1年ものの記事もあるけど、まあこっちはあとでてもいいや。

前回のエントリからまた1年が経ち、いつの間にか7年目となったが……本を2冊出せた昨年から、以前に比べてもう寂しくなくなったというか、本を読めば、いつでも会える気がして。


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映画「ピクセル」映画『ピクセル』 | ソニー・ピクチャーズがついに公開されたので、初日に観てきた。
5年前、本作の原案となったYouTubeの短編映像PIXELS by Patrick JEAN (OFFICIAL BY ONEMOREPROD - HD) - YouTubeを見て衝撃を受けて、昨年映画化が発表されて以来、日本での公開をずっと楽しみにしていた。
鑑賞前に、海外のレビューでは低評価との情報が断片的に入ってきて、もしかして全体的にチープな映像だったりシナリオが練りこまれてなかったりなどの不完全方面でアレな出来なのかなーと若干の不安もあったが、なんてことない、映像技術も優れていた、普通におバカ映画だった。

自分はゲーオタかつ80年代カルチャー直撃世代なので、本作はあらゆる方面で共感度が高く、出てくるネタというネタは、知ってても知らなくてもすべてポジティブに受け止めたり、元ネタを発見したり理解しては嬉しくてくすぐったい感覚を味わいたい、と思えた。
82年に行われたNASA主催の世界ゲーム大会の記録が入ったロケットを打ち上げたら、マジで宣戦布告と受け止めた宇宙人が作り上げたビデオゲーム兵器なのに、なぜ84年生まれのマックス・ヘッドルームが出てくるん? などのめんどくさい時代考証警察が出動してきそうな箇所は多少あったかもしれないが、こまけーこたぁいいんだよ! という勢いと、実在する登場モチーフに対する(権利許諾関係も含めた)丁寧な扱いぶりが随所に感じられた。台詞の言い回しやネタの入れこみ方は少なくとも「テッド」よりはストレートでポヒュラーで分かりやすくてよかった。元ネタを知ってても知らなくてもひねくれてしまうような映画の見方をしてると無駄に疲れちゃうだけだし、分からなければパンフで親切な解説も載っているのでそちらを買って読めばいい。

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パンフ、言われて気づいたけど、『パックマン』のアーケード筐体モチーフの外箱スリーブを取ると、パンフ本体がアタリVCSのロムカセットデザインがモチーフになってる。

権利やレギュレーションが複雑な他社のゲームキャラクターたちを同次元に映し出すことは、極めて難しい局面もあったはずなので、これらが映像化、実現化されたのは本当に素晴らしく、すごいことなのだ。

人間の文明記録を宇宙へ打ち上げた事や宇宙人側の描写が薄めだったり、初侵略後に人類へ宣告した、宇宙人の定めた3ライフ制5ステージ対戦ルール(裏ワザ・チート不可)がいまいちピンとこなかったり、ラストはいろんな意味でアレでいいのか……みたいな細かい不満はちょっとあるが、彼を見たくて劇場まで来たってぐらいなイワタニ教授は出オチ級にひたすら面白いし、勝利ボーナスキャラのQバートがとにかく超かわいすぎるので、すべては彼(彼女?)に免じて許してやってほしい。ただ唯一気になったのは『ディグダグ』でファイガは出てるのに、プーカは出てなかった。なぜプーカだけいない……!?
と、こんな感じで、画面のあちこちに映るゲームキャラたちをもう一度つぶさにチェックしたいので、Blu-ray化したら絶対に買うことにした。

じつは本作を観る前に、映画「ビデオゲーム THE MOVIE」VIDEO GAMES : THE MOVIE Trailer (2014) - YouTubeのDVDが8月に発売されたばかりで買って見たのも、絶妙なグッドタイミングだった。おそらく本作冒頭の82年ゲーム世界大会のモデルである、アタリのアーケードゲーム大会の映像も収録されているからだ。会場の様子や熱気は、まさにそのものだった。ドキュメンタリーとしてもよく念密に取材されていて映像資料価値もかなり高いので、本作を楽しむ前の必須作品としてオススメしたい。
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また、Qバートが再ブレイク(?)するきっかけとなったディズニー映画「シュガー・ラッシュシュガー・ラッシュ|ブルーレイ・デジタル配信|ディズニーも、あわせて見ておきたいところだ。立場は異なるが、しがないおっさんが主人公という共通点もあったり。

ここについ先日発売されたドキュメンタリー「アタリ ゲームオーバー」ATARI GAME OVER 特別予告編 - YouTubeを加えれば、より一層追従体験ができるかも……などなど、こうしてみると、「ピクセル」とあわせて見たい作品が意外とある。オタは映像やメディアでゲームのことを見るのが大好きなんだよ!

