オーダーシャツ

注文てしまいました。

セミナー講師としてのプレゼンスを高める、

なんて理由付けてね。

シャツが足りないわけじゃないから、

買う理由をひねり出しました。

選ぶのは楽しい!

感想はその一言。

マナー研修だったら、

オーソドックスなスタイル、

個人のキャラクターを出すなら、

少し大胆に。

なんて考えてると、

そのまんまファッション雑誌の

見出しじゃないですか。

へえ〜、服を買うのって楽しいんだ。

ちょっと驚きでした。

それなりに選んでいたつもりでしたが、

オーダーは違いますね。

何しろ丁寧に話を聞いてくれるんですよ。

こういう時に着たいんだと話しているうちに、

オシャレに着こなしている姿や、

着心地の良さを想像しちゃうんだな。

大切に扱われた記憶が

きっと着る時に思い起こされて、

このシャツを着ると元気になるんだろうね。

麻のジャケットが似合いそうですか。

テーマ別に二つブログを作ったので逆にこっちはなにもテーマも責任もなく、ツイッターにつぶやくのと同じ乗りで書くけるようになりました。

純然たる日記ですね。雑記帳と読んでもいいな。
まあ、なんでもありにしますけど、主にラッキーなことを書くことにしますよ。
いいことが無ければ書かないし、あっても忙しけりゃ書かない、
というくらいに、楽にやってまいります。

今日いいことがあったのは、自分の今までアピールしていなかったキャラを、発見&評価してもらえたこと。エグゼクティブ向けに、先祖の功績や学歴なども含めて、アピールしてもいいんじゃないかと。

自分に許可してなかったんですよね。家や学校は、自分の実力で作った実績じゃないからと。

でもよく人に言われる印象を振り返って見ると、子供の頃に形成した自分が、やはりいまだに自分の核になっているようなんです。三つ子の魂百までとはよく言いますが。

自分の考え方や行動様式が、家庭や学校で身に付いていて、その行動規範が人のに立つなら、ちゃんと伝える努力をすべきなんじゃないかと、そう思った訳なんです。

ありがとうございます、sashaさん。おすすめしてくださった、麻のジャケット、買う方向で検討します。(笑)

すすめ上手

NLP勉強会に参加したときのこと。
時間に余裕があって、早めに会場近くのカフェに行っていました。
本でも読んで待っていようと思ったのです。
そるとそこに、コーチ仲間のIちゃんが入ってきました。
彼女は研修講師のほか、カラーセラピーもこなす、笑顔の絶えない人です。

話題は、私が受けたことがあるセミナーのことになりました。
私は自分が受けてみて良かったこと、その成果を、自分の体験として話しました。
彼女がそのセミナーを受けたからと言って、私には一銭も入りませんが、
私にとっては良いセミナーだったからです。

すると彼女は、はじめは「やらないてもいいかな」と言っていたのに
「本当は受けたいとは思っていたんです」と言い始め、
とても嬉しそうになってしまいました。
元々笑顔なんですが、体全体に弾みが出てきました。

そして彼女が私に言ってくれた言葉は
「ラッキーさん、すすめ上手ですねえ」

私は、コミュニケーションが不得意だと思って、
NLPコーチングを学び始めた人です。
学びはじめの頃は、営業活動への苦手意識が強く、
その改善が、差し迫った必要としてありました。

その私に、すすめ上手という称号をくださったのです。
こんな風に、相手に喜んでくださるおすすめが、本当にやりたいことだなと思いました。

その後の勉強会では、自己認識について取り扱いました。
自分をどんな人として見るかによって、自己認識は変わり、行動は変わっていきます。
Iちゃんのしてくれた私へのラベル付けは、
その日の学習内容と、ぴったりシンクロしていました。

今朝、お礼のメールを出しました。
個人的な部分をのぞいて、全文を掲載します。


***** ここから *****

「すすめ上手」というラベル付け、ありがとうございました。
そうか、そういう自己認識があったのか。
いただきます。おいしいです。

営業が苦手なんて言っていた私は、実はすすめ上手だった。
犯人はおまえだ!みたいな展開ですが、オレやっちゃってたんですねえ、ふむふむ。

コーチングやNLP自体が、なりたい自分になるための”おすすめ”なのでしょうね。

以前私は研究所でシェアするときに「そそのかし」という言い方をして、
他の言い方はありませんか、といわれたことがあります。
そそのかすというと、その人の行きたいと思っていないところに
引っ張っていく印象があるからでしょう。

