生まれて来なければよかった
と、不穏なタイトルで始まる。
少し日があいたのは純粋に忙しかったからだ。
忙しかった理由については、後日気が向いたら書く。
さて。
今、私は「生まれてこなければよかった」という負の思考に脳みそのメモリを食われて死にたくなっている。
実際に、私が本当に生まれてくるべきではなかったのか、今の私には判断しようがない。
第三者に判断を任せるべきでもない。
私の人生の価値は話の本質ではない。
ただただ、『いま』、どうしようもなく「生まれてこなければよかった」という思いに支配されて苦しいのだ。
対処方① ひたすら気分の波が過ぎ去るのを横になって堪える。
対処方② 私を生んだ親に恨み節をつらつら述べる。
対処法③ 自己判断でお薬を増やす。
①で問題なければいいんだけど、ここはマンションの高層階だし、うっかり飛び降りても仕方がない。
②の策を取りたいが、私の苦しみの本質を理解してもらえるか不明である。
他人を話に巻き込むと誤解を生む。
というわけで、私にできることは③しかないのだ。
こうして精神病患者はODへの道を転がり落ちていくのだろうか。
だってだって、効かないんだもん。
生まれてこなければよかった。
リラックス上手になりたい
soukyokuvariety.hatenablog.com
ほうふつさんのテキストを読んでいると、頭の中に某探偵番組のテーマソングが流れ出して、読み終わったときには「チャ・チャン!」という例のSEが鳴り響くという。
あると思います。
私はいま、ゲロゲロの夕刻に辟易して「デパス!」という魔法の呪文とともにお薬を口にしたところだ。
対応策があるとはいえ、なぜ夕方にばかりしんどくなるのか謎である。
躁鬱ヒャッハー時代はむしろ、夜に近づくにつれて元気になったというのに。
この、夕方の不安定さは治療を始めてから起こった特異的な現象だ。
夕方になると憂鬱な気分になるのはうつ病の症状? | うつトモ
なぜ鬱状態の時は夕方になると気分が楽になるのですか?? - こんにちは、人に... - Yahoo!知恵袋
あんまり自己判断するのは良くないと考えているので、こういうネット記事には目を向けないようにはしてるんだけど。
でも、アダルトチルドレンっぽいなーと自覚してからは、精神的にかなり楽になってる部分もある。
仮説立てるくらいはオッケーかな、と。
んで、これは仮説だけど、私の主訴が睡眠障害だったことを鑑みて、自律神経や概日リズムがスパゲッティ―状態ってことだろうか(?)。
夕方には、交感神経と副交感神経が入れ替わる(?)らしい。
仮説1)入れ替わりがスムーズにいかず不調をきたしている。
仮説2)私の副交感神経がクソなので、うまくリラックスできない。
リラックス、下手な自覚がある。
いまだによく分からない。
寝る前に、ベッドでウサギと戯れているときが一番リラックスできている気がする。
そのときだけ「私、いま、幸せかもしれない」と思う。
ペット療法が来い。
やはり犬だ。
犬を飼うしかない。
ウサギは気分が向いたときにしかかまってくれない。
それじゃダメなんだ。
デパス!!!(呪文)
早くからすっきり起きれて、元気だった。
朝ご飯を食べて、家事をこなして、自室を掃除して。
秋服が着れる天気になったのが嬉しくて。
一人でランチに出かけられるほど活動的だった。
長年愛用しているドクターマーチンを磨きまでして、「お小遣い貯まってきたし、新しいの買おうかな~」なんてウキウキしていた。
……のだが。
いつものごとく15時近くになって、気分が急落下。
魔の時刻だ。
「どう考えても死んだ方が合理的だ」
「失敗作なんだから、これ以上生きていても仕方ない」
「明日、どうなるか考えないようにしている」
「あんなに悩み苦しんできたのに、わずかな化合物を飲むだけで解決してしまうとは虚しい」
デパス!!!(呪文)
はいはい、お薬飲みましょうね~。
