面白いと思うことは増えたのか、減ったのか
中学生の所で実験教室をやってきて、そんなことを考えた。
彼らが今面白いと感じている事と、僕が同い年の時(16年前)に同様に感じたこと。
同じく感じられるものと、そうじゃないもの、新しくできたものとはどういうたぐいのものだろうかと。
この16年でテレビの視聴率は、他のメディアにとって変わられ、時間に対して接するものの振れ幅がとにかく広がった。これからもっと広がっていく事は間違いない。
かつてのテレビは(今もある程度はそうだが)とにかくたくさんの人が見ていた。たくさんの人が見ているところにはお金が集まるのだ。お金をパワーだとするなら、テレビは強大なパワーを持っていた。
そのパワーで、昔は出来なかった企画を展開してきただろうし、かつてやったであろう莫大な金がかかるようなものは今ではできなくなっているだろうし、それが魅力を低減させている一面もあるのだろうきっと。
時間が分散すると言うことは、強大なパワーを持つことが難しいということだ。
全部が平坦になってしまえば、やはり突出したことをするのは難しくなる。そこに面白さがあるとしても、金がなきゃできないという部分もあるだろう。
一方で、16年前に比べて進んだ点といえば、電子デバイスの発達と通信網のコスト低減だろう。身の回りにiPhoneがある、ネットがある、PCも安い、世界中どこにでもアクセスできる。サービス提供側はいろんな情報をトラフィックに載せているし、やろうと思えば世界中の授業を見ることだってかなう時代だ。
みんなと一緒になってワクワクしていた時代からは確実に体験が変わっていく。
能動的に求めた者が無料で手にできる情報量が爆発的に増えた。一人で突き進むことが出来る時代になった。
横並びを気にする社会ではいられない
もうこんな時代が到来しているのだ。日本人は横を見て考えるなんて言っていた時代はとっくに崩壊している。各自が個性を尊重し、それを伸ばすことがこれからの豊かさを生み出すんじゃないだろうか。
もう一度言うけど、横並びを美徳としていたら日本人は豊かにはなれない。もう無理なんだ。
そんなことより、色んな人がいろんな事をやり、お互いに面白いじゃんそれ!と言いながら、小さな資本を転がしている社会の到来を前向きに捉えてもいいんじゃないかななんてふと思った。
結局面白いと思うことが増えたのか減ったのかというと、その答えはでない。
ただ、その性質が変わったことだけは確かだろうと思う。
モチベーションとは。
あなたは何をモチベーションに生活をしていますか。
モチベーションって改めて定義する生活をしていますか。
生きるモチベーションってなんですか。仕事のモチベーションってなんですか?
お金がモチベーションにならない時代
これはリバネスやってて特に思うんだけど、お金じゃ人は動かないんですね。ホント、自由な社員だなぁとは思いますが。自分のエフォートとか会社への金銭的な貢献というところを糧にして生きてないというのは、良し悪しです。金額でコントロールできないということは、ハートが伴わなきゃいけないからね。
ハートコントロール
モチベーションコントロールに何が重要かというと、ハートな訳です。人のハートを震わせるような企画を作って、それでもって人を巻き込むんですよ。もうね、これしかない。
きっと、そういう人はこれからどんどん増える。如何に人口が減りゆく日本だろうが、貧しくなりゆく日本だろうが恐らく関係ないんだと思うんです。もはや物欲なんてものは過去の遺物な気がするし(都心では?かな)、それで都心が動かなくなるということは、都心に生きる人と地方にいる人の乖離ってますます増えていくんだろうとおもう。
自殺とかそういうのも、結局は生きる意欲がないんだ。そこに執着する理由がないんだ。自分なんて居なくてもいいんだという無力感に苛まれてるんだ。でもね、この前も書いた通り、これからの時代はそういう与えられるものに何かを見出すのではなく、自分の中に生まれる「これをやりたい」が大切にされるんだと、僕は思うのです。
モチベーションとは、自分の内面にあるものであり、それが全てなんだという話。
あの日僕は悩んでいた
2012.2.14
そう、バレンタインデー。僕はとても悩んでいた。
自分のリソースの振り分け方について悩んでいた。
やりたい事のベクトルが大きく分けて3本ある。
1:新しい世界を創るという話
2:新しい世界をそこに存在させるにはどうするかという話
3:今の世界をもっと面白くしようという話
それと、それ以外の話だ。
僕は今本当に悩んでいる。どこにコミットするのが最大化に必要な事なのだろうかと。
