観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~』(2023)

アマプラでトップページに出ていたので観た。テレビ版は一切見ていない。

東京都直轄の、大型車で救命室を丸ごと移動して救命活動を行う組織TOKYO MER。
チーフドクター・喜多見の熱血過ぎる方針によって、関係各所から批判と波紋を呼びつつ、今日も精力的に活動を続けている。
横浜ランドマークタワーで火災が発生。TOKYO MERにも出動指示が下る。
しかし、そこには厚労省直轄のエリート集団、YOKOHAMA MERのメンバーも駆けつけており、協同活動を申し出る喜多見に対し、YOKOHAMA MERのリーダー鴨居チーフはそれを拒否する。
救命活動の方針にも意見の食い違いがあり、現場へ急行するべきと主張する喜多見に対し、医師が危険を冒してはならないとする鴨居。
そんな中、爆発は連鎖的に上層階へ向かい、最上階の避難者の中に重傷者が出始める。更には喜多見の妻・千晶が身重の体で最上階に取り残されていることが判明。TOKYO MERは東京消防庁のレスキュー隊と共に徒歩で階段を上がり、途中の火災を乗り越えて、最上階にたどり着く。
救護活動を行った後、重傷者をタンカで抱え、避難者と共に階段を降り避難を開始するが、途中で火災・爆発が発生し、喜多見と千晶が取り残される・・・

とにかく映像がすごい。横浜出身なのでランドマークタワーにはなじみがあり、ここはこうなっていたのか的な裏側がいっぱい見られてありがたく、それ以上にCGやセットを駆使した火災現場の迫力が満点。
そしてトレーラー型の救命室がとにかくスケールが大きくて、オープニングでいきなり走行しながらオペをやってしまうシーンから始まるので、グッと心を掴まれてしまった。これはすごそうだ~!
そしてその期待は裏切られることなく、怒涛のストーリー展開が続いて飽きさせず、最後まで疾走感が途切れないのは見ごたえがあった。
ただ、テレビシリーズを観ていないというハンデがいかんともしがたい。もちろん見ていなかった僕が悪いのだが。
映画だけだと喜多見さんがいつも「ですよね!」とニコニコしつつどうにも身勝手な行動で周りに迷惑をかけているように見えてしまう。
時々佐藤栞ちゃんの「亡くなった妹」シーンが入り、おそらくそのエピソードが喜多見さんの行動原理なのだと推測はされるが、短いシーンなので他人事感が否めない。テレビ見ていたら共感度が高いのだろうなぁ。
また、鴨居さんが非協力的過ぎて辛かった。もうちょっと大人の連携してほしかったな~。
ただ、やはり杏さんは美人できりっとしていて、リーダー然としていてとてもよかった。
喜多見さんの再婚相手である千晶こと仲里依紗がまた気が強くて、喜多見さんを尻に敷きまくっているのだが、医師同士の結婚となると「仕事が大変なんだよ」という言い訳も通用しないわけで、仕事に耽溺しがちな喜多見さんとしてはやりづらそうであり、またそれが見どころでもある。ググったらこの二人、離婚して再婚しているのか。味わい深いですなぁ。
クライマックスで千晶が喜多見へ行う提案はエグすぎると思った。魅せるな~。
並列して政治的な駆け引きが盛り込まれているのも興味深い。クールで熱い音羽賀来賢人や、裏でコソコソと糸を引く久我山=鶴見慎吾がいい味を出している。石田ゆり子都知事はちゃんとかわいさも盛り込んでおりよかった。

 

勇気爆発バーンブレイバーン(2024)

