2023年にみたもの
薄ぼんやり2023年を過ごしているうちに一年が過ぎてしまった。
相変わらず耐える事が多い中、時々美術館へ足を運ぶことがささやかながら救いとなった相変わらずの一年
時期は前後しそうだが去年行った美術展を記録する
●版画でたどる20世紀西洋美術館
カンディンスキー、マティス、ジャスパージョーンズ、ムンク、ピカソ
ブラック、マレーヴィチ、クレー、モンドリアン、アルバースもちろん
ウォーホルやリキテンスタインやそれ以降のものまでリトグラフやシルクスクリーン
などの作品があってオールスター戦みたいな内容だった
ジュリアンオピーの作品を見ている時、自分の着ているTシャツがジュリアン
オピーだと気が付いてちょっと恥ずかしくなった。
そのほとんどが美術館所蔵のもので構成されており、コロナの影響で変更された
中での努力を考えた。版画をもっと知るいい機会になった。
大原美術館は私立美術館だけあって、いいものを片っ端から集めてきた勢いがあって
よかった。買い付けた児島虎次郎の目利きがすごい。
エル・グレコとセガンティーニが目当てだったが濵田庄司、バーナードリーチ河井寛次郎を見て民芸運動に興味が沸いた。とのかくジャンルの幅が広すぎて面白かった。
国芳館は歌川国芳の浮世絵ばかりをお屋敷に100点ほど集めて座敷で見せるという面白いスタイルの施設で、そういえば浮世絵も版画だ、やはり今年は版画が気になる。
帰りには、岡山県立美術館で岡山の美術展をみた。
滅多に出歩かないので詰め込みが凄い。原田直次郎の「素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿」が熱いぜカッコイイ!と思ったけど作品タイトルが読めなかった。スサノオノミコトヤマタノオロチ……だそうです。
こんぴらさんにある長い階段の参道の真ん中ほどにある重要文化財奥書院に、
伊藤若冲百花図の特別公開や円山応挙の障壁画があった。応挙の虎は可愛い。
この虎なら障壁から出てくるかもしれない。
しかしたどり着くまで本当にキツイ調べたところ477段上った所にあったようで
毎回フラフラでしか見ることができない。
●和田誠展
私の中で和田誠さんといえば村上春樹さんの本の表紙。和田さんの描くジャズミュージシャンの絵はほんとに素敵だ。アフターダークの表紙もされていることを知って驚いた
何でもできるんだな。
●上田薫展
グラフィックデザイナーのキャリアもあるスーパーリアルズムの画家。
不気味なほど精密な写実性に狂気をみた。いくつか作品を眺めているうちに
これは、実物を写真におさめそれを見ながら描いているものだと分ったのは
卵、ゼリー、スプーンなど光沢のあるものの反射の中にカメラをかまえた作者が映り込んでおり、さらにそれをそのまま描いていたからだ。
気づけば映り込んだ作者の姿を追っていた。上田さん自身がそれをある種のセルフポートレートと呼ぶのもわかる気はした。
●ウィリアムモリス展
使っている財布がモリスのフルーツ柄だったのと民芸運動が気になっていたので
本物を見るとちょっとうれしい。自作と思われるモリス柄ワンピースを着た人もいて
ほかのアーティストにはあまりない感じがあって良かった。
興味深かったのはレッドハウスの見取り図と内装の写真がみれたこと。
寝室の間取りがジェーン、モリス、ロセッティになっていてどういうことなんとそらおもうよね。
●20世紀美術の冒険者たち
●そして船は行く展
●安井仲治僕の大切な写真展
2023年は浅く広く見ることができた年だった。その多くはコロナ禍中知った作品を
実際に見るというもので、岡上敏子作品なんかは特にうれしかった。
仕事をするか寝るか美術館でいるかしかない生活だった
他のことは忘れた
2024年年明け早々に薄暗いニュースが飛び交う
美しいものを一つでも多くたましいに刻めますように
この夜はしっている
今年も終わるのでぐっときた展示会を記録しておこうかと思う
●高松コンテンポラリーアートアニュアル
