自由な人のブログ

地獄でなぜ悪い

ちょい愚痴

 

 

約2ヶ月が経ってしまいました。

 

最近というかここ1ヶ月の私はだいぶ落ち込んでいて、眠剤を1週間分飲んで精神科医にびっくりされるほどでした。

 

 

なぜかというと..ここに書くのもどうかなと思ったんですが、他に誰にも言ってないので書くことにしますね。

 

マッチングアプリで知り合った人に多分いきなり拒否された

 

→これは現在進行中です。

嘘をついて会っていたのが、生活保護受給中だと言ったら引かれたのか本人が言う通り忙しいのか、全く構ってくれなくなりました。

 

いや、2回目からセックスしてたので彼氏として期待してたとかではないけどね!

宮崎に引っ越してきてからの出会いってなかったので、しかも彼といると東京にいるときと同じくらい自由を感じれたので舞い上がってしまいました。

 

クラウンに乗りながら、保険入ってるから運転していいよって、よくない?

 

 

ああ、私は何を話してたんだろうか。

ぶっちゃけすぎだろう

 

 

②東京に遊びにいくつもりだったのが無くなった

 

泊まらせてくれる予定だった人に彼女が出来たらしく、うちは無しでって言われたので行けなくなりました。

 

これはね、仕方ないけどショックでした。

私の旅行のあとに付き合ってくれー

 

立て続きに「男の人に選ばれない」ということが起こったので、自信も喪失しました。

 

まあ、私はセックスだけの女なんだけどね所詮。

自分がいかに異性からの評価に依存して生きてるか思い知りました

 

 

でも行きたかったな、東京

 

今日も施設で少しだけ就職のことを考えましたが、マイナスなことしか考えられなくて落ち込みます。

 

ここ7年くらい上手くいかないことしかないので、ポジティブって言葉は忘れました

 

それでも少しずつ回復しつつあります

 

一時はご飯も食べられなかったからね

 

 

 

就職したいね

生活を安定させたい

 

東京に戻りたい

もうそうやって考え続けて3年も経った

 

心も折れるよそりゃあ

 

 

 

私は陽性である1

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コミュニケーションにおいて、何を話すかよりも何を話さないか、黙っておくかに注力している自覚がある。

 

私は機転のきいた応答が得意ではないし、そもそも口頭でのコミュニケーションだとたびたび失言してしまうので一層気を付けるようになったのだ。

 

そのような人間にとって、面白い返しをするよりも「必要なときにだけコメントする、あとはリアクションで聞いていますよとアピールする」ほうがずっと簡単なのだ(と思う)。

 

いろいろ書いたけれど、全部言い訳で、自分を正当化しているだけかもしれないとも思う。

何故なら、私は人に嫌われることをひどく恐れているからだ。

 

 

 

 

嫌われる人には嫌われる。それは避けることができないし、まだ起こってもない未来に怯えたところでそれは徒労。理屈は分かっていても、18年間生存戦略として培ってきたふるまいはなかなか変えるのが難しいなと感じている。

 

これを読んでくれている人が私にどんな印象を持つかは想像するしかないのだが、とにかく自分では臆病な人間だと思っている。

最近気が付いたのだが、私が関係を続けられる人間はみな「簡単には怒らない」人なのだ。なんということだろう。

 

 

 

やっと本題。

 

いま週に3回、就労移行支援施設に通っている。

 

昨年の終わりごろから準備して、見学もした。

見学の時点では本質を見極めるのが本当に難しく感じたので、最終的には第六感でいまのところに決めた。

 

それは大きな賭けだったのだけど、どうやら今回ばかりは勝ったらしいと思っている。

 

生まれてからいろんな組織に所属せざるを得なかったわけだけど、私は正直程度の違いさえあれどすべてうっとうしかった。

家族、学校、会社、その中のさらに小さなグループ。

人間がたくさん集まるととにかくみんなどこかおかしくなってしまう、というのが人間嫌いの私の見解だ。

 

 

男とか女の前に、人がたくさん集まるところには極力行きたくない。

 

けれどいまの施設は違った。

「この人には話しても引かれないだろうな、話してもいいかもしれない」と思える職員が多いし、福祉の施設にありがちな子ども扱いもされない。自立を促してくれるのだ。

 

 