2024年冬アニメとして大きな話題を呼んだ。毎回楽しく観ていたがとうとう終わってしまった。終盤以外のネタバレあり。

軍隊で日常的に人型のロボット兵器、ティタノストライドが運用されている時代、ハワイ・オワフ島で軍事演習が行われていたが、その最中に正体不明の侵略者・デスドライヴズが飛来し、周囲を無差別に攻撃し始めた。
人類は必死に応戦するが、バリアに阻まれ攻撃が全く届かず、壊滅状態となる。
陸上自衛隊自衛隊ティタノストライドパイロット、イサミ・アオも必死に戦うが、応戦むなしく危機に陥る。その時、人型の巨大ロボが目の前に現れ、自分に乗れと言う。
イサミが搭乗したロボットはブレイバーンと名乗り、デスドライブを圧倒し撃退することに成功する。
しかし、ブレイバーンは初めて会ったイサミの名前を最初から知っており、イサミに対し気味が悪いほどの愛情を隠そうともしない。そんなブレイバーンへの恐怖心と猜疑心で心を閉ざすイサミだったが、スミスを始めとする同僚たちの説得や感謝により、ブレイバーンと共に戦うことを決意する。
デスドライヴズはオワフ以外にも世界中に侵攻しており、自衛隊アメリカ軍を中心とした軍事作戦が開始され、まず東京を開放すべく戦いを開始する。
その中で、ブレイバーンはデスドライヴズの幹部・クピリダスを倒した他、もう一人の幹部・スペルビアを捕獲する。
スペルビアとの会話により、デスドライヴズたちがそれぞれのもっとも最上とする死を迎えるために戦っていること、そしてルルと呼ばれる少女型の生体ユニットを体内に取り込むことでエネルギーを抽出し活動源としていることが明らかになった。スペルビアは一度ハワイでブレイバーンと戦った際に敗れ、ルルを排出しており、それをアメリカ軍のルイス・スミスが救出し、保護していた。本来ルルには自我はないが、ルイスの助けにより育てられたルルは人間らしい心や言葉を得ていた。
東京解放後の戦いで現れたデスドライヴズ、クーヌス・ヴァニタス・ペシミズム。ブレイバーンはヴァニタスとペシミズムの2体と対峙するが苦戦を余儀なくされる。一方、クーヌスと戦っていたルイス・スミスの命が尽きようとしていた・・・

最初の方では「アルドノア・ゼロ」のような地味なリアルロボット系の話だと思って観ていたのだが、よくしゃべり口も動く巨大ロボが出てきて大いに戸惑った。この口や顔の表情が動く系のロボットはおそらく「勇者シリーズ」と呼ばれていた1990年代初頭から始まった一連のシリーズがモチーフになっていると思うが、その頃はもういい大人だったのでほとんど見ておらず、知っていたらいろいろなお約束が理解できていたろうになぁとちょっと悔やまれる。
ブレイバーンはあまりにも流暢にしゃべり、イサミに対してものすごく強い友情というか愛情というか執着というか、バグった距離感の近さを見せるのが正直キモい。こいつは将来裏切りそうだなぁと思わせる緊張感があってよかった。
また、ブレイバーンが戦う時には「ババーンと推参!バーンブレイバーン」という主題歌が流れるのだが、これは演出上だけではなく実際にブレイバーンの周囲に聞こえている設定であり、コックピットにいるイサミにも聞こえているというのがうんざり感があってよい。
愛の押し売りに多いに辟易するアオ・イサミだが、同僚のアメリカ軍兵士であるルイス・スミスはヒーローに憧れて軍隊に入ったこともあり、イサミの立場をうらやんでいて、ブレイバーンに「自分を乗せてくれ」と懇願するが、「生理的に無理」と断られている。
仮面ライダー555のベルトよろしく、ロボットに搭乗するための何らかの条件があるのではと思わせるくだりである。
戦いを重ねていく中で、ブレイバーンはただキモいだけではなく、信頼や友情、正義について真面目に熱くイサミに問いかけてくれており、それはイサミの成長につながっていく。二人の信頼関係は徐々に、だが確実に強くなっていくのだが、それが当初の「こいつ大丈夫?」という緊張感と相まって先を早く観たくなってしまう。
終盤の怒涛の伏線回収はすさまじいものがあり、あれはこういうことだったか、それはここを指していたのか、という謎がドンドン解き明かされていく。ものすごく気持ちいい~!久々に巨大なカタルシスが得られるアニメを観ることができて感無量である。
本当によくできた話だったし、それ以上に強いパッションが感じられる魂のこもった作品だった。
そして観終わった直後「ババーンと推参!バーンブレイバーン」をポチってしまった。何度も聞いてカラオケで歌うぞ!