一番遠くまで行くには、何が必要かというと、無駄な贅肉をそぎ落とし、風に乗って羽ばたくことだ。もしくは、強打者に豪速球を投げ打ち返してもらう必要がある。余計なものは置いていかなければならない。
きっと贅沢な話なのかもしれない。しかし、僕には選択の余地があるのだ。自分の時間を無駄に使いたくは無いし、そんなことにコミットしていたら何も出来ずに死んでいくだけなのだから。
結局のところ、自分を解き放つのは何かというと、死を意識するという事でもなんでもなく、やりたい事があるという事実なんじゃないかと、そう思うのです。
デジタルデバイド:隔離された世界
この前、お願いしたいことがあるんですという事で、打ち合わせに出てたんですよ。
何かといえば、ショッピングサイト作りたいんだけどという相談なんですけどね。僕、はっきり言うとWeb屋じゃないわけです。まぁ、やりますけど。専業じゃないわけです。まぁ色々やってますけど。
話を聞いてて面白いなぁと思った事があるのでシェアしてみようかなと思います。
相談に現れたのは4〜50台の男性4名。仕事の中心は、文字書きが中心でWebは専門じゃない人達。
話を聞いていると、ちょいちょいランニングコストのことを気にされる訳です。僕は、やるとすればリニューアル&ショップ構築のスタートアップのコストのみを考えており、今日日WebなんてCMSが入っているのが普通で、まぁぶっちゃけWordみたいなものが使えれば、どんな人だってある程度なんとかなる訳ですから、いちいちページ増やすのにいくらいただきますみたいなものははなから頭になかったんですよね。
もう全然噛み合いません。
ランニングコストで、どのくらいかかりますか?という疑問点に、僕はそもそも不要だと言っているのだけれど、それが伝わらないんですね。3度くらい同じ話しちゃいましたよ。
なんでしょう、騙されてる?
この前の沖縄の話とも似た感覚があります。10年前位のWeb制作の現場ならまだしも、現代ですよ?もはやビジネスモデルすら変わってきているこの時代に、10年前の話でビジネスしている人たちが、まだまだいるような気がする。そして、Webにそもそも詳しくない業界というのはあるわけで、そういう人達が騙されているんじゃないだろうか。
騙される側も、何かがおかしいというのは頭にはあるようで、それで今回相談に来たという雰囲気感でした。
「ああそうか、そういう需要があるのか。。。」と。
なんというか、知らないって怖いです。知らないのはまだしょうがないとしても、それをあまり疑問を持たずに受け入れている人たちが結構いらっしゃるんじゃないかと思うとゾッとします。
地方の人の感覚
この前沖縄でセミナーやってきたんですよ。
ソーシャルメディアを販促に活かすがテーマだったんですけどね。すごく興味深かったのは何かというと
「皆さん、ソーシャルメディアというキーワードにとらわれすぎてて現実が見えてない」って事ですわ。
いや、なんというか、販促に活かすという意味すらわかってないのかもしれない。
販促に活かすってつまりどういうことだと思いますか?
ソーシャルメディアを使って、利益をあげてやろう!っていう言わば肉食系な感じですよね。ガツガツしてる人がくる場所な訳ですよ。オレはこのノウハウできっちり稼いでやるぜ!みたいな。でも、今回のセミナー会場はそんな感じではありませんでした。
なんというか、受身なんですよ。自分から持ってってやろうみたいな感じじゃない。(とか言ってもしかして僕から持っていけるようなノウハウがねーだろ!と思われていたらごめんなさいですが、恐らくそうではないかなと)
ソーシャルメディアを販促に活かすって、いわゆるネットワークビジネスのもっと低レイヤーみたいな感じになるんだよね。自分のネットワークからお金を取るという感じになるから。(いや、本来は自分のネットワークに、自分がいい!と思ったものを流したらそこで共感や感謝する人がいて、その人達がお金を落とすというのが理想だけど)
ソーシャルメディア系のセミナーって地方に多いよね
まぁあくまで僕の所感ですが。
ただ、セミナーの受講生の方から色々とメッセージもらいまして。その中で僕が
「東京で起こっている事があたかもスタンダードだと宣ってセミナーを開催し、右も左もわからないような人から搾取してるんじゃないかと心配になります」というメッセージに「沖縄の人は純な人が多いから、そういう可能性は大いにあります」という返答が来たときは、ちょっと色々と考えましたね。
横文字だったり、東京だから偉いって訳じゃないんです