複数のアーティストによる作品展のなかで写真家の北野謙さんと本田健さんの作品がよかった、作品買いたい。 眩しい北野さんと親密な本田さんといった作風か。ずっと眺めていると胸にくるものがある。
●今井俊介 スカートと風景
展示会と共にトークイベントも聞いてきたのだけれど、どうやって作っているのかなと思っていたら自ら作り方を惜し気もなく話されていたのに驚いた「アートはオープンソースであるべきだ」と言う姿がかっこよかったなぁ。同い年。
●合田佐和子展 帰る途(みち)もつもりもない
タイトルかっこよすぎだろう。どうなってるんだよ。
唐十郎さんや寺山修司さんによる演劇の舞台美術やポスター原画などもされていた。
偶然、男性作家が大多数を占めていたこの辺りの時代の女性作家について調べていた最中の展示会で飛びついた。強いというより、どうかしているという方があうかもしれない性別なんて関係ない厳つさと美しさがまだらに混ざる作品。
岡上敏子さんや藤野一友さんより少しあとに近い枠で活躍したようだ。
●石元泰博コレクション展 水と人の流れ
好きですでに作品集を見ていたので本物のプリントを見れて感動した。
作風に大きな幅があって面白い人。今回は部屋半分は水面の写真、半分は流れるようにブレて写る人波の写真だった。いずれもそぞろに揺らぐ様子が似ていた。
人はファインダーを覗かずにみぞおち辺りにカメラをあてて撮っているようだった。
バウハウスの本を読んだ直後に、シカゴのニューバウハウス卒業の石元さんを偶然知ったのもタイミングが良かった。
●シャガールコレクション展
有名なのにほとんど見てこなかったけれど思いのほかぐっときた
シャガールは自分はともかくこの人だけは何とか守りたいという気持ちがあったんだろうか?花嫁をかく絵がなぜこんなに悲しげなのか調べようと思う。
●角田和夫 土佐深夜日記
高知出身の写真家。
青年時代の苦難を救ったカメラを救済と深い理解に使い、その圧縮された作品を見ていると足元がおぼつかなくなるような感覚があった。
過激な内容はいくつかあったがそれよりも〈満月の夜>と題した父親を亡くし、あてなく徘徊して撮った夜の写真シリーズがぐっときた。自分ならこんな写真は真似事でも撮れないと思ったのは、こんな泥みたいな悲しい夜があったことを絶対に知られたくないから撮るなんて思いつかないのだ。しかしこの夜を私はしっている。
後から入ってきた老夫婦か1分くらいで「気持ち悪い」と言って出て行ったのが面白かった、なかなか勘が鋭いじゃないか。
●すべて未知の世界へ ─GUTAI分化と統合
具体美術協会(具体)の展示会。長いこと私の被写体をしてくれている人の師匠が具体の嶋本昭三さんなので良い機会だった。お師匠さん凄い。
以前からストロングスタイルと半分本気で呼んでいるこの団体で特に女性作家がどうしているのか大変興味があったけれど性別など関係ない所まで突き抜けた気迫に痺れ、
そうなるまでの苦労を想う。田中敦子さんと山崎つる子さんの作品はもちろん具体の作品は実物を見るのがいいと分かった、そりゃそうか。
●マークマンダース 乾いた土の頭部
具体の作品だらけの美術館の一室に全くの別件としてマンダースの作品が1点だけあった。何故だか見当もつかない。
コロナ禍で追い込まれた私を励ましてくれた作品の一つで、とはいえ見る機会はないかと思った矢先の邂逅に興奮しすぎてジャンプしてしまった。あまりの美しさにいくら見ても飽きなかった、この作品の前にコタツがあれば一冬ここで過ごせるだろう。
学生時代に知った数少ないアーティストの一人でポストカードなどで長年見過ぎたせいで実物の大きさに一瞬うろたえたがこれは宣伝ポスターだったのだ。作品は大体A1サイズぐらいで半分のA2サイズの版を二つ繋いで作っているようだった。
物販の大量に生産されたロートレックグッツを見てどのサイズ感でも人目につくデザインだったんだな版画の塩梅ばっかり見ていたことに気が付いた。
今年はというか今年もなんだか厳しい出来事に無言で耐える間に終わった。