救急車に運ばれたのがFPSぽかった話

先日、道を歩いてたら思いっきり転倒して大怪我を負って、救急車で搬送された。
鼻を骨折したり顔を負傷した以外は特に大事に至らなかったのが幸いだったが、人生3度目の救急車搬送(一度目は幼少時代に近所の犬に襲われて、二度目は学習机のフタに指をはさまれて)はまるでFPS視点そのものだなーと、担架で救急車に乗せられて救急診療室で応急手当てを受けて点滴打たれてベッドへ横になるまで、ぼんやりとした意識ながら感じていた。あと救急車って、受け入れられる病院の空き状況の確認作業があるから、乗せられて即病院へ搬送できるわけでないのだなーと。

転倒して顔から血がドバドバとあふれた瞬間、よくあるただの転倒でないと確信して、現実に起こったことがまったく信じられなくて気が動転しかけたが、今やってる『ウルフェンシュタイン ザ・ニューオーダー』でたびたび出てくる「4つ数える、息を吸う。4つ数える、息を吐く」というフレーズをなぜかとっさに思い出し、とにかく呼吸だけでもしっかりせねば、と深呼吸しながら、まずは自宅へ自力で帰ったのだった。
FPSで瀕死になるとプレイヤーがゼーハーゼーハーと呼吸を整えて体力回復させるけど、まさにあんな感じで、呼吸を忘れるとかえって苦しくなるし痛みが出るので、やっぱり呼吸は大事だなーと強く実感した。のちの鼻骨折手術で鼻の両穴にガーゼ棒を一週間刺していたときも、鼻呼吸がほとんどできず口呼吸のみで過ごして日常生活が大変苦しかった(睡眠時に喉が乾燥して張り付く)ので、なおさらだった。普段から口呼吸気味の人は今すぐ治すべきだ。

現実で瀕死の大怪我になっててもゲーム感覚を忘れられないのはさすがにどうかと思われそうだが、どんなときでもこうして思考を変えていかないと、つらい現実や局地を乗り切れないような気がしている。今までも割とそうしてきたのが、少しは(気持ちの問題上で)役に立ってくれたのかも。

怪我の治療などもまだまだ続きそうで、早く鼻ギプスが取れてメガネかけられないかなーウルフェンの続きがやりてーよー(メガネがないとHD画面の文字が見えない)。こちらからは以上です。


達成を超えて王となれ

達成感。

たった三文字のために、ずいぶんと長い間、苦労も絶望も遠回りもたくさんしてきたが、先日ついに、とうとう、この手に得ることができた。
勤続、社会人歴……いや人生スケールでも、これほどまでの大きな達成感は、いまだかつてなかった。大げさかもしれないが、今まで不可能だと思っていたことを可能にできたのがいまだに信じられないくらいだ。

何物にも得難い達成感のため、つねに心の片隅に置いていた、ある言葉があった。

月並みな疑問だが、なぜ人はゲームをするのか? そこにゲームがあるから…では答えになってない。世の中には安くて手軽な娯楽がいくらでもある。(中略)なぜ自分は身銭を切って、こんな苦行のようなゲームに身を投じているのか?
それは、この手で何かを成し遂げたという達成感がほしいからだ。だから人はゲームを求める。でもゲームなら何でもいいわけじゃない。いくら感動的な物語だの迫力の映像美だのと売り文句を並べても、ボタンを押しているだけで先に進むようなゲームには何の達成感もない。空虚なだけだ。かといって、常人にはクリア不可能なゲームは達成感以前の問題だ。被虐そのものに喜びを見いだすマゾヒストでなければプレイできない。
クリア不可能に見えてクリア可能なゲーム。苦行のような道のりの先に、強度の快楽が待っている。そんなゲームこそ理想のゲームと言えるだろう。