 

劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト(2003)

もちろん今まで何度も何度も観ているが、Vシネクスト「仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド」のプロモーションとして、Youtubeで期間限定公開されているのでまた観てしまった。盛大なネタバレあり。

世界は、人類の進化系であるオルフェノクの組織、スマートブレインが支配していた。わずかに生き残った人々は人類解放軍を結成し、この状況を打開しようと、スマートブレインが保有ファイズ以上の力を持つとされる「帝王のベルト」を奪取しようと画策するが、圧倒的劣勢により失敗に終わる。
解放軍の象徴となっている園田真理は、仲間やカイザのベルトを持つ草加雅人からたしなめられながらも、オルフェノクにとらえられたまま行方知れずの救世主:ファイズ=乾巧の帰還を信じていた。
真理は荒んだ人々の心を慰めようと仮面舞踏会を企画するが、その直後、オルフェノク側の量産型ライダー・ライトトルーパーや、2本ある帝王のベルトの1本であるサイガ=レオの猛攻を受け、人類解放軍は草加を始め多くの人間が命を落とす。
自分以外誰もいない仮面舞踏会の会場に立ち尽くす真理の元へ、一人の男性が姿を現し、二人はダンスを踊る。
そこにライオトルーパーの一群が現れる。男性の仮面が取れると、彼は乾巧であった。巧は一時的に記憶を失い、別の記憶を刷り込まれて、町はずれに住むミナと靴職人としてひっそり暮らしていたが、激しい戦いに巻き込まれ記憶を取り戻し、真理からファイズのベルトを受け取った巧はオルフェノクたちを退ける。
解放軍の味方である三人のオルフェノク、木場勇治・長田結花・海堂直也は、人々に根強く残るオルフェノクへの不信感に悩みながら、スマートブレインへ潜入し帝王のベルトの奪取を試みる。しかし結花と海堂は倒され、木場はスマートブレインによる情報操作で人類に絶望する。
サイガによって真理をさらわれた巧は、真理を取り戻すために一人スマートブレインへ乗り込む。そこはオルフェノクの大観衆が迎える闘技場であった・・・

とにもかくにも本作の見どころはたっくんこと乾巧が実はウルフオルフェノクであった、という点であろう。テレビ放映よりも先にこの事実が公開されたため、ファンは大いにどよめき「嘘だろ・・・?」状態になったものである。
当時は劇場版をいち早く観ようという気概はなく、円盤化したら観ようくらいで構えていたのと、特にネットでもこの辺の話題を拾っていなかったので、テレビ放映されるまでこの事実には気がつかず、とある日曜の朝に「え~~~っ!」と大変驚いた。
当時の職場に一人だけライダー好きの先輩がおり、翌月曜にこの話でもちきりになったのを覚えている。
本作はとにかくスケールが大きい。最後の大観衆は1万人のエキストラであり、一般応募に当選した方々が実際にさいたまスーパーアリーナを埋めている。
非常にうらやましく、応募しておけばよかったと悔やまれることしきりである。
このエキストラの方々演じる1万人のオルフェノクに囲まれた、絶体絶命のファイズと真理、というシチュエーションにシビレる。
ライオトルーパーも山ほど出てくる。量産型ライダーとはいえ、これだけ大人数のライダーが出てくることはなかなかなく、しかもほぼ全員バイクに乗って現れるので大迫力である。
また、闘技場に出てくる敵、エラスモテリウムオルフェノクは全長15mの超大型オルフェノク。ほんとに人間態から変化したのかこいつ・・・
解放軍のアジトは小山ゆうえんちで撮影されており、雰囲気がありつつファンタジックにできていてとてもよい。
まだ料理でブレイクする前の速水もこみちが解放軍の一員として登場するのだが、ほかの主要キャストと比べるとひと際すらっとして背が高い。改めてイケメン度の高い俳優だと思う。
サイガは初の外国人仮面ライダーとしてそこそこ話題になっていた。数少ない自力で空を飛ぶライダーでもある(マシンを使ったり、モンスターと合体するタイプは除く)。
木場役の泉政行さんは35歳で早逝されており、その姿を久々に見て切なくなった。ご存命であれば「パラダイス・リゲインド」に出られていただろう。観たかった・・・。
しかし改めて何度見てもファイズはカッコいい。歴代ライダーの中で一番デザインが好きだし、ライダーキック(クリムゾンスマッシュ)も一番素敵。何度見てもいいなぁ。