大丈夫でちゅよ~ばぶ~。
久しぶりに調子がいいと感じていただけに、この波はショックだ。
治療は一進一退、焦ってもしゃーないと分かっちゃいるんだけど。
最近はなんやかんや小口のミニバイトに恵まれて、数時間近所に働きに出たりしている。
親にタバコ代を出してもらってるくせに、稼いだ小金は貯めている。
自分で働いて貯めたお金で、本当に自分が欲しいものを買えば、少しは向上心につながるかと思って。
タバコといえば、金ないしやめよっかな~と考えるくらいには依存度が低くなってきた。
吸う量も減った。
世間では悪者扱いのタバコだけど、私は愛してるし、感謝している。
『タバコを吸って一息つく』というクールダウンがなかったら、私はとっくに死んでいたかもしれない。
躁のときはイライラしたもんだけど、それもヤニ切れと解釈すれば堪えることができた。
以前は母から喫煙を非難されることもあったけど、躁鬱だと分かってからは何も言ってこなくなった。
ダメと言われると、吸いたくなるもんだ。
喫煙を容認されるようになったからこそ、タバコやめよっかな~という心の余裕に繋がったんだと思う。
……ここまで書いておいてアレだけど、今のところタバコをやめるつもりはない。
だっておいしいもん。
そういう考えが浮かぶようになったよ~という話である。
タバコやめたら更に太りそうだしな~。こわち。
む
今日も眠かった。
私の生理日程を私より把握している母曰く、ここ数日が排卵日にあたるらしい。
どおりで。
うつらうつらしながら、犬を迎えるためにペットグッズをぽちぽちしていた。
ぬか漬けを作る容器も買った(?)。
……買い物をしていると、躁が暴走してないか不安になる。
母親の承諾を得ているから大丈夫なはず。
ここがウサギと犬とぬか床のブログになってしまうかもしれない(?)。
そういうことはないので安心(?)してもらいたい。
たぶん、私の躁鬱はだいぶ良くなっていて、書くことをそれほど必要としなくなっている。
自己観察にも自己分析にも飽きてきたのだ。
その代わり、くだらない日常とか些末な悩みとかを書くことが増えると思う。
……そういうネタがあるくらい、充実した日々を送れるようにしよう。
やっぱり家はいいな
ただいま。
合宿から帰ってきた。
ちゃんと夜に眠って、朝に起きることができた。
楽しかったけど、久しぶりのことで疲れもしたので、今日はずっとウトウトしていた。
まだまだ眠れそうだ。
二泊三日、家を離れてみて感じたのは「家に帰りたい」とか「やっぱり家はいいな」というような感情が生まれていること。
そういうホームシック的な感情を、今まで抱いたことがなかった。
どこでも実家よりはマシ。どこにいても同じだ、と考えていた。
私自身が、この実家を「家」だと感じることができるようになっている。
家のベッドが、どこよりも安らげる場所になっている。
幸せだと思う。
そして、今まで不幸せだったとも思う。
原因はやっぱり、母親との関係だった。
母親への不信感が、居心地の悪さにつながっていた。
この家にいると、いつもイライラした。
躁鬱の治療を始めて、本当にイライラすることがなくなった。
たとえ見識の違いがあっても、気にならなくなった。
冷静に、状況を見極めることができるようになった。
私にはたくさんのコンプレックスがあったけど、それも気にならなくなっている。
(たぶん、お薬が効いてるからこんな風に思えるんだけど)
(薬が切れたら、またコンプレックスの塊に戻るかと)
楽だ。
苦しむことが人生で、苦しみにより人は成長するんだと思って堪えてきたけど、そんなわけないな。
楽でいることが一番だ。
大丈夫よ、お薬があるわ。
多少の用事があった方がいい、とは言ったけど、ここ数日はすこし忙しかった。
久しぶりに立ち仕事をして、脚が痛い。
筋力が目に見えて落ちている。
早く来てくれ、犬。いっしょに散歩してくれ。
