愛の話をしたいだけ

同人出身オタクがヘタミュを皮切りにうっかりSEVENTEENの沼にハマり、推しを見つけるまでに苦しんだりその他推しへの宗教観念について考える羽目になった雑記とその他日記、人生の話。

日プの亡霊の心を溶かしたOWV SUMMER LIVE 2021 -WIND-

 

2021/08/01備忘録

日ぷグルで円神舞台とおるびトークショーと現場を経験して今回のおーぶで何気にコロナ禍で初めてのライブを体験してしまい、やはりライブというもの自体のそのエネルギーのデカさを実感してしまった……

舞台とトークショーはあくまでもこちら側が座って観覧するものであって、やはりライブでこっちも立って動いて、そして爆音とペンライトの光の中に立つ推しを見るという行為、そして自分自身が推しを輝かせる光の一部となることに一体感を覚えたし、この光景こそが何にも変え難い彼らの生命活動そのものなんだなって身をもって確認したライブだった。

 

以下WINDの感想↓

AWAKEは日ぷという過去への決別とOWVとしての昇華の儀式を形にしたライブだと思ってて、OWVがOWVとしてもう“グループ”なんだなと確実に実感させられたライブで、OWV4人、メンバーが1人でも多くても少なくても表現できない唯一無二の存在であることを目に焼き付けさせられるようなものだった。

だけど、だからといって、真面目な話、私が未だに日ぷの亡霊であることは変わらないし、流石に時が経てば忘れられるものやろと思ってたらいつのまにか亡霊2年目突入してたし、どうにかなるどころか症状は悪化の一途を辿ってるのでもうこれから一生ずっとこのままなんやろなって覚悟し始めてる。

それだけはやっぱり変わらないことであって、無理矢理忘れるということもしなくていいものなのだなと最近は考え始めてる。

 

WINDを経て、端的にそれぞれのライブのことを表すとすると、AWAKEがOWVというものの絶対的な存在を確認させるものであるなら、WINDはOWVというこれからの活動の軌跡へ指し示す期待と安堵と癒しを与えるものだと思った。

AWAKEの「目を離すな“俺たち”をみろ」と言わんばかりのパフォーマンス、とくに寸劇の後に日ぷの制服を着てツカメを踊ったシーンは"If"の世界と現実世界をシームレスに繋ぎ、夢は現実であり、現実もまた夢である、というような演出は転換のメッセージでありつつも無理矢理に私たちに決別を自覚させるようなものではなく、ただ、あのライブ自体が一つの“覚悟”のようなものであったように思う。

WINDはそれとは対照的に、OWVというものをOWVとして純粋に真っ直ぐと、キラキラしたものを両手で包み込むような感覚で観ることができた。

1部2部と見終わった感想としては

「これが過去も未来も全てを背負ったOWVなんだな」

というひとしきりのものだった。

痛みを伴わない多幸感の中で、ただただあの空間の彼らだけを愛することができることにひたすらの安堵と心地よさを覚えた。

特に印象に残った曲はBeautifulとWhat you waitin’ forなんだけど、クソデカ感情を抱えた亡霊としては、あの空間で聴いたあの歌詞が今まで聴いてた意味とまったく違って聴こえてそれが自分でも驚いた。

初めてOWVを目の前で生で見れる期待感とともにAWAKEで受けた儀式のような演出の衝撃を引きずって一抹の不安感を抱えながらの会場入りだったんだけど、まず入りのBeautifulがとにかく、とにかくわたしの心を救った。

あの時の心理状態と空間の演出の中で受けた初感なので歌詞の本来の意図とは少しずれてしまうかもしれないけれど、

“寂しくさせたら I'm sorry

今欲しいのはただ一つ 喧騒逃れ君と

重なり合う 'Til the morning”

のフレーズが、日プを懐古していたAWAKEのあの演出はあれきりで、もう目にすることはないであろうと分かっていつつもなんとなく寂しさを抱えていた私にとって、それを受け入れ、今からこの空間は私と彼らを一つに溶かす場所になるのだということを優しく囁かれている感覚になって、その時点で私の心は掴まれ、一気に引き込まれた。

そして、

“戻ればいいさ あの頃に、さぁ

どこまでも Sweet time, sweet time

ゆっくりでいいさ Come a little closer

手を取り合い Slow dance, slow dance”