 

 

 

 

スパルタンX(1984)

当時映画館で観て、テレビ放映されるたびに観ている映画。たまたまBSでやっていたのでまた観てしまった。

スペイン・バルセロナで移動車による軽食屋を営んでいる中国人のトーマス(ジャッキー・チェン)とデヴィッド(ユン・ピョウ)。二人はパン屋の2階に下宿しており、ワゴンを改造した調理場兼屋台の「スパルタン号」で日々商売に精を出している。
心を病み精神病院に入院しているデヴィッドの父をお見舞いに訪れた二人。
デヴィッドの父はそこで知り合った女性・グロリアと恋に落ちており、会いに来た二人にグロリアを紹介する。その傍らにいるグロリアの娘・シルヴィア(ローラ・フォルネル)の美しさに二人は一目ぼれする。
しかし、夜の広場で商売をしていた二人は、娼婦として街角に立つシルヴィアを発見してしまう。シルヴィアは客から財布を摺り、二人の車へ逃げ込んできたのだった。
彼女を下宿に連れてきた二人は、怪しみながらもソファを提供して一晩泊めるが、まとまったお金はすべて盗まれていた。
シルヴィアを探し出した二人はなぜ盗みをするのかと問いただしたところ、彼女はグロリアが数年前から心を病み病院へ入ってしまったことで、生きるために何でもやってきたと話す。彼女の更生を手伝うため、二人は屋台の商売に彼女を雇い入れることにした。
太った中国人モビー(サモ・ハン・キンポー)は探偵見習だが、借金取りに追われ逃げ出した所長に代わり、探偵社を引き継ぐことになった。そこへ訪れた人探しの依頼人に応じ仕事を開始する。モビーが探しているのはグロリアとシルヴィアであった。
実はシルヴィアは伯爵の娘で、伯爵は死ぬ前にグロリアとその子に遺産を残すと遺言したが、2週間以内に弁護士の元へ出頭しなければ権利を失う。それを狙った伯爵の弟である現伯爵がグロリアとシルヴィアを拉致し出頭させないように企んでおり、二人は伯爵の手のものに攫われてしまう。三人はシルヴィアたちを救出するため、伯爵の城へ潜入するのだった。