「眠れないのは、運動していないからだよ」なんて、昔はよく言われたけど、躁鬱マンは疲れているとかえって眠れなかったりするんじゃないだろうか。
疲労→疲労を乗り越えるためにアドレナリンだばー!→寝れない。
昨夜はそんな感じで、なかなか寝付くことができなかった。
各種睡眠導入剤を飲んでおきながら、3時間も横になったまま起きていた。
そういうとき、つい落ち込む。
「いろいろ頑張ってるつもりなんやけどなー」
「なんで寝れへんのやろなー」
落ち込むと、考えが頭の中をぐるぐるしだす。
なので、そういうときに取るべき行動はひとつ。
頓服薬をブチこむ。
お薬がだいたいなんとかしてくれる。
お薬を信じろ。適量は守れ。医師の指示に従え。
今週末は友人の家で合宿だ。
DVDを見たり、みんなでダラダラと過ごす。
まだ本調子とはいえないだけに、団体行動は少し不安だ。
まあでも、友人たちもちゃんと理解してくれているし、疲れたときは正直に甘えることにしよう。
薬を持っていくのを忘れないこと。
これが肝要だ。
楽しみ。
私の失踪癖
捜索願を出された経験はないんだけど。
『失踪癖』以外に、いい呼び方が思いつかないので、そう言っている。
私の失踪癖は、鬱のときに起こる。
「こんなクズがいたら、みんなに迷惑がかかる。消えたい」
という気持ちが高まると、誰とも連絡を取らずに消息を絶ってしまうのだ。
携帯には、友人や家族からの着信履歴がズラーッと並ぶことになる。
「自分を責める連絡がきている」
認知の歪んだ私にはそうとしか思えず、一人パニックになる。
実際は、みんな心配してくれてたんだろうけどね。
特に母親のがキツかった。
「大丈夫?」という言葉は、脅し文句のように聞こえた。
「(母親の)思い通りに動けてるよな?」というような。
実際、一人暮らししていたときに連絡を返さないでいたら、わざわざ遠方から凸してきたことがあった。
雨の降る暗い夜道を、慣れない高速道路を運転して。
もはや恐怖である。心配という名の恐喝だ。
一人暮らしをしていたときは、下宿という避難シェルターがあったからよかった。
そのうち元気になることは知っていたから(躁に自覚的だった)、それまで黙って布団の中で震えていればいいのである。
しかし、実家にいた子供時代は困った。
実家にも学校にも、私をほっといてくれる場所がなかった。
だから、高校生になるとアルバイトをした。
逃走資金の確保のためだ。
小遣いだと、逃げれる範囲は限られてくるし、絶たれる可能性がある。
心の底から安心できる、安定した資金源が必要だった。
(そのおかげで、バイト遍歴だけは鮮やかなもんである)
そして、「いってきます」と学校に行くフリをして、街を放浪するようになった。
(私服校だったので、世間様にはまったく怪しまれなかった)
先生からの着信を横目に、ネットカフェで母親に持たされた弁当を食った。
気が向いたら、午後から学校に行くこともあった。
夕方になるとバイト先に行き、夜まで働いた。
そのあとは、仕方なく家に帰った。
家に帰ることは義務だと考えていた。自分は未成年なのだから、と。
家に帰ると、母親が黙っている。
黙って、晩飯を出してくる。
「おいしい」と半ば礼儀として言葉にしながら、食べる。
母親は私が学校に行かなかったことを、先生からの連絡で知っているはずなのに、何も言わない。
そして自室に引きこもり、深夜までネット。
寝ないでいると、母親が「明日学校でしょ! 寝なさい!」と怒鳴りこんでくる。
そんな高校時代だった。
自分が悪いとばかり考えていた。
ちゃんとできない、自分が悪い。
けれど今、この歳になって思う。
私はまだまだ子供だった。大人の理解が必要だった。
精一杯だった。子供なりに、できることをしていた。
躁と鬱の波に殺されないように、本能的な回避行動をとっていた。
私は悪くない。
よく生きてここまできた。
だから、君も悪くないぞ。