東京はこうなんですよ。と言われると、ふむふむ、そうなのか。と思わざるをえない地方の方っていうのは想像が付きます。そりゃそうだと思います。ただですよ?ちゃんと頭を使って下さい。そのセミナーで言われたことは、果たして自分たちに合致するんだろうかと。
そもそも、ソーシャルメディアを販促に活かすっていうのは、そこに市場があるからこそです。
自分が知っている範囲に、ソーシャルメディアを販促に活かそうと思っている人以外でTwitterだったりFacebookを使っている人がどれだけいますか?と、質問すると、意外と返って来なかったりするんです。そもそもスマホ持ってる人が3割程度しかいないんです。もはやソーシャルメディアとかじゃないですよね。
地方は、諸々の普及率を鑑みて、都会で起こっていることの2年前くらいを最先端にすればいいんじゃないかなぁと思うわけです。Facebookだって、ギーク界隈で話題になったの2010年末くらいだろうし。そんなもんなんですよ。
落ち着こう
僕は搾取は嫌いです。不当なことをやっている人はぶっ叩きたくなります。だって、そんなのが存在していることで社会になんの利益も生んでないんだもの。生産率から、無駄な出費が出ているだけ。浪費なんですよ。そんなの許せない。
地方の人は結局のところ、疲弊しているし、販売チャネルというか、お金が入ってくるパスが都心より格段に少ないんです。だからこそそれを開拓しようとしている。ただ、それって開拓できますかね。まだ時期尚早じゃないですか?
こういう準備をしていたら、この段階でうちは跳ねる!という意味ならわかるのですが、そうじゃない場合って往々にしてあるんじゃないでしょうか。
僕から言えることは
もっと日常に目を向けて、身の回りを観察したほうがいいということ。それだけなんですよ。
あと、クソみたいなセミナーやってお金稼いでる奴は、とっとと消えてほしいなと思うばかりです。
何か書こうかなと思ったけど
特になかった。
と言うことは、十分に発信できているという事なのだろう。
忙殺されている時でも、アウトプットが上手く行ってないときはここに来ちゃう気がする。
ブログとかサイトとかいくつも持って運用していると、自分の心理状態が分かるような気がするな。
文章を書くと言うことは、結局自分との対話なのだろうと、ちょっとずつ思うわけです。
因みに、ブログ読んでるよと言われると恥ずかしいですが、あれ読んで熱くなったよとか言われると喜びます。
例えば相続税100%にしたらどうなるか
どうなるんだろうね。
最近良く思うんだけど、今の資本主義社会って、誰が幸せになってるんだろう。
先進国だって、富の分配がうまくいっていないし、それってどこの国でもおなじに見える。日本なんて幸せの分配が全くうまくいっていない。物質的には豊かだと思うし、手に入らないものは今のところほとんど無いんだと思うんだけど、だからといって幸せかというとそんな雰囲気じゃない。これってなんのせい?
と、大きな話は置いといて。国内の話です。
例えば相続税を100%にしたらどうなるだろうか。
死後、自分の資産は相続できない事になる訳で、きっと死ぬ前にお金を使いまくるはずだ。死ぬ間際になんて絶対にお金は使い切れない(固定資産買っても、固定資産税かかるからそれはお金を使ったことにならない)。だから、ある程度若いうちからお金を使うということを考える社会になる。それって楽しい社会なんじゃないの?と思ったんだけどどうだろう。
ただ、自分が死ぬのはいつだかわからない訳です。使いきってしまったら…と思うと、ビビって使わなくなるのは目に見える。
そこは制度でなんとかするんです。今まで使ってきたお金というのは、納税額見てればわかるわけで、そこからお金使いきった先にも人生が残っていたとしたらある程度の保障をしてあげる。使ってきたお金の金額に応じてってやつだ。
市場にお金が循環してないから、停滞しているからそれを手にする人が減るわけで、使える金額も減る訳です。そんなのは制度でなんとかしてしまえばいいんじゃないのという極論の話でした。
一点問題になるのは、こうする事によって、事実上市場の解放というか、日本が抱えている資金が市場に全部出まわることになる。日本という世界だけを見ていると、きっとこれは外国の格好の的になって、あっという間に国内から資金が流出するということにもなりかねないってことになるんだろうけど。
預金として確保されているから、問題ないんですってのも問題解決にならないし、一方市場にでちゃうとあれなんです、ってのもなんだかなぁって感じ。
誰か詳しい人がいたら教えて下さい。どんな社会になるのか。