マチコの独り言(´-`).。oO

会社員しています。将来はサブカル系のライター、作家を目指しています。

ホーロー看板のこと(続き)

小学生の頃、通学路の途中で、 探偵会社や消費者金融の会社のブリキ看板やホーロー看板をよく見かけた。

当時は何も知らなかったので、 その看板を見るたびに、この会社はどんな会社なんだろうかと気になっていた。

探偵会社の看板には、 よく幸せそうな外国人の家族の写真が載っていた。

いつも思っていたけれど、 何で外国人の写真なんだろうか…?

日本人の家族でもいいと思うが、 やはり日本人は、海外ドラマで見かける外国人家族の幸せそうな風景に憧れを持っているのだろうか?

幸せそうな外国人家族の写真のまわりに、 「探偵調査」「浮気調査」「不倫調査」などと、物騒な文言が書かれている。 こんなド田舎で堂々と不倫する人なんているか?!と思ったが、する人はするんだなと後々に知り、 やはりニーズあるところに看板が貼られているものかと思った。

そして、消費者金融の看板で気になっていたのが、

「マルフク」

ひょっとしたら、一度は見たことがある人も多いかもしれない。

背景は赤で、真ん中に白字で「マルフク」と書かれているシンプルな看板。

看板の下の方には、最寄りの店舗の電話番号などが書かれている。

通学路の途中で、 初めてこの看板を目にしたとき「何だこれは?!」と思った記憶がある。

とにかく何の会社か知りたくなって、 看板に掲載されている電話番号に公衆電話から掛けてみようと思ったことがあるほど、気になっていた。 (ちなみに、臆病で慎重性格のため、実際に電話をかけていない)

大人に聞いてみたら、 サラ金会社の類だから、子どもが変に首を突っ込むなと言われた。

小学校を卒業した後は、 この通学路を歩かなくなってしまい「マルフク」のことも、いつのまにか忘れてしまっていた。

しかし、小学生の頃を懐かしく思ったのか、 今になって、小学生の時に通学路で見た「マルフク」のことを思い出した。

あまり周りで口に出したことはなかったが、 心の奥底でずっと気になっていたのだ。

今や誰かに聞かなくても、 インターネットで簡単に調べられる時代。

インターネットで調べたところ、 「マルフク」は電話加入権の販売や電話担保の融資などを行っていた会社(本社は大阪府岸和田市)とのことで、全国展開をしていたそうだ。

そのため、全国各地の民家などで、この「マルフク看板」が見られていたようだ。

ちなみに、2009年に貸金業登録を廃業したとのこと。

そして、約10年ぶりくらいに小学生の頃の通学路を歩いてみたら、 残念ながら「マルフク」看板は撤去されていた。

これは、悲しかった。 やはり小学生の頃から、着実に時が流れているのだと改めて感じた。 時の流れを改めて感じた時のむなしさはどんな時でもつらい。

あの頃が懐かしいような懐かしくないような。 嫌なこともあつまたけれど、楽しいこともあったか。

おそらくだが、看板を見た瞬間に小学生当時のことが走馬灯のように蘇ってくるような気がした。 懐かしさのあまりにたくさんの言葉が口から出てくるような気もする。

「マルフク看板」のことが時を超えてこうやって再び気になってくると、 自分が住んでいた地域以外に「マルフク看板」があれば、眺めたうえで写真に収めて記録しておきたいなあと思いが出てくる。

看板にも様々な種類があるらしい。 横型の看板もあれば、縦型があったり。 背景の色が白で、文字が赤で書かれていたり。

また、「マルフク」という商号になる前の「丸福電話店」という看板も、大阪のどこかに残っているらしい。

令和になっても、まだまだ「マルフク看板」が旧態依然として残っているはず。 まずは街歩きや旅行に行っている中で、 「マルフク看板」と会えたら良いなと思っている。

ホーロー看板の魅力

たぶん小学生ぐらいの頃から気になっていたかもしれない。 私はレトロな雰囲気のただようものをいつのまにか好むようになっていて、日常生活においてもレトロなものを探して愛でるようになっていった。

特に昔から好んでいたものの一つは、「ホーロー看板」である。 有名なのは、大村崑さんの「オロナミンC」の看板や由美かおるさんの「かとり線香 アース渦巻」などか。

好きになったというよりかは、小さい頃から民家を通る際に目にする機会があり、「この看板っていつからあるのだらう?」と気になるようになり、知らぬ間に魅力に取り憑かれていったというのが近いか。

私は幼少期を田舎で過ごしていたが、田舎の街にある民家には1960〜70年代頃に貼られていたであろうホーロー看板が残っていたり、某消費者金融や某探偵業者などの、子供からしたら怪しそうな業者の看板も貼られていた。