感受性の黄金期である中学生時代にスクリーンで観た映画なので、観るたびに当時のワクワク感がよみがえってきて感慨深い。客観的にこの映画がよくできているかどうかはどうでもよく、ただただ主観的に最高に楽しくて面白い、人生ベスト3に入る作品。
オープニングで二人のモーニングルーティンから始まるが、そこからもう面白い。ちょいちょい笑い(ドアが二つある二人のそれぞれの部屋は実は間に壁がないとか、ジャッキーが木人を相手に型を1回しか決めないとか)を挟みつつ、準備運動としての二人の組手は素晴らしく、しなやかでありながら力強く、このあとの話への期待を膨らませる。
スパルタン号を屋台車として変形させるためのギミックが無駄に凝っていて楽しい。懐かしのグリーンディスプレイでワイヤーフレームで描かれる変形がかっこいい。むしろ実車の変形がいかにも手動で野暮ったく見え、それもまたよい。
バルセロナの街並みの中で二人のカンフーが冴える。異国の地であっても強くいられるというのが頼もしく、なんか嬉しい。
ジャッキー映画におけるド派手なカーアクションをこの作品で初めて観たかもしれない。高速道路の上空を飛び、大量のオレンジが詰まったトラックの中に飛び込む三菱のワゴン。ふつう無事では済まないわけだが、これをワンシーンで終わらせてさっさと次に行く潔さが素晴らしい。
しかし何と言っても注目すべきは終盤の戦いにおける、ジャッキー・チェンと、敵のギャングの一人ベニー・ユキーデとの格闘であろう。
ベニー・ユキーデはアメリカンキックボクシング(当時はマーシャルアーツと呼んでいた)の実戦経験豊富な格闘家であり、ド素人の中学生が見ても他と全然違うのが一目瞭然なくらい迫力があった。現在に至るまで、素手の格闘シーンでこれ以上のものを観たことがない。実際ジャッキー・チェンも自分の歴代のベストファイトとしてこのシーンをあげているとのこと。
当時のカンフー映画ではサモ・ハン・キンポージャッキー・チェン、ユン・ピョウが有名で人気があったが、「プロジェクトA」で三人が主演級の共演を果たして、ファンは大いに沸き、その面白さに歓喜したのをなんとなく覚えている。本作はプロジェクトA後の三人共演作品で、前作ではクールで冷たい印象の役だったユン・ピョウがお人好しでちょっとだらしなくて、でも強いという役柄を演じたのがとても好印象だった。
(あれ?「五福星」も三人共演だったっけ?と思ってwikiを見たら、「五福星」ではサモ・ハンとジャッキーがメインで出ており、ユン・ピョウは出ていたが端役だった。日本での公開は「プロジェクトA」「五福星」「スパルタンX」の順で、全て1984年に公開された)
映画は字幕で観たが、その後のテレビ放映は吹替版で観た。吹き替え版は2種類あるようだが、ジャッキー・チェン石丸博也、ユン・ピョウ=古谷徹サモ・ハン・キン・ポー=水島裕は共通。ユン・ピョウはあまり日本のテレビでの放映が多くなくそんなに印象は残ってないが、ジャッキーの石丸博也サモ・ハン水島裕は、むしろこっちの声が本物なんじゃないかと思うくらい頭に刷り込まれており、懐かしさしかない。

今回観てみて、シルヴィアの美人さ加減が改めて心に沁み渡った。昔はただ美人だと思っていたが、若い頃にしかないたおやかな美が含まれていることを、おっさんになるとしみじみ感じる。
そして今更だが、グロリアと恋に落ちたデヴィッドの父ちゃんは、そのまま順調に結婚したらグロリアの相続した遺産で悠々自適であり、デヴィッドは屋台で働かなくてもいいんじゃないか、とふと思ったが、まあ、野暮だあね。
あと、当時ファミコンゲーム「スパルタンX」を友達の家でプレイした記憶をうっすらだが思い出した。あれも楽しかったな~。

 

 

少林寺(1982)