で、過去と決別した彼らが目の前にいるのに対して、まだずっと過去に囚われている私をあの頃の記憶を無くさなくてもいいし、ゆっくりでもいいから今の自分達を見てほしい。いつまでも一緒にいるから。というメッセージと捉えてじんわりと涙が出た。

これはわたしの勝手な解釈なんだけども、それでもとにかく救われた。

さらに、

“忘れていいよ 俺以外もう

どこまでも Deep night deep night

ありのままを Love your imperfection

1秒ずつ Slow dance slow dance”

で心臓ギュッッとなってしまった。

さっきまでゆっくりでいいとか言ってたのにやっぱり俺以外もう忘れてほしいんじゃんっていう。。。

そのふと見せる心の内みたいなやつ。。

こう感じるのは私自身いま安藤誠明という最推しが居るからこそで、別グループへの感情の比率が比較的大きく頭の中を支配しているからこそなのだと解釈しているんだけど。

だけどSlow dance slow danceなんですよね……

優しい好きだ…

これは勝手な過大解釈も甚だしいことはわかってるんだけど、、、

ただ、私の心は救われた。

それだけが真実なのは変わらない。

 

というようにのっけからデロデロにOWVの皆さんに懐柔されてのスタートで、だからこそ純粋に彼らを彼らのまままっすぐ見つめることができたのかなとも思ったりしてる。

Beautifulが一曲目だったのは本当に大きな意味があった。

そして純粋に楽しい!嬉しい!楽しい!!という感情で何曲かライブは進んで、そろそろ終盤締めあたりかなというちょっと寂しくなってきたとこで、わっちゅが入ってきてまた心を掴まれた。

ほんとにこのセトリの緩急が完璧すぎた。

わっちゅの

“遠回りした日だって 違った景色があって 

見え始めてきた My Story

のフレーズがほんっっっとーーーにこのWINDのライブの全てだといっても過言ではないと思った。

それぞれ違った道を彼らは覚悟を決めて突き進み、これからの未来へ一気に駆け抜けていくような高揚をスピード感のあるメロディと共にステージから存分に感じた。

そして

“フェイクみたいな毎日も ウソみたいに変わってく 

自由に描けばBrand New Day 

どんな未来があったとしても 

弾む感覚信じてこう”

で、過去は過去のまま、ただその記憶をうじうじとしたネガティブな感情ではなく、どんな過去も未来につながる軌跡であったことを、目まぐるしく変化し、成長する彼らの描く未来を見守って行きたいと、その曲は私の願いへと繋がった。

 

とにかく、このWINDというライブはわたしの過去に対する蟠りみたいなのを解きほぐすようなそんな物語であった。

どうしようもなく未だに日プという過去に囚われてはいるけれど、それらを受け入れ、ゆっくりでもいいからこの始まりを共に歩んでいこうという優しさに包まれたメッセージのようなものだった。

まさに手を取り合った彼らとの Slow danceだった。

www.youtube.com

 

円神初舞台nonagonを見て思い返した過去のこと


円神 Debut Stage 『nonagon(ノナゴン)~始まりの音~』を観劇して、過去に推しになってきた者たちと、コロナ禍で生きるアイドルという存在について考えてツイッターで壁打ちしていたスレッドをまとめました。

ふせったーに入れていたものも入っていますので一応注意。enjin-official.jp

 

2020年12月4日

ヘタミュをずっと引きずってるオタクだから、円神の舞台の雰囲気とか人数がちょっぴりヘタミュに似てて、こうして実際にお芝居を生で見るという経験が難しくなってる今、ものすごくものすごく久しぶりにお芝居を見ることができてもう見ることは叶わないのかな…?と思ってたあの舞台の感覚を思い出して、色々今までのこととか全部思い出しちゃって、もちろんプデュのことも、全部、なんか、なんかもういろんな感情で泣いてしまった……

夜のテンション(もう朝)でいろんなこと思い出してたんだけど、最初に断っておくと、これはヘタミュで3次ジャンルの沼に入ったオタクのめちゃくちゃ個人的な感想で、完全な円神nonagon舞台のレポではないです。

だけど、とにかく、とにかく舞台やお芝居を見るということや、それに付随する独特な感動を呼び覚まされた夜だったということだけは残しておきたいと強く思ったので、ここに書き綴ることにしました

