違法労働には厳罰を。でも、ホワイト企業にはインセンティブを。
過去にいろいろあったので、ブラック企業って少しでもなくならねえかなあと、日々思ってる。
でも、経済界は、「よくないよ!」なんてクソ学級会の真面目ちゃんみたいな発言では動かないし、「ルール守って社員を飢えさせるならルールを破る方がマシ」って考える人間の方が多いだろう。
(その発想に巻き込まれて飢えるよりも絶望的な状況に追い込まれたりするケースは、まあ、ここではさておく)
なので、厳罰も大切だけど、同時にホワイト企業にインセンティブを与えられないかなとも思う。
具体的には、
- ホワイト企業に対する認定証を出す
一定の標準ルールを定めてそれを超えたホワイト企業には、認定マークを出す。JISマークとかJASマークとかみたいな。
企業はそれを就活の場などで利用する。
- 優良な中小企業に厳格な公的監査を行い高い保証を与える
大企業にはできないレベルの詳細な監査で、中小企業に高い保証を与える。
中小企業には優良なものもあるけれど、就活や取引では見えにくい。
そこで、ものすごく高い保証を少数の中小企業に集中して出し、企業はそれにより信頼性を高める。
そうした企業が増えれば、人材も優良企業に集まり、法令遵守が甘い企業は競争力を失う。(そんなに甘くないけど)
- ものすごく緩いホワイトリストを公的に作成して公開する
緩ければ抜け道は多くなるけど、どんな企業でも登録できるようなリストがあればいい。
退職制度がある、雇用保険がある、有給制度がある。
そういう当たり前レベル(守れてない企業多いけど当たり前レベルとする)を守れている企業がホワイトリストに登録できる。
就活や取引などでそれを簡易に検索できて、公的にも大規模に広める。
うーん、浅い思いつきだなあ。
ここまで読んでくれた人に申し訳ない。
けども、思考の一助になれば幸い。
これを読んだ人も、こういうアイデアもあるぞって思いつきを適当に書いてくれたらうれしい。
現実的に実現可能なレベルのもので、企業も得をしつつ過酷な労働を抑える方法が産まれればうれしいな。
はてなブックマーク遊び
はてなブックマークの遊び方。
2・人気や新着の好きな話題のブックマークを片っ端から見ます。
3・なにか思うことがあったら、ためらわずガンガン書きます。
4・数時間放置します。
5・いろんな人から☆が届いて楽しくなります。ありがとうございます。
大昔は、星を取ろうと必死になって、大げさに誇張したり、キャラを作ったりしてみたけど、あれはアカンよ。
病む。
やっぱり素直に書くのが一番やねえ。
でも、星が欲しいなら(激ウマギャグ)、他の人が役立つことを書くのがいいと思う。
人にも役立って、星ももらえて、みんなハッピー。
でも、言いたい放題に書くのも、精神的にはいいかと思う。
逆に、相手を煽るために悪ぶったりすると、そんなブックマークコメントの態度が日常生活にも広がって、イライラしがちになるからやめる方がいいと思う。
それではみなさま、よきはてなブックマークライフを!
はてなはもう私の居場所ではない
明日は日曜日だってのに朝から仕事だ。なので早く眠らないといけないのに、布団の中でスマホを見ている。 いや、寝る前に実写版の咲のCM見たんだけど、こうもっと咲とのどっちの指切りにドキドキ感が出せねえのかな、とか考えてたらいつの間にか実写版マリア様がみてるの予告を観ている自分がいて、これこれこれこれだよ君ぃ!と布団の中でガッツポーズしたりしてた。
それはともかく、便利な時代だなと思う。
スマホを手にベッドの中で携帯を眺めてしまう、なんてことができるようになったのはいつからだろう。5年前はもう、スマホも持ってたよな。8年前はちょっとあやしいけど、確か持っていたと思う。いや、あれは携帯だったっけな。
時間の流れってのは、いつの間にか過ぎて、思い返すと曖昧になってしまう。
あれだ、いつも通る道の街並みだ。古い建物が取り壊されて新しい建物になり、最初の違和感が消えて当たり前になると、昔は何があったか思い出せなくなる。そうして新しいのもまあ壊されてまた新しくなってまた壊されて。思い出せなくなった建物はもうどれだけあるんだろうな。思い出せないのだから形も浮かばないけど、よく分からない心の穴が空いている。
寂しさとはちょっと違う。移り変わりは当たり前のことだから受け入れてしまえる。 ただ単に穴が空いているだけ。その穴は生き続けていくかぎり、いくつもいくつも空いていくんだろう。
それは街並みであったり、会わなくなった知人であったり、こうして見ているネットの世界だったりする。