子供ながらにこれらのホーロー看板が気になっていて、 周りの大人たちにこの看板は一体なんなのか詳しく教えてくれと聞いていたが、 同世代はゲームやアニメに夢中になっている人が多かった中で、なぜホーロー看板のことを知りたいのか大人たちは私に疑問に思っていたらしく、大人たちからはちょっと変わっていると思われるような子供だった。

社会人になって田舎を離れると、 ホーロー看板を見かける機会が激減し何となく寂しく感じていた。 たまたま東京に行く機会があって、 以前から行きたいと思っていた、まんだらけ中野ブロードウェイ店の「変や」コーナーを訪れた際、あたり一面に貼られたホーロー看板を見て、久々に心踊った。

童心に戻ったような感覚すら覚え、やっぱり私はホーロー看板が好きなのだと再確認した。 好きなら好きで看板を買ってコレクションでもすればいいと思うも、私の家にはコレクション部屋を用意できるほどのスペースはなく、仮に看板を買って収集したとしても、今度は私の寝食するスペースがなくなる。

寝食スペースと看板のどっちを取るかと言われれば寝食をとると即答してしまうレベルのホーロー看板愛ではあるが、旅行中に街角どで見かけた際には急にテンションが上がって他人の目を気にすることなく写真を撮りまくってしまう。 私のホーロー看板愛は、 自分の部屋に実物の看板を所狭しとたくさん置いて愛でるというよりも、 街歩きをしている中で、たまたまホーロー看板を見つけてぼーっと眺めた後に、看板を撮影して看板写真のコレクションを集めていくことに喜びを感じるほうが当てはまる気がする。

私はホーロー看板の全盛期の頃には生まれていないし、当時の生活を実際に過ごしていないのだけれど、どうしてここまで魅せられるようになってしまったか。 現時点で考えられる理由として、3つほどまとめてみた。

1.シンプルなデザインだが訴求力が強い

ホーロー看板は基本的に現代の広告と比べてシンプルなデザインだが、シンプルだからこそどういった商品かすぐにイメージが湧く。

「塩」「たばこ」といった文字だけのホーロー看板もあるが、一瞬で何の広告かわかり広告自体に妙に存在感すら感じる。 「塩」の看板なら背景は藍色で、看板の真ん中に大きく白字で「塩」と書かれている。 遠くから見てもすぐに塩を売っているお店だということがわかる。

また、何の広告かイマイチよくわからなくても、一瞬見ただけで広告のシンプルなデザインが妙に印象に残っていて頭に刷り込まれる。

現代の広告を見ていると、細かい字がたくさん書かれていたり、おしゃれなコピーやデザイン画があったり、旬な芸能人が大々的に広告に出ていたり、たくさん計算づくされたおしゃれな広告という印象を受けるが、私にはこんな広告を作る能力はないし偉そうなことを言うのはおこがましいが、 広告を見る側の立場だと、細工があまり多すぎると頭の中で瞬時に情報を処理しきれないこともある。

ホーロー看板の広告は無駄な部分を削ぎ落とされたシンプルなデザインが多く、見ているだけで気持ちよく感じる。

2.当時の時代背景や生活史を感じられる

当時の人気の芸能人が看板になっていると、当時の時代背景や歴史を感じる。

看板を見ているだけでも昔の生活を過ごしているような感覚に浸れる。 実際にその時代のその生活を過ごしたことはないし、 すべて想像のもとで当時の生活を思い浮かべているだけだけど、今の時代と比べてみると興味深い。

もともと私は好奇心旺盛なタイプであり、 いま生きている自分の時代とは違う生活様式に興味を持つことが多く、他人に不審がられない程度で道端のホーロー看板をくまなく観察して想像に浸ったものだ。

この時間が私はわりと好きで、学校で嫌なことがあった時など現実逃避したい時は、通学路の途中にあったホーロー看板の前で立って現実逃避していた。

3.懐かしさを感じる

先ほども述べたように通学路の途中にホーロー看板を見かけることが多かったが、

いま振り返ってみるとホーロー看板というのは私の幼少期の思い出の一つになっていることに気づく。

社会人になるとホーロー看板を見かけることがなくなり、いつのまにか見かけない状態に慣れてしまっていたが、 旅行中に通った場所やまんだらけさんなどでホーロー看板を目にするとテンションが爆上がりするとともに、 小学生の頃の想像力豊かだった自分を思い出して懐かしくなる。

もっとホーロー看板を身近ににするためにも、 普段から使う文房具などにホーロー看板のデザインを当てられたらいいなと思うし、 ガチャガチャのグッズでキーホルダー、巾着袋などといったグッズでもあればいいなと思ったりする。

