6月12日の投稿について

 

今日6月12日に投稿した五つの詩(?)は、1~2年ぐらい前のわたしが、携帯のメモ帳等に書き残していたものです。

全体的にあまり完成度は高くありませんが、一部だけを切り取ってみれば、まあ悪くないところもあるかなと思います。よければ読んでみてください。

 

それと、このブログで詩を投稿するときは、他のエッセイ的な記事と区別しやすいよう、タイトルにカギ括弧を付すことにしました。過去の記事もそのようにしてあります。ご承知のほどよろしくお願いします。

 

「グロテスク」

 

 

身体を細切れにされてもうピクリとも動かない

動かないけれど感覚だけは残ってる

元に戻そうとしてもダメなんだ

切り口を渦状に言葉が覆い尽くしてしまってまるで見ていられない

血すら出てないんだ

これが本当のグロテスクってものだよ

僕はこのままゆっくりと生温かい地面に沈んでいく

少しずつ喉も詰まっていって

感覚だけがどんどん鋭くなる

最後には目ん玉だけが土からひょっこり飛び出して

世界のことも自分のことも

さぞ鮮明に見えるだろうよ

わかるか?これがどんな事なのか

 

 

「煙草」

 

煙草の火を
窓から 夜にかざしつつ
しんしんと
わたしたちの 諦めや
迷いやが
のぼっていくのを見ていた
煩いを 揺するものは
そうして
星のない空のあいだを
さすらい行くようにして 息を吐いた
 「やはりここには 何もない」
煙草の火が 
音もなく燃えている
遠く 電車の音がする

 

「ある夜の焦り」

 

夏の泥に死にたい
夏の泥に死にたい
コンクリート 流動体
酸っぱい匂いがする
涼しい夜から リズムが追ってくる
ぼくみたいなやつは
ただ雲が大きいだけで 道が長いだけで
息ができなくなるんです
まどろんで 渦を巻く
この汗は
この季節は 止まらないから
低く 低く 続いていくから
そうしてどうせ 悲しいのだから
ぼくは 夏の泥に死にたい

 

「眼差し」

 

今、わたしは見て
その理由を探す
そこに眼差しがあること

眼差しの価値 跳ね返り
水の音へと落ちていく
眼差しの価値 跳ね返り
風の並木に立ち消える……

わたしの外にさえ本質は眠る
感じなければならない 
あなたがいま 生きていることの地鳴りを
なぜわからなかったのだろう
やさしい人 強い人は
みな遠くと近くを まっすぐに見る
ひとつの矛盾をも持たずに
そしてそのすべては
自らの元へと還っていくのだ

こんなに淋しい魂に
あなたの眼差しは染みてくる
ああ世界を もう少しだけ 柔らかく

 

 

「夏の蚕」

  

 

夏の初め、わたしは一匹の蚕となって

つぶれた、やわらかい指の先から

か細い糸を、伸ばしていく。

 

その糸は

遠いトロッコの上空から来た

飢えた夏風にさらわれて

真っ白い砂漠の大気を漂い

家々の屋根をかすめ

寂しい動物の 生殖を眺め

そうしてしだいに 

あの大きな夏雲に呑み込まれる。

夏雲は 糸の感情を吸うように

ふくらんで 

夕方には 雨となって 

地面にその身を叩きつける。

雨に混じって ばちばちと 

地面に叩きつけられた糸は 

土の上に散らばって 

朝を迎え

じき陽が焼けつくようになると 

そっと地面を離れ ぐんぐん上昇し

砂漠の大気を漂い 家々の屋根をかすめ

寂しい動物の 生殖を眺め

やがては雲となり

やがては雨となり

またその身を叩きつけて 

またぐんぐん上昇し……

 

ああ、あの死んだような夏の

おそろしく胸躍る 激しい回転のなかを、

あの高まりきった 巨大な生命が織りなす

幻のごとき大回転のなかを、

わたしの糸は するすると するすると 

微細に 柔弱に 流れていく。

 

そのうち 夏が去り行くと

ばらばらになったその糸を 

わたしは拾っていかなきゃならない。

その時にはもう わたしの糸は

干からびているだろうけど

触れば崩れるだろうけど

ともかくわたしは 拾うのだ。

腰をかがめて 拾うのだ。

透きとおりゆく、秋の朝に。