先月にコロナウイルスのワクチンのブースター接種をしてひどい副反応がでた。

いつも通り母のリアクションは「何かあったら連絡して」で、その時点では私は何も感じなかったのだが、その後施設の職員と話したら印象が変わった。

 

「アイスノンありますか?ごはん食べられますか?眠れてますか?」と心配してくれたのだ。

そう、これが心配。これが、求めていた行為。

 

施設に通う前まで、私は一人で決めたことがことごとく失敗した気になっていて自信も喪失していたし、人間不信にも陥っていたと思う。

 

29年間その状態だったのだから、なかなかその氷は解けるものではないと思う。

思うのだけど、職員たちはなんでもないことですよいう顔をして溶かしてくれる。

「北風と太陽」の太陽みたいだ、と思う。

 

 

私はこれからの人生、もう太陽のような人にしか関わりたくない。

同時に自分も人に対して北風のような対応はしたくない。

それが人生のゴールであるかのように、ここ数か月ではっきり分かってしまった。

 

 

 

 

・・・ふう、疲れたので今日はここまでにするけれど、これはシリーズ化して退所&就職まで書き続けようと思う。

 

朝晩と昼とで気温が違う日が続くので、ご自愛くださいね。

大人になること

 

いま障害年金を獲得するため、いろいろな書類集めに奔走している。

過去のことを思い出すのにかなりストレスもかかっていて、かなしばり?フラッシュバックもおこったりしている。

 

口頭で伝えられないトラウマの話を書類で主治医にしたら、統合失調症の治療が見込まれる薬が処方された。実際にその症状が出ている人だけでなく、寝付けない人もよく処方されるらしい。

 

それを飲み始めてから全体の睡眠の質は良いのだが、入眠してすぐの現実との区別がつかないときに2回ほど自分の身体の上に誰かがぴったりくっついて重なる妄想にとらわれた。

 

「あ、玄関の鍵閉め忘れてたのかな、やばい、レイプされる。」と思う。

数分経つと何もしてこないので異常を感じ始め、自力で金縛りを解くことができるのだ。

 

とても疲れる。これが何なのか自分でもよく分からない。

 

 

 

 

高校2年生の時、些細なことで父親と言い争いをし、首を絞められる事態に陥った。

その後頼った当時の高校の教師のことに私はずっと感謝していた。

話を聞いてくれたし、その後家に送ってくれたし、父に「でも娘さんは死にたいとまで言っていたんですよ」と言ってくれた。

 

 

それでも・・、と最近思い返す。

あれがベストな対応だったとは思えないし、10年後のいまだったらまた違った対応になっていたのかな。

 

私の話を聞いてまず彼は「人はある程度の年齢になったらなかなか変わることができない」と言った。私の父は私が生まれた時点で39で、当時は56歳とかであった。

 

言っていることは分かる。でも親に暴力を振るわれて落ち込んでいる少女にかける最初の言葉がそれであろうか。

 

私が「一人暮らしをしたい」と告げると、彼は「資金はどうする気だ?初期費用は?生活費は?」と返す。

 

言いたいことは分かる、だが(以下略

 

つまり「現状を変えることはできない、あきらめろ、受け入れろ」というような意味合いのことを言われたわけだ。

 

正論だ。大人の世界では、その現実をうけとめてどうにか他の道を歩むことも選択できるかもしれない。

 

けれど当時の私は子供だった。少なくとも未成年者であった。

できることなど限られている。

 

もし、傷害事件として警察に届けてくれていたら、と最近よく考える。

田舎だから世間体を考えて(そんなことは子供には全く関係がないのだが)それが難しいのであったら、せめて児童相談所に報告してくれていたら。

私は自分が駆け込める役所があることも知らなかった。

子供とはそういうものなのだ。

 

 

数日後、私は教師に「クラスの子はバカばっかりだ、自分だけ辛い」とこぼした。

すると「そんなことはない、じゅりよりもつらい人だっているかもよ」と返された。

 

そのまた数日後、クラスで一番仲が良かった子の父親が病気で亡くなった。

私は彼女の父の病気のことを全く知らなかったし、その時は自分を愚かしく思った。

 

きっと担任の教師のなかでは私よりも彼女に気が回っていたのだろう。

けれど、それもまた少し違う。

 

彼女も辛かった、私もまた辛かった。

比べるものではないのだ。

 