私は「そそのかし」は、ちょっといたずらな感じで好きです。
本当は行きたいのに行っちゃいけないと規制していた楽しいところに、連れて行ってしまう、というニュアンスがあって。

その人の行きたいところ、やはりそれが決め手ですね。
営業という言葉で想起してしまうのが、売り手の都合、売り手のマップ。
だから私は勝手に、「営業」にネガティブイメージを持ち続け
苦手意識を持ってしまっていたのです。

結論は出ました。
「営業」という言葉を、売り手の都合という意味で使うなら、
そんなことしなくていい。
「営業」という言葉が、相手のなりたい姿を実現するすすめ上手という意味なら、
もうできている。

*****ここまで****

あなたもすすめ上手になってください。
売り手の都合ではなく、買い手の本当になりたい姿を実現する人と自分を位置づければ、
あなたは人に喜ばれる存在となっていきます。

やる気と評価基準

MIXIのゲームにはまっている。牧場でお世話をすると、「お金」が増えて、順位が上がるというもの。植物や動物を相手にしながら、実はビジネス1.0。はまる理由は、評価基準が単純であること。頑張った結果が見えるから。フィードバックが得られるからだ。

現実の社会では、お金だけを評価基準にしてしまうと、悲惨だ。人間の多面的な評価が失われる。仕事の成果は利益、要するにお金なのだが、お金に至るまでの要素が多いため、複雑系になっている。評価基準を、もっと単純化すると、フィードバックがわかりやすくなって、進歩成長を感じやすくなる。

人のモチベーションを挙げるには、本当にしたいことと、仕事の内容やミッションとが一致していることが望ましい。私の仕事は、コーチングやカウンセリング、グループへのファシリテーションなどを用いた関わりの中から、本当の目的を引き出して仕事につなげること。

そうした「人」への関わりが、その人のないたい未来をはっきりさせ、実現させて、結果的に会社の成果も上がると考えている。だが、さらに必要なものがあって、それが、評価制度だ。本人がやりがいを持っていても、会社の評価が制度的に保証されなければ、やる気はやがてしぼんでしまうだろう。

シェアか、利益率か。この違いだけで、行動面では拡大か縮小かの違いが出るかもしれない。なにを評価するか、それは構成員に示すあり方の表現なのだ。ホームページにはミッションが良く書かれるようになったが、それと評価制度が一致していることが重要だ。

「お金」「利益」という、企業にとっての評価基準の手前に、進歩成長や、あり方が反映されるような、単純な評価基準があるといい。比較しやすい単純な評価基準を持っている会社は多いが、ノルマ達成や管理に用いられて、やりがいにつながるフィードバックという視点では用いられていないように思う。

もともと、測定するのは、成果につながる行動ができているかというフィードバックのため。だからそれを使って「人」ではなく、「業務フロー」を管理し、人には、自分をなりたい姿に変えていくための素材として利用してもらう方がいいのである。子供の成績表が本人が利用するためにあるのと同じである。


  *ツイッターにつぶやいているうちに長くなったので、こちらに転載しました。

気づきのライブ中継

気づきの瞬間は、いつでも訪れる。さきほど知人にメールの返信をしているときも、そうだった。NLPを共に学ぶ方から、その後の気づきを教えてくださいというメールをいただいた。しばらく放っておいたのに、今日はなぜか目について、返信しなくてはと思った。
書くことがないなあと思っているうちに、思い出すことがあり、今自分に起きている制限を、はずすことができた。書き終えてみて、こんな風に自分に気づきが訪れるんだなあ、と改めて思った次第。

以下、その方に送ったメールをそのまま載せる。

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Y様

メールを頂いてから少し日が経ってしまいました。
同じくNLPを通して学びを深めていく仲間ですので、
指導と言うよりも、共に学んでいけたら嬉しく思います。

これからの学び気づきですね。
実はYさんとセッションを組んだことは覚えているのですが、
自分が何を問題として投入したか覚えていません。
思い出せるのは、Yさんの誠実な人柄、という印象しかないのです、
申し訳ありません。

と、ここまで書いてファイルを取り出しました。
ああ、あった。
サイコロ。葛藤の統合で出てきたシンボルです。

ブログが書けない、セミナーのプログラムが提出できない、という問題。
サイコロというシンボルが示した、
「とりあえず投げてみる、あとは出た目で勝負」という感覚。
これで楽になっています。

あらかじめ約束して、その通りに結果を出そうとして、
そうはならない可能性をネガティブに捉えて、
踏み出せなかったのですが、
サイコロの目はどう出るかは予測できないのだから、
予定通りに出そうとすること自体が間違っている、と思うことで、
ストッパーをはずすことができました。