人と過ごす余裕はなくひたすらに作品を見て自分はなにが作れるか考えて過ごした。時々、芸術の神が慰めてくれた悪い事ばかりではない。
自分の作品はどうしようかまだ迷いながら道具を集めだした。引き延ばしている場合ではない。
元気なうちになるべく作ろうと思う未熟でも構わない。
すずめのおばあさん
曾祖母が亡くなったのは10年ほど前だったか。
98歳で大往生だったねなどとお葬式で話したと電話越しに母から聞いた時は
地元を離れ、体調もすぐれなっかった私は参列することはなかった。
小学生の頃は時々、近所に住む曾祖母の家に寄ったりしてささやかな交流があった。
小柄で海老のようにぐっと曲がった背中と小さな顔が可愛らしく、その様子を
長年知る叔母は「ばあさんは可愛いなぁすずめみたい」ともらす言葉に、曾祖母を知る
人は皆納得するのだった。
子供だった私がすずめのおばあさんの所へ出向くのは、孝行をするためでもなんでもなく、自分の家にお菓子がなく腹を減らした時限定のシンプルに意地汚い動機がある時
だけだった。
ある時も、腹を減らした私はすずめのおばあさんの家の扉を勝手に開け「ばあちゃあああああん!!!」と叫ぶと大体部屋から顔をひょこっと出しニコリと笑いながら「来たんか」と言うので「きた!!!」と答えるやいなや「おなかすいたおかしちょうだい」
と畳の上でゴロゴロと回転しながら甘えた。
この頃、曾祖母に対して小さな疑問なあった。
曾祖母はとても優しい人だったがお菓子をあまりわたしたがらない「沢山食べるとお腹が痛くなるからね。」と言ってびっくりするほど少しだけくれるのだ。
両端を透明なセロハンで縛った正方形の小さなチョコレート一個手渡され、食べたそばからもっともっととねだる私に苦笑いをしながらもう一個だけくれる様子を不満と不思議が混ざった思いでいつも眺めた。
随分大人になった頃、なんのきっかけだったか曾祖母が戦時中2人の我が子を亡くしていたことを知る。
慢性的な食糧難のなか幼い子供を抱えた曾祖母は、山へ入りアケビを見つけ出し子供達に分け与えた。一時でもお腹いっぱいにという切実な思いからであったはずだが、
不運にも子供達は消化不良をおこしあっけなく亡くなってしまった。現在なら死んでしまうような事ではなかったかもしれない。
あの時、お菓子をねだる私をどんな気持ちで眺めていたのだろうか。
お腹を壊さないようにと気遣っていたひ孫が帰宅後『ルマンド』を一気に10本食いとかしていた事実を知ったら情けなくて泣いていたと思う。申し訳ない。
鴉の境界線 赤ちゃんの境界線
深瀬昌久という写真家の作品集『鴉』の一部をネットで見たときから
なんとかいい値段で購入できないものかと探し回りだしたのが去年のいつだったか
思い出せなが、ほんの数ページですっかり参ってしまった私は
とにかく中身が見たくてソワソワしていたのだけれども値段の相場が
12000円~20000円と高く二の足を踏んでいたところ、同じく写真家の渡部さとるさん
が『鴉』の特集をYouTubeでくんで下さったおかげで一先ず内容は把握でき
喜んでいたのだが渡部さんのはなしがなかなか衝撃的だった。
深瀬昌久は自身の家族やカラス、猫といった題材を通じて「私性」と「遊戯」を追求した写真家とあるが、その特徴として「撮る者と撮られる者が同じものとして存在する」
主客未分という仏教用語を使い指摘したのだ。
カラスを撮っているが、自分自身を撮っている妻を撮っているが自分自身を撮っている
我も彼もないという状態。
興味深かったのは被写体として重要な役割を果たしていた妻洋子さんの言葉
『私をレンズの中に見つめ、彼の写した私はまごうことない彼自身でしかなかった』
妻とはいえ被写体にも見透かれるほど露骨だったのか。
二度の結婚と二度の離婚をしたことからも被写体にとってはなかなか強烈な孤独感が
あった撮影(と恐らく私生活)ではなかったかと想像するのだけれどそれがどう作用するのか、作品自体は凄まじい。