十年も前のはてなダイアリー時代から、私ははてなを使っている。一日数回は人気ブックマークのページを情報源として見ている。ん、改めて考えるとヘビーユーザーだな。いや、ほどよく面白い情報が流れてくるんでついつい見てしまうのよ。真面目でもなくバカでもないし、普通のニュースでは出ない話題も飛んできたりして面白いんだよなあこれ。こないだは匿名ダイアリーにカワンゴが出てきたの、めっちゃ笑ったし。
でも、はてなにはいろんな人がたくさんいて、たくさんいろんな人が去っていった。そりゃまあ10年も経てば、人は入れ替わるもんだし当然だ。
で、思い返すと、やっぱり昔の姿は曖昧だ。
去っていった人でも私が大好きだったコンビニ店長だとか有名な人は覚えているけど、もう思い出せない人も山のようにいる。思い出せないから誰とかは分からないのだけれどさ、やっぱ確かにいるんだよ。
それを思うと、心の穴を感じる。
で、今日ははてブで互助会の話をひさびさに見て、 懐かしくて飛びこんでみた。ノリノリで互助会批判の記事も書いてみた。
けどまあ、 もう互助会がむしろ今のはてなの主流派だよなあ。あ、ちなみに、私の中での「互助会」の定義は「仲間以外には情報価値のないブログ記事なのに、はてブを集めて目立っているページ」だ。ブクマ数が多いからよほど面白いんだろうと覗きにいったりするとガッカリする記事。で、ブコメには記事の情報に対するメッセージでなく、「参考になりました!」だの筆者個人に対するメッセージがあふれている記事だ。はてなブックマークの人気ページには、今はそういうのが多く見られてしまう。まあ、それでも他の残りはまだ面白い記事があったりなかったりするんで見ているのだけど。
もうそういう状況なのだ。住人の入れ替わりなんて何度となくあった。そのうちの一つが起きただけだ。非モテ論争とか、ライフハック記事とか、いろいろブームが起きてそんじゃーね!と去っていく。あー、ミニマリストあたりとか、明らかにPV稼ぎ目的の業者が入ってきてて、あれはプロの力もあったからほんま酷かったけど。
で、今は仲間内でブクマをしあう互助会が主流派ってだけだ。
こういう互助会の問題は、仲間を優遇してブクマをつけるって行為が広がれば良エントリーが埋もれて、 はてなブックマークの価値は下がるって点だ。
といっても、元からそんな大したブックマークをしてたかと言われると、そうでもない。私は基本的に、互助会的なその輪の中でしか役立たない筆者個人宛てのメッセージでなく、情報共有になればという意識で有用なページにブクマをする。そしてブコメは、情報提供や意見表明に使う。でも一方で、はてブでボケて遊んだりもするし、アニメネタなら内容が薄くても飛びつくし、お前も情報価値を下げてんじゃねえか!と突っ込まれたら、その通りよと言う他ない。大喜利でボケるときも全体に向けて、笑いを取りにいっているつもりだが、その全体ってのも結局は自分好みの「はてな村の住人」向けってだけだ。はてな村民も少数派となった今、そういうのも内輪受けとしか言えないだろう。
もう、時代は変わった。
さっき書いてて思ったけど、「カワンゴ」で通じない人が、今のはてな住人には多くいるんじゃねえかな。そういう人にとっては、はてブの人気ページは「載ればPVが上がるページ」ぐらいの認識になっても仕方ないと思う。開放されたウェブサービスだし、好きに使えばいいからそういう認識は否定することでもない。
ただ、「私に取っての」ハズレが増えてしまうので、気にくわないだけ。そこに、善悪なんてない。単なる好悪だ。
「仲間内で盛り上がっているだけの、部外者に分からない記事が人気ページに取り上げられても面白いと思えない」
そういう私怨があるだけだ。私のような人間は文句を言ってくるかもしれないが、少数派だから好きなようにすればいい。
そこはもう、あなたたちの世界だから。
こうして誰の役にも立たないゴミのような記事を書いて、いまこうして読んでくれているのは数十人の物好きなだけで、 こんな懐古ブログは存在自体がムダとしか言えない。
だけど、思い出しながら、こんな文章をあてもなく紡いでしまう。もう曖昧な過去のはてなの姿。明確には思い出せないそれを、それでも心に浮かべてしまいながら。
それは、ただの心に空いた何もない穴。
そう分かっているのに、何度も何度も覗きこんでしまう。
はてな歴10年超の私が「こいつ互助会だ!」と認識するポイント教えます
「私、互助会って思われているかもしれない。どうしよう……」
そんな不安を感じる人、いませんか?