最近母に「かばってくれなかったよね」といった趣旨のことをよく話すのだが、そのたびに「じゃあ離婚すればよかったの?大学にもいけてなかったよ?」と言われるのだ。

 

まず謝罪だろうがよ。

どっちに転んでも母がアル中の父を選んだ時点で私たち子供の不幸はある程度決まっていた。あとはどの選択肢がまともだったかという程度の話。

 

父と早く離れられていたら、私はコンプレックスやトラウマをこんなに複雑になるまで放置しなかったかもしれない。

 

経済的に厳しければもっと早くセーフティネットに繋がって、生活保護を受けられていたかもしれない。

 

でもすべて、「かもしれない」だ。

今の私が持っているもの全てクソってわけではなくて、もちろんいい出会いや発見もたくさんあった。

 

それでもやっぱり考えてしまう。

いま私はいい大人の年だ。

知っている子供が虐待されていて、「死にたい」とまで言っていたら、どうするだろうか?

もし助けられなかったら、数年後に本人から責められたときに言い訳をするだろうか?

 

ここ最近の私の目標は「成熟した大人になること」で、彼らの言動は理想とはかけ離れている。

 

 

 

 

 

 

 

就労移行支援施設に通い始めてからいい担当者との出会いもあり、メンタルが落ち着いているのを感じる。

 

通うまでは気分転換にたまに実家に帰っていたけれど、いま週3で通っているのでそんな暇はない。そしてそれがとても楽なのだ。

 

もう家族ごっこはやめよう。

私が親から受けた仕打ちは、確かにおかしなことだったのだから。

 

やっとこの罪悪感からも解放される気がしている。

 

 

Drive my car

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あなたは確かに面白くはない人かもしれないけど、初めて会ったときに思った通り瞳の美しい人で、どうしてそんな瞳に私が映りこんだのか分からないけれどそれは相変わらず宝物のままだよ。

 

今日もやっぱり眠れません。

Filmarksを開いたら、フォロイーさんが「ドライブ・マイ・カー」のレビューをアップしていることに気が付いて、それを読んで初めてあの映画のあらすじを知り号泣しました。

アカデミー賞の授賞式の日でもあります。

 

 

 

 

あなたと離れて暮らして3年ほど。

いまだって私は「あの世にいったらあなたに会えるかな、ああ、早くその日が来ないかな」なんて考えてしまうんだよ。

 

だって、現実はつらいから。

その夢の世界では、私とあなたは年をとらず、モノクロの世界で一緒にいられるんだ。

 

その世界では、私は決して怒鳴らない。暴言も吐かない。他の人とセックスもしない。

「会いたかったよ、今日も好きだよ」と伝えてる。

あなたは「じゅりさんの涙は透明だね」っていつもの感じで抱きしめてくれるんだ。

私は、他の人は「重たいな」ってうんざりした顔をするのに、どうしてこの人は動じないんだろう、と心底不思議に思いながらそのまま腕の中にくるまっている。

 

Some day I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me

 

 

 

村上春樹だなんて好青年だね、なんて茶化さずに読めばよかった。

そうしたら、もしかしたらあなたが少しでも頼ることができたのかな。

記号でしかものをとらえられていなかったのは、ずっと何かに捕われていたのは私のほうだった。

私の真ん中をずっと見守っていてくれていたのは、あなたのほうだったのに。

 

 

 

ずっとこうだったらいいのにな。

でも私は正気も保っていて、そこが現実でないことを分かっている。

いまの、3年後の私には支えてくれる人もいて、あたたかく見守ってくれる人もいて、永野先生に教えてもらったように道端に咲く花が美しいことにも気が付くくらい元気になっている。

 

ああ、行かなくちゃ。

私たちは、もう進んでる。

顔をあげると、「いくの?」というあなたが最後の日にそうしたように私に握手を求めてくる。私はそれを握り返して、最後にもう一度だけハグをするだろう。

私ね、人の顔をすぐに忘れてしまうの。

でも、きっとこの肩のゴツゴツは覚えているだろう。

 

最後にあなたの瞳に映る私は、笑っていてほしい。

 

You are my sunshine
My only sunshine.
You make me happy
When skies are grey.
You’ll never know, dear,
How much I love you.
Please don’t take my sunshine away.

