サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


スポンサードリンク

お受験と親の見栄|市場理論による洗脳が続くお受験界...なぜ変わらない? #洗脳 #お受験

もう既に前々から話した内容かも知れないけれど、ふとまた最近思うところがあったので、ちょっと話してみようと思います。

 

まず、お受験と一括りに行っている物の定義として、幼稚園受験、小学校受験、そして中学受験についてお受験と言う事にします。

 

なので、高校受験や大学受験は今回のお話の趣旨からは外れることになるので悪しからず。

 

まあ、高校受験や大学受験も親の見栄とは切っても切り離せない所は勿論あるんだけど、高校大学の方がまだ子供の意思が介在する割合が少しあるかなと思うのと、中学以下の受験の圧倒的な親の意向の強さに着目して今回は話して行こうかと思った次第です。

 

さてさて、お受験って言うと一般的には幼稚園、小学校受験がメインだと思うんですが、僕がそこに中学受験を入れた意図をまず話していこうと思います。

 

そもそも、中学受験が熾烈を極めて行ったのが今から約20年から30年前からではないでしょうか?

 

僕が中学受験をした時はクラスの中でも受験する人は少ない方でしたが、今の小学生では6年生で中学受験をする割合は半数を超えて、半分以上の人が塾に通い、受験をしているのが現状です。

 

中学受験が広がった背景に、中学受験塾の発達や中高一貫型私立校の乱立(敢えてね)というのがあると思います。

 

そんな中で実は一番中学受験をヒートアップさせている要因ってのはこういった家庭外の要因、環境ではなく、子供の親達のそれぞれに受験で成功できなかった体験というのが一番の大きな要因なのではないかなと思う訳です。

 

環境要因が揃った中で、マインド的志向が加熱していき、やがて子供が親の自己満足を満たすための道具として使われているみたいなちょっとグロテスクな構図が今の中学受験を通して見えてくるんじゃ無いかと思う訳です。

 

学歴を持たない親が子供にいい学歴を持たせたがる傾向というのは確かにあると思います。

 

身近なところで言うと僕の祖父と両親がそうだったように思います。

 

学歴というと大学受験を想像するでしょう。

 

そう、その子供の最終学歴とも言える大学をそこそこ名のある所に入れるために、中学受験をさせる訳なんです。

 

一部の所は大学までエスカレーターに行けてしまう所もありますし、私立の中高一貫の学校に通う事で、大学受験を有利に進めようみたいな戦略的意図もあるんだと思います。(それが果たして本当に戦略的に有意義なのかどうかは置いておいて)

 

また、一般的なイメージとして「お金をかける=いいことがある」という製品やサービス等に当てはまる事を、教育に当てはめるという拡大解釈をしてしまって、結果お金をかけた私立に通う事が子供によりよい教育の場を与えているという勘違いを生んでいると思われます。

 

無論、子供の環境を整える上でお金がかかる事はあると思いますが、それがイコール公立ではなく私立を選ぶ事という判断は、思考停止で怠惰な判断だと思われます。

 

まとめると、つまりは学歴にこだわりのある親が子供の最終学歴の大学という冠を得る為に、中学受験を子供にさせるという一つの傾向がある訳です。

 

次に、考えなきゃいけないのが、大人になった時の評価の獲得についてです。

 

どういう事かというと、子供の頃、小さい頃、僕らは言葉を話しただけで褒められます、歩いただけで褒められます、何かしら当たり前に出来ることを出来なかった事が出来るようになる毎に褒められてきました。

 

所が、徐々に大きくなり、当たり前に出来ることが多くなると、今度は褒められる割合が極端に少なくなります。

 

人によっては批判されたり、否定されます。

 

小学校の高学年になる辺りからその傾向は強くなるんじゃないでしょうか。

 

生涯を通して親にずっと褒められ続けたという人はとても稀だということです。

 

そうなると、基本的に人間は人から褒められたい欲求、認めてもらいたい欲求、いわゆる承認欲求があります。

 

なので、その承認欲求が大人になればなるほどに満たされづらい状態になって行く訳です。

 

多くの場合で自分が好きで熱中できる仕事に就けている人は少なく、どちらかというと、生活のためのジョブとして仕事に従事していると思います。

 

そんな中でも、人に感謝されたり、誰かに評価されたりしている人はまだ救いがありますが、評価され、それに満足出来ている人というのは2割にも満たないんじゃ無いでしょうか。

 

そうなると、仕事をしていて社会に出ていても、その社会で、会社で、納得の行く評価が得られず、悩んだり苦しんだりする人が居る訳です。

 

また、主婦(主夫)として家庭に入った人の場合、今度は社会的な繋がりや評価から一切遠ざかります。

 

そうなると、パートナーから日常的に感謝の意を伝えられていない場合、慢性的な承認不足の状態に陥る訳です。

 

何が言いたいかというと、現代社会において、子育てをする殆どの両親がこのどちらか、或いは両方に当てはまるんじゃ無いかという訳です。

 

つまり、評価や承認に飢えている状態の親が子育てをしている訳です。

 

