メンヘルにとっての人付き合い
君子の交わりは水のごとしという言葉があるが、距離感は大事。生き方、感じ方については普通の人とは合わないのが当たり前だから、なるべく言わないようにしたい。無用の議論はメンタルに響くし、傷つくと引きずる。僕は意に沿わない飲み会はいかない。社交は最低限で、友達も少ない。プライベートでさそわれてもわりと断る。お酒はメンタルによくないので、量はよくみて調整しなくてはならない。それだけのコストを払っていい場合ならいい。覚悟なしに流されるのは危険。
普通の人のようには暮らせない。ことさら嘆く必要はないが、普通の人の中にいると劣等感をかんじることはしょうがない。距離の置き方は大事な生存戦略。
これからも人の触れ合いはなるべくコントロールして、避けるべきところは避け、自分を守りながらやっていくことにしている。自分のキャパを越えればツケを払うのは未来の自分。空元気は一種の借金なんだよね。
就活失敗しても生きていてほしい
資格試験がやばそう
2015年は回復の年でした
冬季アニメ中間報告
自己開示がいいという
引きこもりでメンヘルを隠して生きているから、自分のことを正直に話せる相手がいない。職場ではもっぱら悪意が渦巻いているし、弱みを見せるととやかく言われるというのが骨身に染みているから、なおさら頑なになりがちだ。
ネットで正直になれる人もいるみたいだが、僕には無理だ。酒の席なら適当に流れる程度のささいな言葉で、さんざんに罵られる人を、あまりに多く見すぎた。不特定多数が見る場で価値観を表明すれば、意図していないメッセージまで伝えることになり、いらぬ諍いを生みかねない。揉め事がしたいわけじゃないし、言い争いがしたいわけでもない。ただ自分に正直になりたいだけなのである。告白をするには、僕はあまりに罪を重ねすぎた。
眠れぬ夜は昔のことを思い出す。子供の時に通ったおもちゃ屋、予備校のキャンパス、大学の並木道、付き合っていた人とともに過ごした場所、幸せだったと思うたびに苦しくなる。あの時はもどってこないし、同じように感じることはもうできない。みんな過ぎ去ってしまって、この思い出を共有する人もいなければ手段もない。ただ、独りで心の穴の残した痛みを感じつづけるだけだ。
同じ目線で話せる相手がほしいなと思う。僕を否定せず、受け入れてくれる何者かが欲しい。自分の生を、罪を、痛みを、良しとしてくれる人が。神を信じていれば楽だったのかもしれないな。
液タブから初投稿
しばらく放置していたが、そろそろ再開しようと思う。記事を読み返すと自分がどう過ごしてきたかがわかって治療効果があるとおもうから。
いまの仕事はもうちょっと続けるつもりだ。相変わらず調子は悪いが、出来ることは増えてきた。ほんとはもっと工夫できるし、やりたいこともあるのだが、つい安易に、クオリティーの低い仕事ぶりで満足してしまう癖があるのがいけない。ただし、向上心があってもメンヘラの悲しさで心身がついてこなくてじれったくなる。成長したいという願望と、前に進めていないという焦り、そして無理をした時は次こそ社会人として最後だという恐れ。こうした葛藤が足を引って手が止まることがおおい。つい、いつものクセに逃げる癖がある。仕事は最低限、勉強はできない、ネットに入り浸りでなかなか向上できない。習い事に手を出してつづかなかったことが何度もあるせいで、挑戦することも怖がっている。続くんなら英会話習いたいな。
人間関係にも悩まされる。陰口ばかりたたいている人と組んで仕事しているが、正直うんざりしている。しかし彼は評価が高いため、にげることもできないのが困りものだ。
娯楽は漫画、アニメ、ネット、模型。漫画もネットで要がたりるようになってきたから、ネットばかりだ。読書とかしたいのだが。あと、どうせなら英語の勉強がてら洋ドラとか見たいなと思う。
このブログでは歎くことが多いが、躁うつ病のなかではかなり恵まれている方だとも自覚している。休みがちだが仕事にはなんとか行けているし、薬の量も少なくて済んでいる。軽うつくらいで安定しているのは経過としては理想的だろう。
それでも、わりきれないのは、自分が普通であったならとつい考えてしまうからだ。ふつうの人間だったなら、すぐ実行に移せたしもっとうまくできた。あのとき、ああしていればと悔やむことが多いし、未来のことを考えると泣きそうになる。でも、やるしかないんだ。いきるしか。