不条理さとシンボライズ

 自分で定義する「夢らしい夢」を最近では久しぶりに見て、細かく覚えているので書き記しておこうかと思う。

その1

 そんなに人のいない街角。(昔済んでいた地域の、駅近くのような雰囲気もある。)
 小さなビルの入り口で、薄い布団に身をくるみ、通りの様子が気になって眺めている。右手側、南と思われる方向に気になるものが存在するようだ。
 すると、伊藤という名の昔の知り合いが、当時の子どもの頃の姿で通りをやってくる。気づかれると面倒なので、そうならないように願いながら布団にくるまれたまま、入り口の影に身を隠す。なのに伊藤の(双子の?)兄弟、さらには兄までがそろい、ビルにやってくるので、他人の振りを装いながら背を向けている。三人は背後の階段を上がっていくが、通り過ぎた後に気配を感じて振り向くと、そのうちの一人の顔が手すりからのぞいているが、こちらが見ているのに気づくと姿を消す。

 ビルを出て、目的地へ向かう。路面に、(近くの店舗の)商品らしいワンポイントのついた髪留めパッケージが散らばっている。その先の交差点(丁字路?)を左に曲がる。

その2

 大きな商業施設のフロアにいる。
 少し先の方に父親がいて、一人で立って何かの作業をしているようだが、気づかれたくはないのでさらに距離を置こうとする。
 振り返って、壁面の方に向かう。行く先は一段大きめな段差で高くなっているが、大きく上げた脚をかけて登り先に向かう。壁沿いのカウンターテーブルは、大小さまざまなサイズの回転スライド式の椅子があり、そこで荷物の整理をしたいが、すでに他の人の荷物が置いてあるところが多い。右手側に視線をずらすと、大きめの椅子の部分が空いていそうな感じがする。しかしそろそろ昼食時という頃合いで、もしかすると父親が食事のためにやってきて鉢合わせしてしまうかもと思い、その場ではまずいと考える。

 一つ上のフロアもあるのを思い出し、そちらに向かうことにする。カウンターテーブルの左端の位置に階段へとつながるところがある。そこに入ってすぐに幅の狭いドアがあり、そのフロアの「連絡通路」につながっている。すぐ右にもう一つ幅の狭いドアがあり、上のフロアにつながる「連絡通路」がその先にある。

 上のフロアは観覧スペースのようになっていて、大きなガラスの先には、急斜面があり、右手方向の一部は小さな畑がたくさんつらなっている。棚田とは異なり、斜面の傾きに並行に畑が作られているが「畑だからそれで良いのか」と納得している。別の斜面には引き出しボードのような構造のところもあり、そのうちの一つでは、何かのスポーツのゲームが行われるようで、その練習の最中のようだ。
 どうもその時のフロアは大イベントの観戦専用のようで、人だかりがいくつかできていたが、どれもが関係者や取材者たちのようなので、気まずくてそこから去ろうとする。
 スペースの角にさらに上に行ける階段がある。途中が細くなっているらせん階段のようでもある。先に一人誰かが上に行っていたので、後に続いて先に向かう。
 さらに手すりのついたステップを上がった先のフロアは、荒れた感じはするがVIP席のようだった。そこにいるのもまずい感じがするので去ろうとする。壁の小さな窓からディレクターのような人物が見ているが、こちらには興味がないような様子だった。

夏の終わりに

 東京湾の最深部まで侵攻した颱風が去った後、二日間ほどの暑さが戻り、そしてまた気温はあまり上がらなくなった。今年の夏は、なかなかに太陽の姿を見ることがない日々が続き、しかし梅雨が終わった途端に猛烈な暑さがやってきた。
 そんな夏も、もうそろそろ終わりだろうか? そしてふと思う。9月にこんな涼しさを感じるなんていうのは、かなり久しぶりのことではなかろうか、と。

 10年ほど前のことを思い出すと、「暑さ寒さも彼岸まで」なんていうのは嘘だろうというくらいに9月下旬になっても熱帯夜が続き、天気予報を見てはため息をついていたように思う。最低気温が25度を下回るのは、10月に入って少し経った頃ではなかっただろうか。
 これからはずっとそんな年が続くのだろうと思っていただけに、今年のこの涼しくなり方はありがたさと同時に驚きも感じている。

 ところで幼少の頃の夏はどんなだっただろうと思い出そうとしてみるのだが、記憶はまったくもって曖昧で漠然としたままだ。今ぐらいの時期には、あちこちの神社で秋祭りがあって、吹く風は涼しくなっていたような気もするが、そんな風は後に付け加えられた記憶かもしれない。
 いずれにせよ、地球温暖化が進みゆく未来、夏と秋の境目がどんな様相になっているか、それは想像できるのか、それとも想像の域を超えているのか、その答えはこれから自分たちで確認していくしかないのだろう。