自分が今生活している活動、仕事をしている人であれば、その仕事関連、主婦(主夫)であれば家事全般等、何かしらやっている事に対して評価されていない場合、どうにかして自分の評価を得たいと求めるのはごく自然な事です。

 

その結果、子供にいい学歴を付けるという客観的に判断の安易な物に目が行くのにはとても容易な結論だとも言えるでしょう。

 

要は、子育てをしている殆どの親達は、評価、承認に飢えているのです。(子育てに関係なく、大人だけでなく子供もなんですけどね)

 

そんな中で、一方の中学受験というのは実はとても過酷な状況なんです。

 

塾に通わせれば自動的に受験に受かるのか?というと、勿論そんな訳ではなく、その塾に付いていく為に、家での宿題、課題、定期的なテストとテスト直しなど、子供だけでなく、親も一緒に二人三脚で行わなくてはならない訳です。

 

中学受験を成功させるには、親は時に子供の半走者、時にトレーナーであり、マネージャーとして子供の生活の管理が必要になるのです。

 

まあ、一言で言ってとっても大変ですよね。

 

子供によっては、塾に通わせて、時間を与えれば勝手に自学自習してくれる子もいるかも知れません。

 

ですが、そうでない子を塾に通わせ、中学受験を成功させようとする場合、親側の過酷な負担が伴うんです。

 

昔はそこまで親がすることもなく、塾に通わせてみて駄目だったら諦める、自分で勉強が出来そうなら続けさせるみたいな雰囲気もあった気もしますが、どうなんでしょう?

 

そいういう感じで塾に通わせる人と、塾に通わせる=絶対に子供を受験に通させるって人と、今はどちらの方が多いんでしょうかね。

 

そんなめっちゃ大変な中学受験へのカウンターカルチャーとして出てきたのが小学校受験、幼稚園受験な訳です。

 

未就学児、もしくはその前の稚児を受験させようなんて正気の沙汰じゃねぇって感じじゃないですか。

 

だって、まだ個性のコの字なく、人間として出来る事も個々によってものすごく幅のある年齢の子供を選別するなんて、まあ、おかしな話ですよね。

 

なので、小学校受験、幼稚園受験、いわゆるお受験というのは、親が学校側に査定される訳です。

 

しつけと称して、親が学校側の言いなりになれそうかどうか、親の経済的基盤、社会的評価、そういった物を「受験」という形で選別され、学校側は都合の良い金づるを、親は名門校へ行っているという優越を得られる代わりに、子供にとってはそれがいいのか悪いのかはその年に集まった子供たち次第だったり、各子供と先生や学校の雰囲気の相性だったりと、親と学校にはwinwinですが、子供にとってはちょっとよくわからないみたいな状況なのが正直な所ではないかなと。

 

そもそも、幼稚園受験、小学校受験というのは、慶応みたいな所のお金持っているお坊ちゃん達が小さい頃から仲良くして、大人になった時にその交友関係を使って、より優位な状態で人生ゲームを進めさせる為にあったような物だと思うんですよね。

 

それを、庶民というか、その学校に本来、或いは昔だったら入る資格の無い家庭が高望みでそこに入ろうとする流れが出来てしまい、結果、先に上げたような図式が出来上がったんじゃ無いかと思うんです。

 

まあ、要は、言いたいのは、今って本来受験するに至らない家庭が無理して背伸びして関わることで、自分お首を自分で締めているんじゃ無いかって事です。

 

それは幼稚園、小学校、中学校、全部に言えると思うんです。

 

幼稚園、小学校のお受験はある種排他的ではありますが、元々そういう場所に値する家柄とか、経済基盤とか、それまでの交友関係だとか無い人がそこに群がることで、より過酷な状態を作り上げているのだと。

 

中学受験の場合は、塾に通う事で自ら勉強できる子だけが挑戦すればいい所、塾に通わせただけでは自学出来ない子に最後まで受験させようとするからより過酷になってしまっているんじゃないかと。

 

そんな風に思う訳です。

 

親自身が結局は足るを知って無いんです。

 

適材適所という言葉の通り、子供にもそれぞれに合う合わないがあります。

 

そして、その合う合わないというのは、やってみないと、行ってみないと分からない物です。

 

それを無視してお金をかけた方が良い教育、受験に受かることが子供にとって無条件でいいことであるかのような錯覚が現状蔓延っているなぁと感じています。

 

学校全体の雰囲気、生徒同士の相性、先生と子供の相性、これらは実際に通わせてみないと分からないでしょう。

 

また、すべての相性がマッチングするということもあり得ないと思います。

 

なので、受験至上主義の子育て世論が、もう少し冷静に見られ、判断され、もうちょっと適度な感じになって行って欲しいなぁと思うばかりです。

 

ですが、それを許さないのが市場理論ですね。

 

塾は学校は、あの手この手で市民を洗脳する訳です。

 

即ち、CM、広告、テレビ番組、ありとあらゆる所を使ってこの受験至上主義の現状を変えようとはしないでしょう。

 

そのカウンターとして別の市場が出てきて、受験以外の市場が受験市場を上回らない限りは、中々変わらないんだろうなぁと思いつつも、この狂った現状で疲弊してしまう人が少しでも少なくなってくれればなぁと思います。