そんなあなたに、はてな歴10年を超えるベテランがアドバイス!
はてな経験の長い人間に、「こいつ、互助会臭がするぞ(偏見)」と思われる1つのポイントがあるんです。
それは、「はてなブックマークに『ですます調』のコメントがあふれている」ってとこなんです。
え、ですます調があるだけでダメなんですか!?と驚かれたかもしれませんね。
正しく繰り返しましょう。
ですます調があふれている、です。
あなたのその薄っぺらい記事に対してつくブクマ、なんだか「参考になりました~」「うわー、それは大変でしたね」なんていうゴミみたいなブコメの比率が高くありませんか?
そういう「筆者に対して語りかける『ですます調』のコメント」で溢れかえったそのお友達同士では楽しい記事が、なにを間違えたのかブクマの人気ページに上がってかてしまったとき、なんだこの無価値な記事は!と叩かれるわけです。
本来、ブクマは有用なページを見つけ、情報共有をするためにあるサービスだったかと思います。
その名前通り、あなたのお気に入りのサイトのブックマークを他の人にもみせて、いいサイトの情報を交換しましょうって感じです。
でも、はてブは、ただのブックマークだけでなく、コメントがつけられるのが面白かったのです。
そして、10年以上、いろんな人間があれやこれやとそのブックマークのコメントがかわすことで、 ぼんやりとながら集団が生まれました。
その集団の住む地を名づけて「はてな村」。
そこで形成された文化は、暴力的に「手斧」と呼ばれる手厳しい批判を投げ合うもので、対立する意見同士が激しくぶつかり合うものでした。
初対面から全否定、挨拶は全力の罵倒。
そんな優しさのかけらもない言葉の暴力が大半を占めるヒャッハーな世紀末的世界で、住人たちは生き残ってきました。
もちろん、10年もあれば問題も発生します。
最近で言うなら、業者っぽいライフハックやミニマリストの薄っぺらい記事が大量にあふれる(最近……?)などの問題もありました。
そうなると良記事を見つけるのも大変で、たとえば私も一時期ははてな村から遠ざかっていました。
で、今はあなたたち互助会が活躍中なわけです。
あなたたちががんばって「すごいですねー」なんてブコメを書きまくれば、良エントリが埋もれるよやったねクソが!
でもね、心配しなくていいてすよ。
だって、はてな村自体大きな互助会みたいなもんじゃないですか。
それに文化なんてそこで活発に動いている住人たちが決めるものです。
もうすでに、はてな村なんてものはほぼ死滅しています。実はもう大半が去っています。
だから、 好きにブクマしまくればいいんです。
仲良しこよしでブコメをして、面白い記事が一番でなく、誰が書いたかが一番の、PVと収益を自慢しあう世界になればいいんじゃないんでしょうか。
そして、他の知名度の低いブログに存在して、いろんな人に情報を提供したり、議論を巻き起こしたりする良エントリーが注目されたかもしれない機会を、情報価値の低い仲良し交換日記でつぶせばいいんじゃないっすかね。
ここまで読んで、「やっぱり互助会と思われるのはイヤだな」と思ったあなたに対処法を。
筆者に対する個人的な「参考になりましたー」とかのメッセージは、そのサイト内かTwitterでやれ。ブクマを汚染すんな。
あとは星とか投げまくればいい。
それで満足してくれ、頼むから。
という わけで、私のブログには「ですます調」の馴れ合いブクマなんていらない。いらないったらいらない。いらないです。ほんとマジでいらないです。もう、そんなのいらないんだからね!
「保育園落ちた日本死ね!(ニコニコ笑顔で)」
うちのノートパソコンは、ディスプレイがタブレットとしてキーボード部分から取り外せるものなんだが、最近、ディスプレイとキーボードの接続部分が接触不良になって、しょっちゅうフリーズする。そんなとき「畜生!止まりやがって死ね!」と思ってしまう。でも、仕事中パソコンに死なれたら泣く。 こっちが死ねる。
で、腹が立ったときの罵倒として、汚い言葉ではあるけど、つい「死ね!」は出てくる。なので、別に「保育園落ちた日本死ね」と言う人がいても、大変なんだなと思うだけだ。
近所に犬の散歩で糞を持ち帰らないオッサンがいて、マナー守れんヤツはほんま死んだらええのにって思うし、家が観光地の近くなんで夜中に酒飲んで騒ぐ外国人はよくいて 、朝見ると玄関前に割れたビール瓶と放尿の跡があったときは外国人観光客ども死ねって思った。
……さて、上の死ね発言は許されるかな?