……これはゲームにおける達成感の話なので、自分が得ようとしている達成感とは異なるシチュエーションとモチベーションではあるが、いつもこの言葉を思い出しては何となく励まされ、つらい困難や壁を乗り越えていけた……気がする。いわゆる、ゲームやってたら日常生活で割と役に立ったとかいう、ライフハック的なアレだ。


自分もこの世界へ来て無駄に長い年月が経ち、その都度そこそこの規模の達成感を得てはまた次の達成感へ……を繰り返して過ごしてきたが、自分のため以外、誰かや人のためにがむしゃらになって達成感を得ようとしたのはこれが初めてで、おそらく最初で最後であるし、もはや自分らにしかできないと思った。


得がたい達成感と期せずして、ちょっとした節目を迎えてしまう都合のため、描いた理想の完璧な達成感ではないかもしれないが、それでも本当にやり仰せられた。愚直なまでに。

まったく余計なコトをしやがって、とめんどくさそうにボヤかれるかもしれないけど、ボヤキは自分らの肉体が滅んで魂だけになったら、あとでゆっくりじっくり聞く。

今の心境でよくありがちな「これが終わったら一番したいことはなんですか?」って質問がもしあったら、とりあえず「ゲームしてー」と答えとくかな。『逆裁123HD』の続きと、そろそろ出る『Wolfenstein: The New Order』がやりてー。


ところで話は変わって、昨日は会社近所にある古びた喫茶店へ行った際に、お店の気さくなマスターとおかみさんたちと談笑する機会に恵まれたのだが、自分らが生まれる前の年から営業しているというかなり年季の入ったお店で、昔は近所の一流商社マンが多数出入りしたり、会社単位の出前注文にあふれて店内中のコーヒーカップが足りなくなるほどだった、などの昔話を聞けて大変興味深かった。テレビゲームの話をしたら、昭和52年頃にハワイ旅行へ行った時に現地人たちがテレビゲームのサッカーゲーム?に夢中になっている様子を見た翌年にインベーダーゲームブームが訪れたので、「あん時もしあのゲーム機を買って日本へ持ちこんでたら、今頃大儲けできてたかもなぁ〜」と話してたのが特に面白かった。

マスターに仕事や身の上話をしたら、「俺たちゃもうとっくに終わっちゃってるけどさー、若い人たちはこれからだよ、これから」と返ってきた。

……冒頭で達成感がどーのこーのとのたまってしまったのがまるでいっぺんに吹き飛び、何となく気恥ずかしくなるような一言だったが、マスターの言うとおりだなと思った。

この達成感を一生の宝物にして、まだこれからが、あればいいな。

旅してきた

都心で桜の開花宣言が出た週末。その一方、まるで季節を逆走するかのように雪すげー国へ、旅に出た。

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ご覧のとおり、どこまで行ってもただひたすらに雪。雪すげー。

以前訪れた秋頃とは景色がまるで一変していて、すべてが雪に埋もれてしまっており、ヘタしたら目的地の手前にすらも行けないのでは……と当初は懸念していたが、遠回りをしつつ、雪に埋もれた約束の地へなんとか到達し、ついに目的を果たしたのだった。

 

何もまだこんな雪深い時期でなくても……と思われるかもしれないが、いつまでも時間ばかりが過ぎてゆくのをただじっと眺めては雪解けを待つような余裕や時間が、もはや残されていない。今こそ降り積もった雪を、自らの手で解かしにいかなければならない。俺はまるでロータリー除雪車だーうおおおお!

 

……と、ついポエムめいてしまったが、まあつまり、わりと大事な旅でもあり、しっかりと充実した観光でもあった。大雪が残ってる時期の旅も初めてだったし、以前は日帰りでまったくできなかった観光も堪能できたし……とにかく、旅におけるあらゆる機会やおもてなしと出会い、そして再会に、深く感謝したい。ありがとう。

 

ところで流れと無関係だけど、ロータリー除雪車といえばこの除雪車かわいいなー。記録的大雪だった今季はさぞや大活躍したのだろうか。

われわれも、小さいながらも雪をかき分け除雪して、春を迎えたい。