それに様々な人にホーロー看板に興味をもってもらえたらいいなと思うし、個人的にはもっと看板好きの仲間がほしい。 ホーロー看板の魅力を伝えられるようにもっと勉強して、自分でも何かグッズを作ってみたり、収集だけでなく周りに発信できる機会があればいいなと思っている。

丘から見えた夜の団地

休日で、朝から予定もなく暇だったから散歩に出かけた。 わりと歩いて少し疲れたし、日が沈んできたのでそろそろ帰ろうかと思った。 でも、今日はまだ帰りたくない。

そんな時に、夜の団地をふと見たくなることがある。

各部屋の窓から見える小さな光から、 たくさんの人間がこの大きな箱の中に暮らしていることを考えてみる。

それぞれの生活。

そこにはどんな人生模様があるのだろう。

こんなに夜遅くまで電気が点いている。 頑張っているのは親だけではない。 子どもだって大変だ。 大人たち重圧と子どもたちの社会のなかに揉まれて、 まだ見ぬ未来に向かって頑張っている。

夜遅くまで働いて帰ってきた親たち。 すべては自分たちの生活を支えるためなのか。 そして、朝になったら箱から出ていく親たち。 その顔には笑顔が見られない。 淡々と1日1日を過ごしていく。

みんな頑張っている。 なまけている人なんて誰もいない。

別に悲しくなんてないのに、何だか涙が出てきた。 みんながみんなそれぞれの人生を送っている。 この箱の中には、多種多様な人生が詰まっている。

私にも私の人生がある。 何かにしがみつこうと試行錯誤に動いている最中。 頑張っているのは私だけではない。

でも、他人から見れば私は頑張っていないように見るかもしれないし、まだ自分の生き方に自信が持てていない。

今日は外でうどんでも食べてから帰ろうか。 明日のことなんか考えずに。 そして、今日はゆっくり湯舟につかろう。

大阪駅前ビルが大好きなので、その想いを。

令和になった現在でも、昭和の香りが色濃く残る大阪駅前ビル。

半世紀前からずっと営業している喫茶店だってある。 レトロという言葉では簡単に済まされない存在感を放ち、ビル内を歩いているだけでもこれまで訪れた人々から放たれた人間臭さ、哀愁、欲望など様々な感情が伝わってくるような感覚すら覚える。

知人に連れられ大阪駅前ビルを初めて訪れた時、 良い感じに力の抜けている雰囲気が好きだと素直に思った。 場末のスナックが街やシャッター通りの商店街を歩いたことはあるが、その時感じた物寂しさとは違う。

居酒屋、バー、パチンコ屋、古本屋、アダルトショップ、宝くじ売り場、整骨院など。 「ガラパコス化した娯楽空間」というのがしっくりくるかもしれない。 誰に遠慮するでもなく、煩悩に従って娯楽にふけることができるスポットが目白押しだ。

金券ショップだって、至る所にたくさんある。 金券ショップには少しでも交通費や買い物で得をしようと、回数券・株主優待券やクーポン券を探して、ショーウィンドウを真剣な眼差しで見つめる人が集まっている。 週に1回程度、私もその集団の1人になる。 ちなみに、某金券ショップのショーウィンドウには往年のグラビアイドルや女優のヌードテレカが平然と並べられている。 これはこれで時代を感じるものが多く興味深い。

居酒屋だって、どこに行こうか悩んでしまうほどのたくさんのお店が並ぶ。 平日のお昼から通常営業しているお店もたくさんあり、いつでも現実逃避してせんべろで良い気持ちになれる。

昼の休憩時間を過ごすサラリーマンやOLが飲食店でランチを食べている。 昼どきを外れてもランチ営業に時間制限がないお店もあり、時間に駆り立てられることなく、時間にルーズであることが許される。

昼間からゲーセンやパチンコで時間をつぶす大人達もいる。ゲーセンの機器が一世代前のものっぽい。 子供のころにゲーセンで見かけた機器が平然と置かれていて、ノスタルジーを感じるよりも今も平然と使われていることに対する驚きが勝つ。

近くには消費者金融の広告をちらほら見かけ、パチンコ屋の近くにはひっそりと景品交換所もある。

こんなカオスな空間には、「酒、金、女」という人間を堕落の道へ貶める誘惑が絶えない。 大阪駅前ビルの地下空間はガラが悪くて近寄らざるべき場所という人もいるかもしれないが、ビルの上にはたくさんのオフィスが入っているというのも事実。

ビルの上で働くサラリーマンやOLが仕事帰りに、ふらっと疲れを癒しに行ける場所がたくさんある点で、大阪駅前ビル内で働く人を本当に羨ましく思う。 転職する際に、大阪駅前ビル内で働ける仕事がないか本気で探したことがあったぐらいだ。