もちろんこんなこと口には出さないし、こんな話題でなければネット上にも書かない。ネガティブな否定を書いてもプラスになる可能性は低い。
でも、聖人君子でない私は腹が立ったら「死ねばいいのに」って思うときもある。
それをどこまで表現していいのか?
この許せるラインは人それぞれで、私はそこが面白いと思う。
喘息持ちで苦しんでいる人「ありえんレベルの大気汚染しやがって中国死ね」
トランプは100%ないと書いた記者「バカな投票しやがってアメリカ死ね」
思春期男子中学生「勝手に部屋入るなんてお母ちゃんのアホ死ね」
寝る前に黒歴史を思い出した私「あ、あ、あ、過去の私死ね舌かんで死ね」
上の中で「中国死ね」「アメリカ死ね」は主語がデカいからいまいち不適切かな。まあ、それを言えば「日本死ね」も同じか。あと、お母さんは大事にしろ中学生。というわけで死ねばいいのは霊気功を操る14歳の私だけらしい。
やっぱね、つらいことやイヤなことを前にすると、 多くの人が悪態をついてしまうと思うんだわ。みっともないので表に出さない方がいいと思うし、できることならネガティブな感情も抑えたい。
でも、気持ちは浮かんでしまうわけだ。
だとするなら、可能な限り自分の中で抑えこみ、それでも怒りがはげしくて耐えきれなかったら、主語が大きくなってないか批判の対象を間違えてないか注意して、「死ね! 」と口走るしかない。
たとえば、オタクは挙動不審で気持ち悪いから死ねと言われたら、オタクである私は、そそそそんなん一部の人だけやから主語が大きいんです一緒にしやいでくれよな、と早口かつ身振り手振りで否定する。
たとえば、保育園落ちた日本死ねと東京の人に言われれば、え、まあ、その問題についてはくわしくないし、怒るのも分かるけど、いきなり死ねって言われたら気分悪いわーってなる。
受け止め方の違いは、ここだ。
日本死ねって言われたとき、自分も日本の一部と認識しているか否かだ。日本の一部と認識して日本死ねと言うなら、自らを絶望的に悲観しているわけだし、日本と自らを切り離して言っているなら、愚かな日本に対する部外者の罵倒になる。
ここでは別に、「日本と自分の同一視がいいか悪いか」を話したいのではない。
そんなの価値観だ。
私は、日本で生まれ育ったことが自分に影響を与えていると思っていて、日本の一部に自分が含まれていると感じている。
かと言って、日本から自分を切り離して見る人を非難しようとも思わない。 国に縛られない自由な生き方ができて、それはそれでいいところもあるのだろうと思う。
メリットデメリットがあって、人を傷つけるようなものでないなら、多様な考え方があればいいと思う。
で、話を戻す。
日本死ねを、自分を含む日本死ねと言うか、自分を含まない日本死ねと言うかって話だ。
私は「日本死ね」という発言自体には、さほど不快感はない。外国人から、お前ら日本の英語教育はどうなってんだ、他の多くの国はきちんと話せるぞって怒られたら、ごめんなあ、 でも私に言われてもなあって気持ちになる。
保育園落ちた日本死ねって言われてもなあ、かわいそうなんわかるけど、ごめん、そう言われてもなあ。でも、こっちはこっちの地域で考えていかんとなあ。ってなる。
繰り返すが、自分と日本の同一視についてはここでは置いておく。
それは価値観や信条であり、どちらが正当とかではない。 語りたければ別で語ってくれ。
で、言いたいのは、「日本死ねと言われたら私はそう感じている」ってことだ。
そして、その当人から他に拡散したあと、「日本と自分を切り離している人」からの日本死ねが不愉快に思うことが多いってことだ。
それは罵倒だ。
「日本死ね」を苦しんでいる人が口にするのはわかるけど、それを楽しげに「そうだ死ね死ね」と部外者から笑われれば不愉快になる。
そう、流行語大賞のトップテン入りをして満面の笑みでそれを喜んで表彰されにいく人間が、そして、それと同じように日本を貶したいために「死ね死ね」と愉快そうに口走る人たちが不愉快なのだ。
どうだろう、あなたが「日本死ね」というとき、怒りを覚えているだろうか、笑いが浮かんでいるだろうか。
日本は完璧な国でもないし、解決しなければならない問題も山積みだ。保育園の問題にしろ他の問題にしろ、苦しむ人たちが少なくなるよう間接的にも日本の一員として、社会に関わっていくことが大切だと思う。
でも、笑顔で日本死ねと言える人は、その問題なんてどうでもいいように思える。本気なら怒りながら、もしくは徒労感で呆れながら言うんじゃないのか。
いろんな考えが知りたい。
できれば、笑顔で日本死ねと言える人の論理を知りたい。
どうか、いろんな人のいろんな考えを教えていただければと思う。
あなたはどっち? TBSのキーボード問題、悪質な捏造かただのミスか?