気がついたらPrimeVideoにあった、昔ほんとに好きだった映画。さっそく観た。

中国・隋朝末期。東都では帝王を自称するワン将軍が暴政の限りを尽くし、人々が虐げられていた。武術家・張は仲間を救おうと将軍たちに立ち向かうが、多勢に無勢、叩きのめされる。
張は殺される寸前に息子・小虎を逃がす。小虎は満身創痍になりながら少林寺にたどり着き、気を失う。
少林寺では猛威を振るうワン将軍と因縁がありそうな者を受け入れるのに難色を示す高僧もいたが、受け入れられ、名を「覚遠」に変え、タン師匠の下で少林拳を学ぶ。
少林寺付近の山の中で知り合った美しい少女・白無瑕の飼っていた犬を不注意で死なせてしまい、彼女の怒りを買うが、その中で白無瑕がタン師匠の実の娘であることを知り、二人は徐々に惹かれあっていく。
白無瑕が羊を放牧しているところに、ワン将軍の手下が現れ、彼女は拉致される。それを追って現れた覚遠はワン将軍と一騎打ちを演じるが、すんでのところで造園が現れ、白無瑕と逃亡する。その際同様にワン将軍から追われていたリー将軍を助ける。
リー将軍を助けたことで、ワン将軍たちと少林寺の武僧たちの戦いが始まった・・・

冒頭の、日本の少林寺拳法やその創始者宗道臣との交流のあたり、まったく見覚えがない。これを見たのは中学生くらいの頃でテレビ放映されていたものだったので、ひょっとしたら当時はカットされていたのかな?
そして今なら絶対に映像化しないであろう、知り合ったばかりの女の子の飼い犬を、不注意で死なせてしまったとはいえ「もったいない」と丸焼きにして、女の子の父親である師匠やその教え子たちとみんなでワイワイニコニコしながら食べるシーンが、なかなか壮絶。物騒な仏僧たちである。
この「少林寺」という作品で一番の見どころは、主人公以外にも多くの僧が様々な中国武術、当時で言うカンフーの達人である点にあったが、演者自体がみなそれぞれ実際にその武術の熟達者で、完全スタントなしというところも売り物で、当時も話題になっていた。いわゆる拳を武器にして戦う少林拳以外に、刀術や槍術、棒術、縄鏢術などの美しい武技の数々は、今見てもウットリしてしまう。ほんとかっこいいなぁ~!
主演のリー・リンチェイ英語圏へは「ジェット」で売り出しており、それが「ジェット・リー」という後年の名前になっている)も中国武術大会で連続優勝していたことが売りで、その達人の技をいかんなく発揮している。
ただ、本作でもう一つ興味深いのは、本来であれば争いごとや殺生に一番遠いはずの仏の僧が日々武術の鍛錬を行い、殺人技を高めているというその点にある。僧として厳しい修行を行うことと、武術家として鍛錬を行うこと、一見すると遠いところにありそうな両者が一体化しているのが妙にマッチして説得力があるのだが、よく考えるととんでもない話である。その禁断の修行と鍛錬の昇華として少林寺が存在するというのがワクワクの源泉なのかもしれない。
いろいろな武術が出てくる中で、酔拳だけ異彩を放っている。作中では酔拳使いの僧・色空以外にワン将軍も使ってるし、それと戦う覚遠も酔拳で対抗している。そんなに強いのこれ? 初出はジャッキー・チェンの「酔拳」の方が先だが、酔拳自体は中国では以前から存在した拳法で、様々な伝説があるとのことなので、その少林拳バージョンということなのだろう。

それにしても主演のリー・リンチェイの笑顔がキラキラまぶしいこと。やはりスターは笑顔が違うわ。

 

用心棒(1961)