 

用意周到な女

 

 

寝付けないので日記でも書きます

 

お薬は飲んだので眠れるはずですが、いつもこの寝付けない間に焦って薬を多く飲んでしまって後悔するので、それをやめようと試行錯誤中

 

 

障害者手帳の申請をします

あとは主治医の診断書待ちな感じです

 

どれくらい知られてるか分からないけど、手帳は案外簡単にとれます

メリットもあまりないので、今までわざわざとらなかったくらいです

 

団地に入りやすいとか、控除が受けられるとか調べたら結構あるんだけどね

 

それで、いまは障害年金について調べています

明日、年金事務所に行くのです

 

母に、「私に興味があるなら一緒に調べて!調べてくれないと愛だとは認めない」的なことを言ったら一生懸命調べてくれました

 

 

手帳に比べて、年金はいろいろ壁があって申請が難しいです

申請も難しいし、受理されるかも微妙なとこ、主治医の診断書次第って感じです

 

 

けど、できることをピックアップしてできないことを考えるのはやめることにしました

 

今回本を読んで分かったことは、年金事務所は年金以外のことは記録していないってことです

 

当たり前だろ!って感じかもしれませんが、病院の履歴とか公的機関でなんとか証拠をとっているのかと思いきや、病院がカルテを5年で捨ててしまったらもう手の打ちようがない

 

けど言い方を変えれば、こちらが申請したことそのまま受け取ってくれるということです

 

年金事務所はあくまで書類を預かる窓口なので審査するのは県が設置した医師会。

自分が用意した書類の辻褄があっていれば申請は通るんじゃないかってのが、いまのわたしの見方です

 

役所の人に相談しても、まずは診断書ありきとしか言わなくて、すごくモヤモヤいました。

まああの人たちは私が生きようが死のうがどうでもいいのだろうし、私は比較的健康に見えるのだろう

 

別にそれはそれでいいとして、AがダメならB、それもダメならCというのを知らないとソワソワ&イライラしてしまう性格なのです。

 

社労士の書いた本には分かりやすくそれらが書いてあったので、パズルを埋めていくような作業で割と好きだなと思いました

 

不思議ですね

これから困難はたくさんあるはずなのに、いまはどこまでもがんばれそうな気すらする

 

 

先日、また弟が引っ越しについての不安とかを言っていて、まあそれがよく橋の上で綱渡りをしている私に言えるよなってレベルの不安で、

 

めんどくさ、一人でやれたらいいのにって心底思ってしまいました

 

やるって決めたら腹くくろうよ

それができないなら自分の狭量を認めて謝って出来ないといいなよ

 

私からは一緒に住まなくていいよとは言ってあげないよ?

君の悪者になりたくないってそのずるさに呆れているからさ

 

わたしは、助けてってお願いして泣いてる私を突き放して罪悪感を感じてほしいの

意地悪だから

 

 

でも結局、あの子には無理かもなってのといまからこんなにイライラするなら別に暮らしたほうがいいのかなってことでそっちの道も探し中

 

障害年金が降りるかどうかで全く状況が変わってくる

 

リモートで働けるかも、それがいつになるかも不明だ

 

だが、先ほども言ったがいまの私にはエネルギーが有り余っている

 

用意周到な、いい2022年にするんだ!

 

 

おしまい

 

季節知らないままサヨナラ


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時間がびゅんびゅん過ぎていくね

 

どうして別れるのに出逢うのかなって、定期的に考えてしまってる

別れるのは辛いのに

このときめきは一瞬なのに

 

私のいま気になっている人は、好きな人が自分のことを好きでいてくれたら嬉しいけれど、そうでなかったらそのステージから早く降りるべきなのだと言っていた

 

そうでなかったら呪いなのだと

 

この世には呪いが溢れてる

 

精神は曖昧で、不確かで、すぐに壊れる

それでも次の世代に繋ぐのはどうしてなんだろう

 

 

 

 

シェイム」という映画を見た

 

セックス依存症の男性をマイケル・ファスベンダーが上手に演じていた

 

彼はハンサムで、ウィットに富んでいて、滑稽だった

 

そうか、私もセックス依存症だったのかと改めて思った

 

セックス依存症ASDPTSD

 

福祉の教科書に載っている言葉を見るたび、そこに自分を当てはめて言い訳をしたいだけじゃないのか?ともう一人の自分が囁いてくる

 

そうなんだろうな、きっと

 