渡部さんは続けて、生後6ヶ月~8ヶ月頃まで誰もが自分と外界を分けていない時期を経たのち、鏡を見て自分だと分かる鏡像段階により主観が分かれるというような話を聞くうちに、私は以前読んだ脳科学者のジル・ボルト・テイラーの体験談を思い出した。
脳科学者ジル・ボルト・テイラーは37歳の時に自らが脳卒中に倒れ自身におこった身体の変化を詳細に観察しながらリハビリに励み復帰した人。
脳卒中をおこし頭と体がいう事を聞かない状態でさぞや苦痛に終始苛まれていたのだろうと本を読み進めていくと意外な一文が飛び込んできたのだ。
『わたしは人生の思い出から切り離され神の恵みのような感覚に浸り、心がなごんでいきました。高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって、意識は悟りの感覚、あるいは宇宙と融合して「ひとつになる」ところまで高まっていきました。
むりやりとはいえ、家路をたどるような感じで心地よいのです』
自分の身体とそれ以外の境界線がなくなったこの描写が、深瀬昌久さんの作品や
主観を知らない赤ん坊それら全ては主客未分なのではないか、アプローチは違えど
かなり近い所まで接近しているのではないかと思わずにはいられなっかった。
しかし深瀬さんは家族は去り、転落事故から作家活動は途絶え素晴らしい作家ではあったが不運の作家として終わった。
境界線を知らない赤ちゃんは鏡の存在をじきに知り人間として生きるし、脳卒中に倒れた脳科学者はリハビリをして元の社会へ帰って行った。
主客未分の状態は人間を超越した幸福(のようなもの)とも言えそうだけれど
人の輪郭から逸脱していて長くは続かないのかもしれないと思った。
モグラの情緒
年末年始、どこにも行けないようになったのも二回目となると慣れたもので
家で遊べるようなものを事前に用意するようになった。
無表情で数冊の本を買い、無表情で大粒のビーズと伸びるテグスを買った。
わりあい好みの幅が広いのでまぁ暇はつぶせる。
YouTubeで写真論のなんとかや、音楽を聴きながら若い頃の篠原ともえが腕につけていたような腕輪を延々と作り続け、飽きたら鬱屈したコラージュ作品を作ってポストカードにする準備をした。合間に杉本博司の本を読んだ。
私はマイナーホワイトも大好きだし、夢カワパステルデコ電も大好きだし、ロダンの地獄の門も見に行きたいしサンリオピューロランドも行きたい。左甚五郎も宇髄天元も星野源も中邑真輔も同じようにかっこいいと思う。自由律俳句をしながら誰かとお茶でもしたいと考える
そんな事をボソボソやっていたら年を越していた、モグラのような生活だった。テレビも観ていない。正月らしいものも一切食べていないミルクティーと肉まんとナッツが美味しかった
これを読んで、どれこいつが好きだと言うこれらはどんなものだろうと調べられると情緒が不安定だと思われるかもしれないと微かに不安になってきた。こんな事では自由律俳句を一緒に読んでくれる人を見つけるのは至難の業かも知れない。
地獄のマルチーズ
子どもの頃私は両親と弟、祖父母のほかに叔母と住んでいた。
叔母は、私や弟の世話をしてくれたり家族のためにお菓子を買って帰ったりなにかと面倒見がいい人で、他にも捨て犬を連れて帰っては姉である私の母に飼えないよと言われ
他の飼い主を探したりしていた。
このブログで以前、なんでも拾ってくる祖父となんでも捨てる母の攻防を書いたけれど
叔母は完全に祖父に似たのだろう。
しかし、何と言われても気の毒な動物を見かけたら何とかしたいと思うのが叔母なのだ。
ある日の事、仕事から戻った叔母が庭で遊ぶ私にむかって「ごごちゃんマルチーズ拾ってきたよ」と笑顔で声をかけてきた。マルチーズ。
なんとなく聞いたことがあるような。犬といえば柴犬ぐらいしか馴染みがなかった私は
しばらく頭を傾げ、それが綿菓子の妖精のような犬であることを思い出した。
あの、あれだろうフワフワ丸くてよちよち歩く可愛いやつ。
犬なのに床屋さんで散髪してもらっているからいつも真っ白まん丸なのだ。
犬も散髪できるほどお金持ちが飼っているやつだ!綿菓子の!妖精!!