過去の自分の推しになってきた大切な人たちのことを思い出していた。

 

ヘタミュのこと

初めてヘタミュを見に行った日、それまでお芝居どころかコンサートをはじめとした舞台みたいな現場にほとんど行ったことがなくて、あってもRADWIMPSの青とメメメの野外と実況生中継ライブの2回だけで、その時はもちろん初めて洋次郎達の姿を見れた事に感動したけど、あくまで目的は音楽を楽しむことであって、出演者を見るという目的で足を運ぶことや、お芝居やミュージカルというものに全く触れたことがなかった。

正直そんな体験が未知数すぎて、元々持っていたミュージカルの勝手なイメージから、

「突然歌って踊るって…ミュージカルってどうなんだろう…」とか

「笑っちゃったらどうしよう」

とか思ったりしてたんだけど、幕が上がった瞬間のあの“居る”という感覚だけは未だに忘れられずに覚えている。

逆光で顔が見えないながらも、ズラっと並んだシルエットだけでも感じる圧倒的な国々の畏怖、畏敬。存在感。

あの一瞬で惹きつけられた感覚や、今まで現実に存在しているはずのなかった大好きなキャラクターが同じ世界に確かに存在している、ということが衝撃的すぎて頭を雷で撃たれた感覚だった。

それからその感覚を何度も味わうために同じ公演に通ったりDVD見返したりしていた。

ヘタミュは本当にアドリブが面白くて最高なんだけど、それはキャスト同士の個性のバランスや舞台裏での仲の良さが織りなすものであって、気づいたらキャラとしてしか見ていなかったキャストさん達の個の部分を含めて見るようになっていて、お芝居や人間のもつ魅力にどんどん引き込まれていた。

 

その後、ヘタミュシリーズの舞台が終わり、現場に通える機会を無くしてしまった私はヘタミュキャストの出る他の舞台を見に行ったり、別作品のDVDを見て食い繋いでいた。

他の作品を見ていると、キャストさんもその時々のカンパニーごとにその人自身の雰囲気も変わるんだなと感じた。

そしてやっぱりヘタミュにいるときのキャストさんはみんなリラックスしてるのが伝わってくるというか、(あくまで私のヘタミュ色眼鏡なんだけど)そういうのからヘタミュを贔屓目で見てしまう自分がいて、そこでずっとヘタミュというものに囚われていた気がする。

その時点でキャラというよりかはもうキャストさんの個や人間の部分に引き込まれていた。

 

せぶちのこと

ヘタミュが終わったその後の間は、何か満たされないものを誤魔化すようになんとなく生きていたんだけど、たまたま実家に帰った時になんとなく眺めていたM-ONでせぶちのMVが流れて、その時目に入ったハニちゃんが、ヘタミュのイギリス役の廣瀬大介に似ているなぁと思ったことがまた私の人生を動かすきっかけとなった。

なんとなくその時に軽率にせぶちについて調べてから、気づいたらあれよあれよという間にせぶちの沼に転がり落ちてた。

ドンピシャに自分に刺さる音楽と、個性豊かなアニメキャラのようなメンバーの存在がマッチする体験が本当に衝撃的だった。

そこから日プを見るに至ったのも、せぶち垢でプデュの話題がちらほら流れてきたり、課題曲にせぶちがあったり、せぶちにハマってから韓国語を勉強するのにめちゃくちゃお世話になってたヒョクくんが練習生として出演することになったからだ。

それも本当に本当に軽い気持ちで見始めただけだった。(人生どこに沼のトラップがあるか分かりゃしねぇ)

geminimirror.hatenablog.com

↑ヒョクくんときっかけの話は上記記事から

 

日プの推し、福地正

そして日プ、見事なまでに私の推し達が脱落した。

101人という日プの世界だけが今も私の最推しの世界であることには変わりないんだけれど、最終放送から約1年経った今、彼らは新たにそれぞれの道を歩み始めている。

その中でわたしの推しの福地正が所属した円神がお芝居をやるグループになったということを知った日から心のざわめきが止まらなかった。

↑ぷぷちは福地正改め円神では𝗔.𝗿𝗶𝗸(エーリック)というお名前で活動を始めた。どうだ可愛かろう。これで当時26歳なんだぜ。(何目線)

