高塚さまからは予定より2時間半遅く、日田の市街地に戻ってきました。
時間は2時半ごろでしょうか。
日田から帰るバスは、5時半ごろに出発の福岡に戻る高速バスを予定していました。
前回までのお話 ↓
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さあ、やっと日田のお雛さまの見学です。
ここでは、その豪商たちが、京都や大阪で買いそろえたお雛様が大切に保存されています。
まず、お昼ごはんを食べたので、実働は3時半からでしょうか。
だいたい5時にお雛さまの展示は終わるので、お昼ご飯を食べながら、どこのお雛さまを見るか、厳選しました。
お雛さまを展示しているところは20か所弱。
そのうち、パンフレットを参考に、3か所に絞って、見学することにしました。
お雛さまを主に展示している豆田町へは、バスセンターから日田駅を突破していきます。
ちょっと、中を覗いてみましょう。
JR日田駅の正面。
「HTA」のモニュメントがお洒落。
駅の中を覗いてみると、待合室が、素晴らしい。
日田駅の待合室は、それはそれはシック。
どこかのお洒落な休憩室のような仕様でした。
木の匂いがするし、照明もリラックスできるし、電車を見ながら待つことが出来ます。
奥は、さらに、本棚や、大きいテーブルがあって、ご飯を食べたりパソコンをしたりしている人もいました。
電車を待っていなくても、ここなら、一日中時間をつぶせそうなほど、快適な空間でした。
町おこしとしての「おひなまつり」は、もう41回目なのですね。
江戸時代?明治?大正?昭和初期?
昔の面影のある白塀の建物があります。
この通りも、古くから変わらない感じ。
ただ、あまり通りを人が歩いていないんですよね…。
特に、日本人の観光客が。
韓国人の団体客と思しき団体さんを、一組は見たけど。
あとは、学校帰りの制服の学生さんばかり。
なんだか、こんな状態で、これからもお雛祭り続けていけるのだろうか、とちょっと心配になるほど人がいませんでした。
もっとも、時間的なもの…平日だったとか、すでに4時頃だったとか…もあるかもしれません。
、
まず、ここは行くと決めていた「草野本家」にきました。
草野家は、江戸時代、生蝋製造業を営んで繁盛したという豪商です。
江戸時代後期には、幕府直轄地日田の代官である郡代の御用達として、公金も扱ったとのこと。
現在の住宅は、江戸時代の中頃…享保10(1725)年頃に建てられたものだそうです。
国の重要文化財となっています。
「すべてのお雛まつりはここからはじまった」とあるのは、昭和59(1984)年に町おこしとして、第1回目の日田の雛祭りが開催された時に、ひな人形を最初に一般公開したのが草野本家だったから。
お客さんは、私達が行ったときは誰もいなくて、家のなかの説明を私達だけのためにしてくれました。
風情のある中庭です。
この草野家の雛人形は178体もあり、京都や大阪に商用で出かけた折に手に入れたものが多いそうです。
私が見た時は、異人さんをモデルにした人形もあり(長崎で手に入れたのかしら?)、印象としては、お雛さまを中心としたお人形大集合と言う感じでした。
でも、残念ながら、お雛さまは撮影禁止。
何かないかなと探していたら、大分放送のYouTubeを見つけましたので、どうぞ雰囲気を味わってくださいね。
引用:YouTubeより
次に行ったのが、天領日田資料館。
資料館に行けば、色々なお雛さまが飾ってあると思ったからです。
ここでは、庶民に伝わったお雛さまを展示しています。
そして…
ここも、貸し切り状態でした…。
天領日田資料館
普段は、日田の庶民の生活がしのばれる資料を展示しているそうです。
様々な家に伝わったお雛さまが展示されていました。
ガラス越しの写真でちょっと見づらいかも。
これは、「おきあげ雛」と言います。
おきあげ雛は、綿を着物の端切れなどの布でくるんだお雛様で、筑後川流域でひろまったとのこと。
もと押絵は、江戸時代に宮中の女官が始めたと言われているそうです。
これは、やはり日田の豪商で広瀬家の旧宅。
今回は中に入るつもりはなく、中庭を門の外から、ただ写真に収めるだけでしたが…。
あららら…。もう閉まっている!!
