春夏秋冬そして春感想

宗教って、「なんだかよくわからない大きくて恐ろしいもの」に形を与えて鎮めるためのものだと思う。抑えきれない怒りとか色欲って人間の生命力から湧き上がる、本人でさえ制御できていないもの。

この感情はは身に覚えがある。予備校通いから家出してネットで出会った男の家に住んでいた。京都のあの時代。命短し恋せよ乙女。肉体はそりゃ80まで生きるけど生の臨場感はもっと早く死ぬんじゃないか?今は苦しい。

 

魔術師A感想

暇人は醜い。依存的で、自分で立てない人間は醜い。

最後、お祈りのため愛人を突き放した主人公は試練に合格する。

人の上に立ったことがある人にしかわからないことだろう。適当なこと言っても信者はなんかそれっぽいことを勝手に解釈する。信者は教祖を捨てる自由がある。

刻み込まれた道徳から抜け出せない人間は白痴と一緒だ。ルールはかならずそれにより得する人間がいる。そういう人間が作った。

 

 

周囲の人達は決して悪い人達ではなく、むしろ良い人ばかりだ。にも関わらず、周囲との距離が一向に縮まらない。なかなか打ち解けられない。話していてどこか窮屈である。表面上仲良くすることはできるけれど、それ以上の関係には踏み込めないし、さして踏み込みたいとも思えない。けれども、コミュニティ内ではどことなく疎外感を覚える。周囲の団結・協調振りを見ると、自分はどこか異質で、浮いていて、そして孤独だと感じる。

 

これ愛着障害らしい。

臨死で幸せ(主観的)になれるのか。

それとは別に常に助けてほしいと思ってる。生きてるのか死んでるのかよくわからない生活を送っている。何の刺激もなく食い物を詰め込むことでかろうじてドーパミンを出している。この閉塞感で自分の一番いい時期というものをむなしい気持ちで消費していることを深く考えると耐えきれない。考えてもどうしようもないなら考えないことが一番の戦略だと常に睡眠薬でラりってたやつは今植物状態だ。病的な人間。人間らしく学習された行動でふるまうことはできても誰とも親しくはなれない。いうならば一生なんの物語も始まらない人間。もういい年した大人なのにいまだに徒弟期間のようだ。自分に自由があるように思えない。本当なら今この瞬間にも大学をやめて海外の知らない土地に行くことだってできる。でもできない。自分の生きていける場所は本当に限られているような気がするから。同い年にはすでに不倫だとか未成年との性交だとか好き勝手やっている人間もいるのに。自分の考えは不完全で間違っているからまだ価値が無いと思い込んでる。

これは単なる個人的な日記で自分を公共の場にさらけ出す練習なんだよ。電車の中で発狂する方が自分の本当に繊細な部分を口に出すより簡単だ。私の性癖はコンプレックスと抑圧に密接に絡まりすぎてタブーみたいになってる。アクセス解析見たら大半がduckduckgoからなのだがこんななんの洗練もされてない文見るより大学に入って有機化学でもやれよ。

いまでも疎外されていると実感している。どう考えても頭が悪いからとか能力的に見下されて当然とかそういうことではない。その辺にいる普通の女性を自分と同じものとして見ることができない。

 

媚びとかじゃなくて確かな着眼点とあらかじめ埋まっている仏像を掘り出すような洗練された的確な表現力で、負の、他人に挑戦するような言葉を発信する者もいる。

太宰と自分を同一視して日常的にコスプレしてる人にはどうやったらなれるのか。