ヘタミュが終わってからもいろんな沼に救われつつも生きてきた中で、また自分の大好きな人達のお芝居がみれるのが本当に嬉しかった反面、アイドルを目指していた子達がお芝居メイン(追記2022/06/13 *2020年12月5日時点では今後の活動は明確化されていなかったためお芝居メインという言い方をしています)のグループに所属して、彼らはどういった気持ちなのかずっとそれが少しだけ気がかりだった。

だけど私が彼らのデビュー公演、円神nonagonを見た感想の第一としては「多幸感」これ一つだった。

不安な気持ちを払拭するかのようなステージだっただけではない。

あれは紛れもなく「アイドル」のステージだった。

ミュージカルでもただのお芝居でもない、彼らの過去とその努力の軌跡が巧妙に紡がれた紛れもない「彼ら自身の物語」だった。

これまでの彼らの道のりや努力がパンクしそうなほど目一杯詰め込まれたステージだと思った。

今までずっと会いたいと思っていた彼らが実際に目の前に立ち、彼ら自身に酷似した性格のキャラクター達が物語のそれぞれの主人公として動き回っている。

この時、初めてヘタミュを見た日、ずっと会いたかったキャラクターが“居る”というのを感じた時の衝撃とすごく近い感覚を覚えた。

これは日プという原作を元にしたいわば2.5次元の舞台なのではと錯覚しかけた。

そしてさらに思い出したのがヘタミュのファイナルライブ、ヘタライとせぶちのコンサートだった。

歴史の史実に沿った物語の中で歌がメインに進行していくヘタライと、まるでミュージカルのような構成のコンサートをするせぶち、これに近いものを感じた。

だけれど、それらの雰囲気を纏いながらも全く新しいものを見たような思いになっている。

舞台中の楽曲たち、詰め込めるだけのありとあらゆるジャンルの曲とダンスが繰り広げられる様には少し驚いたが、彼らはそれらをやってのけた。

本当に驚いた。

相当な努力をしないとあそこまで作り上げることはできないはずだ。

バラード、ポップからロックもあり、そしてfuture baseが個人的にとても効いていたと思うし(推しの雰囲気ともめっちゃ合ってて最高だった)何より一番驚いたのがラップだった。

おそらく一番力を入れたのではとも思った。

他にもちくわきゅうりがとにかくトンチキ曲大好きマンにはめちゃくちゃ刺さったし、この舞台、ジャニオタとヒプマイとヘタミュのオタクに刺さるのでは…?と思ったりもしている。

あくまで個人の感想だけれど…

 

思えばこの一年、コロナがアイドルに及ぼした影響は計り知れないものだったなと自分の記憶を辿っても思い出せて、せぶちちゃん達がイルデ以来ずっと準備してきたであろうドームツアーも中止になってしまい、Perfumeちゃんの東京ドーム公演も私が行った日はなんとか免れたけど、

「今日も明日もここは私たちだけのものなんだよ!!」

とキラキラした顔であ〜ちゃんが言ってくれたその「明日」が突然の政府の要請によりなくなってしまった。

当たり前の約束がいきなり無くなるということを身をもって体験した日常の始まりだった。

 

じょわんちゃんも日プ派生グループもこれからという中で受けた被害は尋常なものではなかったはずだ。

そんな中で気づけば、Perfumeのドームコン以来この約1年は一度も現場に行っていなかった。

ここ2,3年、1年のうち最低でも3回は何かしらの現場に行っていたはずなのに、ぽっかりと空いたスケジュールの隙間が虚しかった。

おそらく円神nonagonは舞台だったからこそ実現できた公演だ。

公演前の電車に乗っている時の緊張感と高揚や一年ぶりに引っ張り出した双眼鏡や紙のチケットがこんなにも尊いものだったのかと実感してうるっと感極まってしまった。

この状況下で実際の公演をやるという決断は、たとえ舞台であっても容易なことではなかったと思う。

徹底した消毒管理、住所の署名、整列のソーシャルディスタンス、チケットもぎりも触れ合いがないように。

演者やファンに心配をかけない対策を考えぬいてくださった運営側の心遣いや対策、工夫があちこちに施されていた。

そこまでして開演してくださった現場に、この1年間の空虚感を埋めるかのようで、胸がいっぱいになってしまった。

 