自分のことを可哀想だと主張するのは嫌だ

惨めなことだ

 

でもそうしないと生活できない

 

2月から就労移行支援事業所に通うことになりました

 

相談支援の精神保健福祉士が、とても優しくていい人です

 

自己肯定感に関する本をたくさん読んだけど、一番しっくりきたのは「You're OK, I'm OK.」です。

 

変わらなくてもいい、そのままでいい

 

ずっと何者かにならないと死んだほうがマシだと思ってた

 

人に対してはそう思わないのに、どうして自分にはそう思ってしまうのか謎だった

 

認知の歪みと言うらしい

 

ブログに書いたかどうか分からないけれど、最近鉄剤を欠かさず飲んだり小麦ではなくできるだけ米を食べるようにしたり栄養に気をつけていたらだいぶ元気になってきました

 

もちろん波はありますけれど

 

文字も追えるようになってきて、お勉強も時間をこなせるようになってきました

 

そうだったなあ

自分は出来るって信じられるって、こんなに幸せなことなんだ

 

ずっと、鬱のせいで出来ない人間だって思わされてきたんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬は、オフィス街をカツカツヒールで歩きながら「シーズンサヨナラ」を聞いて歩くのが好きです

 

宮崎市は面白いところだよ

でもサヨナラしたい

 

君と一緒に歩いたら、きっと面白いねって笑ってくれたよね

 

旅行なり、休日の旅行なり

いつも私が全部計画を立てたよね

あの頃はそれが負担だったよ

でもいざその場に行ってみると、君は全部心底面白そうに笑ってくれたよね

だから甘えていたんだ

 

知らないかもしれないけれど、私はいつも相手が楽しんでいるか不安で不安で仕方無い人間なんだ

 

でも君の前では安心していたよ

楽しんでくれる、話を聞いてくれてるって

 

他の人の前だとそうはいかないんだよ

知らなかったよね、きっと

 

また春が来る

 

 

 

受け取り方は受け取る側の自由

 

寅年ってなんだかカッコよくていいですね

 

年末と年明け、珍しく友人とご飯してきました

 

年末は、高校のときの友達で、会うのは1年ぶりです

 

1年前は彼氏と別れたばかりでそれが原因で落ち込んでいたので、その後どうなったのかな〜を知るためにも彼氏や結婚のことを聞いてしまいました

 

そしたら、うん!今が1番楽しい、とのことで

 

そういう質問をしてしまった自分を少し恥じたよね。悪意はないけど、自分もされたら嫌なのに

 

10年前から知っている人が人として次のステージにどんどん進んでる様子を見るのは不思議な気持ちになります

 

愚痴を言う人も世の中には多いですけど、わたしはそこに引っ張られず次に進みたいなあって思わせてくれますね

 

 

 

年明けは串カツ田中に行きました

 

うん、宮崎にもあるんだよ、田中

宮崎の田中は調理担当が少し下手くそでした。笑

紅生姜が塩辛かった..。

でも串カツ欲は満たされました

 

娘さんが鬱で大変な人で、話を聞くことしか出来ずにもどかしさを感じていたけど、久々にあったら元気だったのでよかったです

 

なんだかスピリチュアルの先生にハマって健全にYouTubeだけで楽しんでるようです

 

女って強いなあって周りの人を見ていて思います

 

世の中の、結婚してる女の人って男性の打たれ弱さにうんざりしないのかな?

って不思議になるほどみんな強い

 

スピリチュアルの話を聞いていて、彼女が何度も言う"魂のステージ"という言葉になんだか納得がいきました

 

私が納得がいく人に出会わないのは、魂が洗練されてる人がそれだけ少ないということ

 

そしてかくいう私も、まだまだ

彼女の言葉を借りれば、魂のステージが低いということ

それなりの人間しか寄ってこない

 

だから自分を磨く

 

ここ数ヶ月、放火したり電車で暴れたりした人がニュースになりましたね

 

彼らは他責思考だよね

 

自責ばかりしても追い詰めるだけだからよくないけど、丸っと人のせいにして死に巻き込むなんて信じられない

 

攻撃するくらいなら、内面を見た方がいいと思うな

 

なーんて、私も過去を振り返ると人のことをとやかく言えないね

 

今年はいい年になりそう!

(なりそうじゃなくするんだよ!と友達に突っ込まれました。笑)

 

おわり