gigi’s diary

白い壁を眺めるのが疲れたら書くブログ

少し羨ましい、清水ふみカス

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ふみカスは、私がBBAなりに好きな若手の俳優さんでありました。

この人の事をもっと見たいな、なんて久しぶりに思えた人でもありますが上記を理由に引退をされるので少し残念です。

 

なぜ「少し羨ましい」かっていうと、このツイートみたからです。

 

この考え方は「今まで守ってくれた人がずっといた人の考え方」だなと思ったのです。それは幸せで安全で、それでいて本人も相手も思いやっている素晴らしい環境なわけです。

世の中、守ってくれる人はなかなかいないもんだよ。

自分で自分を守っていかなきゃならない。これが結構疲れる。

そんな中、自分以外で頼れる人なり道なり見つけたことが羨ましい。

 

 

アケオメ

つーても、大寒を過ぎ二月は目の前。

旧正月、もくぜんっ!

 

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仕事やら家族のことやらで忙しかったです。

 

それでも今年はやることが沢山あります。

ほぼ金で解決できるので楽勝ではあります。

海外にいくだけですからね。

イギリスでは五月のコミコンに行きたいと思ってます。他の国もまあまあ、行く。とりあえず、調べることが多く、欲張りな私は頭を抱えます。

 

 

 

 

こうやってババアになる

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私は朝イチにアイポンに入れてる曲をシャッフルして一発目にきた曲に一日のおもき置いてるんです。それが石野冒険家の「ステレオナイト」で勤務地の駅、半蔵門で流れた際に今日が終わったのですが、みんな、聞いてくれ、その後飲酒しててさ、好みの店員がいたんです、毛量の少し少ない卓球に似てる。すごいかっこいい、ビストロにいた。そしたらさ、結婚してますだって。ファッ…。いい男はみんな既婚者よ。私は見る目があるなマジで。幸せていてくれ!と余計なお世話を言って終わった。でもね、彼のこと幸せに死ねよって思ったけどイイコト聞いたんだ。

私はさ酔っ払うとつい本音ばかり打ち明けちゃうんですって。そしたら彼は「俺は本音言ってやったぞって思いますよ」とか言うわけ。もうそこでさらに好きになるよね。さらに、客に出したワイン飲んでるところでも好きになるよね。あー奥さん羨ましい。いいなぁ奥さん。名前も知らない店員さんの幸せを願います。そして帰宅し、海外の強いミント臭漂う歯磨き粉で正気に戻る。あー、わたしゃ見る目あんな。

映画の感想

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なんで撮ったのかさっぱり忘れた

 

人生はビギナーズ/セレステ&ジェシー/恋愛だけじゃだめかしら? 

ここ最近恋愛に行き詰まっているのでラブコメ中心に見てる。理由は必ず主人公がハッピーエンドだから。弱ってるなぁと思いながらも、すがりたい時もある。人生はビギナーズは良かったです。ユアンマクレガーの子供の頃役の子役がまあうまい事。あとユアンマクレガーがトイレに薬捨ててるのは、トレスポと逆のことしてて笑える。あと犬もいい。犬のセリフで「僕は150個の話がわかるけど、喋れないんだ」というのがあってジワーッときた。私はこの映画のテーマを「いつからでもはじめれる」って読みました。タイトルそのまんまだけど、はじめる前の見えない不安をずっと見せてる感じが気に入りした。大切な人が死んでしまうと分かって、もしその時がきたら受け入れられるか不安になる。その不安は実際に大切な人が死んでも何も変わらず続いてる感じ。ドラマティックにできる要素はたくさんあるのに、そうは話は流れない。映画を見た後に、さて自分はどうかなと思わせてくれる素敵な映画でした。

あとどうしても言いたい事があるんですが、スティーブンキングのキャリーというホラー映画で主人公がシャワールームで初潮を迎えるんですけど、水に浸かってたりシャワー浴びてる時って基本出なくない?って思ったわけです。とても神秘的なのでしょうね。でもそれが神秘だったら、差別なわけで男性だったら精通したら神秘になるわけ?じゃあその前はなんなわけ?って神秘じゃないわけ?って誰かに喧嘩を売りたい気分です。

96年頃と今

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ファーゴ(1996年)より

 

時代が回ってる。「ヤァ~↑」「ヤァ~↓」

あと、キャリー(1976年)もみました。キャリーかわいいけど、可哀想な子。好きな世界観でしたけど、私の中でシリアスホラーが好きな映画にならないのは娯楽として見れず主人公がいつも可哀想な生い立ちだし、死ぬ人らもマァ可哀想だからです。

人生

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ツンデレ

 

こないだの金曜日、某駅の地下道でフレッシュジュース(いちごとバナナ)を飲みながら癒されつつボーッと歩いていたわけです。なんらかの宗教やスピッてるときや医療的施術などにおいては、本当にリラックスしていた状態だったと思います。そんな中、左下からアンケート用紙を持った若い男がスコッと現れて私は思わず「わ!びっくりしたー!」と声に出してしまいました。人間としての危機感が薄れた状態を見られていたということに、ハッとなってイカンイカンなんて思っていると「ちょっとあの、すいません」とアンケート以前にマニュアルであるのだろうか、立ち止まらせようとしてくる。そこで昔の私なら、立ち止まって何の用件かを聞いてから「ごめんなさい、急いでいるので」とお断りをしていたが、今回は違う心境が芽生えた。なぜ立ち止まらないといけないのだと思ったわけです。心遣いの話ですよ。ですが私の人生において、いきなり近づいて運命を変えようとする越権ではないかと。きっと人の人生はこのように転がっているのだろうと思い、歩きつつ「ごめんなさい」と言ったのです。私にしては、ちょっと失礼かなとも思えるハードルの高い断り方だったのです。ですが、相手は怯まず「おねえさん、ちょっとだけ」と左下から来るわけです。ああ、仕事ですよね。分かってますよ。と思いつつ、断りなれてない私から出た次の言葉は「やめてください」だったのだ。マジトーンだったし、自分でもびっくりした。やめてくださいって言葉は、いわゆるNoである。Noはイイエであり、拒否拒絶なのである。すると男の人はスーッと身を引いた。そのまま歩きつつ、少し嫌な言い方をしてしまったなと後悔した。「お引取りください」のほうがスマートだったなとか。「やめてください」って痴漢にあったのかよだし。心無かったなと思ったけど、本心だった。心無い自分の行動に驚き、ショックを受けた。仕事と割り切っててほしいな彼には。考えすぎなのかしらね、でももういい大人(30過ぎ)なので、心無い一面も自分なのだと認める方向で生きてくことにする。生きていくのは辛いね。