そして幕が上がり、公演前に配信されていたドキュメンタリーの中でメンバーが何度も何度も繰り返し食らい付いて練習していたテーマ曲を目の前で見たとき、冒頭のはずなのに涙が出てきてしまった。

 

以下ふせったーに載せた内容です。
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物語の最後にみんなが集まった時、円陣を組んで各々が

「僕たちならできる!」

「みんな愛してる!」

と会場にビリビリと響き渡る声で叫んでいるのを聞いて、ああ、彼らは大丈夫だ、不安になることはないんだと確信して、一気に心の蟠りが消えていく感覚を今も強く覚えている。

安心感と共に鼓動がドクドクと速くなり、これから始まるんだという高揚感を得ながら、彼らが歩んできた道のり、円神として集結し、ここから始まるのだという想いが物語と重なって、演技のシーンのはずなのにみんなの心の声が聞こえてきたように感じてボロボロに泣いてしまった。

オクタゴンを完成させることが目的だったはずの物語に、リーダーであるDW、滝翼くんが加わることでノナゴンとなり、物語は真に完成し、繰り返していた世界から抜け出し始まることができる物語。

忘れかけていたありとあらゆる舞台への想いや記憶がフラッシュバックして、私の胸に突き刺さった。

というのも、天テレ出身で最年少17歳でリーダーをつとめている滝翼くんと同じく、天テレ出身で当時17歳最年少で初の主人公で座長をつとめあげたヘタミュの崚行が重なってしまったからだ。

一人座長としてのプレッシャーで潰れてしまいそうになっていたことがあるとこぼしていた崚行。

計ることのできない不安を隠し舞台に立っていたのだとヘタミュシリーズ終了後に彼のブログを見て知ったこと、名前のついた役割を抱えて、他の仲間を背負って最初の一歩を踏み出すことが、ましてや最年少であるというハンデを抱えた状態がいかに恐ろしいことかを、彼の成長を見守りながらも少しずつ知っていっていた頃を思い出して、当時のヘタミュや、そこで初めて舞台というものを知った自分自身のことも同時に思い出されて感情がブワーーっとかき混ぜられる思いになってしまった。

今まで気づいていなかった自分の存在という大切さ、真の自分自身を知った時、そこから強さに変わることができる。

そんなメッセージを感じる物語の中で、ヘタミュであったり、日プであったり、私自身の過去のことであったり、それら全てが繋がり交わったような感覚になった。

Produce101japanという霞のような夢を掴む舞台に挑んでくれたメンバーのみんな。

全員が味わったであろう挫折を乗り越えて、あきらめないでくれて、円神となることを選び、そこで作り上げたものは本当に最高にキラキラと輝いていたと、とにかく伝えたい想いになった。

歌、ダンス、演技、どれをとっても本当にレベルが高かった。

まだまだ始まったばかりだけれど、ここに一つ感想を書き散らしておこうと思います。

千秋楽までどうか無事に走り抜け、そしてその先も進んでいく姿を見守らせてください。

本当にありがとう。

この舞台は、わたしの人生におけるその時々の一番輝いていた瞬間を呼び覚まさせてくれるような、句点を一つ置いてくれるような作品でした。

おわり

 

おまけ-ヘタミュに救われ人生が変わったオタクのつぶやき↓

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この記事は2022年06月13日現在、ミューマギを観劇していろんな亡霊感情が爆発してしまい、この時のことを思い出してまとめ直すに至ったものです。

近いうちにミューマギについても書いていきたいなぁ。

プデュに傾倒する無職の日々 ①ヒョク君ときっかけの話

【今までのことと最近のこと】

だいぶご無沙汰してしまった。

最後に記事を書いたのは1年前…?

いつもなぜだか自分に何の変化もなかったかのような感覚になるけれど、ちゃんと思い返せば1年も経てば色々なことがあるものだ。

一年前の記事以降、私は(何かとギリギリなことがありすぎたけど)無事に大学を卒業して上京、

そのまま勤めていた東京のゲストハウスに引き続き身を置き、その後7月から約1年ほどずっと憧れていた会社のカルチャーショップに勤めた。

それに新潟から東京のゲストハウスの寮、寮から友人宅への居候、友人宅からシェアハウス、シェアハウスから現在のルームシェアの家へと、一年で計4回も引っ越しをした。

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そして現在、

昨年末から世界的な猛威を振るったコロナウィルスにより勤めていたショップは緊急事態宣言の経営自粛の影響で運営とスタッフの健康面を考慮して畳むことを余儀なくされ、

平たく言うと私は失業した。

 