元旦のBS映画でやっていたのを撮り貯めしていた。ネタバレ注意。

刀を携えた一人の浪人が、宿場町・馬目宿へやってきた。この町では二つのヤクザの勢力がしのぎを削っていることを飲み屋の権爺に聞いた浪人は、酒代の代わりにこの町を平和にすると嘯く。
丑寅の子分を挑発して、瞬く間に3人を切り捨てた浪人は、請われるまま対抗勢力の清兵衛一家へ足を向ける。そこで名を尋ねられた浪人は、窓の外の桑畑を眺めながら「桑畑三十郎、いやもうすぐ四十郎だがな」と堂々と偽名を名乗る。
丑寅との決着をつけるために三十郎を雇い入れた丑寅だったが、払う報酬惜しさにあとで殺す算段をしていたことが三十郎にばれる。三十郎は決戦の場において報酬を地面にたたきつけ、自分は降りると宣言して火の見やぐらにあがり、両者の戦いを見物するのだった。
そこへ見回りの役人がやってくることがわかり、一時休戦となる。
丑寅は役人を追い払うため隣町で殺人事件を起こし、さらには清兵衛たちとの手打ちをすすめる。思惑が外れた三十郎は、殺人事件の下手人を探して清兵衛に売りつける。
お互いに人質を取ったり取られたりした挙句、清兵衛がとった人質おぬいとその家族を不憫に思った三十郎は、おぬいを警護していた清兵衛の手下をあっという間に切り伏せ、お縫いとその家族に金を握らせ逃がす。
それが丑寅一家にばれ、三十郎は捕らえられひどい拷問を受けボロボロになる。逃げ延びて権爺に助けられた清兵衛は、町はずれの墓地にあるお堂で体力を回復させる。
清兵衛一家が三十郎を匿っていると誤認した丑寅一家は清兵衛一家を焼き討ちにして皆殺しにする。
体力の回復した三十郎は事の次第を知り、丑寅一家との戦いに赴くのだった・・・

桑畑三十郎を演じる主演の三船敏郎がとにかくかっこよくて、男の色気を感じる。この時三船敏郎は41歳だが、同じ年の頃、僕自身ががどれだけみすぼらしかったかを考えると驚異的である。これだけの魅力あふれるキャラクターが成立しているのは、三船敏郎自身のポテンシャルに加え、黒澤明の演出によるものであろう。登場人物たちが荒々しくぶっきらぼうでありながら、舞台っぽい演出で楽しく面白く観ていられる。
また、テレビ時代劇にありがちな、チャンバラの音が特に入っていないのは逆に好感が持てた。あれがあると様式美・お約束過ぎて萎える。
やはり今の時代と比べると登場人物が圧倒的におっさんだらけなのだが、この時代の主役はおっさんだったのだなぁと改めて思う。今は若者文化がメインであるように感じるが、それもまたおっさんの僻みであろう。
初めて観た黒澤映画だったが、面白かった。機会があれば別の作品も観てみたい。

 

三体III 死神永生 下(2010 劉慈欣)

三体III 死神永生 上(2010 劉慈欣) - 観たり読んだり備忘録
 を先に読んでこちらへ来てください。ネタバレ最注意!

 

地球側ではその解読に成功し、地球が生存するには3つの方法があることを知る。
「掩体計画」は、木星などの陰に宇宙ステーションを建造することで、太陽が破壊された際の衝撃を受けずに生き延びる。
「暗黒領域計画」は光の速度を低速にすることで人為的にブラックホールを作り、太陽系が安全であることを宇宙に知らしめる。
「曲率推進」は空間を折りたたみ光と同じ速さで進む宇宙船を建造し、外宇宙へ逃げる。
このうち、「曲率推進」は使用すると宇宙に明確な跡を残してしまい、暗黒森林攻撃を受けてしまうことから中止となる。
技術的に可能な「掩体計画」が実施されるが、その後実行された太陽系への暗黒森林攻撃は太陽(恒星)への攻撃ではなく、太陽系全体の二次元化であり、三次元から二次元へ強制移行させられることは生命の停止を意味する。
程心たちは地球の文化的遺産をできるだけ後世に残すため、冥王星の保管所へ行き、そこで200歳になった羅輯と会う。
そこでは1億年の歳月を経ても人類の文化を残すため、石に文字が彫られ保管されていた。
そのまま滅びに身を任せようとしていた程心と艾AAだったが、乗っていた宇宙船「星環」に曲率ドライブが搭載されていることを知り、雲天明にプレゼントされたあの星へ向かうと、そこには<万有引力>の乗組員だった関一帆がいた。