入り浸りすぎると危険な道に入り込んでしまうこともあるかもしれないが、安全な程度で楽しみ、日頃のストレスを置いて帰る場所としては魅力的な場所として映るであろう。

近年大阪駅周辺は再開発が進み、街は綺麗で新しい商業施設ができている。 綺麗な街並みを歩いてて、長年の夢が叶ったようにワクワクした気分になったり、都会の中心にいる自分に優越感を感じたこともあったが、何度も来るといつも人が多くて騒がしくどうにも気が休まらない。 行くだけで体も心もどっと疲れてしまっている。

近年の再開発は私にとっては大きな脅威である。 気を張らずにいられる私のお気に入りの空間が少なくなってきている。


平日の昼間から大阪駅前ビルの地下空間を歩く人たちはどんな仕事をしている人たちなのか。 一見してサラリーマンやOLっぽい人はともかく、それ以外の人たちについて素朴な疑問がいつも浮かぶが、この疑問はいまだに解決できていない…。

ある平日の昼間には、ロリータっぽい格好をした女の子が、ゲーセンのUFOキャッチャーに夢中になっていた。

目を凝らして歩いていると占いの店も何軒か見かける。

普段は周囲には隠している欲望やストレスを携えて、この地下空間でひとときの楽しい時間を過ごしているようにも感じる。 暇つぶしで訪れる人にも優しい空間だ。 楽しそうに見える人もいるが、心の中で何か闇を抱えてそうな人が多い。 そんな人たちが愛しい。 自分もそんな人たちの1人だから。 みんな言葉に出さないだけで、街の景色に人々の心模様が投影されているように思う。

つらさ、さびしさ、孤独は誰もが人知れず抱えている。 闇の部分を無理やり隠したり、無理に楽しさを全面に押し出すよりも、うっすらと闇を出せる空間のほうが自分らしさを出せて居心地よく感じるのか。

サイゼリヤがお好き。

社会人として働きだしてからも、 サイゼリヤでピザやパスタなどを食べながら友人や同僚と話すことが好きだ。

アルバイトか何かで知り合った高校生と、 サイゼリヤに行くの楽しいよねーって話で盛り上がっていた。

ある同世代の知り合いにこのことを話したら、 社会人になってから行くとかマジであり得ないから…!と言われた。

静かに過ごせるレストランとは雰囲気が確かに違うと思うけれど、 サイゼリヤだけでなくファミリーレストラン(以下、ファミレス)の気を張らずに過ごせる雰囲気が何気に好きだ。

それぞれが時間のことを気にすることなく、 友人たちとのお喋りに花を咲かせる人もいれば、一人で黙々と作業をしている人もいる。

そして、何よりも料理の値段が安い。

それに、美味しい…!

だからか、、 夕方ぐらいにどこのサイゼリヤに行っても、ほぼ満席に近いぐらいお客さんが座っている。。 店の立地条件と時間帯によっては、席が空くのを待つ人たちの列ができている。

先日、久々に誰かと一緒にサイゼリヤに行った。 仕事帰りに、職場の同僚と。 周りに気を遣うことなくざっくばらんに職場の仕事内容や人間関係、お互いのプライベートのことなど、 約2時間ほど思いっきりお喋りを楽しんだ。 ピザなどをつまみつつ、飲み物はドリンクバーでおかわりし放題。

サイゼリヤは気軽に立ち寄れて居心地がいいことを知ってしまった以上、 いつまで経っても私はサイゼリヤを卒業できない。

そして、いつのまにか作業に集中するために仕事終わりなどの時間を利用して、 一人でファミリーレストランに寄るようにもなった。

たまに団体で盛り上がっているお客さんの近くに座ってしまうと、 団体が気になって集中力が途切れて気が散ってしまうこともあるけれど。。。

周りに知っている人がいない。

都会のオフィス街のどこかのファミリーレストランなんて、 一人でファミリーレストランにいる私のことなど誰も見向きもしない。 たとえ見かけたとしても、自分の知らない人間のことなんて一瞥はしても気にかけることもない。 この他人にまったく無関心な環境に身を置いている時が心地よく感じることがある。

あらかじめこの日に行こうと計画を立てずに、 夜遅くなってもどこかに立ち寄ってゆっくりしたいなあと思った時。 または、誰かと遊んだ帰りに少しお喋りして帰ろうかとなった時。

ファミレスは夜遅くまで空いているから、夜遅い時間でも閉店時間を気にしなくてもいい。

いつも行くとなると飽きるし、ファミレスの悪いところも目についてしまう場合もある。 たまに寄って楽しむぐらいがちょうどいいと思うのもファミレス。

職場の同僚たちと愚痴をこぼしあうのもたまに行うぐらいが、 「ガス抜き」になってちょうどいい。