奪い愛、冬

今日YouTubeを見ていたら、ある動画が目に入った。

 

「奪い愛、冬」

 

「奪い愛」といういかにも熱苦しくドロッドロした文字面の横に、「冬」というどこか冷め切った印象のある文字が並んだときの、この一筋縄では行かない感。なんて絶妙なタイトルなんだ! と、私はしばらくこの動画を見つめていたのだった。

そしてふと、「奪い愛」のあとに続く文字が、「冬」以外だとどうなんだろうと考えた。

 

①「奪い愛、春」

うーん、なんだかあまりにも統率が取れてなさすぎる。

春は出会いの季節である。
どちらかというと、恋愛的には奪い合うよりも様子見をしている時期、もしくは何かが芽生え始める時期なはずである。それに、「春」には「恋」という文字の方が合う。それならいっそ、「ばっち恋、春」とかの方が良い。(超ダセェ


②「奪い愛、夏」

いかん、胸焼けする。

夏はもう、無条件にチャラい。
これだと、灼熱の太陽の下で、汗の滴る小麦肌の男女がマグマのような酒池肉林の愛憎劇を繰り広げる香りしかしない。続きはペイチャンネルでどうぞ。


③「奪い愛、秋」

おっ、悪くない。

秋という季節は、過ごしやすく、落ち着いた印象がある。
普段は大人しい男女が、山が燃えるような紅葉の如く、真っ赤な愛を奪い合う…そんなストーリーだろうか。しかし、ちと哀愁がありすぎる。また、次に来る季節が冬なのも相まって、結末は切ない別れだろう…となんとなく想像出来てしまう。

やはりこうして並べてみても、「奪い愛、冬」このタイトルの秀逸さには敵わないのである。季節というのはわかりやすいイメージがあるからこそ、どの言葉とも相性が良いとは限らないのだ。

では、どの季節と合わせても相性が良い言葉とはなんだろうか。私は考えた。そして見つけてしまった。


それは

 

「食べ放題」

 

①「食べ放題、春」

春野菜ですかね。

②「食べ放題、夏」

ビール片手にバーベキューでしょう。

③「食べ放題、秋」

食欲の秋、さんまにきのこになんでもあります。

④「食べ放題、冬」

寒鱈、寒ブリ、冬野菜、熱々お鍋でどうでしょう。


…なんて素晴らしい言葉なんだ、食べ放題。
もはや、「奪い愛、食べ放題」でも良いんじゃないか。そこはかとない大家族感。視聴率もバッチリでしょうね。



…いかん!


こんなブログを書いていたら、今日は昼ごはんを食べ過ぎたので、夜ごはんは抜こうと思っていたのに、食べたくなってきてしまった。


しかし我慢だ!

今朝鏡を見て、若干締りのなくなってきた体型に絶望したばかりではないか!生まれ変わったら細マッチョになりたいと切に願ったばかりではないか!!


嗚呼…

でも…

 


「めちゃ食べたい、肉」

 

ここ最近

嗚呼、「マクドナルド」が食べたい!

マクドナルドのメニューのどれそれが食べたいとうわけではない。

もう、あのマクドナルドのマクドナルド然としたものであればなんでも良いのである。

油っぽくていかにも体に悪そうな感じがどうしようもなく恋しいのである。

そして私がマクドナルドを猛烈に欲する時は、大抵部屋が汚い。

部屋が汚いときは心に余裕が無いときだ。

心に余裕がないときほど、食べ物で何かを発散したいという欲が強くなる。

しかしそれは量や質で満たせるわけではない。

やややけになっている自分に寄り添ってくれるような味が欲しい。

美味しすぎてもいけない、食べたあとに少しの罪悪感を感じたい、楽をしたい(自分で作りたくない、これ以上ない組み合わせで食べたい)…結果、マクドナルドというわけだ。

京都で一人暮らしを始めてからというもの、私は自然とマクドナルドに足を運ぶ機会は減って行った。

だけどたまに道ですれちがう人があのお洒落な紙袋から油と炭水化物の最高にデリシャスな匂いを漂わせようものなら、忘れかけていた私の中の何かが大きな音を立ててゴゴゴゴゴゴゴと走ってやってくるのがわかる。

もうこれは他でもないマクドナルド欲である。この場合はモスでもロッテリアでも満たせない。

どんなに美味しいクア・アイナハンバーガーを食べても満たせないのである。

それは、あの赤と黄色のマークのお店でしか手に入らない。

あの紙に包まれていないと意味がない。

あの入れ物にポテトが入っていなければ意味がない。

あの赤と白と黄色のストローで飲まなきゃ意味がない。

そう、それはマクドナルドじゃないと意味がない。

嗚呼マクドナルド、いと恋し。