そして職を失った今、私は無職生活をだいぶ満喫している。

▲リンクより私の失業の経緯と様子が見れます。

 

 

推しのことといえば、

相変わらず二次ジャンルの同人誌を描いたり、

せぶちちゃんの哲学をしたり、

ヘタミュ俳優に心を掻き毟られる思いになったり、

一年前と変わることなくオタ活を謳歌している。

そしてそれに加え、また私の感情を支配して止まないジャンルに出会ってしまった。

 

そう、PRODUCE101JAPANである。

1st.produce101.jp

8月19日まで無料で全話視聴できるのでもしよかったら私と共に苦しんでください。

もう見れません。頼むまた配信してくれ。(2022年6月現在)

 

これは悪魔のジャンルだ。

私は今、とんでもないジャンルに手をつけてしまったと日々慄くばかりだ。

 

 

 【視聴のきっかけと推し①イ・ミンヒョク

見始めたきっかけはYoutuberのイ・ミンヒョク君が日本版のプデュに出るということでTwitterのトレンドに上がっていたのを発見したところからである。

www.youtube.com

 

ヒョク君といえば、

私がせぶちにハマりたての頃、推しの動画を見ても

あまりに何を言っているのかわからなさすぎて悶え苦しみ、(当時は今と比べて公式から日本語訳がすぐに上がることがなかった)

その末、ひたすら韓国語の勉強をするぐらいしか心が救われなかった頃に韓国語講座やその他諸々の動画を全て見たぐらいにはお世話になっていた。

 

www.youtube.com◀︎パッチムってそもそも何とか韓国語の勉強の仕方など本当に初心者の初心者レベルからでもわかりやすい動画がたくさんあってすごく助かりました。 

 

Twitterで話題に上がっていたその頃といえば、私はPRODUCEX101の1話を見たぐらいでプデュに関しての知識は触り程度のみであった。

なぜ1話しか見なかったかと言うと、最初のクラス分け評価の時点で審査員の厳しすぎる評価に推し全肯定モンペおばさんにはあまりに酷で、耐えきれず切ってしまった次第である。

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トラウマ並のショックを受けた


なので、ヒョク君がプデュに出ると知った時ものすごい不安に駆られた。

あのふわふわで癒しをくれるヒョク君がバシバシに切られてしまうかもしれない可能性があるの怖すぎる…

しかし、見ずしてどう推しと断言できるのか、

私のヒョク君への応援したいと言う気持ちはその程度なのか、

Youtuberというもの自体にさほど興味がなかった私に初めてできた大好きなYoutuberなのである。

動画を見れば見るほど、その人柄や底抜けな優しさにどうしても幸せになって欲しいと願わずにはいられない存在になっていた。

ヒョク君が本当にやりたいことはYoutuberではなくパフォーマンスであるということはあらゆる動画を見ている中で感じ取っていたし、

この心優しい子がもう少しでも生きたいように生きて欲しい、

応援できる場があればたくさん応援させて欲しい、

そう思い続けていたのでこれはファンとしても願っても無い機会だったのである。

 これはオタクとしての覚悟が試されるのだと腹を括った。

 

youtu.be ◀︎3:11のあたりからでも本人からの切な気持ちが伝わってくる。

 

続く

 

せぶちのコンサートで人生が180°変わった話

 

そもそもSEVENTEENの沼に本格的に傾倒するきっかけとなったのは、去年の2017 SEVENTEEN 1ST WORLD TOUR 'DIAMOND EDGE'IN JAPANにうっかり参加してしまい、幸か不幸か人生初めてのアイドルのコンサートというものにも関わらずアリーナ席が当たってしまった事だ。

 

当時、私はジョンハンぐらいしか判別できず、メンバーの名前すら全員言えない状態、曲も有名どころを数曲知っているだけ、ジョンハンだけ生で見れればいいや〜という甘ったれた気持ちで軽率に参加してしまった。

 

 生き地獄の始まりであった。

 

きらきらふわふわな妖精せぶんち〜〜んたちがあっきんだであじゅないすでマンセマンセな舞台でキラキラしてるところが観れる〜〜!!