私、大砲さんはイケメン好青年である。
街を歩けば老若男女が振り返り、山を登れば動物たちがおどり出て、海を渡れば深海魚たちも浮上する。
ついこないだは私が通っただけで近所の桜並木が一斉に開花し、つい地域ニュースの紙面を騒がせてしまった。その節はご迷惑をおかけした。いや、すまない。
さて、突然の告白だが、私は嘘が大好きな嘘つきである。
とくに巧妙に仕組まれたバレない嘘が大好きで、実はこの記事でもすでに嘘をついてしまっている。(勘のいい方なら気づくかも)
そんな嘘つきの私、大砲さんがちょっと気になったのは次の話題だ。
読んで、調べて、考えてみた。
で、気になったのは、このニュースというよりも、そのはてなブックマークについたコメントの分かれ方だ。
これがなかなかに興味深い。
・捏造とかじゃなくて編集がアホだった
・掃除の前後で同じものを見せるつもりのない制作姿勢の問題
キーボードが入れ替わっていることそのものじゃなくて、掃除の前後で同じものを見せるつもりがないという製作姿勢の問題なんだけどなあ - uunfo のコメント / はてなブックマーク
・得するとは思えないのでミスじゃね?
捏造するほど番組が得する案件には到底思えないのでミスじゃね?って感じ。お祭りにしたいのは分かるけど - komamix のコメント / はてなブックマーク
・撮影アングルそろえてるのに「ミス」?
これがミスで片付けられる現場のレベルの低さにあきれるしかない。明らかに比較用に撮影アングルそろえてるのに「ミス」? - gomi53 のコメント / はてなブックマーク
・効果をねつ造する理由がないから本当に雑なだけ
これ使ってるけど製品自体はちゃんと使えるし効果をねつ造する理由がないから本当に雑なだけなんだと思う - bullet7 のコメント / はてなブックマーク
・ちょっと違和感見つけただけで捏造やヤラセにしたがるんだ
何で意識高い系な馬鹿はバラエティ番組でちょっと違和感見つけただけで捏造やヤラセにしたがるんだ。。普段テレビ見てませんとか言ってるくせに - kkp5takeoff3 のコメント / はてなブックマーク
・優良誤認を誘う映像。ケアレスミスとかの問題じゃ無い。詐欺。
商品名を挙げた上で優良誤認を誘う映像を公共の電波に乗せた事実は覆らない、ケアレスミスとかの問題じゃ無い。詐欺。 - inferio のコメント / はてなブックマーク
・動画では汚れは取れてた。本当に間違いぽいなあ。
・こういう場合は「捏造と指摘されても文句が言えないレベルのミスが見逃される低レベルな制作です」と謝罪するべき
・ミスは誰にでもある。許されよ。
ミスは誰にでもある。今回は笑って済む話し。許されよ。 - lovevoiceryu のコメント / はてなブックマーク
・今のテレビは作業量多すぎだからそりゃミスるよ。
うん、なかなかに面白い。
手厳しく批判する人、批判に対して擁護する人、そこそこに分かれている。
こういう両論が入り乱れてぶつかり合うのが、はてなブックマークの楽しいところだ。
こういうとき、私は「どちらが正しい」というのはあまり考えない。
むしろ、どちらも正しい部分はあるのが本当のところだろう。
真実はこんなところからの憶測では分からないが、「前後が別のものでもいい」という気の緩みはあっただろうし、「ミスをしかねない多忙な現場」という状況も理解はできるだろう。
だけど、「どっちもどっちで流せばいい」とは思わない。
むしろ平行線のままもっと議論をぶつけ合って、自分と違う側の意見を知り、新しい知見を得られたらすごく面白いんじゃないかと思う。
なので、ぜひもっと争ってほしい。
ただし、ネガティブな憎しみの感情で争うのではなく、自分の意見と異なる相手の知識を吸収したり、自分の意見の正当性を客観的に見つめ直したりと、なにかプラスになるような喧嘩祭を繰り広げてもらえたらと思う。
私たちには、対立する相手と意見をぶつけあう練習がもっと必要だ。