草野家に行くときに通った時間には開いていたのに…。
まだ、4時半を過ぎたばかりです。
後で調べてみると5時まで開館とありました。
人が少ないからかしら。
門が開いているときに、外観の写真を撮ればよかったです。
因みに、広瀬家からは、幕末の私塾咸宜園(かんぎえん)を開いた広瀬淡窓(1782~1856)という儒学者が出ています。
(ここは、広瀬淡窓の実家です。)
次に、行きたかったのは日本丸館。
江戸時代から、昭和にかけての様々なお雛さまが展示されているとのことでしたが…
ここもアウト。
ここは、4時半まででした。
このままでは、満足できません。
「せっかく来たのに、2か所じゃ物足りないね。もう1軒は見たい…」
と、パンフレットを見て、5時まで開いていそうなところを調べます。
パンフレットで、まだ開いている施設はないかと探し、4時45分までに入館可能という、いうおひな御殿を見つけ出しました。
せっかく来たのだから、もう一か所くらいは、見なくちゃね。
時間は4時40分過ぎ。
「あ…ひな御殿が5時まであるよ。ここに行こう。」
娘と私は、急に早足。
いや、小走りか…。
だんだん、普通に走る…。
ひな御殿は、草野家の近く。
何と言ったって、日本丸館がちょっと離れていたので、もと来た道をしばらく歩かなくてはいけません。
ひな御殿に着いたときは、4時45分を過ぎて入り口を締めかけていましたが、滑り込みで見せていただけました。
何が幸いするかしれません。
と、いうのが…
なんと…ここが、圧倒されるほど素晴らしかったのです。
当初、見学の予定を入れていなかったけど、ここを訪れることが出来て本当に良かったです。
正式には「ひな人形ミュージアム ひな御殿」というのですって。
ここは味噌・醤油のお店である「日田醤油」のミュージアムで、日本最大級の約4000体のひな人形が展示されています。
「日田醤油」も、やはり江戸時代からの老舗のお店です。
天保14(1843)年に3代目当主が全国のお雛様を収集したのが始まりとのことです。
写真撮影をしていいとのことでしたので、写真を撮りまくりましたが、私の腕がよろしくありませんで(苦笑)、写りのいいのだけアップしますね。
聴いててよかったRKB…
でなく、行っててよかったおひな御殿。
(このフレーズ、福岡の人しか分からないかも…。)
10分では、見きれないほどのたくさんのお雛さまでした。
それでは、皆さんも圧巻のお雛様をどうぞ。
世界に一つだけの、醤油瓶のお雛さま。
このタイプのお人形は、私のお雛さまにそっくり。
コンパクトで可愛らしいところが好きです。
お部屋いっぱいに所狭しと飾られている、おきあげのお雛さま。
器量よしのお雛さま。
ふたりならんですましがお~♫ そのものですね。
このお雛さまは、有職雛(ゆうそく)という、公家の装束を正しく再現したお雛様です。
前にいる動物は犬張子(いぬはりこ)とも犬筥(いぬばこ)とも言われ、室町時代以降、出産のお守りとして、うぶ室に置かれたり、幼児の息災を祈るためにその枕元に置かれたりしたそうです。
元禄雛
小型のお雛さまで、男ひなの冠が頭と共作りとなっています。
有職雛
地味な色の装いですね。
享保雛
享保びなの特徴は面長な顔立ち。
女性は十二単、男雛は太刀を持っています。
見栄っ張り雛
享保時代に作られたのお雛様。
お雛様の袖が長く大きく見えて、模様は唐獅子と、豪華に見えるように作られているのですって。
オーソドックスな、段々のお雛様。
お道具が沢山ありますね。
圧巻!
大広間いっぱいの、超巨大なお雛様。
20畳?それ以上?
度肝を抜かれました。
お道具もいっぱい。
何組あるのかしら。
奥行きがあり過ぎて、もはや、お雛様の顔がハッキリと分かりません。
豪華絢爛とは、このお部屋のお雛様のためにあるような言葉みたい。
ミッキーのお雛さま。
可愛い!!
これは、アンパンマン!!
ポスターに載っているお雛様。
きりょうよしですね~。
人間国宝の人形師 原米洲さん(1893~1989)が作ったお雛さま。
昭和の作品です。
これは、大正時代のお雛様。
屋根がありますね。
配列が面白い。
あれ、お内裏様はどこ?!
私の生まれたころ…昭和○○年ころは、このようなお雛様が流行っていた、と母が言っていました。
おきあげの羽子板。
布が豪華ですね。
最後の平成の作品を。
藤巧
こもれび
浜辺のWedding
平成時代の作品も、独創的でうっとりしました。
「こもれび」なんか、うららかな初夏に、庭を眺めながら、お酒を酌み交わす…そんなほほえましいお内裏さまとお雛さまを想像します。
いかがでしたか。
うんうん。
気分はほとんどお姫様?!(笑)
最後のおひな御殿は、圧倒されたボリュームの展示であるにもかかわらず、10分余りの駆け足での見学でした。
駆け足で残念と思いきや、なんと、ここは通年展示しているとのこと!!
ぜひ、この近くまでいらっしゃる時は、足を運んでみて下さいね。
翌日は土曜日。
多くの人で賑わってほしいなと、心から思いました。
この後は、スムーズに帰宅しましたよ。
次はどこに行こうかな。
家族の都合とお財布と相談です。(笑)
今日も…日日是好日。