といざ蓋を開けてみたら、その予想の半分が正解で、残り半分が予想だにしないギャップのオンパレードだった。脳がオーバーヒートした。

 

 生で見るジョンハニの美しさたるやそれは相当なものであったのだけれどそれ以上に、正直全員赤ちゃんだと思っていたヒポチのゴリッッゴリの雄ボイスのラップに演出、そして完全に幼稚園児扱いしてたじゅんちゃんがまいやいの時に急に圧倒的魔王に切り替わるのを目撃してしまった時、

ジョンハンだけ見れればいいや〜精神だったはずが

もう帰る頃にはほぼ 全員推していた。

特に今まで認識できてなかったはずのじゅんちゃんのことに今まで気づけていなかった悔しさも相まってあの魔王じゅんぴの姿が色濃く脳裏に焼き付いてしまい、その後数週間はじゅんぴのことしか考えられなくなっていた。

夢にも出た。


www.youtube.com

↑これが目の前で行われたという世界線、秩序の乱れ。ハオちゃんの目隠しをする仕草、手綱のように従えるような演出、「これありとあらゆるジャンルの同人誌で見たことある!!!!!」という猛烈な既視感に襲われて、現実世界で実現することなんだ…と戦慄した思い出。

 

コンサートが夏休み前にあったというのもハマる原因の一つではあるとは思うのだけれど、大学三年生の夏という時期、本来ならば就職活動のためにインターンなどに参加すべき大切な時期、暴力的に有り余る時間も相まって

推しの動画を狂ったように見て韓国語を勉強する以外に、もはや私の心は救われなくなっていた

それ以外のことをしていると全身をかきむしりたくなるような思いに駆られ、とにかくあの時の私は病的なまでにせぶちという存在に苛まれ日常生活すらままならなくなっていたことだけは覚えている。

斯くして、ここから私の人生が雪崩のように崩れていったのだけれど、それは追々記述していくことにする。

とにかくダイアモンドエッジが大変だったつー話。

 

 

推しを推す人生とその目的と手段について

目が覚めたらもう昼で、ご飯を食べて、シャワーを浴びて、化粧をした後学校に行って、そこからなんとなく推しの動画を見てたらいつの間にかもう外は暗くなっていて、

そこからちょっとポートフォリオを弄って、家に帰ってココアを飲みながら推しのラジオを聞いている。

あまりに日常、私は推しの動画を見たり推しについて語り合ったり推しに対する思いをツイッターに壁打ちしてみたり、推しを推すだけでほぼ1日を終えてる。

「推し」という概念に出会った日から私はこの日常を繰り返している。

 

ラジオを聴きながらふと推しがいない人生を考えていた。

 

普通の、推しがいない人の人生とは一体どういうものなのか。

 

21年間の人生の中で推しという明確な存在がなかった13年の期間、今まで生きてきた人生を二分割しての前半部分、ほとんどその記憶がない。

故に推しがいない人生を想像できない。

 

ポートフォリオを作っていると色々考え事をしてしまう。多分こんな思考になっているのはそのせいだろう。

まかりなりにもデザイン学生である私だけれど、いざポートフォリオを作るというデザイナーらしいことをしてみても、

この先私はこれを本当に心からやりたいと思ってやり続けることができるのか、

という考えにぶち当たってしまう。

好きなことをして生きていけばいいんだよ。

なんていうことはわかっている。

けどきっとそれは自分の人生をかけてまで好きなことを追求しても、その先に何か掴めるものがある人のみに許されることなのだ。

できることなら推しを推すだけの人生を送りたい。

だけどそれはあまりにとりとめもなく、つかみどころもない、本来日常に溶け込ませるようなものなのだ。

その日常に溶け込ませるものを享受し、みんなもう一つのベクトルのものを極めていく。

目的と手段の話。

デザインで生きていくということが目的であれば、推しを推すという行為は本来その目的を持続させていくための手段に過ぎないのだ。

周りにいるデザインをやっている人間を見てみると、〇〇企業のデザイナーになりたいとか、行く行くはアートディレクターになりたいとか、はっきりとした人生目標と目的があってデザインをしている。