屈服させるにしろ、仲良くするにしろ、もっと思いや考えをさらけ出して、議論の腕を磨いていく必要があるんじゃないか。
分かり合えないからと言って、議論を飛ばして暴力手段に出たり、存在しないものとして扱ったりするより、うまく手斧を投げ合う喧嘩祭ができたら楽しく思う。
さて、こうやって並べて自分の意見を言わないのはズルいので書いておくと、この件は「本気で不愉快」というもの。
まず、社会的な影響について。
こういった嘘は、故意にしてもそうでないにしても、公共の電波に乗ってしまうと莫大な経済効果を誤った形で産んでしまう。
不慣れな分野のため一次情報にたどり着けなかったが、どうもこの番組は視聴率2ケタを超える番組らしい。
となれば、100万世帯を楽に超える範囲にこの商品の効果が届けられていると推測できる。
(不得意な分野で曖昧な憶測を書くと誰かが正確なことを教えてくれるメソッド)
「100万世帯レベルの宣伝広告に、優良誤認の表示があった」
これ、普通の会社なら許されないレベルに、社会的影響を与えているのではないか。
そういう規模の話だから、「別にTBSは得をしないだろ」なんて話にはつながらない。
これだけの視聴率を得ている番組で扱われる商品について、金銭が動いてないというのは、私の見てきた業界における広告宣伝という範囲だが、普通は考えられない。
まさか、あれが広告抜きの善意で紹介される番組とは考えられない。
(「別に何の得もないよね」って考える人がブコメにそこそこいて、その感覚もぜひ知りたいと思う。けっして嫌みではなく)
「でも、その程度の演出とか普通にあるだろ。ありふれた話だ」
そんな反論が来るかもしれないが、次に問題だと思うのは、それだ。
こういう事例に慣れきって「ありふれた演出」と流してしまう、という点だ。
「嘘を嘘と見抜かなければならないし、ダマされる方が悪い」
「嘘といってもほんのちょっと。誰にもミスはある」
「使ったことがあるけど、事実とほぼ同じだよ。だからいいだろ」
そんな意見には賛同できない。
なぜなら、大多数に届いてしまう嘘を許容してしまう社会だと、その許容度合いに比例して訂正や検証のコストが増大してしまうためだ。
この商品だけの問題、TBSだけの問題ではない。
受け止める情報を毎回、「本当か否か再検証をする」「一次ソースを見るまで疑う」「判断は安易にせず、保留する」などとすることが求められる社会では、社会が正しい判断を行うのにどれだけのコストが求められるというのか。
「たかが、おふざけのバラエティに必死になるなよ」
私もおふざけの冗談でボケることは大好きだ。
でも、社会的影響が大きすぎる。
日常生活の個人の話とは違う。
情報を大きく発信することができるメディアには自制が必要なのだ。
そして、自制ができていないようなら、私たちが声をあげることが必要なのだと思う。
というような感じで、「ケアレスミスでした」なんて流し方は本気で腹立つ。
「それは違うよ!」とか「考えがあめえな!」とかいろんな意見があったら、ぜひここのブコメやらコメント欄やら、自分のブログやら増田やらで、どんどんぶつけ合って欲しいなと願う。
政治の重たい話と違って、練習台としてぶつけやすいかな、と思う。
というわけで、賛同してくれる人は、すっきり喧嘩祭りしようぜ!
(どうせアクセス数はいつも20(全体で☆)とかなので、こんなとこ見てくれた奇特な人は、適当に書いてやってくれるとありがたいっす)
あと、twitterで喧嘩友達になってくれるとうれしいです。
対処として完璧だな。それが本気で不愉快。事実、こう言い訳すればうやむやになる。3日もすればみんな忘れるわ。/これは簡単に気づけたけど、私たちの周りにはどれだけのこうした嘘があふれているんだろうな。 / “TBS ねつ造疑惑につい…” https://t.co/QaKlaAo1b5
— 大砲さん (@goodtaihoudai) 2016年11月30日