関一帆によると、すでにその世界では宇宙船<万有引力><藍色空間>の子孫たちがかろうじて住める惑星を見つけて開拓し、居住しているとのことであった。
関一帆は調査のためにこの惑星に来ていたが、関一帆がもともと居住していた世界へ向かう調査のため、艾AAをその惑星に残し、関一帆と程心が少しだけのつもりで宇宙船で飛び立ったが、艾AAが雲天明と邂逅したという知らせを受け、戻ろうとする。しかしそこでデスラインと呼ばれる低速ブラックホールに巻き込まれ、外の世界では1千万年以上が経過した。
もとの惑星に戻った程心と関一帆は、石に刻まれた艾AAの「幸せに生きた」というメッセージを発見する。そこには光るドアが遺されており、その中には一定の広さの敷地ではあるが、橋と箸がつながっていて無限に進むことができる小宇宙が内含されていた。二人はその中で農業をしてつましく生きていこうとするが、10年後、外宇宙からのメッセージが入るのだった・・・

三体及び三体IIがストーリーをメインに読ませる話だとすると、三体IIIはSFを読ませる話であり、読者がついてこれないかも、と作者本人が語っており、確かにそうだと納得する。話が非常にマニアックで、過去の名作SFへのオマージュがいっぱい詰まっていて、それでいてオリジナリティあふれるアイデアと展開がてんこ盛りになっている。もともとSFを読んでいるSF脳の人は抵抗なく受け入れられると思うが、そうでないと辛いところがかなり多い。暗黒森林攻撃をしてくる高位生命体の描写がちょっとだけ出てきたり、過去の歴史的な話をエピソードとしてはさんだりするのは、レンズマンシリーズっぽいなぁと思った。光速で移動すると主観時間と比較して客観時間があっという間に過ぎる、いわゆるウラシマ効果は多くのSFでテーマとして取り上げられており、卑近な例で言うと「トップをねらえ」だろうか(ジョー・ホールドマンの「終わりなき戦い」でもよし)。

それにしても最後の方は三体世界が出てこないな~。目の前で脱水してペラペラになるところを見られると期待していたのだが、その機会には恵まれなかった。
曲率推進ドライブは、ワープとはまた違う(あくまでも船の速度を光速に近づけるための技術)が、「空間を曲げる」あたりで宇宙戦艦ヤマトを思いウキウキしてしまった。
宇宙都市はもちろんガンダムスペースコロニーで、風化したならず者が多く生活する廃棄されたコロニーがテキサスっぽい。だが、それよりは50年近く前に子供雑誌に掲載されていた「これが未来の宇宙ステーション」に出てきたような形の方が本作ではよく取り上げられていたようだ。
また、やっぱり程心と雲天明が結ばれないのはどうかと思った。ハリー・ポッターハーマイオニーが結ばれない的な? でもそのくらいのカタルシスを読者にくれてもよかったのになぁ。
そして高次生命体との邂逅や、自分がそこまで上り詰める的な、ペリー・ローダンっぽい展開もなかった。まあそれをやると三文ヒーローものになってしまうのでやらなくてよし。
石に文字を刻んで、1800万年後に艾AAのメッセージが読めたのは胸が熱すぎる。泣けた。艾AAは現代っ子風でサバサバ割り切った行動が目に付くのだが、実は熱い女性である描写が随所に見られ、いい奴だったんだなぁと改めて好感が持てる。
最後の最後どうなったのかが判然としないまま物語が終了したが、これはこれである意味ゴールであり、ここまでのストーリーを追ってきた読者であれば各自想像できるだろうという任された感があってよい。任された!
しかしすごい話だった。IIまでは中華文化っぽい話だなぁと思っていたが、IIIで突き抜けた感がある。読んでよかった。

気になる艾AAと雲天明の話は二次創作の「三体X」で読めるらしい。公式に認められてハヤカワで出版されているので、いずれ読みたい。