私の人生の目的といえば推しを推すこと。

デザインというものでどうにかなりたいとかいう明確な目標がさほどないのだ。

思えばただ絵を描くということが好きで、推しを推す効果的な手段としてデザインというものが最も最適だと思ってこの道を選んだ。

絵を描くのが好きならイラストレーターになればいいじゃん、漫画家になればいいじゃんとは一度考えてみたことがあるものの、私は存外推しを推すという目的のために絵を描くことはできても、絵を描くという行為自体を目的にすることはできないのだ。

持続性と愛が伴わない。

自身の表現にオリジナリティは出せてもそれ自体を自分で愛することができない。

私が愛すことができるのは私という個100パーセントの自身の表現ではなく、自身の表現を手段とした推しを推すという行為だけだったのだ。

 

もし推しを推すことを手段ではなく目的にしてしまえば、それは目標のない目的になってしまいつかみどころもないものになってしまう。

推しに認知されたい、ファン界隈で有名な存在になりたいなどという目標があれば、明確にその行為は目的として成立する。

それらを自身の能力を使って推しを推すという外的な欲とすると、自分の中で完結する欲が内的なものだと捉えている。

とすると私にはそういった外的な欲がそれほどない。

あるとすれば、推しが生きている様をできるだけ多く自分の肉眼で収めたい、記憶したい。日本公演がきたら全通したい、海外公演にも全て参加したい、グッズをなんの気兼ねなく全て手に入れたい、ラジオや放送を余すことなく享受したい。

そういった内的な欲だ。

普通の生活をしている類のオタクにそれを全て叶えることはほぼ不可能であろう。

きっとファン界隈のみんなもそういう欲と折り合いをつけながら生きているのだろう。

それは重々わかっていることだ。

 

ここで推しがいない人の人生について話を戻すと、私はたまにそういう人の人生が羨ましくなる。

常に心の中に推しへの欲の葛藤や好き過ぎてどうにもやりきれない思いみたいなものを抱えずに生きることができる状態が非常に羨ましい。

自分自身の目標と自分の周りにいる人間の人生だけを考えて入ればいいから。

私も生まれながらに推しを推す人生を歩んできた訳ではない。

それなりに健全でわんぱくな子供時代を過ごしてきたはずだ。

いつからこうなってしまったのか。

自分の人生だけをそれなりに考えて生きていたはずなのにいつの間にか推しという他人の人生に重点を置くようになっていた。

きっと私の推しが今活動的な流れの最中にあり、その動向が常に更新され続けているからこそこんな気持ちになっているのかもしれない。

推しの情報というものが途絶えてしまったらもう少し心おだやかに過ごすことができるのだろう。

推しを知りたいもっと情報が欲しいもっと彼らが目指す目標に近づいて欲しい、そういう気持ちともう少し消化する時間が欲しいという気持ちが常にせめぎあっている。

常に消化不良の状態で生きている。結構辛い。

生き急いでいる推しとそして自分。

たまに自分は何に向かって生きているのかわからなくなる。

推しは永遠ではないことはわかっているから、「今」というエモーショナルを追い続けている。

 

もちろん推しがいないという人に会って話す機会もあるのだけれど、そういう人たちが口々に揃えて言う言葉は総じて

『夢中になれるものがあることが羨ましい』

ということだ。

私は今のところ人生の半分を推しを追うことに費やし、それ以前の推しがいなかった時代の記憶がほとんどないためその感情がわからない。

結局双方の無い物ねだりに過ぎない。

 

感情の赴くままに書き連ねてしまったけれど、じゃあ推しに対する思いを捨てて自分のことだけを考えて生きたいとか、こういう人になりたいとか、そういう願望的なのは結局はないのだ。

自分は自分のままで何も変わることはないのだろう。

ただ今まで抱えていた推しを追い続けるという行為の果てのなさや、もしかしたらある日突然その行為が無意味なものに変わってしまうのではないかというちょっとした恐怖感、そういった「今の自分」の感情を文字に書き起こしてみることには意味があると思った。

ただの二次同人描きだったオタクが、これからもおばあちゃんになるまで変わることなくそうだと思っていたオタクが、まさか三次元、それもK-POPというパリピジャンルにハマるなんて2年前まで想像もしていなかった。

人生何が起こるかやはりわからないのだ。

私はその変化の中にある「今」の感情について考え続けて生きたい。

 

 

そして、私の人生の中に推しがラジオで絵本の読み聞かせしてくれる今日という夜がある事実、今同じ時代に生きていることに宇宙規模で感謝し、今日も眠りにつくとする。