「かうかうかうーーー!!」と走りながら飼う宣言し叔母に近づくと、
その手には、固く握りしめた巨大ナイロンたわしのようなグレーの塊があった。
急ブレーキで止まった私は絞り出すような声で「それなに」とたずねた。
叔母は「これはマルチーズだよ野良だから毛が伸び切ってボールみたいになってるけどね。」とほほ笑んだ。
思ってたんとちがう……綿菓子の妖精ではなくナイロンたわしの妖怪があらわれた。
「かおはどこにあるの」と聞くと叔母はグレーの毛をかき分けてここだよと言った。
入り組んだ毛をかき分けた底に澄んだビー玉みたいな目が見えた。
散髪が必要なほど毛が伸びてナイロンたわしの妖怪になるのになぜ捨てたのだろうか。うちは貧乏だ、犬に散髪させてはくれない。私は犬の散髪ができない。かなしい。
家に入り大人たちがわいわいマルチーズの話をするあいだ私が飼いたいと言ったことを
蒸し返されないよう背中をむけ一人雪の宿をゆっくり前歯で齧りながら時が過ぎるのを待った。
結果、母の「飼えないよ」の一言でマルチーズは後日、叔母の友人に貰われることになりこの話は終わった。
数日後、憂鬱な気持ちを引きずった私にむかって叔母がマルチーズ、散髪してくれるってと声をかけた。
茎わかめはおいしい
ぼんやりしているうちに最後の記事から二ヶ月もたってしまった。
お盆休みが五日あったけれど白目を剝いているうちに最終日を迎えた
この二ヶ月でしたことは、読書ぐらいで相変わらずなのだがコラージュ作りを
はじめてそれは楽しかった。
自ら撮影した写真を専用ソフトで切り取りWordを使って貼るというもの。
なんでWordなんだよという話なんだけど、勝手がわかるのがそれしかなかった
岡上淑子さんみたいなやつをやるぜと意気込んで始めたけれど、見せた人に
「イカれてる」と言われた。今後も続けたい。
読み物では、アンディーウォーホル図録、マーク・マンダース、エリカ・ワード、
バウハウスの古い図録、穂村弘「シンジケート」、岡野大嗣「サイレンと犀」
こだま「縁もゆかりもあったのだ」和山やま「女の園の星」浅野いにお「デッドデ
ッドデーモンズデデデデデストラクション」たらちねジョン「海が走るエンドロール」
を古本や新書や電子書籍で手にした。
どれも実に興味深いぐっとくる作品ばかりなので誰か読んで欲しい。
数日前にワクチン接種のお知らせはがきがきた
私は接種することにしたのだが、まだ予定のたたない友人らを思うと何とも言えない
気持ちもあったが誰からでもいい、とにかく何とかしなくては。
問題が山積している。公私共に悪いニュースばかりが飛び込む。
全てが八方塞がりだ。
だけど頭の中の美しいものだけは渡したくない。と呪文のように毎日唱えている。