行動としては、
ブログの再開
写真教室のホームページを作った、
ツイッターでのつぶやきの開始
セミナープログラムの基盤となる概念図(マインドマップ)の完成、
以上4つを手に入れました。

上記3つは発信、4つ目は発信の基盤整備。
ということで、今年のテーマであるアウトプットが、
一歩進みました。

今日はツイッターに一言書くのに、
なにかもっともらしいことを書こうとしている自分がいて、
また窮屈になりかけていたので、
Yさんへの返信を書くことで、サイコロのことを思い出せて、良かったです。


ここまで書いておいて今更ですが、
これってYさんとのセッションの時でしたか?
まあいいか。
自分的に意味あったし。

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以上、私が一人で気づいたときのライブ中継でした。

逆風を求めて

風車は風に向かう。向かい風を求める。もし風がなかったら、子供は自分が走って、風車を回すだろう。





風力発電は、風の力をエネルギーに変える。風は圧力である。その圧力を正面から受けるから、エネルギーが生じる。風を横から受けていたら、風の力をエネルギーに転化することはできない。風を避けてしまったら、風力発電機は、ただの鉄くずである。風に向かって正面を向け続けることが、大きな貢献となるのだ。





どんな駆体が、支柱への負担を減らし、風の力を無駄なくエネルギーに変えられるか、そこは考える必要がある。台風のような強風の時には発電を停止する製品が多かった。遠心力で回転軸が揺さぶられて破損に至る。回転が速すぎて加熱して発電機がもたない。こうした問題を解決したのは日本のメーカー、ゼファー(製品名エアドルフィン)だった。微風でも風速50mでも発電できるという。大きな改善点は、失速状態をつくって回転数を落とすことだった。失速すれば即応性と発電効率が落ちるが、暴風時に限って、敢えて失速するように設計している。





風力発電は、周囲の抵抗にもめげず、逆風の中頑張っているビジネスマンにも似ていないだろうか。強風にあおられて今にも飛びそうな心を持っているなら、一つ覚えておいて欲しい。風を正面から受け止めることこそ、もっともチーム全体のエネルギー効率が良く、生産的なやり方だということを。風は避けるものじゃない。求めるものだ。ぶれない強い軸を持ち、壊れそうなときには上手に失速し、故障知らずで回り続けようじゃないか。

Twitterを始めた

いままでろくにブログを書かなかったのだから、ツイッターになって何が変わることがあるかと思っていたが、気持ちの変化が起きている。140文字という制限のため、何か内容のあるものを書かなければという気負いを持たなくてすむ。

他人のつぶやきは、内容のあるものの方が確かにおもしろい。だが多くのつぶやきはむしろ、読み物として提供されているのではなく、いまこんなことしてる、というだけ。表しているのは内容ではなく、気配なのだ。人の気配。ネット上でなかなか感じることのできない、ライブ感である。

人間いつも人の役に立つような発信を続けているわけではない。人の役に立たない時間だってたくさんあるのが当たり前だ。そんな姿を、そのままそこに出している。読ませようとか、伝えようとか、押しつけがましい努力はそこにない。だからやりやすい。広い部屋の向こう側で「何かやってるな」、くらいの存在感だ。

無理に近づこうとせず、放っておいてくれながら、気づいてくれている。その緩い認知感覚が、リアルの感覚に近い。実際は文字で読んでいるだけだが、モニターの向こうには確かに今、「あの人」が、なにやらもぞもぞと動いている。

今までブログを掛けなかったのは、誰に書いているかわからなかったからだ。それがツイッターだと、この先には知人の誰それが、リアルタイムに居ることがわかる。そのことで、ネットが空虚なバーチャル空間ではなく、実際の空間のように感じられたのである。

知り合いに囲まれた大部屋で仕事をしている。だが部屋はやたらとガラス張りでドアも広く、誰でも勝手に入ってきて、話を聞いたり答えたりできる。そういう公共の場所。オープンスペース。近い場所としたら、図書館だろうか、ホテルのロビーだろうか。仲間内で会話ををしていながら、近くを通った人も話に加わってこられるよう、わざと音を漏らしている。そんな絵柄だ。

こういうイメージを持つことが、私にとっては重要だ。もしネットに文章を公開することを、公共の場所で会話をしているつもりでやれば、ルールもマナーもわかっているから、ずいぶんとやりやすくなる。

やはり、理屈で考えて頑張るより、感覚的に理解した方が早い。ツイッターなら、しっかりした文章を書こうなんて野望を脇に置いて、ネットの向こうに人の気配を感じながら、書くことができそうだ。