「守るべき自分」って何ですか?

自立と依存の間で毎日のたうち回っている人のブログ

刺激がなくても生きていきたい

 

私は何かにつけて先々のことに不安を感じる性格です。

今はだいぶましになったとは思いますが、まだまだその癖は抜けきっていません。

過去をいつまでも引きずって手放せなかったり、来るのか来ないのか誰にも分からない未来について消極的な妄想を辞められなかったりと、要は「今に生きる」ということができないでいるのです。

口で言うのはかんたんです。頭では理解しているつもりです。

でもどうしても明るい未来を思い描けないのです。

考えすぎだとよく言われます。

でもどうしても考えてしまうのです。やめたくても胸のあたりがいつも勝手に苦しくなります。

私だってやめられるのならやめたいです。この思考の癖を。

それでも「今に生きている」と感じる瞬間は沢山あります。

とても刺激的な体験をしている最中です。

刺激のない瞬間は…やっぱり過去のことや未来のことや、考えてもどうしようもない他人のこと、自分のこと、誰にも分からない深層心理などで頭がいっぱいになります。

私は音楽鑑賞が好きです。

私は自分の好きなものについて、うまく説明できません。

非常に感覚的に生きている人間だと思います。

でも間違いなく自分にとって心地良いと思える感覚に、生きていると出会うことがあります。

うまく説明できないけど、この音楽を聴いているとなんだか胸がいっぱいになる。興奮する。胸が詰まって涙が出そうになる。悲しいわけでも嬉しいわけでもない。よく分からないけどとにかく興奮するのです。この感覚を味わえる物事を私は「好き」と位置づけます。自分にとって刺激的な物。それが私の好きなものです。

あの興奮をもう一度味わいたい。何度でも味わいたい。

ある種の麻薬のようなものでしょうか?

でもおそらく何かしらの快楽物質は脳みそから分泌されていると思います。

それにやられています。

刺激がないと駄目です。

生きていく気力がわきません。

なので、生きる気力を求めて、自分の好きな音楽を感じに行くことがしばしば。

目の前に自分の大好きな対象が在っても、集中できないときはあります。明日のことを考えたり、周りの人のことが気になったり。でも何もかも忘れて目の前の対象、今いる場所、その瞬間に集中できたときの興奮たるや。私の持つ語彙力での表現には限界があります。

私はアルコールに弱い体質です。

でもあえてライブに行くときは苦手なビールを一杯、開演前に体に入れてフワフワと気持ち良くなった状態で臨みます。そしてライブハウスで暴れます。叫びます。

この上なく気持ち良いです。

ライブ後もビールを飲んで、タバコを吸います。

これがないと、退屈な日常をやり過ごすことが困難です。

ですが、これはいくらかの出費を伴う行為です。

私は仕事をしていますが、収入は控えめに言っても多くはありません。

家賃・光熱費等、食費や日用品、雑費や交際費を支払うと手元にはほとんど残りません。そこに加えて趣味娯楽に費やすとむしろ赤字です。限界があります。ストレスの溜まっている時期なんかは節約など考える余裕もありませんので、特に食費がかさみますね。

そうなると大変です。

ライブに行くことで賄えられれば健全です。

本当はそうしたいです。それだけで欲求を解消したいです。

無理でした。

新たな刺激的体験に出くわしてしまいました。

恋愛です。

恋愛なんて言うと綺麗で尊いもののような気がしますが、私の言う恋愛はそれとは程遠く、とても汚く浅ましく卑しいものです。

私のような人間が出会ってはいけないものでした。

3年以上前の私は非常に純粋無垢で世間知らずで(世間知らずは今も相変わらずですが)、貞操観念もしっかり持ち合わせた可愛い生き物だったと思います。

それが、離人症を経験したことを境におかしくなってしまいました。

自分に恋人がいようが、相手に恋人・配偶者がいようが、友達の好きな人であろうが、よく知りもしない人であろうが、長く友人関係にあった人であろうが、関係なく、肉体関係をもちました。ただそこに刺激があるならば、その前後や関係性などお構いなしになってしまいました。背徳感の奴隷になってしまいました。

最初からそれを求めていたわけではありません。

そうなるきっかけは今までにも何度かありましたが、自らの強い意志で避けてきました。避けてこれました。でも今はもう無理です。簡単に堕ちてしまいます。刺激的な展開が予想されると、人としての倫理観や誠実な心など何もかも吹き飛んでしまいます。それほどまでに弱く、本当に弱くなってしまったと、過去の自分から考えると、本当にそう思います。その瞬間は、ライブと同様にとても気持ちの良い刺激的な体験ができているので、「今に生きている」と強く感じることができます。とても気持ちが良いです。いけないことをしている、なんて刺激的で気持ちが良いのだ、と。馬鹿だと思います。結局はそれはその瞬間だけです。その瞬間満たされるだけです。後は虚しさが残るだけです。同じことをしていて楽しく生き生きと毎日を過ごせる人もいます。ですが私は違います。結局後悔するのですから、自分にとって良くないことをしているわけです。自分自身を傷つける行為に他ならない。ふとした瞬間に、何やってるんだ、と虚しくなります。ま、いっか、と開き直って自分を守ろうとすることもあります。でもやはり、本当は、やめられたら、どんなにいいか。この虚しさから開放されれば、どんなに幸せだろうか。やめる勇気を持たなければ。やめた後にやってくる離脱症状に耐える勇気を持たなければ。これに代わる刺激を見つけなければ、きっととんでもない仕打ちを受けるに違いない。その危機感はあります。常にあります。でも頭が馬鹿になっているので、そうは言っても、本当にやめる気など今はないのでしょう。馬鹿です。自分から出てきた欲求に自分自身が飲み込まれているのですから。

こうして書いていると少し冷静になってきた気がします。

具体的な出来事についてはまた別で書きます。

すぐに切れた関係もありましたが、厄介な相手に巡り合ってしまったがゆえに再び精神を病んでしまったこともありましたので。そしてそれは現在進行系なことでもありますので。

とてもしんどいです。

健全な刺激でなんとかしたいです。

強くなりたいです。

弱い自分を認められません。

大事な人達を傷つける愚かな人間から、卒業したいです。

自らを破滅に導く、誤った刺激がなくても生きていきたい。

 

はじめまして

「辛い、しんどい、悲しい、苦しい

でも死にたくない、強くなりたい、助けて」

 

今に生きるのがあまりにも辛すぎて、藁にもすがる思いでブログを始めます。

 

20代の女です。独身。

大学を卒業して仕事をしています。

私には家族がいる、親戚も多い、頻繁に会う友だちもいる、学歴もある、好きな仕事もできていて、熱中できる趣味もある、体も健康で、ありがたいことにいつも誰かが恋人としてそばに居てくれる。

 

なのに、どうして、

こう、息が苦しくなったり、

動けなくなったり、

最終的には精神を肉体から切り離さないことには対処が出来ないくらいの状態になってしまったのか。

スピリチュアルな話ではありません、一種の解離現象です。

 

でも死にたいと思ったことはありません。

今のこの苦しみから逃れたいと思って、「死んだらどうなる?」と考えたことはありますが、苦しいときは決まって「嫌だ、死にたくない、このまま死にたくない」と、むしろ生命力が湧いてくるくらいです。

 

死にたくないんです。

このまま、今のまま、死にたくはないんです。

でもいつか必ず死にます。そこからは絶対に逃れられない。

だから終末を受け入れて、生きていて良かった生まれて良かったと思えるような生き方をしたいと強く願っています。

だからもがいてます。

死にたくないから苦しいんです。

結局死ぬのが怖くて怖くてたまらないから、今、苦しいのです。

 

苦しまずに今を精一杯生きる方法を、毎日探っています。

探っている、なんて言うとすごく前向きなイメージですけど、

実際はのたうち回ってもがいているという表現の方が近いです。

 

文章を書くのは慣れていません。

語彙力もありません。それに関してはよく人に指摘されます。

ブログの使い方もまだよく分かっていませんので最初は全体的に見辛いんじゃないかと思いますが徐々に良くしていけるように頑張ります。

 

 

「生き辛さの原因を突き止めたい」

これが私がブログを始める理由です。

よろしくお願いします。